第20幕 遭遇/月光少女
気が付けば、俺は森の中に倒れていた。
辺りは暗く、夜空は陰って星を隠している。
取り出した懐中時計を見ると、文字盤には《ロストアサナト》、そして年月日と時刻が記されていた。
あの後、何が起こったのか。
本に引き込まれたところまでは覚えている。
だが何故、こんな所に転がっているのか、それについての記憶がない。
驚いたことに、俺の魔力は平時の三割近くまで減少していた。
戦闘直後という点を顧みても、良くて七割程度までの回復しか見込めないだろう。
最後にラミエルから受けた一撃。
あれの仕業であるには違いないのだが、如何せん何をされたのか分からない。
正体不明の毒に犯されているようで、気分の良いものではない。
取り敢えず、動かないことには始まらない。
俺は起き上がり、森を見渡した。
そうだ、神殿に帰ろう。
思い至って、俺は世界を繋ぐ扉を開けようとした。
「・・・・?」
開かない。
もう一度、先程よりも力を込めて試みる。
やはり開かない。
挙げ句、俺は壊す勢いで空間を殴りつけた。
それでも破壊はおろか、傷一つ付けることは出来なかった。
何てことだ。
俺は世界を越える力を失っていた。
これでは、神殿に帰るどころか、隣の世界にも行くことが出来ない。
他にも変わったことはないか、確かめなければ。
土壇場での変化ほど恐ろしいものはない。
「―――接続」
静かに自分の内側に集中し、現在の能力を確認する。
・魔眼の使用―――不可
・世界への接続―――不可
・闇の概念変化―――『深闇の帳』は標準装備、自身から切り離しての概念変化は不可
・魔法―――五割の魔力で施行可能に限る
俺は唖然としてしまった。
なんだこれは。
これではまるで―――――
人間と変わらないじゃないか。
魔力の上限値カット、魔眼の使用不可、闇の使用制限。
そして何より、世界への干渉不可。
ラミエルは何を考えているのか。
いや、そもそも『あいつ』はこの状況を黙認しているのか。
この一介の侵界者にも劣る状態の俺を、放り出しておくつもりか。
「・・・・・クソが」
負の感情を剥き出しにしても、一片の魔力も練れない。
――――直接、怒鳴り込んでやる。
意を決して両眼を朱に染める。
「―――『接続』・・・『世界樹』・・っ!!」
視界一杯に本の蝶が舞い踊る。
それは俺の意識を囲いながら、進路を遮断していく。
「おのれ、『銀詩』・・・!! ・・・・ぐぁあ!!?」
負荷に耐えかねた眼が血を噴く。
灼けるような痛みに、思わず膝を衝く。
連中はどうあっても、俺を解放するつもりはないらしい。
血の涙を流しながら、それでも冷静に判断する。
ここで自棄を起こしても仕方がない。
この状況を打破するために、何をすれば良いのか。
それを見極める為にも、態勢を整えなければならない。
・・・・・街を目指そう。
そこまで思考を纏めてから、ごろりと地面に寝っ転がり、ふと空を見上げた。
―――――――昔、空に憧れていたことがあった。
本当に昔のことで、何故今思い出したのか分からない。
ただ、つまらない感傷に浸っているだけなのかも知れない。
だが。
俺が憧れた空は、こんなに濁っていただろうか。
いや、違う。
濁っているのは――――――
・・・・・くん
「・・・・・?」
今、森の向こうから何かの気配を感じた。
何てことのない、わざわざ反応するまでもない程の小さな気配だ。気にすることはない。
・・・・とくん
だが何だ、この妙に頭に響く鼓動は。
・・・とくん
俺を―――呼んでいる?
・・とくん
森をかき分け、謎の気配を追いかける。
とくん、とくん
俺の頭は期待と恐怖で混乱していた。
とくんとくんとくん
この気配は、
とくんとくんとくんとくんとくん
違う。でも識っている。
とくんとくんとくんとくんとくんとくんとくんとくんとくん
突き刺さる木の枝を物ともせずに進む。
遂に、木々の合間にそれを見つけた。
どくん
詰まった息を、苦労して吐き出す。
それは一見して白いぼろ布の塊。
近付いて拾い上げれると、四肢と白い頭髪が零れた。
まだ幼い風貌の少女の顔は、土に汚れ、疲れきった表情のまま固く目を閉ざしていた。
(息倒れか・・・・?)
少女の顎を掴み、ぐいと持ち上げ正面から見る。
瞬間。
どくん!!
俺の意識は少女の遙か彼方に吹き飛んだ。
白い部屋が見える。
水の中にそれはいた。
頭まで浸りながら、しかし不思議と息苦しくはなかった。
固い硝子の向こう側を通して、彼女はそれが世界だと知った。
映像が変わる。
床に巨大な魔法陣が描かれている。
白いフードを深く被った人影が、五つほど群れている。
その中の一つ。
一際小さな影が、何かの拍子に振り向く。
耳の両脇から垂れる白い髪。
フードの下の、まだ見ていない筈の少女の赤い眼が、俺を捉えた。
どくん!!
「・・・・・ッ!!」
今のは、何だ?
足元に転がる少女を見る。
この少女の、記憶?
それにしては視点がおかしかった。
少し、様子を見る必要があるようだ。
焚き火の脇で、俺の体に繋がったまま闇を変化させ、簡単な寝具を作り少女を寝かせてやる。
体を拭いてやった少女は本当にあどけなく、年齢も十かそこらだと推測される。
そこで、俺はこの奇妙な感覚の正体に気付いた。
思えば、まともに人間と触れ合ったのは久方振りだった。
漆黒大天として目覚めてからは、大抵は神殿に籠もりきり、外に出ても人間は只の粛正対象でしかなかった。
うまくこの娘に接してやれるだろうか。
「・・・・・・・あ?」
今、俺は何を考えていた?
この娘に接してやれるか?
何故この俺がそんな事を思案しなければならない!?
俺は―――――――
「・・・・・・う・・ん・・・」
少女の身動ぎに飛び上がる。
情けない。何にそこまで動揺する?
「・・・・あ、れ・・・・」
少女が目を覚ます。
幻視した通りの赤い眼が、俺を不思議そうに眺める。
正直に言おう。その時俺は怯えた。
その眼が恐怖の色に染まり、か細い喉が割けんばかりに絶叫を放つ次の瞬間を、何よりも恐れた。
しかし、少女は全く俺の予想外の行動をとった。
「わたしは貴方を知っている。貴方が、わたしの騎士さんね」