<3:関西弁エイリアン(1)>
穂積沙紀・・・高校1年生。
奥山和歌子・・・穂積沙紀のクラスメイト。関西出身。
瀬田伊織・・・穂積沙紀のクラスメイト。
剣持静香・・・穂積沙紀のクラスメイト。
江草千夏・・・穂積沙紀のクラスメイト。
1年2組の教室では、学園祭での催し物についての話し合いが行われている。
現在はホームルームの時間だ。担任教師は窓際で椅子に座り、男女の学級委員による議事進行を見守っている。
2組は、焼きそば店を出すことが決定している。今回は、役割分担についての話し合いだ。
生徒たちは口々に意見を言ったり、隣同士で喋ったりと、ザワザワしている。
だが、ある程度の騒がしさは甘受するつもりなのか、教師は注意する素振りも見せない。
教師の他に、もう一人、喧騒の中に身を置いていない者がいる。
一番後ろの席に座っている穂積沙紀だ。
ひっつめ髪にニキビ顔の彼女は、話し合いに全く参加しようとしない。教科書とノートの間で視線を移動させながら、カリカリとシャープペンを走らせている。
もちろん、それは学園祭とは何の関係も無い作業だ。沙紀は一人だけ、勉強に没頭しているのだ。
近くの席の生徒たちは、沙紀が話し合いを無視していることに気付いている。だが、誰も注意したり、あるいは参加を促したりしない。
沙紀はクラスの中で、孤立した存在だからだ。
イジメを受けているわけではない。沙紀が自ら友達付き合いを避けたのだ。
沙紀は入学して以来、クラスメイトと距離を置き、誰とも仲良くなろうとしなかった。
最初の内は話し掛ける女子生徒もいたが、沙紀は厚い壁を作り、無愛想に対応した。
そんなことを続けている内、周囲は彼女の存在を無視するようになった。
それは沙紀にとって、望み通りの環境だった。周囲の人間を遠ざけたのは、彼女にとって転ばぬ先の杖だったのだ。
中学時代、沙紀はクラスメイトからイジメを受けていた。
きっかけは、人気のある男子生徒に話し掛けられて、会話を交わしたことだった。
席替えで隣同士になり、彼が沙紀のノートの美しさに感心して誉めたのだ。それに対して、沙紀は遠慮がちに笑顔を浮かべ、礼を述べた。
それだけのことだった。
だが、その男子生徒に好意を寄せる女子が嫉妬心を抱き、取り巻きグループと共にイジメを開始した。
「ブスが彼と喋るなんて生意気だわ」
「根暗のくせに笑うんじゃないわよ」
などと、彼女達は沙紀を糾弾した。
沙紀は、自分の容姿が悪いことは自覚していた。
のっぺりした顔立ちだし、一重の目は細すぎて鼻は低すぎる。また、陰気で暗い性格なのも分かっていた。
そこに劣等感を抱いていたから、その男子生徒に自分からアプローチしたわけではないし、そう考えたことも無い。
向こうに話し掛けられて、それに応じただけだ。
それなのに嫉妬されるというのは、あまりに理不尽なことだった。
しかし、そんな理不尽な責めを受けても、沙紀は反発せず、低姿勢で詫びを入れた。
謝ることで問題が解決できるのなら、それで構わないと考えたのだ。
だが、それさえも、イジメっ子グループは気に入らなかったらしい。
それ以降は、言葉だけでなく行動を伴うイジメが続くことになった。
ホワイトボードに屈辱的な偽りのプロフィールを書いて嘲笑されたり、机に花瓶を飾られて死人扱いされたり、体操着を牛乳まみれにされたりと、沙紀は様々な手口でイジメられた。
実行グループは数名だが、それを知っている他のクラスメイトも、誰も味方になってくれなかった。
担任教師もイジメに気付いていながら、見て見ぬフリを決め込んだ。
沙紀は自殺を考えたこともあるが、それは何とか思い留まった。
そして彼女は、高校に入ったらイジメを受けないよう、みんなから無視される石ころのようになってしまおうと心に決めたのだ。
(友達なんて一人も出来なくたっていい)
沙紀は、そう思っている。
とにかく勉強に励み、一流大学へ進学することだけを考えて、沙紀は高校に通っている。
将来は世界的な科学者になり、学生時代に自分を嘲った連中を見返してやるのだ。
「はいはーい、それ、アタシがやります」
大きな声が、沙紀の耳に飛び込んで来た。
(あの女、また調子に乗ってる)
沙紀は眉をひそめ、声の方向をチラッと見やる。
手を挙げて身を乗り出しているのは、奥山和歌子だ。
鼻が高くて眉は太く、ラテン系のような濃い顔立ちをしている。イタリア人の血でも混じっていそうな顔だが、バリバリの日本人だ。
「ええやん、なんかオモロそうやし」
ベタベタの関西弁で、和歌子が言う。
彼女は大阪の出身で、父親の仕事の都合で関東に引っ越してきたのだ。
(うるさい女)
沙紀は、嫌悪感に満ちた呟きを心で漏らす。
集中して勉強しているので、他の生徒達の騒ぎ声は、基本的に遮断される。
だが、和歌子の声だけは、やたらと通りが良くて、嫌でも耳に入ってくるのだ。
その声質だけでなく、関西弁であることも、沙紀からすると不快だった。
標準語で喋るよりも騒がしいものとして、彼女には感じられるのだ。
(たとえ大阪出身でも、今は東京で生活しているんだから、こっちの言葉に合わせればいいのに)
だが、沙紀にとっては疎ましい存在ではあるものの、和歌子はクラスの人気者だった。
彼女は、とにかく明るくて元気だった。常に笑顔で、冗談を言っては周囲を盛り上げている。
沙紀に対しても、和歌子は明るく声を掛けてくる。今でも積極的に話し掛けてくるクラスメイトは彼女だけだ。沙紀が冷たくあしらっても、嫌な顔一つしないし、めげることも無い。
「なんや、相変わらず硬いなあ」
などと、にこやかに対応する。
そんな和歌子のことを、沙紀は「バカな子」として受け止めている。
バカと付き合ったら自分もバカになってしまう、特に和歌子のようなタイプは気を付けなければいけないと、彼女は考えている。
沙紀は無駄な思考を中止し、再び勉強に戻ることにした。
学園祭などに、うつつを抜かしている暇は無い。
沙紀にとって、高校生活で重要なのは勉強だけだ。
「穂積さん」
不意に名前を呼ばれ、沙紀はビクッと体を強張らせた。
顔を上げると、男子の学級委員が再び彼女の名を呼んだ。学級委員だけでなく、他の生徒たちも沙紀に注目していた。
話し合いに参加するよう、注意するつもりだろうかと沙紀は思った。
今までは無視しておいて、こんな時だけ仲間としての行動を要求するのは身勝手だ。
しかし教師の手前もあるし、注意されたら、とりあえず参加しているフリはしようと沙紀は考えた。
だが、学級委員の口から発せられたのは、思いがけない言葉だった。
「穂積さん、統括担当になったから」
「えっ?」
沙紀はうろたえる。
「統括担当って、何が?」
「さっき、全ての役割を説明したじゃないか。統括担当は、学園祭当日までにちゃんと準備が整うよう全体をまとめたり、学園祭実行委員と交渉したりする役だよ」
「それを、私がやるの?」
「そうだよ」
それは最も面倒な役回りじゃないのかと、沙紀は抗議したい気分になった。
(そうか、きっと嫌な役回りを私に押し付けたんだ)
そうに決まっている。これは陰湿な嫌がらせだ。
みんな腹の中で、せせら笑っているに違いない。
「でも、どうして私が?立候補したわけでもないのに」
沙紀は感情を押し殺し、抑揚の無い口調で質問した。
「だって、他の役は全て埋まったから、それしか残ってないだろ。穂積さん、他の役割を決めている間、どこにも手を挙げなかったから」
「……」
沙紀はホワイトボードに書かれた役割分担表を眺め、重大なことに気付いた。
(全員、必ず何かの役割を担当しなきゃいけないのね)
良く考えてみれば、それは当然のことだった。
だが、沙紀は説明をまるで聞いておらず、楽が出来そうな役に名乗りを挙げることもしなかったのだ。
「じゃあ、統括担当は奥山さんと穂積さんで決定ってことで」
沙紀は、統括担当として自分の上に書かれている名前に目をやった。
(げっ、よりによって和歌子と一緒)
沙紀は苦い顔になった。
パッと和歌子の方を見ると、
「沙紀ちゃん、一緒やな。張り切ってやろうな」
と、手を振ってくる。
(最悪だ)
沙紀はすぐに顔を背け、溜め息をついた。