第14幕 gray wolf /黒色の魔腕
「さて・・・・と」
つまらない感傷に一頻り浸りきったジンは、首を鳴らしながら言った。
「そこにいるの、出て来い」
がしゃ。
そして、少し離れた崩れかけた家の陰から一人の男が現れた。
年は若く、まだ成人していないだろう。
逆立った灰色の髪。
襟の高いコートの上のから回されたベルトには、刀と剣を一振りずつ差している。
黒い切れ長の眼がジンを見据える。
「何者だ、それで何の用だ」
「オレは『四聖』灰狼」
『四聖』?
聞き覚えがない。片目を閉じて検索を掛ける。
「・・・・接続・・・万象の綴り手・・・・検索・・・『四聖』・・・・・該当項目・・・・一件」
瞼の裏に検索項目が浮かび上がる。
「・・・・ああ、東の島国の最高権力者の称号か。で、俺に何か用か?」
灰狼は剣を構えると言った。
「オレに殺されてくれ」
ぎぃん!!
鋭い金属音。
一歩の踏み込みで距離を詰めた灰狼の剣と、文字通り自分の体から引き抜いたジンの黒剣がぶつかり合う。
ジンに弾き飛ばされる灰狼。
速い。緩やかな曲線を描いた刀身が、再びジンに迫る。
しかし、黒剣が難なく受け止める。
当然だ。
この程度のスピード、あくまで人間の限界の範囲内でしかない。
超人たる龍神にとっては止まって見える位だ。
「なんて、思ってるんだろうな」
「!!!」
獣じみた直感で飛びすさる。
五メートル程間を空けて自分の頬に手を遣る。
薄皮一枚が裂けた感触。
(どういうことだ、確かに今奴の剣は押さえられていた筈)
だが、斬撃が彼の首を狩りかけたのも事実だ。
ならば。
「はぁぁぁ!!」
気付けば灰狼が眼前にいた。
―――振り上げられた剣が降りる前に、奴の息の根を止める。
「《精霊の守護よ》!!」
黒剣の勢いが削がれる。
不可視の壁に当たり、一瞬の隙が生まれた。
灰狼の右手が、未だ鞘に収められたままの刀の柄に触れる。
「・・・・・・!!」
再度、見えざる刃が黒剣に弾かれる。
それも三回。
一瞬の内に迫る三度の攻撃を阻めたのは、龍神の業の為せる奇跡だった。
すかさず灰狼を蹴り飛ばす。
両者の距離はまた開いた。
「そうか。そういうことか」
ジンは灰狼の腰に差された刀を見る。
「その刀、魔剣だな」
灰狼は苦しげに腹を押さえながらも笑った。
「流石だな。そう、この刀の銘は『艶月』。オレの魔力を刃に変える刀だ」
そう言って、刀の柄を握る。
「行くぞ」
「・・・・・あら?」
聖母の塔で天使たちと会議をしていたラミエルの右目には、使い魔から送られて来た映像が映っている。
龍神を監視するために張らせた使い魔は、彼と、その決闘相手を捉えていた。
「・・・・は、は・・ぁ、・・・・はぁ」
乱れた息を隠せない。
満身創痍の灰狼を前に、龍神は余裕の笑みを浮かべている。
「どうした。もうへばったのか?」
「・・・・・くっ!!!」
飛び出した瞬間に背後を取る。
剣を振るうと同時に、艶月に手を掛けた。
一太刀と二筋の剣撃が迸る。
だが、龍神はそのすべてを受けきった。
「限界か。人の身にしては良くやった。―――少し休むか。俺を狙う理由を話してもらおう」
ぎり、灰狼が歯を噛みしめる。
そして、剣を鞘に収めた。
「では、見るが良い。貴様が残したこの呪いを!!」
掲げられた右手には、白い包帯が巻き付けられていた。
灰狼がその包帯を解く。肌の色が覗く。
その人並みの肌色が―――――――――――
黒く変色した。
「おおおおぉぉ!!!」
肩まで黒く染まった腕は、まるで龍神のものだった。
「これが!貴様が生みだした悪魔の呪いだ!!」
灰狼が爆ぜる。
今までとは比べものにならない速度だ。
撃ち出された魔腕を受け止め、龍神が口を開く。
「悪魔・・・・?何のことだ」
「戯れるな!!あの怪物は、貴様と同じ匂いがしたぞ!!」
灰狼の魔腕がざわめく。主の怒りに呼応して、姿を変えていく。
さらに禍々しく成長する腕。
なるほど、と龍神は納得する。
原因は解らないが、これは間違いなく『闇』だ。
「おおおぉ!!」
灰狼の鋭い爪の猛攻をかわし続ける。
「どうした、こんなものか?お前の感情は」
「――――――くっ、ああああぁ!!!」
灰狼の攻撃が一段と勢いを増す。
それでも、ジンの体には掠りもしない。
「はあああぁぁぁァァァァァ!!!」
黒腕を振るう度に、灰狼の叫びは獣性を帯びていく。
「実に興味深い。どれ、ここらで切り上げるか」
ばさり。
ジンは翼を広げて飛び上がる。
「!?」
「従え」
・・・・・・ォ・・・・ン
その時、全てが止まった。
まるで頭を垂れるように、世界が沈黙する。
「何だ・・・・これは・・・・」
只一人、灰狼だけが取り残される。
彼はこの場では完全に孤立していた。
「我が手に下りし万象よ、己が王の名を讃えよ」
ごう。
龍神の詠唱に応えて、世界が回り出す。
火が水が土が風が緑が、世界の全てが唸り出す。
「――――――――森羅万象」
翳された右手から黒い極光が溢れる。
「くっ・・・『明星』・・・・・!!」
咄嗟にもう一振りの剣―――明星を解放する。
再び障壁が顕れ、灰狼の身を包んだ。
「ぐ・・・・おぉぉ・・・・・!!」
そして、灰狼は黒色の奔流に飲み込まれた。
「・・・・ぐ・・・くっ」
魔剣の障壁は紙屑同様に破れ去り、灰狼は瓦礫に塗れながら吹き飛んだ。
近くの瓦礫に背を預けて、よく生きていられたと感心していると。
目の前に龍神が降り立った。
「まだだ。まだ全然足りないな」
龍神は顔を突き出し、灰狼は正面から紅い眼を睨み付けた。
あの日のように、悪魔が哂いながら自分を見下ろす。
「覚えておけ。貴様の腕は怒りと憎しみを喰らう。俺を負かしたければ、俺以上の感情を育て上げろ」
――――――そうしたら、改めて喰ってやる。
そう言って、目の前から消えた。
「・・・・・くっ・・・・・・!!」
また、自分は無力だった。
何も、変わっちゃいない。
「・・・・・・・・ちくしょおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
最初は小さな欠片だった。
しかし、欠片は集まり、やがて一つのパズルを組み上げた。
それが、始まり。
この世界の王に倣うように。
彼を羨むように。
亀裂の向こうの世界に惹かれるように。
彼らは光を求めた。