黒と宿屋
一か月分の宿泊費と食事を支払った。自分が泊まる部屋の前まで案内され、宿屋の娘とお礼と別れをつげると後ろ手にドアを閉めた。本当は食事を自分の部屋で取りたかったのだがさすがに赤の他人に我が儘を言うことは出来ず、決まり通りに一階まで下りて食べることにした。
(最悪だ…)
ベッドに身を投げた。異世界まで来て激しい人見知りが発動してしまったと後悔が襲う。けれど、自分のことは一番自分がわかっている。あれだけの引きこもりと人間不信を貫いて置きながら、いきなり異世界で悠々冒険暮らしやらキラキラの勇敢な勇者やらそうそうたる高スキル美少女達を仲間にしたりやら等々、俺には無理だとわかっていた。女神に一つだけ願いをと言われたが、異世界主人公のチート的なスキルを考えようにも思考停止した生活を送っていた俺にそんな俺らしいスキルを考え付くことが出来なかった。念の為に女神に必要最低限の装備などはあるのかと聞いたら、それも願い事のうちに入るのでと言われたので、いくらチートスキルがあっても裸一貫で転送をされるくらいならと俺は堅実にお金を願った。有限だが案の定お金を願っておいてよかった。
(やっぱり場所を変えても俺は変わらない)
思っていたより早く引きこもり生活が始まったが、お金を願った時点で逃げ道を作ってしまったと思った。ここでまた”でも俺には無理だ”と言い訳をして”でもやっぱり俺は逃げた”と自分を責めるループに自分を陥れる。毛布を全身を覆って、もっと最善の行動が取れなかったのかと一人反省会を始める。最善を探しながらも、そんなことは思いつかないことはわかっていた。それでもせめてずる賢くてもいいから、攻め続ける自分を救う言い訳でも欲しかった。
(やっぱり最悪だ)
結局今の状況を変えることの答えにはならない。少し落ち着いた頃に前世での暮らしを思い出した。とにかく外に出ろという母、逃げた父、とりあえずこうしようあーしようと提案してくる教師、落ちぶれた俺を馬鹿にしてきた兄、連絡を一切くれなくなった元友達。みんな自分が思う最善の行動している。でもその全部が俺にとっての最善ではないことは誰も気づいてくれない。みんな自分ことだけ考えて生きている。でもそれは責めることではなく当たり前のことだった。ただそんな世界が俺には合わなかったってだけの話だった。
異世界転移してからすぐに走り回っていた疲れからか気の休まらない出来事からか、この部屋にたどり着いてから緊張の糸が切れたのかいつの間にか寝ていたようだ。酷い寒さで目が覚め、肉体的な回復もなければ頭もすっきりせず、改めて先の見えないこの状況に絶望さえ感じる。
木造の部屋にオレンジ色の夕日が差し込んでいた。寒さで近づくのに躊躇ったが窓から見た異世界を覗いた。まるで中世ヨーロッパの作品の中にいるような風景に現実味が沸かない。しかし、背の高いビルのない低い建物ばかりの景色に溶け込むオレンジが綺麗だと思った。反対から紺が迫って、紫ピンクオレンジと差し込む雲が幻想的でいつまでも見つめていられた。前の世界でちゃんと外の景色をこれほど長く見たことはあっただろうか。特に変わらない毎日だったが、いつも誰かに何かに責められているような後ろめたい毎日に一息付けた一瞬でもあっただろうか。自分の犯したことに正しさや間違いをまだ考えることは出来なかったが、あのままあそこでまだ葛藤していたらこの景色を見ることはかなわなかっただろう。
とりあえず、今はこの夕日を見れたという理由を付けて自分に一つの許しを作った。




