第31幕 廃都/lost memories
白い後ろ姿が、目の前を駈けていく。
追いかけても、追いかけても、二人の距離が縮むことはなく、むしろ、その姿は遠く離れてゆく。
しかし、彼は彼女を手に入れなくてはならない理由があった。
必死に追いすがり、肩に手をかけた瞬間、
―――――――――――――!!!!
形容しがたい殺戮のイメージ。
原型を留めない渇望と共に少女の五体を引き裂いたとき、俺は目覚めた。
「・・・・はっ・・はっ・・・・はっ」
上体を起こして額に手を当てると、じっとりと汗ばんでいた。
ちくしょう、何て夢を観やがる。
先程の悪夢を振り払うように頬を叩いてから、身支度をした。
「親父、水をくれ」
カウンターに腰掛けながら、すっかり元気な店主に注文する。
受け取った杯を仰いで一息吐くと、傍らの白い生け花が目に留まった。
「親父、この花は何と言うんだ」
「うーん?そりゃあ、確か・・・・。おーい、シシリー!この草っぱ何てーんだっけかぁ!?」
親父が店の奥に向かって叫ぶ。
やがて、目をこすりながらシシリーが現れた。
「あ、お兄さん。おはようございます」
「うむ、おはよう。ところで、この花の名を教えてもらいたいのだが」
シシリーは花を見やると、呆れた声を出した。
「もう父さん、日々草ぐらい覚えてよ」
「日々草?」
「そ。花言葉は『賑やか』。この店の名前は、賑やかな感じになって欲しいって、そう思って付けたの」
なるほど。親父は自分の店の名の由来を忘れてたのか。
「お兄さん、今日も探し物?」
「そうだが、何か?」
少女はにっこり微笑むと言った。
「ううん。行ってらっしゃい」
店を仰ぎ見ると、二階のラウンジ辺りにも幾らかの色鮮やかな花があった。どうやらあの娘の趣味らしい。
それにしても、何故花の名前など尋ねたのだろう。
それは、あの子が見掛ける度に訊いてきたからか。
馬鹿な、無駄な感傷だ。
今回のような狩りのセオリーの一つとして、土地の魔力の流れを探るというものがある。
要石の細工から相手が魔法使いと解った。そいつは、強力な魔法、または実験のために、出来うる限りの魔力を自分の元に集めようとするだろう。
そんな不自然な流れなら、この漆黒大天が気付かないはずがない。
昨日の広場に行き、ベンチに腰掛ける。
眼を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。
ぼんやりと青白い光の筋が、地面に張り巡らされているのが分かる。
これが、魔力を生成する星の力の流れ、地脈ともいう。
「・・・・・むう」
何ともない。実に健全だ。
要石を正した以上、他に異常がなければ、このように正しいのは当然と言えるが――――――――
「地脈を使わない、か」
要石の細工に気付かれ、これ以上何か仕掛ければ、刺客に対する致命的な隙になると踏んだのか。
あるいは、もう十分に魔力の蓄積が出来た―――――?
こうなると、後は足で探すしかない。
昨日把握しておいた、この街の地図を呼び出す。
広い街を無闇に探すほど暇ではない。
ある程度太い地脈が流れている地点に、印を付ける。
まずはこの辺りを当たってみよう。
まったく。こんなに手間が掛かるとは思わなんだ。
「・・・・・・ん?」
辺りを見回す。
今何か、変な匂いがしたのだが。
広場の片隅が騒がしい。
様子を見るべく、ゆっくりと立ち上がった。
野次馬に尋ねたときには、既に騒ぎは収まっていた。
曰わく、商人の一人がいきなり暴れ出したらしい。
その様子が尋常ではなく、取り押さえるのに男が五人も必要だったとか。
人間が暴れ出す理由などいくらでもある。
そんな些細なことに構っている暇など有りはしない。
有りはしないのだが。
「いやー、本当に助かりました!」
隣で野菜や果物の入った袋を下げたシシリーが言う。
しかして俺の両腕には、彼女の倍以上の袋がぶら下がっていた。というのも、ふらふらと散策している俺の目に留まったのは、大量の商品に囲まれて立ち往生しているシシリーの姿だった。
何故か放っておけず、何時の間にか声を掛けていたのだ。
「おい、いくら何でもこれは、買いすぎじゃないのか」
決して重いわけではないが、短期間で人間が消費出来る量ではない。絶対に。
「そんなことないですよ。うちだって料理は出しますし。それに今朝、市場に品物が入ったばかりなので、色々見てるうちに買っちゃいました。」
気の抜けた笑顔を見ていると、これ以上追求する気も失せる。
それから、店に帰るまでずっとシシリーと取り留めのない話をした。
痛み続ける心を隠すのは苦労したが、ただ話をするだけでも言い知れぬ温かさが胸の内を癒やした。
傷付きながら癒されていく。
この矛盾した感情が―――――――――
「お兄さん?」
「!!何だ」
気付けば既に店の前。少女が不思議そうに顔を覗き込んでいた。
「どうもありがとうございました。お昼ご飯、食べていきます?」
「いや、いい。もう少し歩き回ってみるよ」
そう言って踵を返したとき。
ごーん ごーん ごーん
響き渡る鐘の音。
同時に、視界に激しいノイズが走る。
「・・・・づ・・・ぁ・・・!!」
ざりざりと軋むような頭痛が過ぎた後、目を開ければ、そこは元いた街とはかけ離れた場所だった。
そこは、一応は街の体を成していた。
様々な店がある。どれも見たことのあるような、ありふれた街並み。
しかし、そのどれもが朽ち果て、赤錆びていた。
通りには人影一つない。
悪夢のような光景。
「なんだ・・・これは」
咄嗟に懐から懐中時計を取り出す。
「・・・・・ッ!」
文字盤の針が凄まじい勢いで回転している。
あらゆる世界の名と時間を表示する時計は、その機能を全く発揮していなかった。
(金時計の管轄外か・・・・・)
即ち、ここは『彼女』が創った世界ではない。
では、ここは誰が創った?
目の前の空間に触れて、破壊を試みる。
火花が散るだけで壊せない。
(結界にしては強すぎる)
すると、やはり何者かが創った世界なのか・・・・・?
ラミエルがこんな悪趣味なものを創るわけがない。
だが、他に誰がこんな真似出来る?
しばらく歩き回ってみて分かったことがある。
ありふれたなんてものじゃない。
確かに、俺はここに見覚えがある。
だが、そこが何処かが分からない。少なくともクラーゲンドルフではないことは確かだが。
「いったい何なんだ、ここは」
ざらざらに錆びた露店の一つに触れる。
瞬間、また脳裏にノイズが走った。
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白く長い髪の少女が、黒衣の青年に露店の菓子をねだっている。
『■■ね■■ねぇ!あれかっ■よ■■、■■て!』
『しょ■■ね■な。ほら■これでか■て■い』
青年は、渋々といった表情の中にも穏やかさを見せつつ、幾らかの硬貨を少女に手渡した。
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フラッシュのように弾けた光が収まったとき、手を突いた額には汗が滲んでいた。
なんだ今のは!?
「!!」
背筋に気味の悪い怖気を感じて振り向いて、ソレらに囲まれていることに気付いた。
およそ形容し難い色―――――灰色と茶色と緑色が混ざったかのような―――――不気味な人型。
ソレらは、目鼻のない顔をこちらに向けて、ぎくしゃくとにじり寄ってきた。
「・・・・ッ!!失せろ!!」
黒剣を造り出し、一閃。
居並ぶソレらの胴から上を斬り飛ばした。
残骸は地面に落ちると、ぐじゅぐじゅと不快な音と共に跡形も無く消えた。
「なんだ、こいつら・・・・・ッ!」
一際強く頭が痛み、思わず傍の露店に手を突いてしまう。指先に硬い感触。見ると、茶色い銅貨が転がっていた。
再び、脳裏にノイズが走る。
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『おば■■ん、■れち■うだ■!』
露店の林檎を掴み、指先で硬貨を弾いて店主に渡す。
フードで顔を隠した彼に、店主は訝しげに眉を寄せても、敢えて呼び止めることはしなかった。
『■ら、■■子・・・・・』
『あ■、あ■■王宮の呪■れた■ラス・・・・』 その微かな囁きはしかし、しっかりと彼の耳に届いていた。
『・・・・・ッ』
だが、彼は悔しさに唇を噛み締め、走り去ることしか出来なかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「・・・・これは・・・」
まるで映写機で映画でも観ているかのように、鮮やかにその光景が映し出された。
間違いない。これは――――――――
失われていく視界の中、拠り所を探す腕さえも見えなくなっていく。
これは、ヨエルとの――――――――
地面が消えたかのように足元が覚束ない。
もう、何も見えない。
そして、俺の――――――――
「――――――人間だった頃の、記憶―――――――」