幕間 Heaven's cry
「あー。見事に全滅しましたねー」
騎士団遠征の様子をモニターに写して見ていたミカエルが呟く。
聖母の塔のモニターは、罅割れたノイズしか映っていない。
同じ様に画面を見つめるヤハウェル、ウリエル、ガブリエル、ラファエルの面々も、結果自体には何の疑問も無さそうだ。ただ、その顔は沈鬱な表情に染まっていた。
「あー疲れた」
そのとき、扉を開けてラミエルが現れた。
表情は暗く、疲れきっている。
「ラミエル様!」
振り返って天使たちが叫ぶ。
ふらふらと部屋を横断したラミエルは、ヤハウェルの下――――大きなベッドに倒れ込んだ。
「早かったわね、ラミちゃん」
場所を譲りながらヤハウェルが声をかける。
「根性で復活してきたわ」
しかし、消滅後数分の復活はかなりの負担となったらしい。声には張りもなければ艶もない。
「私の最期を見せてちょうだい」
ラミエルはずるりとベッドから頭を上げると、背中を預けた。
「・・・・そういう言い方・・・しないで」
ウリエルが呟きながら抱えた本に触れると、モニターに録画が再生される。
結界が破壊され、龍神が飛び出す。
巻き起こる血の旋風。
龍神が腕を振るう度に、閃光が迸って爆発を起こす。
背中の翼は四枚に増えて長大に伸び、手足は黒い装甲に覆われる。
龍神は、犠牲の血を浴びながら進化していく。
狂気に燃える眼は紅く、どこまでも深い。
そこに、ラミエルが降り立つ。
龍神が腕を突き出すと同時に、鋭い閃光が雲を切り裂き、そのときにはもう、ラミエルは消し飛んでいた。
映っているのは龍神だけ。
騎士団は壊滅し、生き残りの姿も見えない。
龍神が咆哮する。
さらに彼の姿が変貌する。
翼は四枚から八枚に変わり、その眼が一瞬こちらを視て―――――――――――――
映像は終わった。
どうやら監視していた『眼』を壊されたらしい。
一同皆、魅入られたようにノイズの走る画面を見つめている。
ようやくウリエルが画面を畳んでから、恐る恐るラファエルが口を開いた。
「ラミエル様、思いついたこと、言って良いですか?」
「なぁに?」
「アレは・・・・『神』、ですか?」
他の天使たちは押し黙っているが、皆、同じことを考えているのだろう。
「違うわ」
ラミエルは即答した。
しかし、ラファエルは食い下がる。
「では、彼は・・・彼は、何者なんですか」
「私たちは、『世界』の半身。仮にこの世の全てを半分にしたとき、『正』を担うのが純白大天。『負』を担うのが漆黒大天。
貴女たちの言う『神』がどんなモノかは知らないけど、そんな大層なものじゃないわ。私たちはただの模造品。与えられた役割以外は何一つ為せない。・・・・本来はね」
「『本来は』?」
「なんで私たちが人間としての感情を与えられたか分かる?世界を護るだけならそのためのシステムを造れば良いだけなのに。それはね、『彼女』が実験してるの」
自分を護らせるためだけなら、『世界』は忠実に従うシステムを造るだけで事足りる。そこを敢えて人間をベースにしたのには、あるものの可能性を計るという思惑があった。
感情。
『彼女』が理解できないそれが、世界にどのような影響を与えるのか。
結果は既に表れつつある。
それは、ラミエルが命懸けで龍神を止めようとしたことなどが良い例だ。
「こうやって、私たちはどんどん自分の領域から離れていく。それぞれの極天を目指して」
「極天・・・・とは何ですか?」
ヤハウェルは、むくりと身体を起こして二人の会話を聞いている。
その目には普段のからかうような色はなく、真剣な面持ちだった。
「極天は、私たちの最後の姿にして原点。半分に分けられた世界を統べる王。漆黒か純白、どちらかの極天が完成したとき、世界が終わるというわ」
「世界が終わる・・・?」
「そ。・・・・・私が怖いのはね、万が一ジンが極天なってしまうこと。もし彼が完全になったら、たぶん人間を消し去ろうとするんじゃないかしら」
「ちょ・・・待って下さい!龍神は分かりますが、どうしてラミエル様が世界を滅ぼすことになるんですか」
「世界に必要なのはバランス。私たちのうち、どちらかだけが力を持ってはいけないの。私が完成した場合、世界は飽和して滅びるわ」
まーだから気を付けてるんだけどねー。と再びベッドに倒れ伏すラミエル。
黙っていたウリエルが口を開く。
「ラミエル様・・・・もしも・・・龍神が極天になったら・・・・どうなるんですか・・・?」
「どうなるもこうなるも。彼が望んだままに世界が変わる、いえ、現実が彼に屈服するでしょうね」
「・・・・悪夢、ですね」
「そう。所詮、これは『彼女』が観る夢よ」
識別世界名・《フェアファルエーレ》。
とある上空。
凄まじい勢いで、何かが雲の中を翔抜けていく。
それは、奇妙な獣だった。
体は毛むくじゃらの巨大な鳥だが、その頭と長い尾だけは幾何学的にねじ曲がり、グロテスクな形を呈している。
言うまでもなく、この星には存在しない生き物だ。
怪鳥は脇目も振らずに飛んでいく。――――あるいは、何かから逃れるように。
そのとき、怪鳥の上に大きな影が落ちた。
次の瞬間、雲を突き破って黒い塊が現れる。
広げられた鳥の翼、短い毛に覆われた体、鞭のようにしなる尾を持つ龍は、怪鳥にその強靭な四肢で組み付くと、並び立つ鋭い牙で噛み付いた。
絶叫しながら怪鳥も、脚と尾を絡ませて抵抗する。
二匹は、離れては組み合い繰り返し、壮絶な朱で雲を染め上げる。
天候が荒れているのだろうか。雲間には稲光が見え隠れする。
ごあっ。黒龍が噴き出した紅蓮の炎が、怪鳥を直撃した。
奇声を上げてのた打つ怪鳥。
その隙を突いて、黒龍が怪鳥を押さえ込む。
黒龍の顎が怪鳥の頸骨を噛み砕くのと、怪鳥の尾が黒龍の腹を貫くのは、全くの同時だった。
断末魔も上げずに、怪鳥はざっと細かい粒子になって消えた。
それを見届けると、黒龍も羽ばたきを止めて落下していった。
ざあっ。龍の巨躯が崩れていく。
見る見る縮んでいく龍は、雲を抜けた頃には一人の青年の姿になっていた。
黒衣の青年は身動ぎもせずに落ちていく。
遂に地表の街並みが見えてきて、
ごしゃ。
頭蓋が割れて、温かい何かが石畳を伝っていく。
砕けた全身が動かないのを知覚しながら、ただぼんやりと灰色の空を眺めた。
と、水滴が一つ、頬に落ちてきた。
泣き出すように降り出した雨に身を晒す。
あの日から、現実から逃げ出すように『敵』を狩り続けた。
溜まっていた分の仕事はあらかた片付き、先ほど、現在把握している最後の『侵界者』を始末した。
己の性能を省みない過剰労働。
その結果は明らかだ。
傷を癒やす力も枯渇し、情けなく雨に打たれるがまま。
だが、それもいい。
もともとこの狂行は、自分を限界まで痛めつけたかったからだったのかも知れない。
それは、滅びることのないこの身への、僅かな抵抗だろうか。
意識が掠れてきた。
もう雨粒の感触も亡い。
死ぬ。
また、死ぬのか。
でも、死んでもあの子の所へはいけない。
自分は永遠にこの薄汚い世界で這いつくばっているだけ。
―――――――――いっそ、全て壊してしまおうか。
空に手を伸ばし、半ば本気でそう考えた。が。
――――――――――世界がこんなに――――――だとは――――なかった――――――――――
出来る訳がない。
彼女が最後の瞬間まで愛した世界を、壊せる訳がない。
挙げた腕を下ろし、顔の上に置く。
(俺は、どうしたら―――――――)
そして、もう届かない笑顔を想って涙した。
体は冷たく強張る。
魂は灯火を消す。
意識は現実を拒む。
残された確かな死の手触りだけを抱いて、静かに目を閉じた。
ジン「なあ、この筆者のうさぎ、ツイッターやってるらしいぞ」
ラミ「・・・・あら、本当ね。でも、私たちのことも呟いてないし、数日に何回かのツイッターって、どうなのかしら」
ジン「さあ。・・・・・それにしても。本当にロクなこと呟いてないな」