ある歌い手のひげき
身体がかなり弱い私は、けれど夢を叶えていた。
ネットの中でだけ、歌手になったのだった。
けれどこれには条件があった。
『彼』の目には触れないこと。
彼というのは、昔から、私に様々なことを強いようとした人物だ。
もしも私のCDを彼が買ったり集めたりしたら、そのときは、私は死ぬかもしれないから、あまり人気にはなりたくない。
いや、目立ち過ぎたら見つかっちゃう。
そんなときだった。
「応援してるよ」
彼が私の肩を叩いて確かにそう言ったのは。
2年目を、順調に迎えてたとき。
顔は一度も出さない。ほぼ、景色の写真と声だけでやっているから、そんなにわからないもので、順調。
二年もやる頃にはわりとファンができていた。
バレようも無い。
彼は大学生だから、県外に出ているし。
親は仕事だ。
そしてほぼ囁くような小さな歌しか歌わないから叫ぶ必要もなく、近所にも人が居ないしで、あんまり迷惑の心配がなかった。
あの日までは――――
『謎のアイドル、ついにテレビに登場か』
朝テレビをつけてびっくりした。
画面に映るのは、まるで私みたいな性格の誰か。そして、私の歌を宣伝する、影だけの女性の出演。
声質は確かに少し似てるけど、私より微妙に低い。
や、やだやだやだ……
番組では、今度CD出すんですよぉ、なんて盛り上がっている。
なんで、こんなことになってるの!?
というかファンは、聞き分けてくれないものなんだ……
そんな似てるかな?
自分の個性のなさにしょんぼりしてしまうのと、こんな目立ちかたをしたら絶対耳に入るという衝撃に、憂鬱なような叫びたいような気持ちでいっぱいになる。
なにより、それはまず、私の歌だよってことだよ。ちゃんと、一から作ったの。
でも、言い出したくない。だって、こんな大事になったら耳に入るに決まっていて……
あー。どうしよう。
それをまるで嘲笑うかのように、出演者が宣伝しまくっていて、私のハートは朝からずたぼろだった。
なんじゃこりゃあってやつ。
「私はTVになんて出ていないよ。
目立ちたくないんだ」
と、マイページのブログに書いてみる。
それから。
「歌ってくれてありがとう。
私と間違われたけど、もう少し声が高いかな?
でも似ているかも」
と書いておく。
ものすごく遠回しには、でも、やめて欲しいなと伝えてるって、わかる……はず。
わかるといいんだけど。
夕方のTV番組では、少しなにか変わるかな?
騒ぎになるだろうか……考えても仕方ないし。
髪を結んで、台所に行ったら朝食であるTKGを食す。
こだわりは特にない。
だしを入れて玉子をいれて、いただきます……
おいしいなと掻き込んでいたら、なんかどうでもよくなってきた。
まあ、本人が言ったんだからこれで、CDなんてやばいと感じてやめてくれるよね。
夕方。テレビを見てたら違う番組のインタビューに出てる彼女が。
「いやー。声は低めだけど、普段は上げているんだよね。わからなかったぁ?」
と笑っている。
なっ!
『わからなかったぁ?』だってー!!
つーか、逆だー。
まさかの、『カバーする方』を選んだ。
乗りきる気かよ……
唖然としていたら、ドアがノックされた。
開けてみたら、近くに住む優一だった。背が高くてバスケ部だったけど、少し骨折したときにやめてから帰宅部。
そしてこういうニュースに過敏だという。
げっ。
「違いのわからない人もいるんだな」
入って来るなり、嫌そうに画面を見てる。
私とは気づいてないみたいだけど、優一君、
わからないのはきみだよっ!
「わからない人もいるみたいなんですがぁ、普段こんなですからね!」
画面のムコウの声が、やけに必死に取り繕い始める。別のタレントさんが、「そうだよねー。俺も二日酔いしたらイメージ変わります」
とかいうフォローをしてる。
逃げに走ったな……
きちんと『わかってた上で』。事実を認識してなきゃこんなフォローしないよね?
しかも集団で。
泣きたい私の前に、優一君が紙箱をさしだした。なんか甘いにおいがする。
「ほら、ドーナツ……」
「え、ありがと。どうして」
「いや、なんか、さいきん会ってないからふとお前の顔見にいこうと思って。そんときちょうどセールしててな」
「あ、ありがと」
二人で8個くらいのを、4つずつ食べた。
ピンクのとかチョコのとか砂糖がついたのとかいろいろあって美味しい。
「なんか今日は元気ないな」
「まあね」
不安だったから、このことを言おうか迷った。
テレビに違う人出てるし、CDなんか出されたら完全に目立つし、それを歌ったら私が偽物みたいになるし、というか既になりかわりさせられそうなんだよ。
「なんか、イメージより口が悪いよな」
そりゃ別人ですから。
「そ、そうだね」
言ったら、せっかく正体不明にしてたのが水の泡じゃないかと思う反面で、それを利用するのはどうなんだろうという不信感が沸き上がる。
口の悪さよりも、このある意味の『諦めの悪さ』に、私はゾワっとした。