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ガタガタと暗闇の中を馬車が走る。
移り変わっていく景色にも目を向けず、魔女──ミルカ・シャルドウィッチはどくどくと早まる鼓動を抑えるように目を瞑り胸の前で両手を組んでいた。
馬車の外はとても静かだ。
……いつだって自分の周囲は静かだった。
王城内の塔に作られた部屋は本と薬品関係の物で埋め尽くされていた。
食事は配給されるものの、他は全てその塔内で完結できるため外出は許されず、ずっとそこに居た。シャルドウィッチとはこの国の唯一の大公家の名だが、ミルカにとってそれはただのお飾りでしかない。
有史以来、必ず王妃となる者を生み出すシャルドウィッチ家。
貴族も平民もその家の詳細はなにも知らない。
知っているのはただ一つ。
そこで生まれて王妃になる女性が今代の魔女だということ。
連綿と続くそれを、ミルカはただ諦めて受け入れていた。
けれどあの日、出会ったものはそれの終わりを見せてくれた。
ガタリ、馬車が止まる。
「……シャルドウィッチ嬢、国境につきました」
扉の外からかけられた声に、微かに震える両手を握りしめて顔をあげる。
「……分かりました」
声をかけると扉が開き、この馬車を動かしてくれていた御者が顔を覗かせて降りるのをエスコートしてくれた。深くフードを被った御者の手を取り降りると、手前の国境検問所……とは名ばかりの関所と開け放たれた扉の奥に森の中へと続く道が視界に写る。
「出発時にお聞きになられたと思いますが、国の馬車はここまでです。国外へは徒歩でとのお達しですので、しばし御辛抱ください」
「……はい」
未だに早い鼓動を落ち着かせるように一度息を吐いて答える。
じゃりじゃりと鳴る道を踏みしめながら関所へと向かうと、門番をしていた兵士が御者の出した羊皮紙を見てから一言二言交し、ミルカ嬢をちらりと見やってその瞳に蔑んだ色を浮かべ……通行を許可した。
その瞳に若干の哀しみを感じつつ、御者に促されて国境の前へと立つ。
扉は開いている。
この一歩を踏み出せば国外となり力は失われる。
どくりとひと際大きく鼓動が鳴る。
なかなか動こうとしないミルカに兵士が嘲るような声で何事かを言っていたが、ミルカの耳はそれを捉えない。それどころではなかったのだ。
「……大丈夫だよ」
ぼそりと小さく、ミルカにしか聞こえない声がかかる。
それはとても──とても安心する声。
小さく頷くと深呼吸をして、
その一歩を踏み出した。
パキン
微かな音が鳴る。
それをきっかけにパキパキと音が広がっていき、ミルカの足が両方とも国外の地を踏んだ時──バキンッというひときわ大きな音がして消えた。
突然鳴った不審な音にも動揺せず、その音が聞こえていなかったかのような兵士はさっさと行けとばかりに扉をバタリと閉めてしまった。
いや、彼らには正しく、その音は聞こえていなかった。
聞こえていたのは、彼女と──そして彼だけ。
関所からしばらく歩いてから二人は森の中へと足を踏み入れる。隠れるように進んだ先、少し開けた場所へ出ると馬車があり、その横にフードを被った御者が立っていた。
御者は二人の姿を確認してすぐに扉を開いて促し、乗せた後は速やかに馬車を走らせ始める。
中に乗り込んだ二人は向かい合わせのまま無言を貫き──
「……ははっ」
彼の方が笑った。