表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The prayers  作者: 星うさぎ
31/44

第28幕 泡沫天/Yohel

それは、夢のような日々だった。






「ジン!キノコ採ってきたー!」

「・・・・食えんのか、それ?」

「本に訊いたら大丈夫だって」

「おー。んじゃ、焼いて食うか」



ヨエルが大霊樹をでかいマイホームにリフォームしてから、俺も島を住みやすいように手を加えた。

生活物資の調達の為に近くの街への扉を開く。島の危険生物―――は居なかったので、危なそうな地形を直す。等々。

大した努力はしていない。

それでも、手に入れたのは輝かしい平穏だった。まるで、あの頃に戻ったかのよう。


もう、ヨエルの素性などどうでもいい。

あの子が居る平和な日々。

それだけで俺は満足出来る。


穏やかな木漏れ日の中、悠々と木に背中を預ける。

肌を灼く陽射しも心地良い。

少し前まで考えられなかった現象だ。

何が俺を変えたのか。

考えるまでもない。


「ジーン!どこー?」


遠く自分を呼ぶ声。

ヨエルの声を聴く度に、例えようのない温もりが魂を揺らす。

名前を呼ぶと、ぱたぱたと駆けてきて俺の膝の上に収まった。

にこにこと笑うヨエルの頭を撫でる。


この平和が、ずっと続けばいい。


本気でそう思った。

与えられた役割も、課せられたものも。


そう。

自分の存在理由さえも忘れて――――――――――――――――











今日の天界は騒がしかった。

慌ただしい空気の中に混じる殺気に、ラミエルは悪寒を堪えきれなかった。

彼女はしかめっ面で天界院のある執務室の扉を叩き開けると、叫んだ。


「ちょっと、龍神の住処に総攻撃を掛けるってどういうことかしら」


部屋の一番奥の机で書類に目を落としていた人物―――サマエルは、ごく自然に闖入者に応対した。

「ラミエルさん。我々はようやくかの悪魔の潜む地を見つけたのです。となれば、攻撃を仕掛けない理由が何処にありましょう」

「貴方たちは龍神の恐ろしさを知らない!たかが数千の天使で堕とせる程簡単でないことは知ってるでしょう!」

しかし、あくまでサマエルは冷静だった。

「知っていますよ。ですから、今回はちゃんと手を打ちました」

「手を打った?」

ラミエルは怪訝な顔をする。

龍神に対する有効策など、それこそ自分くらいしかないと思っていた。

「貴女には天界の(まつりごと)に関与する力はありません。今回は大人しく観ていてもらいますよ」

そう言うと、サマエルは満足気に微笑んだ。



ラミエルが出て行くと、サマエルは机に肘をついて目を閉じた。

『こちら騎士団。全隊の出撃準備が整いました』『分かりました。私の号令を待ちなさい』

『御意』

『こちらゾディアック。CN(コードネーム):メタトロンのコントロールを、オートからマニュアルに切り替える準備が出来ました』

『では始めなさい。これより龍神討伐作戦を開始します。――――天界騎士団、出撃』






「ラミエル様ー、どうしたんですか?難しい顔して」

ラミエルがいらいらと廊下を歩いていると、人懐こそうな天使が話しかけてきた。

「ガブリエル・・・・。そうだ、今回の騎士団遠征について何か知ってる?」

「ああ・・・・、龍神さんをやっつけるぞー作戦ですか・・・・そーですねー」

ガブリエルはしばらく考え込んでから言った。

「なんでも、今回サマエルさんがえらく乗り気なのは、龍神さん用に発足した・・・・・確か、対龍神用技術研究機関『ゾディアック』。通称『Z機関』というのが、かなりの有効策を打ち出したとか。

いやまあ、彼らがすることなのでかなり眉唾ものなんですけど。一時は失敗したーなんて話も聞きましたし」


『Z機関』・・・・。確かにサマエルは自信に満ちていた。

ガブリエルの情報は充分裏付け足り得る。

しかしだ。

龍神に対して有効なのは、自分の他にない。

それは確固たる事実なのだ。

それだけが、何か不安を掻き立てる。


「ジン・・・・。無事でいて・・・・」














「じゃあ、隠れん坊ね!ジンが鬼!」


逃げろー!と駆けていくヨエルを見送ってから、言われたとおり十数え出す。

「・・・・・・九つ、十!」

後はこの島――――と言っても、そう遠くには行ってないだろう――――に隠れたヨエルを見付ければ良いらしい。

嗅覚を研ぎ澄ませると、微かに陽光の香りがした。

さて、お姫様を探しに行くか。






適当な木の陰に身を潜ませると、辺りの様子を窺った。

隠れている木の前には小さな広場があり、その中程には昨日、落とし穴を掘っておいた。

わたしの体力ではそう深くは掘れなかったが、それでもジンの腰ぐらいまでは埋まるだろう。



笑いを殺しながら待つ。


楽しい。


ジンと出会って、わたしは救われた。


それまでのわたしは、文字通り人形だった。

出来損ないの――――。


それを、ジンが拾ってくれた。

もうわたしは人形じゃない。

ジンに本当の命をもらった、一人の人間として―――――――――――――――




どくん




「・・・・・・あ」

目眩がして、よろめき木に手をつく。

次の瞬間、視界全てをウィンドウが覆い尽くした。


凄まじい勢いで何かの指示(コマンド)が書き換えられていく。

これは、コントロールを奪われる・・・・!?


やっぱり気付かれていた。

わたしを襲った天使を消滅させただけで油断してしまったのは、間違いだった・・・・!


「くっ・・・・!!」

対抗してアンチプログラムを展開するが、適うはずもなく防壁は次々と突破されていく。

まずい。このままじゃ中枢を乗っ取られる!

「だめ・・・だめ!!」

わたしはもう人形じゃない!

いつまでも人間として、ジンと一緒に・・・しあわ、せに、く・・・らし、て、・・・・・・・・・/








ヨエルの気配を追っていると、視界の隅で動く影があった。目を凝らすと、白い長髪が木々の間に揺れた。


「ヨエル、見つけ・・・・」


その場の光景に、思わず口をつぐんでしまう。

ヨエルは地面に座り込んで震えていた。

少女の目は焦点を結んでおらず、明らかに異常な状態だった。


「ヨエル!大丈夫か!?」

声をかけると、ヨエルは俺を見上げて涙を流しながら言った。


「ごめん、ね。に、逃げて。ジん」


がくん。

途切れ途切れに呟くと、糸が切れたように首をうなだれた。

「おい、ヨエル・・・・!!」

本能が全力で後退することを選択する。

一瞬の間を置いて、俺がいたところに光の矢が突き刺さった。

「何だってんだ!ヨエル!!」

静かにヨエルが浮かび上がる。

その顔からは、あらゆる感情が抜け落ちていた。


「再起動コードを確認。対龍神用兵器『人造天使アーティファクト・エンジェル』メタトロン、起動します」


虚ろな双眸が向けられる。

小さな背中には光り輝く翼が咲き開く。


「!!」

不覚にも見とれた瞬間、ヨエルの周りに無数の光球が浮かび上がり、大気を焦がしながら迸った。


避けきれない。そう判断して黒剣を生成する。

「はっ―――!!」

片端から光球を撃ち落とす。

晴れた視界の向こう。

無表情に俺を見つめるヨエルが、何かをした(・・・・・)

突然、俺の周りを旋回していた光球が動きを止め、一斉に光線を撃ち出した。

「ちっ!」

瞬時に外套を展開し、身を覆う。

光線が直撃したとき、全身を灼かれる激痛が走った。

痛みに耐えながら体を捻って跳ねる。

大きく距離をとって着地。

光線が当たった箇所は、酷く焼け焦げていた。

間違い無い。この光は純白大天のもの。だがあり得ない。故に使えるのはあいつだけのはず。


何より、ヨエルが天界の兵器だと・・・・?

それも、俺を殺すための・・・・・。


あまりに信じがたい出来事に、いつしか呼吸は乱れる。

その隙を突くように、ヨエルの光球が動き始めた。

あらゆる方向から発射される光線は、触れたもの全てを焼き滅ぼしていく。

黒剣さえも光線を防いだ途端、柄を残して消え去った。


まずい。このままではやられる。

ではどうする?殺すのか?ヨエルを?


出会ってから今まで、ヨエルと過ごしてきた日々が脳裏を走る。

剣を握る手が震えるのを見て、痛感した。


ああ、俺はこんなに弱くなったのか―――――


深く、呼吸を一つ。

ゆっくりと開かれた目は、一発でそれまでの落ち着きを取り戻していた。

瞳には決死の覚悟。剣には必殺の業を込める。


命を懸けてでも、あいつを止める。






広場は抉られ、木々は折れて焼け焦げている。

根気強く光球を破壊していった結果、今ヨエルの傍に漂う球は一つになっていた。

対して俺は、既に再生も間に合わないほどの損傷を受け、魔力残量は三割を切った。

このペースで攻防すれば、あと一時間も保たないだろう。


あと少し。

あと少しでこの手は彼女に届く。


剣を握る手に力を込め、構える。


ずずん


島全体が、大きく揺れる。

「何っ!?」

光球が光の刃を剥き出しにして飛び出す。

ばぎん!

黒刃一閃。振り抜かれた黒剣は、違えることなく光球を打ち砕いた。


右目の視点を変えて島の結界に接続すると、天界の軍団らしき連中が、島への侵入を阻む結界を壊そうと躍起になっているのが視えた。

後でまとめて始末すればいい。今は目の前に集中しなければ―――――――――――



「『眼』の完全破壊を確認。スペルモードに移行します」



ヨエルの前に飛び込んだとき、今までぴくりともしなかった少女の唇が動いた。

「焔陽天剣、不浄を祓え――――」

「くっ―――!」

「レーヴァティン」

身を翻すも間に合わず、火焔と共に放たれた光の砲撃に、右腕が消し飛ばされた。


「ぐ、ぁ・・・」

甘かった。

すぐさま腕を再生し、大勢を整える。

先程とは打って変わって、ヨエルは魔法を使って積極的に攻撃を仕掛けてきた。

葬天天照綺羅星ソウテンアマテラスキラボシ

燃え盛る火球が現れ、こちらに飛来する。

その悉くをかわし、打ち砕いてヨエルに迫る。

がぎぃぃん!!

届かない。

ほんの少しのところで障壁に阻まれてしまう。

だが―――――――――

「諦められないんだよ!!」

右目が燃え上がると同時に、ヨエルの結界が砕ける。

軋みながらも役目を果たした魔眼は、血を噴いてその火を消した。

会心の意を得たのも束の間、砕けた結界の向こうでヨエルが編みかけている魔法を見て戦慄する。


「我が手に剣を。身に纏うは光燐の鎧。破邪魔討の角笛を鳴らせ。――――白騎士の聖鎧」


白銀の輝きが溢れる。

最早それ自体が光を発する鎧を纏ったヨエルが、剣を構える。

「ああぁぁぁ!!」

一合、二合、三合。

打ち合う度に全身が悲鳴を上げる。

眩い輝きは、それだけで俺を削っていく。


渾身の一打をヨエルの聖剣に叩き込む。

音を立てて砕ける剣と剣。

そのとき、ヨエルの右目から、一筋の赤い血が流れ落ちた。

向こうも限界が近いのか、ヨエルは大きく羽ばたくと、空に舞い上がった。

あわや逃げるのか――――そう思ったが、違った。


後光のようにヨエルの背に光の輪が浮かぶ。

「――。――――。―――。」

朗々と流れる呪文詠唱。

「うおおおおオオオ!!!!」

強引に左目を燃やす。

握りなおした黒剣を中心に、黒い風が巻き起こる。


大焦熱炎天火葬ダイショウネツエンテンカソウ

「月天無明!!」


迸る光と炎、そして黒剣から放たれた闇が衝突する。

熱風が世界を焼き払う。

体を灼く閃光は正に日輪の輝き。


死ぬ。


魔力が底を突き、魂も風前の灯火。左目の焔も消えかかっている。

だが、まだだ。

豪炎の向こうで血の涙を流すヨエルを見る。

あの子を救うまで、まだ死ねない―――――!!!!


「オラ、眠ってんな!起きやがれ!!」


未だ血を流している右目に、再び火を灯す。

頭蓋が爆発するような痛みに襲われたが、痛みには慣れている。

龍の眼の出力を最大にして、刃を振り抜く―――!!





ばしゃ

両目は潰れ、腕は焦げて力無く脇に垂れた。

全身隈無く血が流れ、足元はぬかるんでいる。

ようやく視力を取り戻したとき、目の前にヨエルがいた。

手には闇を切り裂く聖剣。

俺の首を撥ねようと、横薙に振りかぶられる。

足に力が入らない。

迫る刃。

それでも一歩、足を後ろに運んだとき。


「うおっ!?」


ずぼっ

突然右足が地面を踏み抜き、後ろに倒れかける。

剣の切っ先が鼻先を掠めていく。


何でこんなところに穴が!?


ヨエルは予想外の出来事に体勢を崩した。

俺は疑問を断ち切って飛び出した。


剣を構える間を与えず肩を掴み、首筋に噛み付く。

彼女を操る呪詛を破壊し尽くされ、光の翼を散らしてヨエルは俺の腕に倒れ込んだ。



「ヨエル!ヨエル!!」


抱き上げながら呼び掛けると、血の気が失せた少女の顔が僅かに動き、瞼が開いた。

「ごめんね・・・ジン・・・・こんなに、傷つけちゃって・・・」

小さな掌が頬に触れる。

見える。命の灯火が、その僅かな勢いさえ無くそうとしているのが。

「何故だ!どうして傷は無いのに魂が弱っている!?」

あらゆる走査を駆使しても、ヨエルが弱っている原因が分からない。

なけなしの魔力を分け与えても―――!!?


ヨエルに送った魔力が、分けた先から抜けていく。

これは、どういう――――――――!?



「・・・・もう、いいの・・・・」



弱々しくヨエルが呟く。

「ふざけるな!絶対に助けてやる!」

「・・・・いいの、それより聞いて・・・」

びくん。介抱する腕が止まる。

それが、一番聞きたくないことだと分かる。

それでも。

「―――――――話せ」

そして、ヨエルは語り出した。

その出生―――今まで隠してきた秘密を。



天界の一部は恐慌状態に陥っていた。

彼らが誇る天界騎士団は、数多の世界に於いて最強の名を轟かす、言わばプライドだった。

しかし、そのプライドを真っ向から打ち砕く存在が現れた。

他でもない。龍神だ。

天界軍一千に対し、その怪物は単騎にてこれを壊滅。

この事件は天界院上層部を恐怖の底に叩き込んだ。


『もし奴が天界(ここ)に攻めてきたら』

『白いのはそんな心配は要らないと言ったが、信用できたものではない』

『我等も造らねばなるない』

『そうだ。奴に適う逸品を』

『しかし、あの者は、黒龍には白龍の毒を以て制すしかないと』

『ならば、造れば良い』

『そうだ。造れば良い』



「――――――そうして、純白大天の細胞を元に造られたのが、わたし。『人造天使』メタトロン」 

そう言って、掌に光球を一つ発生させた。

「わたしの能力は光を発生させる程度で、オリジナルみたいに形を造ることは出来ないの」

光はじりじりと明滅して消えた。

「ただ、ね?・・・・わたし、失敗作なの」

ふと手を挙げると、指先から片鱗が剥離し、宙に融けていった。

「疑似魂魄が不完全でね。原動力の、魔力が・・生成・・・・でき、ないの」

「喋るな!すぐに直す!」

くそ!まるで底の抜けた桶だ!

「ううん、喋らせて。―――――それで、わたしは廃棄される、はずだった。でも、逃げ出して。最後の力を振り絞って、あの森で行き、倒れた」

ヨエルの全身が淡く光る。分解が止まらない。

何か、何か方法はないのか・・・・!!

「外に出るのも、お花を見るのも、かわいい服を着るのも、おいしいものを食べるのも、初めてだった。世界がこんなに楽しいところだなんて、知らなかった」

ヨエルは俺の手を握り、微笑(わら)った。

「ヨエル・・・」

どうして助からないと分かっているのに、そんな顔で笑えるのか。

いや、どんな命も死に際にこそ本当の強さを発揮する。いつだってそうだった。


「わたしね、ジンが大好き」

今にも霧散しそうなヨエルの体を、ありったけの魔力供給で維持させる。

まだだ、まだだ、まだだ!

「生まれた瞬間から、わたしはジンのことを知ってた。ふふ、当然だよね。わたしはジンを殺せって造られたんだから」

懐かしい思い出のように語る。

「何故だ!何故、俺はお前を助けられない!?」

焦燥が身を焦がす。

注ぎ込む魔力も底を突いた。

あとは、もう、見守るしかないのか。

俺は、また、助けられないのか――――――!!


「ううん、もう十分救われたよ」


「・・・・ヨエル」

「本当は、逃げ出してすぐに消滅するはずだった。でも、ジンのおかげでここまでこれた。ジンには、わがままばかりだったね」

「いいんだ、いいから・・・・・」

もっと色んな物を見て、もっと色んなところに行って、もっと色んなものを食べて。


もっと、一緒にいよう。


「そうだ。これを返さないと・・・・」

ヨエルは左手の指輪を外すと、俺に手渡した。

「最後に種明かし。ジンがすごく弱くなってるのはね、わたしに魔力のほとんどを分けてくれてたからなの。―――――これが、契約を解消させる儀式。さあ、受け取って」

差し出された指輪を手に取り、右手に嵌める。

途端に、ヨエルの存在が弱くなった。


ぼんやりと、透けて向こうが見える自分の手を見つめて、ヨエルは言った。

「もう、そろそろ、かな」

「!!待て、ヨエル!」

輝きが増す。

優しい金色の光に包まれて、ヨエルは笑う。

「もう、ジンがそんなんじゃ、わたし、も、泣けてきちゃうじゃない」

ほんの一筋、透明な雫が流れ落ちる。


「ねえ、ジン。ジンはわたしのこと、好き?」

「ああ、愛してる」

「・・・・!!じ、じゃあ・・・・・キスして」

「え?」

「この前はわたしからだったから、今度はジンから、キスしてちょうだい」


・・・・・少し躊躇ってから顔を近付け、そっと唇を重ねた。

甘い香りと柔らかな感触。

刹那と永遠の間をおいて、ゆっくりと離す。


「・・・・・・はあ」

溜め息を一つ吐いて、ヨエルは顔を上げた。

「これでもう、思い残すことは、ないかな」

「・・・・どうしても、駄目なのか」

既にヨエルの体は、血で汚れた俺が触ってはいけないのではないかと思うくらい、儚く輝いていた。

「うん。・・・・・最後に、ほんとに最後に、わがままいいかな?」

頷く。もう頷くことしか出来ない。

「ジンの都合とか、色んなことを無視して言うね。―――――幸せになって。あなたの為に」

輝きが増す。遂には輪郭さえぼやかして、ヨエルの姿は光の向こうに消え去ろうとした。

「ヨエル!待ってくれ!まだだ、まだ行くな!俺を、俺を置いていくな!ヨエル!」



『ありがとう、ジン。本当に、本当に楽しかったよ』



光が弾ける。

握り締めた手に何かが残っているはずもなく、掻き集めようとした光の欠片さえ音もなく融けた。

「待って、くれ・・・・行くな・・・行かないでくれ、ヨエル・・・・!!」

地面に爪を突き立て、慟哭する。

そのときようやく、滂沱と溢れる涙に気付いた。


「・・・・くっ、うおおおおおおおおお!!!」


潰れかけた目が、黒こげになった腕が、裂けた体が、その機能を十全に取り戻していく。

沸騰する感情。

自身の中の起源爆発(ビッグバン)によって、壊れかけた体が生き返る。

悲哀も憤怒も絶望も、収束する原点は一つしかない。

燃え上がる感情。

いつしか慟哭は憤激に変わった。

最愛の少女を喪った悲しみも、結局は彼を突き動かす感情に他ならない。精神を焦がす勢いで、魂が加速度を上げていく(ヒートアップ)

魔眼に混沌色を宿し、龍神は覚醒する。

そして、彼はまた一歩、『漆黒大天』に近付く。



「アアア、アアアアアアア―――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!」






結界が内側から砕け散った。

そう気付いた時には、結界破壊を担当していた天使は魂さえ残さず蒸発した。

「――――――――――え?」

周りの天使たちは、自分たちの体が引き千切られてようやく、目の前に龍神が現れたことを認識した。

「り、龍神だ!奴は疲弊している!作戦開始だ!」

隊長格の号令に天使たちが従う。

龍神の周りを強力な結界が囲み込む。

「―――――――――――――――――――!!!!!!!」

世界を軋ませる咆哮。弾け飛んだ結界の内外の魔力圧の差が、豪風を作り出して吹き荒れる。

一声。それだけで、全ての戦士を死の恐怖の底に叩き込むには十分だった。

パニックに陥る騎士団。指示系統は麻痺し、歴戦の戦闘集団は烏合の衆に成り果てる。


戦闘などという高尚な命のやり取りは終わった。

ここからはただの殺戮。

一方的な虐殺が始まった。





降り立ったラミエルは、繰り広げられる地獄絵図に瞠目した。


そこを形容するなら、地獄。

「―――――――――――――――――!!!!!!」

龍神が腕を振るう度、十の天使が千切れ飛んでいく。

迎え撃つもの、逃げ惑う者、忘我する者関係なく巻き込んでいく。

その中心で、黒色の死が暴れ狂っていた。

失われる命に欠片の価値もなく、ただ消費されるが如くその灯火を散らせていく。


――――――――私は、こんなものが見たくて指輪を造ったわけじゃない。


逃げる後頭部を鷲摑みにし、ごきゃりと握り潰す。

鋭い漆黒の爪が五体をばらばらに引き裂く。

集団に突っ込んだ瞬間に血の雨が降り注ぐ。

広げられた翼は血に濡れ、歓喜に咽ぶように打ち震えた。



「――――――――ア、ア―――――――ァ――――――ア―――――――――――――!!!!!!」



悲鳴、怒声、そして歓声が混じったような絶叫が上がる。

血に汚れてなお彼は美しい。

それはある一つの究極の姿。負の体現たる彼にこそ相応しい。

そんな彼を止めることに意味はあるのか。

これは『世界』が望んだ姿だ。

彼が、正義ではないのか―――――――?

悲鳴を上げながら死んでいく人々。

意味などあるはずがない。


その無意味が、どうしても許せなかった。


「ジン―――――――!!」

叫びながら鎖を飛ばす。

即座に反応したジンの一薙ぎで吹き飛ぶ。

「――――――――ラ―――――ア、―――――――イァ―――――ウ――――――――――!!!」

凄まじい激情の爆発。

一瞬だった。

一瞬で、ラミエルは身を護る光の盾ごと消し飛んだ。

彼女の意識が蒸発する最期の瞬間。



たった独りで泣き濡れるジンの姿が、印象強く脳裏に焼きついた―――――――――――――





久々の投稿でした。予想通りの結果だと思いますが、これから色々なことを考えていけたらいいなと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ