第19幕 誰の為に剣は鳴る/約束の証
「ラミエル様ぁああぁああぁ!!」
白い診察衣を着たミカエルが、広い病室のドアを叩き開けて廊下に飛び出す。
駆け出そうとした時、病室から伸びた鞭がその腰に巻き付いた。
「病院では――――」
ぐわっと引き戻されるミカエルの体。
「お静かに!!」
そして、猛烈な勢いでベッドに叩き付けられる。
「ぐはっ!」
だらりと相方の手が垂れ下がるのを見て、大人しくベッドにいたウリエルが青ざめる。
「安静にしてなさい、怪我人。あなたたちは目覚めたばかりなんだから、騒いではダメよ」
四角い縁の眼鏡の位置を直しながらそう言ったのは、明るい緑髪の天使だった。
「・・・・ラファエル・・・それくらいにしないと・・ミカエルが死んじゃう」
ウリエルにそう言われて、漸くラファエルはミカエルの腰を締め上げていた鞭を解いた。
ここは女神に仕える天使の一人、ラファエルが院長を務める天界の病院。
龍神との戦闘で傷付いた彼女らは、ここに運び込まれていた。
「とにかく!傷が癒えない内に無理をすることは、この女神の『薬』が許しません」
眼鏡に手を当て、ふんぞり返るラファエル。
そして、その隣で彼女の真似をしてふんぞり返ってガブリエルが言った。
「そうです!そしてミカちゃんとウリちゃんは、頑張った私にスイーツを奢るのです!」
「あ、ガブりん。ありがとうね、ほんと助かったよ」
そう礼を言われて、黄髪の天使はがくりとうなだれた。
「そのスイーツがわたしの最後の晩餐になるかもです・・・・・・・」
呆れたようにラファエルが頷く。
「そうね。ラミエル様を捜すためとはいえ、天界のメインデータベースに忍び込んだのはやり過ぎね」
ウリエルは、呆れとも尊敬ともつかない面持ちでガブリエルを見た。
「・・・・それ以前に・・・完全防壁を突破したなんて・・・天才的ね・・・・」
ガブリエル、にやりと。
「ふっふー。わたしに開けられない電子の鍵はないのです」
「よっ天界一の電子の鍵開け師!」
「・・・・・さて、そろそろいいかしら」
ラファエルが部屋の出口から立ち上がる。
「面会を許可するわ。ついてらっしゃい」
「黒天は気付いていないようだった。仕掛けるなら今しかないな」
「有難う。・・・・貴方は反対じゃなかった?」
「なに・・・多少の灸を据える位ならいいだろう。自身の制御も出来ないようでは話にならないからな」
「じゃあ、しっかりお願いね。すぐに始めるわよ」
「準備は整っているのか?」
「勿論。さっきの仕掛けで完成したわ」
「そんな体調で儀式に支障をきたさないだろうな」
「大丈夫よ。貴方たちがしっかり守ってくれれば」
「おっと、これは責任重大だ。気を引き締めなければな」
「じやあ、行くわよ」
天使たちがラミエルの病室に入った時、そこには誰もいなかった。
小鳥の囀りが聴こえる。
泉から湧き出た水は流れを作り、背の低い木々が生い茂る神聖な空気の中、ラミエルは佇んでいた。
ここは彼女の『城』、『森羅殿』。
ラミエルの前には白い小さな卓があり、彼女はその上にある一冊の本に手を置いていた。
その本―――茶色の皮で装丁されている―――は、本としてはかなり大きく厚く、表紙には何も書かれていない。
だが、触れているラミエルの左手の指輪に呼応するように、仄かに明滅していた。
「調子はどうだ?」
そこに、白い正装を纏った金時計が現れた。
つと瞼を開けて、ラミエルが答える。
「順調よ。後は、時間ね」
「まだかかるのか」
金時計が時計を見遣りながら言う。
「本当に後少しよ。でも、あの子は必ず来るわ。貴方たちはとにかく時間を稼いで」
「全く、こんな日が来るとは思っていなかったな」
神経質に手袋を嵌め直す金時計の顔には、心なしか緊張の色が混ざっている。
「あら、緊張してるの?柄にもないじゃない」
本に手を付いたままラミエルが茶化す。
「勘弁してくれ。・・・・正直、抑えきる自信がない」
そう言って出口に向かって歩き出す金時計に、ラミエルが声をかける。
「・・・・・ごめんね。頑張って」
金時計は答えず、ただ手を振って消えた。
ジンは眼を閉じ、深く神殿の玉座に腰掛けていた。
自分は今、金時計から受け取った次の仕事の情報を整理している最中だ。
以前はこんな手間はなかった。
『あいつ』が事を直接届けず、金時計を中継することで発生する余計なノイズを除去する作業。この単純な作業が何より面倒臭く、苦手だった。
しかも、酷く集中しなければならないというのに、頭は全く別の事を考えていた。
ラミエル。
解っている。
彼女が自分を裏切った訳ではない。
ラミエルはただ己が持つ信念に従ったに過ぎない。
それでも、彼女を想わねば遣りきれなかった。
そして、ふと気付いた。
自分は、何の為に闘っているのだろう。
――――『世界』の為?
違う。それは漆黒大天としての自分の役割だ。
自分の、ジンの闘う理由はないのか。
今まで考えたこともなかった。
それで良い。黒天であるならば、個ではなく現象であるべきだ。
現象に思考は必要無い。
だが、それで本当に良いのか?このまま、ただの『世界』の手駒で?
俺には、あいつみたいな理由はないのか?
不意に、左手に温もりを感じた。
見ると、嵌めた指輪が暖かな光を発していた。
「なんだ・・・これは・・・・」
その光は暖かく、眩く、何より彼の神経を逆撫でた。
「――――解析」
目の前の魔力を逆探知した結果、細い意識の糸が彼方へと伸びていく。
「――――ラミエル」
唸るように呟く彼の目が、昏く輝いた。
ガシャァアアアン!!
世界と世界を隔てる境界が、音をたてて砕けた。
強引にラミエルの『城』に乗り込んだジンを迎えたのは、長い長い廊下だった。
そして、その白い廊下の中程に金時計が立っていた。
「悪いが、少しここで足止めさせて貰う」
金時計が持つ時計の蓋が開いた瞬間、全てが動きを止めた。
「それが何だって?」
・・・・筈だった。
「何!?」
目の前に立つジンから距離をとろうと身構えた途端、鋭い蹴りが金時計を吹き飛ばした。
「くっ・・・何時の間に我が『時』を克服した?」
『時間』の概念の権化である金時計は、あらゆる時間を操ることが出来る。
たった今、この廊下内の全ての時を止めたからには、ジンは思考さえ出来ないはずだった。
ジンは懐から取り出した懐中時計を見せ付けた。
「これを覚えているか」
「それは・・・・」
「遥か昔、お前が俺に託したものだ。俺はこの中にあるお前を構成する概念を取り込み、我がものとした。これで俺に時の呪縛は効かん」
ジンは時計を仕舞うと、金時計の脇を通り抜けようとした。
「無駄に戦おうとは思わない。そこで指を咥えて見ていろ」
そのジンの足が、不自然に止まった。
否、動けなかった。
「戯けが。その程度で私を破ったつもりか」
金時計が立ち上がる。
ジンも苛立つように床を踏み締めると、空間の呪縛は解けた。
「お前一人で俺を止められると思うのか?」
金時計の周りに幾本もの黄金の鎖が現れる。
「自惚れるな。私だけで十分だ」
「いや、僕も混ぜてもらおうかな」
「!?」
何もなかった廊下の壁に、突然扉が現れた。
そこから出てきたのは――――――――
「『銀詩』・・・!」
よれたコートを翻して、銀の概念破りが参戦した。
「来たのか、ホメロス」
「いやぁ。僕もラミエルちゃんに頼まれてね。微力ながらお手伝いするよ」
「・・・・・良いだろう」
白い廊下に昏い障気が渦を巻く。
紅い火を両目に灯して、
「貴様ら。死んでも文句は言うなよ」
黒い剣を構え、ジンが呟いた。
「うつけが、有色魂者二人を相手に勝ち目があると思うなよ」
金時計が鎖の群を放つ。
《銀詩》もまた、中空から一冊の本を取り出し呟くと、何百というページが展開し、ジンに雪崩打った。
と、啖呵を切った所までは良かったのだが、金時計と《銀詩》の二人には、決定的に不利な点があった。
それは、圧倒的に現実に干渉する力が限られていること。
元々、《銀詩》はその性質上、本のページを使った目眩まし程度しか出来ない。そして、最も強大な力を持つ金時計の時の呪縛はほぼジンに効かず、最大の技《時間加速による風化》は、『不変』のジンの闇には通用しない。
じりじりと戦線は圧されていく。
金の鎖がジンを絡め捕るが、剣の一振りで千切れ飛ぶ。
「参ったね。こりゃ」
本のページで壁を作りながら、《銀詩》が唸る。
築いた防壁は、ジンの舌打ち一つで爆発した。
「これは僕たちじゃ抑えきれない。クロノス、頼むよ」
金時計は渋々と頷き、白い手袋に包まれた右手を翳した。
「―――接続――《世界》―――『原典』の使用許可を申請する―――申請の受諾を確認」
そして、迫り来るジンを見据えて呟いた。
「―――。――。」
瞬間、ジンの体が燃え上がった。
盛大に燃える人形を前に、金時計は冷静に話しかけた。
「これは、今やこの世界から消えた、《魔法の原典》だ。生半可なことでは消えん」
その言葉通り、ジンを包む炎は衰えることなく、黒い影はただ呆然と立ち尽くしていた。
「心苦しいが、我慢してくれ。白天の儀式が終われば消火してやる」
『本当にお前等は、油断するのが得意だな』
その時、ほとばしる魔力を《銀詩》が敏感に感じ取った。
「退がれ!クロノス!」
同時に、炎の幕を突き破りながら、闇の鎧を纏ったジンが飛び出した。
金時計は動かない。
ジンがその鋭い爪を叩きつけようとした時。
「――。―――。―。」
再び、金時計が聞き取れない音声を発した。
すると、ジンの周りの空気が煌めき、無数の爆発を起こした。
『グォオオ!!』
「油断などする訳がないだろう。お前は有色魂者の中で最も破壊に長けた存在だ」
金時計は悠然と佇んでいる。
彼しか知らない《魔法の原典》は、最も純粋で、『言葉そのものが力』なのだ。
故に、詠唱に魔力を必要とせず、ただ唱えるだけで絶大な魔法を行使出来る。
始め使うことを渋ったのは、単に同朋を傷付けたくなかったに過ぎない。
ジンが跪くと、すかさず《銀詩》がページを展開して結界を張る。
「何故……俺の邪魔をする……」
砕けた仮面の奥の素顔を歪ませながら、ジンが吼える。
壊れた鎧は、外套の形に戻っていた。
元々、ラミエルとの戦闘で激しく消耗していた彼にとって、『黒騎士の闇鎧』を維持するのは困難であった。
「ただ少し、灸を据えてやろうと思っただけだ」
金時計はそう答えると、シルクハットの中から時計を取り出し、掲げた。
すると、壊れたり罅割れた廊下が元に戻っていった。
「漆黒大天。お前のその感情が、人間と白天への憎悪だと思っているうちは、お前は只の『世界』の手駒だ。自分を変えたいと思うのなら―――」
「黙れぇぇェエエ!!」
ジンの咆哮に応じて魔眼が火花を散らす。
瞬時に爆散する《銀詩》の結界。
飛びかかる紅眼の魔物。
それでも金時計は退かなかった。
衝突した二人の間で、閃光が弾ける。
手のひらを置いた本の輝きが、眩しいほどに強まっている。
後少しで儀式は終わる。
その時、森羅殿の扉が弾けるように開き、《銀詩》が投げ出された。
《銀詩》は血を散らしながら叫ぶ。
「逃げろ!ラミエルちゃん!!」
その瞬間には、既に目の前に黒い剣が迫っていた。
「―――――!!」
間に合わない。
後、数瞬で儀式が終わるのに――――――――――
ぎし。
黒剣の切っ先が止まる。
扉の向こう。
金時計が全身を血に染めながら伸ばしたか細い鎖が、ジンの振り上げた腕に巻き付いている。
「貴様・・・・ッ!!」
力任せにジンが金鎖を断ち切ろうとする。
しかし、その前に―――――
ラミエルが、ジンに手に持った皮表紙の本を叩き付けた。
「う、おおおおおお!!?」
丁度半分に開かれた本から、大量の白い鎖が溢れ出す。
白鎖はジンの全身を縛り上げながら、彼を本のページの中に引き込んでいった。
「ラミエル―――!!」
ギリギリと締め上げられながら、ジンはラミエルに向かって手を伸ばす。
「ジン。良く覚えておいて」
ラミエルは呟いて、嵌めていた指輪を取り、腰まで本に沈んだジンに見せ付けた。
「今からこの指輪が、貴方の鎖となり、貴方の唯一の拠り所となるわ」
指輪がラミエルの手を放れる。
それが、完全にジンを呑み込み、平らになったページに落ちたとき、ばたんと本が閉じ、跡形を残さず消えた。
眠い。眠いです。