第8幕 闇/目覚め
夕食の片付けをしながらソフィアは物思いに耽っていた。
(・・・・・・・・彼が来たということは既に状況が動き出しているということ・・・・・)
洗い物で濡れた手を拭きながら今日受け取った『手紙』を開く。
(天界への保護の要請は取り付けた・・・・。でも、その後は・・・・・・・)
部屋で穏やかに眠っているであろう少年を想う。
(空いている席はあと二つ。私は、どうすれば・・・・・・・!!)
そして、響き渡る絶叫。
「ジン!!?」
ソフィアはランプを片手に部屋を飛び出した。
辿り着いたジンの部屋は真っ黒だった。
「これは・・・・!」
ランプの明かりも通さない濃い闇の向こう。
確かに蠢く影がある。
「―――――――」
心を静めて手を掲げる。
と、その手から黎明の如き光が零れ、部屋の闇を払っていく。
ソフィアの手が下がる。
今度はランプの灯かりが暗闇を照らす。
ベットの上に濃い闇の塊が蟠っている。
「ジン・・・・!」
そう言ってソフィアが駆け寄った時、
「こナイデ・・・・ソふぃア・・・・・・」
ばさり、と。
纏わり付いた闇が巨大な翼を成して広げられる。
その下で真紅の涙を溢しながらジンが訴えた。
「ボクハ、ダイジョうぶ、ダから・・・・・」
ゴボリと黒い影が喀血する。
「――――――――――――――!!!!!」
最早人間のものとしての意味合いを失った奇声が上がる。
紅い両目には理性など無く、このままでは行き着く先は目に見えている。
「くっ・・・!!」
意を決して飛び込み、ジンうを抱き締める。
「しっかりしなさい!!私を見て!!」
同時に自分の力を送り込みながら叫ぶ。
途端、黒い触手が肩に突き刺さる。
「これは、また・・・・」
見ればジンの背中から、幾本かの触手が生えている。
主の目覚めを邪魔する異物を排除すべくのたうつ。
「でも、これで・・・・・!!」
残された僅かな力を振り絞って封印を締め括る。
「―――――――・・・・・・・」
本体から力の供給を断たれて、形作られた闇が散っていく。
最後にジンが力なくベットに倒れ込み、事の終わりを告げた。
「・・・・・なんとか、終わったかしら・・・・」
肩で息をしながらソフィアが呟く。
「私も・・・・限界・・・・・か、も・・・・・・・・」
ついで、ジンに添うようにして深い眠りに沈み込んだ。
『まったく何を考えているのかしら、この子は。
そろそろ急がなくちゃいけないのに』
二人が眠り込んだ後。
もう一つの影が浮かび上がる。
白い手がジンの黒髪の梳く。
影は口付けするように顔を近づけ、囁いた。
『お願い・・・・・早く起きて・・・・・私のかわいい守護騎士さん・・・・・・・・』
目を覚ますと、やはり自分は何事もなくベットにいた。
昨夜の出来事は、夢、だったのか。
「僕が、ソフィアを傷付けるなんて・・・・・・」
何があったのか分からない。
どんどん自分がおかしくなっていく気がする。
これから自分はどこにいくのか。
「私と一緒に天界に行くんだよ」
「―――ぅわあ!!」
飛び退って頭を壁にぶつける。
「おおおおおおおぉぉ」
大丈夫ー?と覗き込んでいるソフィアに涙目で訊く。
「なんで僕が考えてることが分かったのー?」
「や、なんかジンが難しい顔して、どこに行くんだろう?とか言ってたから」
そうか、声に出ていたのか。
いや、そんなことよりも。
「ねぇ、天界ってどこにあるの?聞いた事がないんだけど」
ソフィアはしばし考えてから、
「ん――別世界?」
と言った。
曰く、世界は一つだけではないらしい。
様々な生き物、様々な環境、そして物理法則すらも違う世界が無数に存在する。
それら全ては隣接するも交わることなく、不可侵を暗黙の了解としてこの世の誕生から今まで在り続けて来た。
「そっか。『金時計』さんが言っていたのはこのことだったんだね」
「そう、これから行く天界のその内の一つ。私とも縁のある世界でね、いいところよ」
家の外は朝日に包まれて光輝いている。
改めてみると何かの聖域のようだった。
「天界へはどうやって行くの?」
いつもの白い衣を着て、気持良さそうに深呼吸しているソフィアに訊く。
「ん?えっとね、知り合いの人達に迎えに来て貰うんだ」
その言葉が終わるやいなや、突如森の広場に風が逆巻く。
そして、竜巻の中心から二つの人影が姿を現した。
「只今お迎えに上がりました。ラミエル様」
人影は二人共仮面を身に付け、黒いマントを羽織っている。
・・・・・・えっと、すごく怪しいんですけど。
ソフィアの表情も強張っている。
「私は御前の四大天使に依頼したはずですが、あなた方は?」
仮面の一人が慇懃に答える。
「ええ、彼女らは今、未確認のテロリストの相手をしておりまして。
代わりに我らが遣わされました」
うやうやしく礼までする仮面。
それでもソフィアは表情を変えない。
「わかりました。では、紋章を見せて頂けますか」
ここで、初めて動揺を見せる仮面達。
「天界院の者ならばだれもが階級を表す紋章を持っているはずです。さぁ」
仮面達は動かない。
沈黙が永遠に続くかと思われた頃、
「仕方ないですね」
仮面がマントの内側から何か取り出す。
「これでよろしいでしょうか」
翳されたのは一つのメダル。
黒い表面に赤く、蛇と果実が刻まれている。
「やはり、あなた達・・・・・!!」
ソフィアがジンを庇うように前へ出る。
仮面はメダルをしまうと言った。
「我らの主があなた方に御用があるそうです。ついて来て頂けませんか」
その言葉にソフィアは愕然とする。
「あなた達、もう気付いたの!?このことは天界でしか・・・・・・!」
仮面達は嘲笑する。
「我らが主は万事を見通されます。従った方が利口ですよ。・・・・・・・・!!」
白い閃光が閃く。
ソフィアが放った光弾は、黒いマントを焼いて森の奥へと飛び去った。
「ついて行く?冗談言わないで。私を誰だと思っているの?
純白大天、聖光のラミエルよ!!」
「いえ、あなたは見かけ通りの小娘ですよ」
頭上の木々の茂みがさざめく。
そこからナイフを構えた仮面が降ってきた。
「――――あっ」
声を掛けても遅い。
既にナイフの鋭い切っ先は彼女の脳天に――――――
ばし、と音がした。
何かに弾かれたように宙を舞った仮面は二人の仲間の下に降り立った。
「流石は光の女神。障壁を張るだけの余力はあったようですね。
―――――もっとも、その様子では今ので限界でしょうが」
仮面の言葉が指すように、直撃を避けたソフィアであったが、障壁の基点となった右腕には深々とナイフが刺さっていた。
「ソフィア!!」
「大丈夫。こんなの余裕でやっつけちゃうんだから」
蒼ざめた顔に不自然な笑みを浮かべるソフィア。
どう見たって無理してる。
「いいから。ジンはちょっと離れてて」
気が付けば自分はソフィア達の遥か後方にいた。
「あ・・・・・・・」
ソフィアは勇敢に敵に向かっていく。
なのに、自分はこうしてみているだけ。
(誓ったじゃないか・・・・・僕が助ける。救ってみせるって・・・・・・なのに・・・・・・)
――――力が欲しい。
(―――そうだ、力が欲しい。ソフィアを護るための力が・・・・・)
――――後悔しないかな。
(絶対に後悔なんてするもんか。それだけの価値がある)
『―――そう、じゃあ、私が力をあげる。誰かを護るべき力を』
「――――――――え?」
そこには誰もいなかった。
闘っているはずのソフィアも、仮面達も。
ただ、目の前の白い女性を除いて。
女性は固まって動けないジンの後ろに回り込むと、背中に抱きついて囁いた。
ソフィアは背後に感じた邪気につられて振り返った。
仮面の使者達も唖然としている。
「・・・・・・!!」
そして立ち尽くしているジンと、その後ろにいる彼女に気付く。
「待って!!その子は――――」
『さぁ、思い出して――――――』
ジンの周りの風景が弾ける。
意識は彼方に。
記憶は原初に。
まだ『世界』が生まれたばかりの頃。
黒と白が混ざり合い。
そのうち青が産まれ、灰の空に赤が咲き、
やがて緑が育まれる。
そうして幾つもの世界が生まれた。
全て互いに関わることなく。
しかし全ては『世界』の一つとして在り続けた。
星の羊水に溶ける。
己が『命』の起源に触れながら覚醒を待つ。
全てのものが知っていること。
しかしそれらがあまりにも多岐に渡ったために忘れてしまったこと。
思い出せ。
彼女は言った。
――――――――――私を助けて。
「―――思い・・・・・・出した」
俯いたままジンが呟く。
時が止まったような静寂。
ナイフを持った仮面が奔る。
ジンは俯いたまま。
あと一足で距離を詰める仮面。
ゆっくりと顔が上がる。
鋭い切っ先がジンの顔を抉る瞬間。
真紅の瞳が仮面を見据えた。
「・・・・・・・・・・が・・・・・・・・・・・」
仮面は全身から血を噴いて地に没した。
「・・・・・・・・・!!」
全員が理解した。
アレを止める術はないと。
その場を見限った仮面達の行動は速かった。
何の未練もなく撤退体勢に移る。
「引くぞ。転移魔法を―――」
だが、その相方は動く気配を見せなかった。
「おい、何を考えて――――」
返事はない。当然だ。もう一人の黒いマントの肩の上には何も乗っていなかったのだから。
ごしゃり。
手にした人間の頭を握り潰して、漆黒の衣を纏った少年は哂った。
全てを思い出した。
自分のこと。この星のこと。そして『世界』のこと。
永い忘却から開放された快感に浸る。
手から滴る赤い血を舐めとる。
最高だ。これが、命。
「うおおおおおおぉぉぉぉ!!!」
仮面が剣を手に襲い掛かってくる。
「ははっ―――――」
何もかも遅い。
軽く身を引いてかわす。
どうやら仮面は自暴自棄になっているようだ。我武者羅に剣を振り回している。
そうだな、まずは己の性能を試してみよう――――――――。
漆黒の闇を夢想する。
意識を集中した右手に闇が絡む。
難しいことはない。
ただ自身を構成する要素の形を変えるだけ。
存在し得ない無に在り方を与える。
形無き概念に形を与える。
条理の内に在りながら理を覆す。
故に、『概念破り』
『世界』より与えられた力。
やがて闇は形を成して剣の姿を採る。
黒い剣を握り締める。
長さは短剣程度。初めてにしては上出来。
振り抜かれた剣を弾く。
そしてそのまま仮面の腹を深々と突き刺した。
「――――――ごぶ・・・・・・」
びしゃり、仮面から漏れた血が顔を濡らす。
「は、はは、ははははははははは!!」
剣を引き抜いて哄笑する。
だがのんびりしては居られない。
やることは目白押し。
この体にも馴れなければ――――――
「ジン!!」
と、今までずっと視界の端にいた彼女が駆け寄って来る。
「ああ、ラミエル」
びくりと身を竦ませるソフィア。
「ごめんね。やることが出来たから一緒に行けなくなっちゃった」
黒い翼を羽ばたかす。
「待って、ジン!」
小さな影が空の向こうに消える。
深い森には遠く彼を呼ぶ声が響いていた。