<2:あの人に勝ちたい(1)>
加藤大輔・・・陸上部員の高校2年生。
加藤大介・・・陸上部員の高校3年生。
上野正秀・・・陸上部のキャプテン。
森保・・・陸上部員の高校3年生。
安藤弘堅・・・加藤大輔の親友。
陸上部では月に一度、記録会が実施される。
個人の能力を伸ばすための目安として、記録を計るのだ。
短距離と長距離は部員がストップウォッチで計測するため、正確なタイムではない。それでも、練習を続ける上での参考にはなる。
今日は、その記録会の日だ。
グラウンドでは、これから走る部員が軽く体をほぐしたり、気合を入れたりしている。
「次は200メートルだぞ」
キャプテンの上野正秀が言う。
記録会では、2名一組で走ることになっている。ストップウォッチを持った1年生部員2名が、所定の位置に就いた。
「よし、俺からだな」
3年生の加藤大介が短パンを直しながら、スタート位置に近付いた。スラッとして均整の取れたスタイルで、短パンから伸びる脚はインパラのようだ。髪は襟足長めのベリーショートで、キリッと締まった顔をしている。いかにも速そうな見た目だが、実際に市の大会では優勝しており、陸上部のエース的存在だ。
「先輩、ファイト」
2年生の女子部員数名が、声を合わせて言う。
「ああ、ありがとう」
加藤は爽やかに手を振る。
「おうおう、モテるねえ。お前と一緒だと、やりにくいぜ」
一緒に走る3年生部員の森保が、からかいながら立ち上がる。
だが、それより先に、別の男子部員がスタート位置にスタスタと近付いた。
「おいおい、違うぞ、ダイ。お前の順番じゃない」
上野キャプテンが、やんわりと注意する。
「ダイ」と呼ばれたのは、2年生の加藤大輔だ。3年の加藤大介とは同姓同名で、わずかに漢字が一つ違うだけだ。紛らわしいので、陸上部ではダイと呼ばれている。1年部員からの呼び名も「ダイ先輩」だ。
「森保先輩、代わってくれませんか」
大輔は真剣な顔付きで、そう頼んだ。スポーツ刈りで、じゃがいものような顔面をしている。名前はそっくりだが、容姿は加藤大介と全く違い、典型的な田舎のスポーツ少年といった感じである。
「えっ?」
「俺、加藤先輩と走りたいんです」
そう言って、加藤に視線を向ける。その目には、敵対心が露骨に表れていた。
「まあ順番なんて、どうでもいいけどさ。ただ、勝手なことを許すのは、どうだろうな、上野?」
森保はキャプテンに意見を求めた。
「いいじゃないか、それぐらい」
加藤が口を挟む。
「俺は構わないよ、相手が誰でも」
「余裕ですね、先輩」
嫌味っぽく大輔が言う。だが、加藤は微笑しながら、
「そうじゃないよ。誰かと競うんじゃなくて、自分の記録との戦いだろ、記録会ってのは」
と告げた。
「じゃあ、順番を入れ換えるか。ダイ、位置に就け」
「はい」
大輔はスターティングブロックの角度を調節し、足を乗せた。それからチラッと加藤を見やり、呼吸を整えた。
両手の指を地面に付け、集中する。
「位置に付いて、よーい、スタート」
上野の号令と共に、ややフライング気味で大輔は飛び出した。スタートでは加藤より前に出た。
(よし、行ける)
大輔は風を切って加速する。太股を振り上げ、脚を回転させる。まだ加藤より前に出ている。そのままカーブに入る。
200メートル走ではコーナリングが重要だ。大輔はスピードを落とさないように注意しながら、両腕を振る。
カーブを曲がり、直線に入った。これまでの記録会では、一番の走りだ。見学の部員はどよめくが、大輔には聞こえない。彼の耳がキャッチするのは、自分が空気を切り裂く音だけだ。
(勝てるぞ)
そう思った時、右側に影が見えた。
加藤だ。
途端に大輔は焦りを覚える。
カーブから直線に入って、加藤はトップスピードに乗った。大輔は必死に加速しようとするが、それよりも加藤の伸びが鋭い。力いっぱいにグラウンドを蹴るが、並ばれてしまった。
ゴール直前、大輔は加藤に追い抜かれた。2人がゴールラインを越え、計測係の1年生部員がストップウォッチを押した。
大輔はゴールラインを越え、スピードを緩めた。
足を止め、肩で息を整える。
「いやあ、ちょっと危なかったな。ダイ、やるじゃないか」
加藤は清々しい笑顔を浮かべ、声を掛ける。大輔は応答せず、奥歯を噛み締めた。
「ダイ先輩の記録……」
大輔を担当した部員が、タイムを発表しようとする。だが、大輔は
「どうでもいいよ、タイムなんて」
と、ぶっきらぼうに告げた。
1年生部員は助けを求めるように、上野を見た。
「ダイ、記録会でタイムはどうでもいいって、それは無いだろ。記録会を馬鹿にしてるのか」
「記録会を馬鹿にするつもりはありませんよ。ただ俺にとっては、タイムはどうでもいいんです」
「だけどダイ、見てみろよ」
加藤がストップウォッチを覗き込みながら言う。
「ほら、自己ベストだぞ」
「自己ベストでも、意味が無いんですよ。負けたんですから」
「レースじゃないんだから、勝ち負けは関係ないだろ」
「いや、俺には関係あるんですよ」
大輔は悔しそうに言い、ギラギラした視線を加藤に向ける。
「加藤先輩、来月の記録会でも、俺と一緒に走ってくれますか」
「えっ、ああ、別にいいよ」
「次は勝ちますから」
「だから、レースじゃないのに」
加藤は柔和な表情で言うが、大輔の目は真剣そのものだった。
「今度は勝ちますよ、絶対に」
大輔は、熱くなっていた。