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青春詰め合わせパック(9個入り)  作者: 古川ムウ
[9月上旬]
4/52

<4:ニューヒロインのユウウツ(1)>

本橋香乃・・・演劇部員の高校1年生。

吉崎蘭・・・演劇部の部長。

石丸大剛・・・演劇部の副部長。

小原弥生・・・演劇部のOB。

雁岡妙子・・・演劇部員の高校3年生。

武田清美・・・演劇部員の高校3年生。

手場寛子・・・演劇部員。


 放課後。

 演劇部の部室には、部員達が集まっている。

 部員は総勢36名で、女子が23名、男子が13名という構成だ。

 現在、部室には34名が集まっている。残り2名は、部長の吉崎蘭と、事情があって来られない3年生部員だ。

 蘭の到着を待つ間、部員達はそれぞれに親しい仲間と世間話を楽しんだり、学園祭で上演する芝居のことを話し合ったりしている。


 ざわめきの中に、1年生部員・本橋香乃の姿もある。

 ただし香乃はお喋りには関与せず、台本に目を通している。

 ペルシャ猫のような瞳が、台本の文字を追う。目だけでなく、顔の作りが全体的に猫っぽい。

 やや野暮ったさはあるものの、可愛らしい容姿をしている。小柄で童顔なので、年齢よりも幼く見られることも少なくない。


 香乃が読んでいるのは、学園祭で上演する芝居『十二番目の夜』の台本だ。

 シェークスピアの戯曲『十二夜』をモチーフにして、大胆な脚色を加えた作品である。

 『十二夜』では瓜二つの兄妹が登場するが、『十二番目の夜』の主人公は一人の男性だ。その男と令嬢の関係が軸になって展開する。『十二夜』とは違って喜劇性は薄められ、もっとシリアスな愛憎劇になっている。

 『十二番目の夜』は、2年前の新人公演で初演された。

 今回は、その時の脚本に部長が手を加えてアレンジしている。


 熱心に台本を読み込んでいる香乃だが、その芝居で役を貰っているわけではない。

 彼女だけでなく、1年生は全員、学園祭では裏方を担当することになっている。

 基本的に、1年生が舞台に立てるのは3学期の新人公演からだ。

 しかし、そのことに香乃は何の不満も抱いていない。そもそも彼女は役者志望ではなく、裏方がやりたくて演劇部に入ったのだ。

 香乃は中学時代に劇団四季の公演を見て、芝居の世界に携わりたいという夢を持った。

 しかし、舞台に立つのは、自分には恥ずかしくて無理だと感じた。それよりも、裏方として役者を支える存在になりたいと思ったのだ。



 「全員、集まってる?」

 そう言いながら、部長の吉崎蘭が部室に入ってきた。ショートボブでキツネ目、輪郭の鋭角な女性だ。

 彼女は演出を担当しており、出演はしない。


 蘭が現われると、たちまち、お喋りの声が止んだ。全員が蘭の方を向き、背筋を伸ばした。

 それだけでも、蘭の人物像の一端が分かろうというものだ。彼女は、厳格さによって部員を統率している。

 ただし、厳しいだけでは部員は付いて来ない。厳しさを納得させるだけの実力を、彼女は持っている。

 香乃の中では、蘭は優れた統率力とカリスマ性を持つ偉大な先輩だ。他の部員に訊いても、たぶん意見は同じだろう。

 演出においても、そんな細かい所まで見ているのか、そんなやり方があったのかと、感心させられることが多い。蘭が指示した台詞回しや動きによって、その場面や人物の印象がガラリと変化し、質がグンと上昇する。


 蘭と一緒に、一人の女性が入ってきた。私服姿で、弥生よりも年上だ。部室を見回して、ニコニコと笑っている。

 3年の部員は、彼女を見てサッと挨拶した。

 「まず、学園祭公演の練習を手伝ってくれる人を紹介します。ウチのOBの、小原弥生先輩よ」

 「どうも皆さん、よろしくねえ」

 紹介を受けた弥生は、ほんわかした表情を浮かべ、間延びしたような声で言った。

 OBだと聞いて緊張した1年と2年の部員は、その緩い雰囲気に戸惑いながらも、頭を下げた。


 「いちいち紹介されなくても、3年生は私のこと、知ってるわよねえ。あらっ、大剛君、そんな後ろにいたの。見つからないから、どうしたのかと思った。元気にしてた?」

 弥生は一番後ろに立っていた副部長の石丸大剛を見つけて、陽気に手を振った。

 大剛は彼女のマイペースぶりに慣れているのか、

 「ええ、元気ですよ」

 と、穏やかな笑みで応じる。


 「弥生先輩、一人一人への挨拶は、後回しにしてもらえますか」

 蘭は淡々とした口調で言い、全員を見回して言葉を続けた。

 「この『十二番目の夜』のオリジナル台本を書いたのは、弥生先輩なの。それで今回、アドバイザーとして練習を見てもらうことにしたのよ」

 「蘭ちゃんがいれば、私のアドバイスは要らないと思うんだけどなあ。私なんかより、ずっとしっかりしているんだから」

 「そんなことありませんよ。弥生先輩にアドバイスしてもらえると、心強いです。演出の才能に関しては、私なんかじゃ全く敵わないですから」

 その言葉を聞いて、香乃は小さく驚く。弥生がそれほど優れた人物には見えなかったからだ。むしろ、やや間の抜けた感じを受けた。

 だが、蘭がアドバイスを頼むのだから、見た目から受ける印象と中身は違うのだろう。


 「弥生先輩には公演までの練習に何度か付き合ってもらうから、みんなも、そのつもりで。さて、もう一つ、大事なことがあるわ」

 蘭はそこで間を取り、再び口を開いた。

 「みんな、もう知っていると思うけど、寛子が病気になった」

 寛子というのは、3年生部員の手場寛子のことだ。彼女は2学期が始まる前日に、急性虫垂炎を患ったのだ。

 手術は無事に済んでいるので、それほど心配するような事態にはなっていない。

 ただし問題は、彼女が『十二番目の夜』でヒロインのオリーブ役を演じているということだ。大剛が演じる主人公のシーザーと恋に落ち、誤解から憎しみを抱く重要なポジションだ。


 「退院しても、しばらくは自宅療養が必要だろうし、術後の検査が済むまで完治とは言えない。それまで、寛子を待つことは出来ない。だから彼女の了解も取って、オリーブ役を降りてもらうことにした」

 部員がザワザワする。

 寛子が降板するのであれば、おのずと代役を立てることになるからだ。


 「それで、誰が代わりをやるの?」

 3年生の雁岡妙子が、口を開いた。

 「誰がやるにしても、私たち3年生は全員、役を持ってるわよ。その空いた役を2年生にやらせるにしても、それなりに重要な役になるわよね」

 「じゃあ、今年の2年生は、誰か一人が大抜擢ってことになるのね。本番まで2ヶ月を切ってるし、今から私たちに付いてくるのは大変よ」

 妙子の隣にいる同級生の武田清美が、2年生部員を見回し、からかう調子で言った。


 「ちょっと待って」

 蘭は冷静な口調で言う。

 「貴方達の言い方だと、最初から3年生が寛子の代役に決まっているみたいじゃない」

 「違うの?だってヒロインよ。2年生には厳しいでしょう」

 「3年生でも2年生でもないわよ。代役は、1年の本橋香乃にやってもらうわ」

 蘭が淡々と発表した途端、どよめきが部室を包む。

 全員の視線が、一気に香乃へと集中した。


 当人の香乃は、いきなり自分の名前を呼ばれ、唖然としている。

 同級生部員から

 「すごいじゃない」

 と声を掛けられても、何の反応も返せない。


 「香乃、前に出て来て」

 蘭が手招きする。

 「む、無理です、無理です」

 ようやく我に返った香乃は、首をブンブンと激しく振った。

 「まだ1年ですし、そもそも裏方志望で入ったのに」

 「裏方志望から役者になる人間なんて、幾らでもいるわ」

 蘭は平然と言う。

 「でも、演技の経験なんて全くありません。中学時代も演劇部じゃなかったし」


 「そうよ、蘭。何を考えてるの?」

 妙子が口を挟む。

 「端役ならまだしも、ヒロインなのよ。本番まで時間も無いし、1年生には荷が重すぎる。彼女のためにもならないわ」

 「この芝居のヒロイン役は、パッと見た感じが幼くなきゃいけないの。そう考えると、一番の適任は香乃でしょ。この中では一番の童顔だし」

 「それだけで選んだの?だけど、それなら妙子だって童顔よ」

 清美も責めるように口を出す。

 「妙子は身長が高すぎて幼く見えない」

 蘭はピシャリと言った。


 「弥生先輩は、どう思うんですか」

 妙子は、別の方向に意見を求めた。

 「そうねえ、別にいいんじゃない、蘭が決めたんだから」

 その場に似合わぬノンビリした口調で、弥生が言う。

 「蘭は性格的に問題がある子だけど、キャスティング能力は確かだと私は思ってるの。そんな彼女が決めたんだから、きっと香乃ちゃんには何かあるのよ」

 「とにかく、もう決めたことよ。さあ香乃、出て来て。この役が嫌なら、演劇部を辞めてもらうわ」

 「そんな」

 横暴な、と言葉を続けたかった香乃だが、それは飲み込んだ。

 仕方なく、命じられるまま、前へと進み出た。


 「ヒロインのセリフは覚えてるわね」

 「はい、それは一応」

 ヒロインのセリフだけでなく、香乃は全てのセリフを暗記している。

 「それじゃあ登場シーン、演じてみて」

 「えっ、今ですか」

 「もちろんよ。さあ、早く」

 蘭に促され、香乃はゴクリと唾を飲む。

 全員の注目を一身に浴び、緊張で唇が乾いた。


 「あ、あら、そ、そんな所で、何をしていらっしゃるの」


 香乃の発したセリフは、とても弱々しく、たどたどしかった。

 部室内は、何とも言えない空気に包まれる。

 妙子や清美は、小さく嘲笑した。


 (ほら、やっぱり無理だった)

 香乃は落ち込む。

 もちろん出来ないとは分かっていたが、部員達が期待感を持っているのが伝わっただけに、自分の演技力の無さが情けなくなった。

 すると蘭は顔色一つ変えず、香乃の肩をポンと軽く叩いた。

 「貴方、オリーブになってないわね。本橋香乃のままでセリフを口にした」

 そう言うと、蘭はじっと香乃の顔を覗き込み、

 「目を閉じて。そして登場シーンをイメージするのよ」

 と、重々しい口調で告げた。


 香乃は戸惑いながらも、指示に従った。

 「いい、集中して、オリーブになって、私の声を聞くのよ。貴方は公爵の令嬢で、ずっと上流社会に生きてきた。ある日、散歩の途中で、野暮ったい服装をした男性が目の前に現れた。粗野な感じの男性に警戒心を抱きつつ、舐められないよう、毅然とした態度で振舞おうとするの」

 蘭の状況説明を聞きながら、香乃は頭の中に芝居の場面を思い描いた。

 「さあ、さっきのセリフを言ってみて」


 蘭が促した時、香乃の表情は、先程とは明らかに違っていた。

 緊張はすっかり取れ、堂々とした姿勢で、彼女はセリフを口にした。


 「あら、そんな所で何をしていらっしゃるの」


 その言葉に震えは無く、堂々としていた。

 目を閉じたまま、香乃は周囲の沈黙を感じ取った。

 (ああ、みんなを、また白けさせてしまった)

 香乃は落ち込む。


 パッと目を開けた彼女は、

 「すみません」

 と頭を下げた。

 「どうして謝るんだい」

 大剛が、そう言いながら前に出て来た。

 「だって、芝居が下手なので、皆さんを呆れさせてしまって」

 「何を言ってるんだ、みんな圧倒されたんだよ、君の芝居が素晴らしかったから」

 「えっ?」

 「いい芝居をした自覚が無いのかい。困った名女優だな」

 大剛は優しく微笑んだ。

 「たった一言で、君は全員を黙らせたんだよ」


 香乃は信じられず、目をパチパチとしながら、隣の蘭を見た。

 蘭は深くうなずき、

 「良かったわよ」

 と告げた。


 すると賞賛ムードの中、妙子が冷めた表情で反発を示した。

 「でも、本番も目を閉じて芝居をするわけにはいかないわよ」

 「そ、その通りです」

 真っ先に同調したのは香乃だった。

 「今は目を閉じたから、上手くやれただけです。こんな重要な役、私には出来ません」


 しかし蘭は、自信たっぷりに言う。

 「最初に失敗したのは、いきなりで戸惑ったからよ。今後は、ちゃんと場面をイメージすれば、目を開けても同じようにやれるわ」

 「でも」

 「大剛は?相手役として、あるいは副部長として、何か香乃に不満はある?」

 香乃を無視するように、蘭は大剛に訊く。

 「いや、何も無いよ。彼女でいいと思う」

 「だったら決定よ。さあ、それじゃあ、全体練習に入りましょう」

 蘭は満足そうな表情を浮かべ、パンパンと両手を打ち鳴らした。

 (そ、そんな)

 こうして香乃は、困惑と不安を体一杯に抱えながら、逃げられない重責に挑む羽目になった。


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