<1:恋愛熱血少女(1)>
戸川春菜・・・高校3年生。
柱谷秀彦・・・戸川春菜の担任教師。
能登奈緒美・・・戸川春菜の親友でクラスメイト。生徒会副会長。
「いいか、お前ら。高校3年生の2学期は、1度しか来ないんだぞ」
3年5組の教室で、柱谷秀彦が握り拳を作って生徒達に語り掛けた。それは2学期になって最初のホームルームである。
柱谷は5組の担任教師で、担当教科は国語だ。横と後ろを大胆に刈り上げた短髪で、劇画から抜け出してきたような彫りの深い顔立ちをしている。
「もちろん勉強は頑張ってやれ。だけど、それだけが高校生活じゃない。色んなことにチャレンジしろ。今しか無い青春を、無駄に過ごすな」
柱谷は握り拳を作り、熱い口調で演説をぶつ。だが、生徒達は退屈そうな顔をして、適当に聞き流している。
ただ一名を除いては。
「よし、それじゃあホームルームは終わりだ。クラブに行く奴は、全力で励め。帰る奴は、気を付けて帰れよ」
柱谷はパンと両手を打ち鳴らし、教室を出て行った。
ドアが閉まるのと同時に、教室がガヤガヤとうるさくなった。
「やれやれ、メラ谷の熱さには参るわ」
生徒の一人、能登奈緒美が苦笑する。メラ谷というのは、柱谷のことだ。メラメラと熱すぎるので、生徒達からは密かにそう呼ばれている。
柱谷は28歳と、まだ若いくせに、古い青春ドラマに出てくるようなセリフを良く口にする。いわゆる熱血教師になりたいようだが、残念ながら生徒達の心を掴むことは出来ていない。「古臭い」「暑苦しい」と評され、呆れられている。
ところが。
「やっぱり素敵よねえ、柱谷先生」
奈緒美の隣で、うっとりとした目をしている女子生徒がいる。
彼女が唯一の例外、戸川春菜だ。ポニーテールの似合う、ごく普通の、今時の女子高生である。
柱谷は今年の4月に赴任してきたのだが、自己紹介で人生論を熱く語る姿を見て、春菜はすっかり心を奪われてしまった。
別に彼女は、古い青春ドラマのマニアだとか、レトロな趣味があるとか、そういうわけではない。つい最近までは人気男性アイドルのファンだったし、その前は若手俳優に夢中だった。特に性格や好きなタイプが変わっているわけではない。
しかし柱谷との遭遇は、彼女に強烈なインパクトを与えた。初めて見る熱血男にカルチャー・ショックを受け、それが恋愛感情に結び付いたようだ。
「やれやれ、また始まったよ」
奈緒美が肩をすくめる。
「高校3年生の2学期は1度しか来ないってメラ谷は言ってたけど、あいつ、1学期も同じことを言ってたわよ」
「ブレてないってことよ。そういう所も男らしいじゃない」
春菜は一人で納得する。
「あんなに熱く語っても、今の高校生は誰も付いていかないって、そろそろ気付かないのかな」
「あの熱さがいいのよ。それが分からない奈緒美たちは、お子様ね」
「むしろ、メラ谷に惚れてるアンタの方が子供じみている気がするけど。この学校の男子生徒で、もっとマシなのが何人かは見当たるでしょ。例えば柳沢とか」
柳沢というのは、生徒会長の柳沢知良のことだ。奈緒美は生徒会の副会長を務めているので、彼のことは近くで見ている。
「柳沢君は確かにカッコイイけど、柱谷先生は次元が違うから」
「女子の中でも人気抜群の柳沢を、次元が違うと言い切るなんて、すごいわね。メラ谷のどこに、そんな魅力があるのやら」
「先生の魅力が分からないなんて、可哀想だわ。あんなに素晴らしい先生なのに」
春菜は真剣な眼差しで言う。
「まあ、悪い人じゃないけどね」
奈緒美は口元を緩めた。
悪態をついたものの、彼女は柱谷を嫌っているわけではない。むしろ、学校では最も好感の持てる教師だと思っているぐらいだ。彼女だけではなく、他のクラスメイトにしても、本気で柱谷を嫌悪している者は皆無だ。
「暑苦しいけど愛すべき先生」
というのが、大半の生徒からの評価だ。
「ところで奈緒美、あの一件、調べてくれたんでしょうね」
急に春菜が声色を変え、顔を近付けた。
「ああ、あれね。調べたわよ」
「それで、どうだったの?」
「そんなに慌てなくても、教えるわよ」
奈緒美が面倒そうに言う。
あの一件というのは、夏休みに遡る。
親戚の家へ遊びに出掛けた奈緒美は、柱谷の姿を目撃した。奈緒美の親戚と柱谷の家は、近所なのだ。
その時、柱谷は女性と一緒に歩いていた。若くて綺麗な女性だった。奈緒美は物陰に隠れて、その様子を観察した。何となく、顔を合わせるのは避けた方がいいように思えたのだ。
柱谷は、その女性と楽しそうに語り合いながら、レストランへ入っていった。
柱谷と女性が席に座るのを確認して、奈緒美はその場を立ち去った。彼女にも用事があったし、ずっと張り込むほど暇でもなかった。
その後、春菜に電話を掛けて、その出来事を話した。すると春菜は激しく動揺し、その女性について調べてほしいと頼んだのだ。
「私には何の関係も無いことなのに、なんで調べなきゃいけないんだか」
「元はと言えば、奈緒美が私によからぬ情報を吹き込んだのが始まりでしょ。だったら責任を取るのが、友人として当然だわ」
「はいはい、分かりましたよ」
奈緒美が、いなすように言う。
「その女性は、花屋の店員さん。年齢は26歳。名前は、えっと、何だったかな。ちゃんと親戚に聞いたんだけど」
「それで、肝心なことは?」
「ああ、どうやら、メラ谷とは付き合っていないみたいよ」
「本当?」
「たぶんね」
「たぶんって、頼りないわね」
「しょうがないでしょ、親戚とか近所の人から情報を集めただけなんだから」
「そうか、でも付き合っていないのなら、良かったわ」
「だからって、お互いの気持ちまでは分からないけどね。もしかしたら、好意を持っていて、これから付き合おうと考えているのかも」
「嫌なことを言うわね、友達のくせに」
春菜は頬を膨らませる。
「でも、あの二人、何となくお似合いって感じだったし」
奈緒美は、からかうように言う。
「私を困らせるのが楽しい?」
「冗談よ。でも、あの二人が実際に付き合っていた方が、アンタのためかもね。そうすれば、アンタも目が覚めて、諦めがつくだろうし」
「ちょっと、そんなことで私が先生を諦めるとでも思ったの?」
春菜は強い口調で言う。
「ライバルがいた方が、恋心ってのは燃え上がるものなのよ。私、その女性のことを聞いてから、前よりも先生への気持ちが強くなってるのよ。知ってた?」
「知らないわよ、そんなの」
「だから私、決めたの。これからは、積極的に自分をアピールしていこうって。そうやって、先生の気持ちをこっちに向かせるわ。もし、その花屋が先生のことを好きだったとしても、私は負けないからね」
やる気満々の春菜。
「はいはい、頑張ってちょうだい」
呆れる奈緒美。
「ちょっと奈緒美、他人事みたいな言い方をしないでよ。貴方にも手伝ってもらうわよ」
「ええっ、どうしてよ。私は関係ないじゃない」
「友達でしょ、協力してよ」
「あーあ、友達、やめよっかなあ」
「私が先生と上手く行ったら、やめてもいいわよ」
春菜は真面目な顔で言う。
「怖いわ、アンタ」
やれやれといった感じで、奈緒美は頭を押さえた。