<8:俺たちのビート(1)>
福井敦・・・軽音楽部の高校2年生。バンド「クリード」のギター担当。
安藤弘堅・・・軽音楽部の高校2年生。バンド「クリード」のベース担当。
宮吉航・・・軽音楽部の高校2年生。バンド「クリード」のドラム担当。
柱谷秀彦・・・軽音楽部の顧問。
その朝、安藤弘堅と宮吉航が軽音楽部の部室で楽器のセッティングをしていると、福井敦が遅れてやって来た。
「珍しいな、お前が最後なんて」
弘堅が、からかうように言う。
「ああ、昨日、かなり遅くまで起きてたからな」
そう言いながら、敦はカバンを棚の上にポンと置いた。
彼らは軽音で、“クリード”というスリーピースのロックバンドを組んでいる。
敦がギター、弘堅がベース、航がドラムの担当だ。全員が2年生だが、クラスは違う。
1年の頃は同じクラスで、敦が仲良くなった2人を誘ってバンドを結成した。
敦は耳が大きくて尖っており、やや目が吊り上がっている。ファンタジー映画に登場するエルフのような顔立ちだ。
弘堅は丸顔で丸刈りで、まるで小坊主のようだ。顔は幼いが、体は筋肉が発達していてガッシリしている。
航は面長で、背も高い。しかし猫背なので、実際の身長よりは低く思われがちだ。睫毛がかなり長く、そこだけは女の子のようだ。
軽音部には4つのバンドが所属している。
同じ部室で複数のバンドが練習することは、音が混じり合うため難しい。そのため、バンド同士で練習時間が重ならないように調整している。
そうなると、放課後に毎日、練習することは出来ない。しかし学園祭ライブに向けて追い込みに入るべき時期なので、それだけでは時間が足りない。
そこで敦が部長に頼み、希望するバンドは朝の時間帯も部室を使っていいことになった。
ただし早朝練習では、大きな音が迷惑になることを避けるため、楽器をアンプに繋いではいけないことになっている。
現在、朝の時間帯に練習を行っているのは、クリードと1年生バンドの2組だけだ。
残り2組は3年生のバンドだが、片方はスタジオを借りて練習している。
もう片方は、それほど音楽に情熱が無いらしく、放課後の練習さえサボることもある。
「遅くまで起きてたって、何時頃だよ」
弘堅がベースを軽く鳴らしながら、敦に尋ねる。
「4時ぐらいだったかな」
「何してたんだよ、そんな時間まで」
「これだよ」
敦はカバンを開けて、中から楽譜を取り出した。
「それ、『キング・ヴァニラ』のスコアだよな」
弘堅が言う。
それは学園祭ライブでやる予定の曲だ。
ライブでは1つのバンドが3曲を演奏することになっており、クリードはラストに『キング・ヴァニラ』を持って来ると決めている。
これまでクリードは、歌の無いインスト曲だけをやってきた。
それはバンドの主導権を握る敦が決めた方針であり、彼のギターをフィーチャーするためのものだ。
他の2人も敦のギターがバンドの売りであることは認めており、その方針には何の異論も無かった。
クリードはハード・ロックからブルース・ロック、あるいはサーフ・ミュージックなど、様々なインスト曲をコピーしてきた。
だが、その敦が、今度の学園祭ではボーカル入りの曲もやろうと言い出した。
春のライブの後、もっと客を盛り上げるために何が必要だろうかと話し合った際に、そういう意見を述べたのだ。
弘堅も航も、特に反対することは無かった。
そして敦が作ってきたオリジナル曲が、『キング・ヴァニラ』だ。ボーカルも彼が担当することになっている。
曲の完成は6月で、それから今日まで、3人は他のコピー曲と並行して練習を続けてきた。
「確かに『キング・ヴァニラ』だけど、新しくアレンジをやり直した」
「何だよ、いきなりアレンジ変更って」
「昨日の夜、急に思い付いたんだ。こっちの方が、もっと面白い曲になる」
敦は自信たっぷりに楽譜を配る。
「かなり、難しくなってるね」
それまでおとなしかった航が楽譜に目を通し、静かに口を開いた。
「おい、これってマジかよ」
弘堅は顔を歪める。
「ムチャクチャ難度がレベルアップしてるじゃねえか。こんなの無理だろ」
「無理じゃないさ。練習すれば何とかなる」
「だけど、本番まで2ヶ月ぐらいだぞ」
「他の2曲は前からやってる奴だから、そんなに練習時間は要らないだろ。練習時間の大半をこっちに割けばいい」
「いや、それにしても時間が足りないだろ」
「重要なのは、前のアレンジと今回の奴と、どっちの方がイケてるかってことだ。こっちの方が、遥かに質が高いものになってるはずだ。どうだ、弘堅」
敦は強い調子で主張する。
「それは、まあ確かに」
「ほら、そうだろ。航、お前はどう思うんだ?」
「うーん、正直、僕は楽譜を見ただけでは何とも」
「すまん、お前に意見を求めたのが間違いだったよ。だが、弘堅はこっちの方がいいと認めたんだから、既に多数決で答えは決まってる。ニューアレンジで行くぞ」
「しょうがない、やってみるか」
押し切られる形で、弘堅は承知した。
「ちょっと試しに、軽くやってみようぜ。時間が勿体無いからな」
敦は自分のギターを抱え、ピックを手に取った。
「いきなり演奏するのか。初見だぞ」
「だから、軽く合わせるだけだよ。準備はいいか、航」
「え、ああ」
楽譜とにらめっこしていた航が、慌ててスティックを握り直す。
「それじゃあ行くぞ」
敦がギターの弦をピックで弾き、合奏が始まった。
『キング・ヴァニラ』は4分20秒の曲だ。
テンポが速く、疾走感のある曲調である。
歌詞は全編英語で、ヴァニラ王の甘い言葉に騙された民衆が熱狂的に支持し、やがて国が滅びたという社会風刺が込められた内容になっている。
旧アレンジとの違いは、まずイントロがギターの印象的なリフから始まることだ。
サビの部分は、ベースとドラムが以前より激しい音に変更されている。
ギターがインプロビゼーションを繰り広げる間奏部分でのリズムの取り方も、変拍子が入って複雑になっている。
ともかく、初めての演奏は終わった。
敦はギターを置くと、
「酷いな」
と漏らした。
「そりゃそうだろ、初見で、こんな難しい曲、出来るかよ」
弘堅は苦笑する。
「ボロボロだよ、全く。途中でベース・ラインが分からなくなっちまった。航も、リズムが止まりそうになった箇所があったな」
「ごめん、見失った」
「いや、誤る必要は無いって。いきなり上手くやるなんて、絶対に無理なんだから」
「それにしても、酷すぎるだろ」
敦は険しい顔で言う。
「俺だって、そりゃあ最初から完璧にやれるとは期待してなかったさ。ただ、もうちょっと形になるんじゃないかと思ってた。アレンジが変わっただけで、曲は同じなんだし。それが、このザマではなあ」
「お前さ、高望みしすぎだって」
弘堅は軽く笑いながら、なだめるように言う。
「俺達、スタジオ・ミュージシャンじゃなくて、ただの高校生なんだから」
「俺だって高校生だぞ。でも、それなりに演奏できていただろ」
「そりゃあ、自分が作った曲だし」
「だが、俺も演奏は初めてだぞ。昨日の夜に作ったばかりなんだから」
「お前はキャリアが長いからな。小学2年生だろ、初めてギターを握ったのは」
「1年生だ」
敦は即座に訂正する。
「それに比べて、俺は中学2年からのスタートで、航は高校に入ってからだ。お前は出来る奴だから、納得いかないのも分からないではないけど、もうちょっと辛抱してくれよ」
「……そうだな、仕方が無いか。今回が初めての演奏だしな」
まだ不満はありそうだったが、敦はとりあえず納得することにした。
「だけど、かなりの猛練習が必要になりそうだな。今日から学園祭までは、今まで以上に厳しくやらなきゃ」
「頑張ってみるよ。なあ、航」
「ん、ああ。淳、まだまだ技術は未熟だけど、俺、必死で頑張るよ」
航は生真面目に告げる。
「期待してるぜ、お前ら」
敦は握り拳を作った。