第12幕 神殿/天界の昼下がり
あー、試験前が一番リラックス出来るってのはどうなんだろう。
金時計が勝手に頼んだ紅茶を啜ってみる。流石あいつが好むだけあって、なかなかいい味をしていた。
思えば、あの日から随分経ったものだ。
あれから自分は、『世界』に乞われるがままに、壊し、殺してきた。
ごん。
テーブルに俯せて黙考する。
「なぁ、クロノス」
「・・・・・なんだ」
「俺がやってることは、正しいのかな」
金時計はしばしの間、考え込んで答えた。
「君の言う正しい、間違っているは、人間の価値観だ。私はもとが人間ではないから、それを理解する事が出来ない。
だからこう答えさせて貰う。君の役割は、この世界に必要である、と」
「・・・・・・・悪い。柄にもないこと訊いちまった。忘れてくれ」
がたん、とジンが席を立つ。懐から一枚だけ硬貨を取り出して、テーブルの上に置いた。
「まあ、深く考えないことだ。我等は『世界』の手足にして、剣であり盾だ。
いざという時、私情で剣を鈍らすなよ」
「解ってる。じゃあな」
「そうだ、ラミエルが心配していたぞ。偶には顔を見せてやるといい」
去り行くジンは、片手を挙げてそれに応えた。
「正しいか・・・・ね」
金時計は、未だ独りテーブルで紅茶を啜っている。
高かった日は傾きを見せ、人々は家へと帰っていく。
その様子を見ても、彼の胸に芽生える感情はない。
『ねぇ、クロちゃん・・・・・私達、これでいいのかしら・・・・・・』
『私は護れなかった・・・・あの子も巻き込んでしまった・・・・・』
『あの子に出来る訳ない。あんな優しい子に、こんなこと出来る訳ない』
『クロちゃん、私はどうしたら良いの・・・・・・?』
そして、ぽつりと呟いた。
「・・・・・・解らないな、人間というものは」
「ヤハウェル様、失礼します」
聖母の塔の扉を押し開け、赤毛の少女が姿を現した。
「あらミカエルちゃん。どうしたの?」
そう応じたのは、透き通るような波打つブロンドの髪を垂らした女性だった。
「・・・・ヤハウェル様こそどうしたのですか・・・・?」
ミカエルが当惑するのも当然だ。
自らの主が高い天井から足に縄を掛けて、逆さまにぶら下がっていて驚かない者はいないだろう。
ミカエルに簡単な罠を外してもらったヤハウェルは、
「えへへ。退屈だったから、次に来た人を引っ掛けようと思って」
そう言って悪戯が見つかった時の子供のようなはにかんだ笑顔を見せた。
・・・・そんな顔をされては叱ることは出来ない。
「退屈なのは解りますが、あまりはしゃがないで下さいよ。ヤハウェル様は何だかんだ言って、天界のトップなんですから」
すると、ヤハウェルはふてくされたように頬を膨らませた。
「どうせ此処には御前天使とラミエルちゃんしか来ないわ。それだったらいいじゃな
い」
「まぁいいですけど。・・・・あ、そうだ。今日は外に出ても大丈夫そうなので、散歩のお誘いに来た
のですが。如何でしょう」
ヤハウェルは嬉しそうに手を広げた。
「そういえば、ラファエルちゃんとウリエルちゃんとガブリエルちゃんは?」
「ラファエルは自分の病院に行ってます。ウリエルは・・・・研究。それでガブリエルはラミエル様と龍神の探索へ行ってます」
天界の街は穏やかな喧騒に満ちている。
高い太陽に目を遣ると、天界院の向こうに聳える聖母の塔が見えた。
適当な店で適当に食事を採り、語らいながら歩き回る。
それが彼女に許された精一杯の自由だった。
「ところで、龍神についてはどうなっているのかしら」
ヤハウェルはあくまでさり気なく、ミカエルに尋ねた。
「・・・・・先程申し上げた通り、探索中です。最も、院の方では討伐隊が編成されたそうですが」
そのすべてが返り討ちに遭ったのだと、ミカエルは告げた。
「あれほどラミエルちゃんが警告したのに。幾ら天使でも、この世界に存在する限り彼には勝てないわ」
そして、隣を歩くミカエルの腰の剣を見る。
「あなたに出撃要請は来ないの?」
「あたしはヤハウェル様とラミエル様付きですから。でも、機会があれば闘ってみたいですね」
ヤハウェルはやだやだと首を振る。
「やめてよね、そんなことで大切な子を無くしたくはないわ」
「そもそも、龍神って何ですか」
「どうしたの、いきなり」
「ラミエル様に訊いても詳しいことは教えてくれなかったんです」
ヤハウェルは自分より少し背の高いミカエルを見上げる。
ラミエルが本当のことを教えなかったとは思えない。
となれば、難しい専門用語を連発されて、この娘の理解が及ばなかったのか。
「ねぇ、もしもあなたが家を借りていて、家主に立ち退いてくれって言われたらどうする?」
ミカエルは少し考えて顔をしかめた。
この問いの真意に気が付いたのだ。
「借りているのが只の家なら状況によりけりですよ。でも、私たちが借りているのは、世界そのものじゃないですか」
「そう、分かり易く言うならば、その家主がこの世界の意志である『世界』。ラミエルちゃんが修理屋さん。で、龍神が立ち退きを催促する人かしら」
今この世界は、確実に均衡を欠いている。
漆黒大天たる龍神の出現が良い例だ。
今まで純白大天だけで保たせていたバランスが維持出来なくなってしまったということだ。
「始まるわよ。世界と全ての生き物たちとの戦いが」
ミカエルは無意識の内に柄に掛けた手に力を入れた。
「その時、貴方はどちらに着くのですか?ラミエル様の妹君で在らせられる貴方は」
「妹というか、副産物というか。私は天界の飾りみたいなモノだけど、それでも皆の味方でありたいわ」
「では、ラミエル様は・・・・?」
「ラミエルちゃんも出来れば争いなんかしたくないわ。だから龍神を捜しているのだもの」
そう。ラミエルは倒すために龍神を捜しているわけではない。
今も何処で破壊を繰り返している彼と、話を付ける為に捜しているのだ。
「人間としての幸せと、決して相容れない世界の平和。私たちは最終的にどちらを取るのでしょうね・・・・・・・あら?」
ぐらり。
ヤハウェルの体が傾ぐ。
「ヤハウェル様!?」
慌ててミカエルが支える。
「ごめんね、今日はこれが限界みたい。もう帰って寝るわね」
「はい。ではお送りします」
聖母の塔の頂上のヤハウェルの部屋。
ベッドで眠る彼女に布団を被せたミカエルは憂いを禁じ得ない。
最近ヤハウェルの眠りにつく頻度が増えた。
天界の心臓部たる彼女が不調ということは、本当に世界のバランスが崩れているということだ。
せめて自分にできることはないか。
ミカエルがそう思ったとき、彼女の懐のメッセージポートが光り出した。
「・・・・・・?」
取り出した光球を指先で叩く。
光球はくるくると回りながら展開し、最後は四角いフレームに文字列を映し出した。
「・・・・・・!!」
読み終えたミカエルは、再び剣の柄を握り締めた。
『きて・・・』
『ねぇ、起きて・・・・・』
『ジン・・・・起きて・・・・・』
ドクン。
「・・・・・・!!」
覚醒は唐突に。
ぼやけた頭を振って明瞭にして、辺りを見回す。
純白の神殿。
果ての見えない天井。
中央には入り口からこの場まで伸びた白い路。 両脇に無限に続く柱の列。
その果て。
白い玉座に彼は腰掛けていた。
「あ・・・・・く」
目覚めきっていない。
そうか。俺は、
「また、死んだのか」
『そうよ。ジンったらまた死んじゃったのよ』
玉座に付いた階段の下、あの白い少女が佇んでいた。
「ああ、来てたのか」
少女は笑ってワンピースの裾を翻しながらくるくる回った。
『こうして会うのは久しぶりね。』
そして、少女も神殿を見回して言った。
『相変わらず綺麗な世界ね。創った子の人格が窺えるわ』
そう、この神殿はジンが『世界』から与えられた僅かな創造の力を使って創られたものだ。
名を『白亜神殿』。
有色魂者の一人である彼が持つ城だ。
「馬鹿言え。何か用か」
少女が彼の前に姿を現すことは滅多にない。
今度は何を押し付けられるかと思っていると。
「今日はね、お願いに来たの」
そんな事を宣いやがった。
『確かにジンには生き物の殺戮権をあげたけど、最近私が頼んだモノ以外に殺し過ぎよ。特に人間』
玉座の黒王は面倒臭そうに髪を掻き上げた。
「構やしねぇだろ。人間なんぞ少ないに限る」
『ダメなの。生態系が狂ったら、余計私が辛いんだから』
ぴたり、ジンが動きを止める。
「では、俺が生態系を崩すほど殺したか?」
『そ、それは・・・・』
途端に狼狽える少女。
やはり、自分が創ったモノたちが無碍に殺されていくのが耐えられなかったらしい。
「茶番だ。俺の前でその顔をするな。俺の役目は殺すこと。それ以外はない」
少女の顔が憂いに曇る。そして彼女は哀しげな声で言った。
『分かったわ。・・・・やっぱり人間は嫌い?』』
「俺は全ての生き物の負だ。人間という存在の汚さは俺が一番よく知っている」
少女は還って行った。
ジンは玉座から立ち上がり、白い路を歩いていく。
中ほどまで進んだ時、不意にその姿が消えた。
とある山の頂上。
そこにも建てられた神殿にジンはいた。
この山の地下にある白亜神殿と、頂上の神殿には『扉』があり、こうして瞬間的に移動することが出
来る。
神殿から見える景色は蒼く、海に囲まれていることからここが島だと分かる。
見渡す途中で尋常ではなく巨大な樹を見掛けた。
大霊樹。そう、この島は彼と繋がりのあるあの島だった。
彼にとっては島一つを大海原まで運ぶことなど大したことではない。
この島は、今彼の拠点としての役割を果たしている。
白亜神殿を置くにしても、『星の生命』が豊かなこの山があるのが都合が良かった。
「…………行くか」
黒い翼を広げ、ジンは飛び立った。