第10幕 Black and White/再開、再び
炎を背景に対峙する。
息を切らせて地上に降りたラミエルが見たのは、夜天の下に燃え崩れる街と、昏く佇む人影だった。
「これはあなたがやったの?龍神――――いえ、ジン」
黒い影はぼんやりと首肯した。
パチパチと火が爆ぜる廃墟を見回して、ジンは言った。
「・・・・・・何故だろうな」
「え?」
「俺は、たった一人を守りたいだけだった。なのに、何故こんなことになったんだろうな」
酒場『やどかり亭』の主人はご機嫌だった。
隣の国で大火事があったらしく、それを肴に民衆が大勢集まって、酒盛りを開いているのだ。
全く火事など関係ないが、そこはそれ、騒ぐきっかけが欲しかっただけだろう。
とにかく今日は大繁盛だと、にやけながら皿を洗っていると、店の扉が開いた。
主人は来客用の笑顔に切り替えると、お決まりの挨拶をしようとして。
「へい、いらっしゃ―――――」
結局、最後の『い』の一言が出て来ることはなかった。
来客を見た主人の顎は、驚愕のあまり閉じることが出来なかった。
客の一人は白い衣を纏った少女。
もう一人は黒い外套を着た青年だった。
その奇妙な出で立ちの二人連れは、呆然としている主人を他所に、店の奥に消えていった。
人目につかない席に着いたラミエルは、改めてジンを見つめた。
たった二ヶ月ほどしか経っていないはずなのに、ジンの体格は線の細い青年のものになっていた。
視線に気付いたジンが口を開く。
「どうやらこの姿が最も相性が良いらしくてな。いつの間にかこうなっていた」
そしてもう一つの特徴。
黒い外套、黒い靴、黒い手袋。
とにかく全身が黒く染められている。
「ジン、幾つか訊いていいかしら?」
ジンは運ばれて来た水を飲みながら頷いた。
「いいだろう。・・・・・本当はお前も知ってることでも答えよう」
「・・・・・・っ!!いいわ。まず始めに、どうしてあの街を滅ぼしたの?」
ジンの瞳が揺れる。
手に持ったグラスを傾けると、細く息を吐いた。
「・・・・・それは、俺の役目の話をしろということか?」
ラミエルは無言で彼を見据えたまま。
ジンはそれを了承と受け取った。
「俺の仕事は『世界』に仇為す存在の破壊。先の街はヒトの身にありながら、『星の生命』に手を出した。だから滅ぼした」
「でも、ここまですることは・・・・!!」
ラミエルの言葉を遮って、ジンは言った。
「何より、これは『世界』が望んだことだ」
ジンは淡々と語る。
世界は一つではない。
数多の世界たちはそれぞれが交わることなく存在する。
例外は幾つかあるが、それが原則だった。
そして、世界の上には、全ての世界を包括する『世界』がある。
この『世界』は、内包する全ての世界の状態を把握し、それの改善のために「然るべき対策」を行う、いわば世界の意思のようなものだ。
『世界』は世界のためにだけ動く。
それは例えば、生き物が増えすぎた世界に天災を起こしたり、あるいは生態系の狂った世界の秩序を整えたりと、様々な形で働いてきた。
それが間に合わなくなったのはいつからだろう。
ある時、修正を待つ世界が今までとは圧倒的に数を増した。
おかげで『世界』がいくら働いても、一向に傾いた天秤が戻ることはなかった。
それどころか、修正を受けることが出来なかった世界の幾つかは、滅んでしまったという始末だ。
何故だろう。
何がいけないのか。
くたびれ果てた『世界』は、原因を探すために一つの時計を創った。
その時計は、世界と共に永い間流れてきた、『時間』という概念を元にした。
そのため、少々老けた物言いが目立ったが、『世界』は気に入っていた。
時計が謂うには、世界の混乱の原因は、その頃に繁栄していた人間という生き物が原因らしい。
『世界』は急いで人間をあらゆる世界から減らすため、粛清をした。
しかし、驚くべきことに、人間たちは困難にぶつかる度に、独自の方法でそれらを乗り越えていった。
『世界』もその様子を見て、自分も今まで通りのやり方ではなく、別の手を講じようと思った。
『世界』が二つ目に創ったのは、自分を護る分身だった。
傷ついた世界を癒し、修復する機能を持った存在。
これを創るとき、『世界』は人間を手本にした。
いや、手本より素と表現した方がいいだろう。
『世界』は、偶然目についた人間に、自分を護るプログラムと必要な力を与えた。
そして、それに『純白大天』と名付け、地上へ降ろした。
『純白大天』は良く働いた。
それでも、世界の秩序が安定することはなかった。
むしろ人間たちが増え、知恵を付けることによって、世界はさらに混乱した。
『世界』は世界に存在する、全てのものを愛していた。
特に、人間という生き物には相当な興味をもっていた。
だが、純白大天を動員しても治まらない恐慌に、『世界』は覚悟を決めた。
次に創ったのは、生き物を殺すための分身だった。
世界を乱し、やがては滅ぼす原因となるものを、『世界』の指示を受けて滅ぼす。
創り方は純白大天を真似た。
その名は―――――――
「―――――漆黒大天。それが、俺だ」
ジンは空になったグラスを置いて、指を鳴らした。
すると、再びグラスを透明な水が満たした。
「殺すこと。それが俺の役目だ。純白大天、理解したか?」
次の瞬間、グラスの水は沸騰し、跡形も残さず消えた。
「驚いたよ。世界の仕組みが理解った時には、今までの自分の世界の狭さに驚いた」
くつくつと笑いながら、ジンは告白した。
「同時に、人間の愚かさにも驚いた。俺は全ての負を背負う者。人間の悪辣さは良く判る」
「でも、人間にもいいところはあるわ。決して悪いばかりじゃない」
ジンは、やはりくつくつと笑いながら言った。
「それはお前がお前だからだ。ラミエル、全ての正を抱く者よ」
ここでラミエルは、思い出したように言った。
「ねぇ、ジン。もう私のことを『ソフィア』とは呼んでくれないの?」
思い出すのは暖かな日々。
互いに笑い合えた時間。
ジンが、黒い手袋に包まれた手を差し出した。
「ジン・・・・・?」
すると、手の黒がジンの体に吸い込まれるように後退していった。
露わになる色の薄い素肌。
「触ってみろ」
手の甲を突き出すジン。
その瞳には暗い光が宿っていた。
「え・・・と」
恐る恐るといったように、ラミエルの白い手がジンのそれに触れる。途端。
「――――――きゃっ!!」
じゅう、と肉を焦がす嫌な音。細く昇る煙。
自分の手を見る。
触れた指先には、黒い染みのようなものが付いていた。
しかし、それは見る間に小さくなって消えた。
次に、ジンの手を見た。
彼の手はラミエルが触れた部分だけ、火に焼かれたように焼け爛れていた。
「・・・・・ジン・・・」
「そういうことだ」
ジンが焼けた手を撫でると、再び黒い何かが覆った。
「俺とお前じゃ、もう触れ合うことも出来ない。それぐらい別の物になったってことだ」
そう言って自身を示す。
「ほら、こうやって体を闇で覆わなきゃ、光に当たることすら出来ない」
そして、ラミエルは、ジンの能力に思い至った。
「そう、それがあなたの力。闇に形を与えること」
龍神は大きく分けて二つの武器を有する。
一つ、強力な魔眼。
この魔眼は幾つもの魔法を記録し、本来式を組み術式を立てる魔法を、魔力を通すだけで発動させる能力を持つ。
二つ、闇に形を与える能力。
本来形を持たない闇に魔力を通すことで擬似質量を与え、様々な形を形成させることが可能になる。
彼はこの力だけで闘い続け、数多の仇を討ち滅ぼしてきた。
たった独りで。幾つもの戦場で。
「俺たちは限りなく近く、そして最も遠い存在。俺が闇を操るように、お前は光を束ねる」
周りは騒々しいのに、二人の間は、こんなにも静かだ。
「俺たちを隔てる壁はあまりに薄く、そして強固だ。それが答えでいいか?」
ジンが席を立つ。
ラミエルは、それでも何かを伝えたくて、店を出た彼を追いかけた。
「ねえ!!ジン!!」
夜闇は深く、うっかりすると見失ってしまいそうな彼の背中に追い縋る。
一瞬、闇に飲まれるような錯覚。
ジンは静かに振り向いた。
「ジン、あなたは、これからどうするの?」
息を切らせて、ラミエルが問いかける。
おかしいな、どうしてこんなに、息が、苦しいんだろう。
少しだけ、ほんの少しだけ考えて、黒い影は答えた。
「そうだな、人間を滅ぼそうか」
ごく自然に、それが当たり前だと言うような口ぶりだった。
「―――――――――本気で言ってるの?」
ラミエルは努めて冷静に問いただした。
「人間を滅ぼすということが、私たちにどういう影響を及ぼすか、考えた?」
ジンは首肯した。
「俺たちもまた、消滅るだろうな」
彼らは人間たちの概念を素に創られている。
そして、人間の造った概念を糧としている。
つまり、人間が滅びれば、彼らもまた滅びなければならないのだ。
「それがどうした」
ジンの周りの闇が密度を増す。
「突き詰めれば、俺の役割は人間を滅ぼすことだ。そのための俺だ」
ラミエルの息がますます荒くなる。
そして気付いた。
この場は既に、彼女には耐え切れない毒地になっていた。
「何故、何故そんなに人間を憎むの?」
おかしい。『世界』の思惑通りなら、漆黒大天は命令でのみ、破壊を行うはずなのに。
何故、彼からこんなにも怒りと憎しみを感じるのだろう。
「憎しみ、怒り、嫉妬、強欲・・・・・・俺は様々な『負』を与えられた」
呟きが聞こえる。
「俺は負の坩堝を見た。全ての負が捨てられた、あの場所を!!」
闇の風が吹く。
ラミエルは光で自身を護った。
「もう耐えられない。『世界』は狂っている。あんな所を創り出すなんて!
耐えられない。あんな所が俺の生地だなんて!!」
髪を掴み、狂わんばかりに叫ぶジンの目は、紅く染まっている。
遂に、闇は鋭い刃となって、天敵たるラミエルに襲い掛かった。
『負はやがて、それを放った者へ還る呪いとなる』
「そうだ。そうだった。俺が耐えられないのは、俺が未だ人間に近いからだと、あいつは言った」
落ち着きを取り戻したジンは、瞳の暗い輝きをさらに増して、呟いた。
「俺の力が不安定なのは、俺が自分を受け入れていないからだ。どこかで躊躇うからだ――――――」
そうか、だから龍の姿だったり、人間の姿が目撃されたりしたのか。
「だから、俺は殺す。俺が化け物だと納得するまで、人間を狩り続けよう」
闇は渦を巻いて、彼の体を飲み込み始めた。
ラミエルはジンに近づくことが出来ない。
「金時計の言う通りだ。俺は黒の大天。『世界』の片腕たるには、ヒトの心を持ってはいけない」
その姿は、黒に包み込まれ、もう紅い光しか見えない。
だが、ラミエルはその一点に向けて叫んだ。
「違う!『世界』はそんなことのためにあなたを創ったんじゃない!!彼女は―――――」
突風が吹き荒れる。
ラミエルの言葉は掻き消され、細い叫びは彼に届くことなく、嵐に飲み込まれた。