第1話 ご領主と婚約?
ジーエル伯爵領──。
昔はこの領内は平和な土地だった。
ご領主さまであるプラティア様は公正なお方で領民をよく愛して、方々の祭りに顔もお出しになられていた。
しかし数年前にご病気になり、散々苦しんだ挙げ句お亡くなりになり、代わって政務を執られていた嫡男のシルバーニ様もほぼ同時に亡くなられた。
やれ、もはやジーエル家も終わりかと思われたが、遠方に養子に入っていた次男のゴールディ様を再度お屋敷にお呼び寄せになりご後継とした。しかし、しばらくジーエル家を離れていたのでどんな方かまだよく知る人はいない。
そのゴタゴタもあり、ご領主さまの親衛隊が取り締まるのはお城やその城下がほとんどで遠く離れた集落にまで目をかけられないのが現状だ。
このジーエル伯爵領を混乱に陥れているのはギルティ一家というマフィアだ。高利貸し、土地の買い取り、土木工事の請け負い、夜の街の取り仕切り。この領内でギルティ一家に逆らえるものは誰もいなくなってしまった。
私の住むハルカの街はお城から東へと8kmほど離れた場所。名物はお芋の串揚げ。それと発泡酒の相性は最高。
私の父はこの街の執政官である騎士だった。
父は先代のご領主の元、外部の敵と戦い、「国守の騎士」と讃えられた英雄だったが、最低の男だったようだ。
外に女を数人囲い、妾に与えたお屋敷のためにギルティ一家に莫大な借金を作って死んだ。
何者かに殺されたのだ。
そのおかげで、私たち家族はギルティ一家に屋敷を取られ、愛人たちに財産を奪われた。
しかし、ウチの中ではよい父親だった。仕事熱心で母や私たち子供を愛していたように見えた。今でも父が影でそんなことをしていたとは信じられない。しかしそれ以来母の心は壊れてしまい、親戚も私たちを見放した。
今ではかつての優雅な暮らしは見る影もない借家暮らし。
父が他界してからであろうか?
先代ご領主のプラティア様も体調が悪くし、それをいいことに、ここハルカの自治権は父から借金取りのギルティ一家へと移ってしまった。
私は仕方なく病気がちな母親や、弟と妹を食べさせるために酒場で働いていた。
たとえギルティ一家に仕切られている街だったとしても逞しいものだ。街は賑やかで、勤め先の酒場も大賑わいだ。
「うぉい。サンディ。きっちりテーブル拭けぇ」
「は、はい。親方!」
酒場の店主ドリグさんはぶっきらぼうで口数少ないけど、とっても優しい。ゴリマッチョで毛むくじゃら。ハゲ頭の丸顔にフサフサの髭が目印。ウチの事情も知ってくれている。
「サンディちゃん。おきゃわりー!」
「もう。ゴルさん、飲み過ぎじゃない?」
「いーんだよ。それよりどう? 今晩デートしない?」
「やめてください。ウチはそういうお店じゃないので」
ゴルさんはいつも早い時間からカウンターに座って飲んだくれてる。
長い金髪を後ろで1つにまとめて、着るものもシャツとベストが1枚。作業ズボンだけ。オシャレでもない。顔はまあまあハンサムなんだからしゃんとすればいいのにと思うけど、どこの誰かはよく知らない。
ハルカは地下街もあるし、日雇いの仕事もある。
裏の顔だってある街なんだから。
そんな裏の人かもしれないし、うかつな態度はとれない。
そんな人たちが集まる酒場なのだ。でも私はこの職場が好きだ。
そこに──。
「サンディはいるか?」
入って来たのは暗黒街を取り仕切る、ギルティ一家の長、ノザン・ギルティ。ハゲ頭の中年男。コイツは父がこさえた借金の取り立てにじきじきにお出ましだ。
「どうだ。金は作れそうか?」
「も、もちろん」
「ウソをつくな。まああとひと月だ。そうすればお前の美貌は私のモノだ。その方が楽だぞ? ノザンの妾になれるなど名誉なことだ」
「──ええ、そうでしょうね。でもまだ時間がありますし……」
「同じことだ。手付だけ頂いていくか」
ノザンは私のアゴに手を添えて唇を近づける。私は顔を横に向けて拒むものの、押さえ付けられてどうにもならない。
「うぉっとぉ!」
その声で私のアゴに添えられた手は弾かれた。驚いてそちらに目を向けると、フラフラになったゴルさんが、発泡酒を持って足を滑らしたらしい。
運悪く、ノザンの腕にぶつかり、持っていた発泡酒をノザンの体中にぶちまけていた。
「旦那に何しやがんだ、このサンピン!」
ノザンお付きのチンピラが、ゴルさんを押さえ付けて殴り始めようとしたが、ノザンの姿が面白すぎて私が吹き出してしまうと、ノザンは頭まで真っ赤にして酒場を出て行ってしまった。
「あ、旦那!」
チンピラはゴルさんを一発殴ると駆けだしてノザンを追いかけていった。
私はゴルさんへと駈け寄る。
「ゴルさん、大丈夫?」
「ぷひゃー。大丈夫。麻酔が効いてるから」
と杯を上げる。しかしなんて暴虐な。ノザンにこの街は良いようにされている。暴君だ。ご領主に訴えるモノなど誰もいない。もしも失敗したら、この街にいられなくなるからだ。
父だったらどうするだろう──。
私たちを地獄に叩き落とした父。
でも母のように父を憎めない。
女と父親との差なのかもしれない。
ご領主とは懇意だったんだと思う。
だったら、この街を救っていたのかも。
私も落ちぶれたとはいえ父の子だ。
なんとかご領主に訴えることはできないかしら……。
それに私も。このままではノザンの妾にされてしまう。
家に帰ると、いつものように壁を見るだけの母。
妹のマーヤは夕食を作っていた。
「あ。お姉ちゃん、おかえり。裏の家のロテプから青リンゴをたくさん貰ったの。ジャムにするといいって!」
「そう。ロテプが」
裏の家に住むロテプは、元のお屋敷では家宰を務めた男だったが、我々が屋敷を追われたのと同時に引っ付いてきて、後ろの空き地に家を構えた。相変わらずの辣腕ぶりで、最初は小屋だった家も、今ではこの貸家より大きい。
農場を数ヵ所もって、人を雇って切り盛りしている。未だに父の恩を感じている一人だ。
「旦那さまが妾!? そんなことあるはずありません!」
そう母に何度も言ってくれたが、ギルティ一家が突き付けてきた証文には間違いなく父の拇印が押されていた。
父は、ロテプにも言わずにギルティ一家から金を借りていたのだ。
「たっだいま~!」
元気よく帰ってきたのは、弟のボルト。元のお屋敷、つまりギルティ一家のお屋敷にアルバイトに出ている。
「今日も一日つかれたな~。こき使うだけ、こき使うんだから」
「で、どうなの?」
私が聞くと、ボルトは手招きして別の部屋へと移動した。私は母やマーヤの目を盗んでこっそりとボルトの待つ小さな部屋へ。
そこで二人とも声を忍ばせて話し出す。
「別に家族だからいいじゃない」
「分かってないな。姉さんは。母さんはあの通りだろ? 急に立ち上がって何を叫ぶか分かりゃしない。俺たちできっちりギルティをぶっ倒してから安心させるんだ」
「だって。そんなことできるの?」
「ここに来たときは姉さんが8歳。オレが5歳。マーヤが3歳の時だ。父さんを憶えてるかって聞かれたら正直憶えてない。だけど父さんはいつも茶色のカバンを大事そうに抱えていたんだ。それがオレの思い出。ロテプに聞いたら、そういえばあのカバンどこに行ったんでしょう? って。だから元のお屋敷に隠してると思ったんだ」
「そ、そ、そ、そうなの?」
「そうだよ。そのための潜入なんだ。バカの振りして、忠誠を誓いながらの家捜し。ギルティのバカは、まさか屋根裏までは捜索してなかったらしい」
「て、いうことは?」
「そう。蜘蛛の巣と埃をかいくぐって、ようやく板と板の間に挟まれた茶色のカバンを見つけたんだ」
「どこ。どこ?」
「慌てんなって。カバンなんて大きなもん持ってきたら、すぐバレちゃうだろ? だから中の書類持ってきた。一部だけど掴める分だけ腹に隠して」
ボルトは上着を脱ぐとそこには父の文字の書類が十数枚。私は嬉しくなって手を叩いた。
「なんて書いてある? オレ学校行ってないから中身わかんねぇ」
そう。私は家庭教師に教えて貰った期間があるものの、ボルトは勉強を教えて貰う前に家を追われた。簡単な字の単語や名前くらいの読み書きはできるものの、難しい文字は読めないのだ。
「ちょっと待ってよ……。えーと、えーと」
書類を見始めて数秒で手が震える。
「──凄いわ。ボルト。これは、ギルティ一家の悪事が暴かれたものよ!」
「え?」
「街の利権を取り上げた件、悪徳な手段で土地や家を取り上げた件。すごいわ。強盗したことまで書いてある。父さんはこれをご領主さまに訴える前にギルティに知られて殺されたんだわ!」
「そーか。だからギルティは父さんにあることないこと被せて俺たちから屋敷を取り上げたのかも知れない」
「そうよ。きっとそうなんだわ! ボルト。あんたには悪いけど、これをご領主さまに届けて頂戴。私は何とか屋根裏に侵入して残った書類を手に入れてみるわ」
「そりゃマズいよ。屋根裏にはオレが侵入する」
「そうか。じゃあ他に信用できる人……。ロテプに頼んだらいいわ!」
「そうだよ。そうしよう。……あれ? ここに手紙があるぞ?」
「手紙? まぁ、先代のご領主さまから父に宛てたものだわ」
「なんて書いてあるの?」
「えーとね。親愛なるバズ。お前が言っていた通り、我が城にギルティの一味が潜んでいるかもしれないという危機感は私も感じていた。お前の進言通り、次男のゴールディは世継ぎのいない叔父のカパー男爵の元に養子に出すことにする。これで万一のことがあっても、当家の血は絶えることがないだろう。それから、お前の家に女児が二人いるらしいではないか。お前と儂の友情の証に、長女を将来、ゴールディの嫁にくれ。頼むぞ。キミの親友プラティア・ジーエルより愛を込めて……」
「ちょ、長女って姉さん?」
私は震える手で何度もその手紙を読み直した。先代のご領主さまからの手紙。次男のゴールディ様。つまり、現ご領主さま……。
「すげぇや姉さん! 父さんがどれだけ先代のご領主さまに信頼されてるかこれで分かったよ」
「そ、そうねぇ。で、でも、この内容を証明できる人間は誰も残ってないわ」
そう。先代のご領主さまと父さんの間で、私とご領主さまの婚約があったとしても過去の話。その時のご領主さまは、次男で男爵さまのご養子。それに部下の娘の私をくっつけたとしてもなんの不思議もない。でも今はその方は伯爵領を継ぐご領主さまですもの。もしも先代さまが生きていたとしても約束は反故にされていたハズだわ……。