ビルの屋上から
いい天気だ。
だから、彼女は世界にさよならを告げることにしていた。
もしも、よくない天気だったら告げなかったかもしれない。
忘れていることがあったはずなのに、覚えていることに上書きされてしまうので、彼女は、昔について想いを馳せる自分が無駄にしか思えなかった。そして、その無駄が大事なのだと思った。
いい天気。
だから彼女は、ビルの屋上へと足を運んだ。
きれいではないことばを投げる人がいたなら、
足を止め、泣きそうな目で、戻ってきたのかもしれないが、ビルに来るまでに町に貼られたポスターを見ても、曲を聴いても、自殺をするなという一方的な否定しか見当たらない。
元気でねと見送らなくて構わないが、自死により尊厳というものをなくされるような扱いはいただけないと思う。
尊厳を示すべく、美しい飛び降りかたを考えてみたが、死の場合は美しくないのが尊厳とい気もしたので、しばし思い悩んだ。 誰も止めない、というのは実にすがすがしい気分であり、実際、これを味わいたくて未遂に走るものもいるのかもしれない。
直接の殺人はなくても、誰かを間接的に殺したかもしれない人間は、沢山いるだろうし、増えていくだろう。
それを味わわせるのも、彼女には、なんだか素晴らしいようだった。
そんなある日、ビルのましたで一人の少年と出会った。
「飛び降りるの?」
聞かれて、彼女は苦い笑みを浮かべた。
「わからない」
「飛び降りるところが見てみたい」
彼女はこれまで、周囲に無頓着だったが、急に自分が、他人の願いを目の前で叶えてあげられる善人になれるチャンスに気がついた。
生きる希望とは、他者との関わりとも関係するという。
このとき確かに彼女は、生きる希望をものにするために、その願いを叶えるときめた。