第7幕 邂逅/金時計
苦痛を噛み締める度に赤い光景が脳を焼く。
謂れのない怒り、憎しみ。
諸々の負を抱えて歩き続ける。
睨み据える地平線の果てには更なる苦痛。
だが彼が歩みを止めることはない。
その他のことなど何一つ知らないのだから。
嫌な夢を見ていた気がする。
自分独りの世界に置き去りにされたような悪夢。
「・・・・・・・・・」
そんな思いを振り払うように首を振って、ベットから飛び降りた。
家の中には誰もいなかった。
「そういえばソフィア、今日は出かけるって言ってたっけ」
自分しかいない家はとても静かだ。
いつもの鳥のさえずり聴こえず、穏やかな陽光が差し込むだけ。
「・・・・・・・・・ッ!?」
痛い。
今までは昼間はなんともなかったというのに。
堪らなく、吐き気を催す、痛みが。
「ぐ、あああぁぁ」
主が不在の白い家は、内に存在する異物を排除すべく圧力を掛ける。
駄目だ、外、外にいかなくちゃ。
ここにいてはこの家に潰される―――。
ふらふらと庭へと歩いていく。
目の前は真っ赤で何も見えない。
かぁん、かぁんと響く音は、それとも脳の悲鳴なのか。
白い光でさえも、真実彼の目を焼く極光となって責め苛む。
庭のタイルの上に倒れ伏し、蹲る。
「ぎ、あぁぁ・・・・・」
彼は独り、白い家で悶え苦しむ。
だから、
「少年。少々砂糖を持って来てもらえないか?後、ミルクも頼む」
だから、不意に掛けられた声に驚く余裕もなかった。
「あ、が――――?」
庭に置かれている木のテーブルに、誰かが腰掛けている。
「なんだ、それどころではないようだが」
見知らぬ誰かが目の前に手をかざす。
「・・・・・・・・・!!」
びくりと身を強張らせる。
「安心しろ。危害を加えるつもりはない」
誰かの掌が頭に重ねられる。
「――――――あ」
ただそれだけで全身の痛みは嘘のように消え失せた。
「ふむ。これで会話は出来そうだな」
白い服を着た少年はそう言って満足そうに頷いた。
金の髪に金の瞳。
真っ白な服に金の刺繍。
彼の知る人物とはまた違った輝きを放つ少年。
「あな、たは―――?」
痛みの余韻に顔をしかめながら問う。
少年ははたと気付いたように手を打った。
「おお、紹介が遅れたな。名乗る名は無いが、そうだな……『金時計』とでも呼んでもらおうか」
首から掛けた懐中時計をちらつかせた。
「お兄さんは・・・・・時計屋さんなの・・・・・・?」
そう、少年が持っているのは懐中時計だけではない。
両腕にも時計が巻いてあるし、白服のポケットからも細い鎖が覗いている。
少年――『金時計』はうむ、と頷くと、胸ポケットから取り出した時計を一瞥してから答えた。
「まあ、そうだな、似た様なことはしているが、うむ、時計屋と大差はあるまい」
『金時計』はしばし上を向いて黙っていたが、
「少年は命の仕組みを知っているか?」
いきなりそう言った。
「――――命の仕組み・・・・・・?」
「そう、この世の全ての生き物はな、魂という燃料で動いているのだ。この燃料が尽きかけた時、死が訪れる」
ここまではいいか?と流し目を送ってくる『金時計』。
とりあえずうんと頷いてみた。
「何故燃料が残っているのに死んでしまうのか?そう疑問に思うかもしれない。だがつまりな、微かに残っただけの燃料ではその生き物の生命活動を維持出来ないわけだ。
そして、生き物の体から抜け出した魂は、自然の流れに乗って全ての世界の魂が集まる場所へと辿り着くのだ」
そこまで話してから、何故か今までずっと湯気を立てているティーカップに口を付けた。
「一ヶ所に集まった魂は凄まじいエネルギー体となる。ここからが要点だ。集まった魂はその場所から全ての世界へと送られる。そして流れ着いた世界でまた新たな命として芽吹く。
・・・・・要するに世界を廻すための力へとなる。
―――――解るか?全て一つなのだ」
『金時計』が立ち上がる。
「とまあ、これがだいたいの概要だ。本当はもう少し込み入った話があるのだが、これぐらいにしておこう」
いつの間にかティーセットは消えていた。
金の瞳はジンを映すことなくどこか遠くに向けられる。
彼は今度は懐から取り出した時計を一瞥して「そろそろ時間だな」と呟いた。
「さて、講義の後には質問が付き物だ。何か疑問はあるかね?」
そんなこといきなり訊かれてもわからない。・・・・・・・・・・いや。
・・・・・・どうしようもなく馬鹿な事だが、一つだけ質問をした。
「どうして生き物は死ぬの?」
『金時計』は何も言わずに歩き出す。
ジンは去って行く白い服をじっと見つめる。
「・・・・・・・・・いずれ、解る」
それも、しばらくして見えなくなった。
帰ってきたソフィアに訊いたところ、『金時計』は彼女の旧友らしい。
聴かされた話をすると、「気難し屋な彼らしいわね」と苦笑いした。
「それにしても不思議な人だったなあ・・・・・」
寝る前のひと時。
灯かりを消した部屋で、今日出会った少年を想う。
なんとなくだがソフィアと似た雰囲気を持つ彼とは、また会う機会はあるのだろうか。
「そういえば、ソフィアどこに行ってたんだ、ろ・・・・・・ぅ、ぁ」
激痛。
忘れていた。
この夜は決して憩いの時ではなく。
「ぐ、ああぁあ・・・・」
彼だけの拷問の空白。
ただ一人暗闇に抱かれて苦痛を噛み殺す。
またあの光景。
無限の荒野に立ち尽くす黒い影。
こんなもの知らないというのに。
「あ、ぐぅ・・・・どうして、」
――――ドウシテ、
――――ドウシテ、ボクガコンナメニ。
そう弱音を吐いた瞬間。
心を護る鎧が砕け、全くの無防備になった瞬間。
全身を巡る闇が嬉々として蠢動した。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
心臓を無視した勢いで血流が爆走する。
無残に切り裂かれた血管は皮膚さえも裂いて飛沫を散らす。
双眸は灼熱に焼かれ何も見えない。
意識は既に亡く、たった一つのイメージが叩きつけられる。
憎悪を以って万難を排せ、闇を以って光を閉ざせ。
「―――――――――――――――――――――!!!!!」
総身を黒と赤、瞳を紅蓮に染めた影の王の号令の下に、部屋中の影達が沸き立った。