第4幕 回想/覚醒
――――そう、自分はある小さな村に生まれた。
とりわけ何かあったわけではなく。
至って平和だった小さな村。
その頃、村では出来たばかりの宗教が流行っていた。
村の外から来た人達が広めたもので、
偉い人はこう言った。
『神の前では全ての人間は平等である』と。
その言葉に強く心を惹かれた。
信じれば救われるとか。天国に行けるとか。
そんなことは、どうでもよかった。
ただ 自分なんか比べものにならないくらい偉大な存在がいて、
いつも自分達のことを見守ってくれていると思うと、何か心が暖かくなった。
ただそれだけ。
それだけの話のはずだった。
新宗教の信仰は村ぐるみで行われた。
村には教会が出来て、皆が信徒となった。
皆が神を仰ぎ、祈りを捧げ、安らかに眠りについた。
その分、周りを見るのを忘れてしまっていたのだろう。
当時、その宗教は異端と呼ばれる類のものだった。
出来たばかりのそれを受け入れられず、邪教と謂われて粛清を受けることもしばしばだった。
そしてある日、それは、他人事ではなくなった。
「―――ぁ、は・・・・あ」
走る、走る、走る。
ようやく村の中心の教会に辿り着いた。
十人ばかりの子供達を連れ、扉を滑り抜ける。
厳重に閂を掛け、はぁ、と息を吐く。
遂に異教徒狩りの手がここまで伸びてきたのだ。
今は大人達が村の入り口で食い止めている。自分達はそのうちに隠し通路を通って逃げ延びなければならない。
神の前に跪き、祈りを捧げる。
「我らが父よ、大いなる神よ。どうか子供達をお守り下さい。どうか……!!」
震える手を見遣る。
そうだ、今は自分がこの子達を守らなければ。
意を決して立ち上がる。
その時、その決意を揺す振るように扉が打ち鳴らされる。
「・・・・・・・!!」
急がなければ。
「みんな、こっち!」
子供達を急かしたて、走り出す。
二分後、自分は絶望のあまり立ち尽くしていた。
教会内に確保してあったはずの隠し通路。
その入り口は。
「――――うそ・・・・!!」
崩れ、使い物にならなくなっていた。
信じられない。
今までの自分達の危機感の無さを呪った。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
子供達の内の一人が不安そうに尋ねてくる。
「・・・・・ううん、なんでもないのよ」
頭を切り替える。
既に教会内に大勢の人の気配がする。
どうにかして逃げ延びなければ。
慎重に廊下を進む。
どこか広い空き部屋に身を潜ませる。
それしか選択肢は無かった。
あと少し、あと少しで―――――――
ごしゃ。
ふと、後ろでそんな音がした。
「え―――――?」
振り返る。
子供達の叫び声。
後ろには。
倒れ伏し、頭から血を流す子供と。
短い棒を構えた男の姿。
後のことは良く覚えていない。
子供達と一緒にがむしゃらに走って走って走って―――――
結局、礼拝堂に戻ってきてしまった。
自分の他には二人の子供しかいない。
他の子とは途中ではぐれてしまったのだ。
しまった。この場所は、拙い。
礼拝堂には出入り口が二つある。
ただし、逃走用には使えない。
何故なら、一つは今逃げてきた道。
もう一つはそのまま玄関に通じている。
後者は間違いなく人がいる。
前者も同様。
「く―――――」
考えている暇はない。どうにかしなければ。
――――後者を行こう。
脇道を最大限利用すれば、あるいは――――――
足音。子供のものではない重く、硬い音が響く。
・・・・・・追い着かれた。
息が止まる。
音は今自分達が来た廊下から聞こえる。
どうすれば―――――
そして。傍らを振り向いたとき、
初めて二人の子供がいなくなっていることに気付く。
子供達は。
「!! ダメ―――――」
玄関に続く出口に向かって駆け出していた。
二人が出口に達する瞬間。
元々そこに居たかのように立ち塞がる人影。
子供達は吸い寄せられるように駆け寄っていく。
人影は手中の凶器を高く掲げ――――振り下ろす。
「あ――――――」
飛び散る赤。
目の前で、数秒前まで人間だったモノが床に重なる。
「・・・・・・・い―――」
頭にノイズが奔る。
視界は縮まって転がった命の脱け殻しか映さない。
「―――――――いやぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁ!!!!!」
―――――それから、どうなったんだっけ。
―――――ああ、そうだ、私は―――――――――
―――お・・・・・ろ・・・・・・
―――――き・・・・・・ま・・・・・
――――きろ・・・・・魔・・・・ょ
「起きろ!!この魔女!!」
「・・・・・・むい?」
目を覚ますと、目線のかなり下に兵士の顔があった。
あれ?なんで私こんな高い所にいるんだろう。
「貴様、よく磔にされたまま居眠りできるな」
ああ、そうだったそうだった。
腕はきつく十字に組んだ木に縛り付けられ、
足元には薪がうず高く積み上げられていた。
城内の処刑場。
私は今そこにいた。
どうやらこのまま火刑に処されるらしい。
「その前に、王よりお話があるそうだ」
そう言って身を引く兵士。その表情は戸惑いに翳っていた。
当然だろう。これから死刑になる者になんの話があるというのだろうか。
国王と対峙する。
厳格な顔付きをさらに硬くする様は、まさに敬虔な信徒そのもの。
厳かに告げるように磔の少女に語りかける。
「・・・・・何故、私の妻を救ってくれなかった」
悔いるように、憤るように呟く。
「お前はありとあらゆる病を退け、どんな傷をも癒せるはずだ。なのに、何故妻を見殺しにした?」
滾った眼でソフィアを見つめる。
かつて、一つの祈りがあった。
愛する人を失いかけた男が必死に助けを求め、そして彼女の元に行き着いた。
しかし、彼女はそれを――――――
「あの時言ったはずよ。私には死に行く者を救うことはできない。それが摂理よ」
そう言って跳ね除けた。
死に囚われたものは救えないと。
「気持ちは解らないでもないけど、生者は今を大事にするべきよ。いくら難産が原因だからって、ジンに当たるのはやめなさい。彼が可愛そうよ」
無碍にあしらった。
彼女に悪気はない。ただこの世はそういうものだと告げた。
「その摂理とやら。定めたのはお前か?」
地の底から湧くような響き。
「違うわ。これはそういうもの。ただそれだけよ」
ぎり、と歯を噛み締める音。
「・・・・・・ならば」
ぎしり、と少女を睨む眼。
「私はお前を超えてみせる。そして、お前でさえ超えられなかった摂理をも超えてみせよう」
ごう、と宣言した。
神を超えると言った初老の男を前に、ソフィアは微笑んだ。
「無駄よ。私は神様じゃないし、」
一息吐いて、遥か昔に思いを馳せて、
「神様なんて、この世に居ないんだから」
かつて信じていた神を否定した。
「だから無駄。私を殺したら、穏やかな生活に戻りなさい。ちゃんとジンに優しくするのよ」
まるで人事のように言う彼女。
それを別れの言葉と受け取った王は、
「そうか、ではさらばだ。永遠の死に沈め」
火を放ち、目の前の過去と離別しようとした瞬間。
「――――――――!!?」
視界の端に、地下牢に幽閉されているはずのジンを捉えた。
瞬間。
朦朧としていた頭は吹き飛んだ。
十字架に掛けられた少女。
今まさに火を放たんとしている父親。
やるべきことは唯一つ。
お伽の中の騎士のように、捕らわれの姫君を助け出そう・・・・・!!
「おおぉぉおおおぉおおおおお!!!!」
腰から短剣を引き抜き、全力で駆け飛ぶ。
松明を持つ父親を蹴り飛ばし、
ソフィアの縛めを破る。
「あっ――とと」
よろめきながら着地したソフィアを支え、手を引く。
「いくよ!早く!」
これで逃げ切る。
策とも呼べない代物だったが、成功させる他なかった。
兵士が動かないのを見て、ソフィアも逃げ切れると思った。
起き上がった国王が、ジンを指差すまで。
衝撃。
誰かに突き飛ばされ、地面に転がる。
「あれ・・・・・・?」
自分を突き飛ばしたであろうソフィアも倒れていた。
よく見れば、
倒れた彼女の胸から、
鋭い、
鏃が。
「え・・・・・・?」
抱き上げた体に力は無く、
閉ざされた目蓋は開かない。
白い衣に血の赤が染み入る。
やがて、理解という毒がじわじわとジンの思考を侵していく。
死んでいる。
死んでいる?
死。ンデイ、ル?
「――あ・・・・・」
見下ろす。
そこには、
数日前、絶対に守ってやると約束した少女がいた。
数刻前、必ず助けると誓った彼女がいた。
今、ソフィアは冷たい亡骸になっていた。
「・・・・お、おお・・・・・・」
嘆きではなく。
「おおおぉ、おおおぉお・・・・・・」
絶望でもなく。
「おおおおおぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
底抜けの怒りが彼を支配する。
・・・・・事態の異常さに、一体誰が気付けただろう。
――――――どこかの闇の中、くすり、と影が笑った。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!」
―――――――――ジンの双眸が紅蓮に燃える―――――――――
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―――――
―――
――
―カチ。
カチ。コチ。カチ。コチ。
カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、
コッチ、コッチ。コッチ、コッチ。
ボ――――ン。ボ―――ン。
コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、
チキ。チキ。チキ。チキ。チキ。チキ。
カッコ――。カッコ――。
―――――そこを、どのように表現すれば良いのか分からない。
強いて言えば、そこは、時計で出来た部屋だった。
真っ暗闇にぽっかり浮いた空間に、大量の時計が在った。
それだけではない。
時計は何も無い空間の、壁を、天井を形成するように並んでいる。
時計ばかりの部屋。
それ以外のものがあるとしたら、そう――――
部屋の中央に置かれた小さな丸テーブルと、
同じく小さな、優美なデザインの椅子と、
テーブルの上のティーセット一式と、
優雅に紅茶を啜る、一人の人物だけ。
人物はポットを手に取り、カップに中身を注ぐ。
また一口啜り、満足そうに頷く。
その、老成した行動と裏腹に、人物の外見は少年そのものだった。
金の髪と金の瞳が未だ幼さの残る顔立ちを造っていた。
少年はカップを置き、椅子の背もたれに身を預ける。
部屋を見渡す。
カチ。コチ。カチ。コチ。
カッ。カッ。カッ。カッ。
チキ。チキ。チキ。チキ。
寸分の狂い無く、それぞれの時計が独自の音律を奏でている。
置時計がある。吊り時計がある。鳩時計がある。
ありとあらゆる時計が奏でるメロディーに酔いしれる。
「ふむ。やはり調和。乱れ無き旋律こそがこの世で最も美しいものだな」
そうして、再びカップを手に取る。と―――――
「・・・・・・?」
少年の動きが止まる。
カップを口元に運びかけた姿勢のまま耳を澄ます。
カッチン。
動きを止めたのは少年だけではなかった。
今まで時を刻み続けていた時計達が、一斉に沈黙する。
そして。
ぎゅるるるるるるるる。と、全ての時計がその針を逆方向に向けて回し出す。
だが、この部屋が開かれて初めての怪現象はしかし。
金の少年を驚かせるには至らなかった。
少年は己の仕事が増えたことを憂いながら、ぽつり、
「漆黒大天が目覚めたか」
そう呟いた。