01
高校生になって、何より楽しみにしてた文化祭。
一年生の時は、展示しかさせてもらえなくて、二年生では劇をやった。
やっと三年生になって、念願の軽食の出店を勝ち取って、凄く、凄く楽しみにしてたんだ。
むかしから、楽しみにしているときほど大変なことが起きるから、慎重に準備も体調管理もしていた、のに。
「ひな、お誘いありがとう。」
「あ、ううん。忙しいのに来てくれたんだ、ありがとう。」
長い茶色の髪をふわふわとセットした、きれいなお姉さんと透くんが入ってきて、席に案内する私に声をかける。
声は震えていなかっただろうか。
いつも通り、笑えていただろうか。
「透くん、彼女さんも、好きなもの頼んでくださいね。メニューこちらです。」
お冷やお持ちしますね、と声をかけて裏に引っ込む。
びっくり、しすぎた時って、こうなるのか。
どこか自分のことじゃ無いみたいに、誰か他の人の心みたいに、グチャグチャなココロとは別に、とても冷静な頭が2つのコップに氷と水を入れていく。
「伊藤、水出したら隣のテーブル片付けお願いできる?」
「あ、安藤くん…大丈夫だよ。お盆と布巾ちょうだい」
「ほい、今来たテーブル伊藤の知り合い?」
「うん、お隣のお兄さん。」
「伊藤自慢の幼馴染のお兄ちゃん、か」
「そうだよ。私の、自慢のお兄ちゃん!」
「いいなぁ、俺の妹なんかクソ兄貴呼ばわりだぞー。」
「委員長の安藤くんでもそんな扱いされるんだね。」
「そうそう、と「おい、安藤、伊藤、サボるなー。」
担任の声に思ったより話し込んでいた事に気付く。汗をかいてしまったコップの水滴を拭き取って、お盆に乗せ、透くんたちのテーブルに運んでいく。
「あ、透、ひなちゃんきたよ。」
「お待たせしました。」
「高校の文化祭にしてはしっかりカフェみたいにしてるんだね。」
「衣装は制服にエプロンだけど、ちゃんとコーヒーとかお菓子とかにはこだわったんだよ。」
「ひなは何か作ったの?」
「コーヒーセットに付いてるクッキーは作ったよ?」
「そっか、じゃあコーヒーセット2つお願いします。」
「かしこまりました!何人かで作ったからどれが当たるかわからないけどね?」
「透シスコンだね〜。」
「うるさいな、久野。」
親しそうな空気に席を離れてオーダーを裏の子に渡して、頼まれていた掃除。
極力、透くんたちの席を見ないように、入り口の案内ばかりついた。
「忙しそうだし、俺らはそろそろよそに行くな。」
「あ、うん、来てくれてありがとう。」
あと、5分で私は交代して休憩になる頃に、透くんたちは帰って行った。
交代の子にエプロンを渡して、それでも動き回る気分になれなくて、中庭の自販機前でバナナオレを口に含む。
甘ったるいあじ。
「ひーなちゃん」
後ろから軽く背中を叩かれ、驚き過ぎて、紙パックを握りつぶしてしまった。
8割残っていた中身は勢いよくストローから飛び出して、手をつたってこぼれていく。
「わー! ごめんねひなちゃん、そんなに驚くと思わなくて…」
「…えっと、さっき透くんと来てた…」
「よかった、覚えててくれたんだ。久野静香って言います。透ってば紹介もしてくれないから、不審者と思われるんじゃ無いかとドキドキしてたよ。」
明るく、笑う久野さん。
茶色の髪をキレイに巻いてセットしていて、大人っぽくて、キレイな人。こぼれたバナナオレを丁寧にタオルで拭き取ってくれる、優しい人。
「透くんと一緒じゃ無いんですか?」
「透は理系の展示見に行くって言ってたから。あたしは頭悪いからそう言うの見てもつまんないしね。」
「はぁ…」
なんとも返しにくいことをサラッと言われて、苦笑いしか出来ない。
「ひなちゃんは、透のこと好き?」
「へ!?」
一体どこからそんな話題になったのかわからない。
わからない、けれど久野さんの目がとても真剣で、目をそらしてしまった。
「透はひなちゃんのことが好きだったよ。」
知っている。うちのソファで寝たフリをしたあの日からずっと。
だけど、そうか、過去形なんだ。
「あたしは、透のことが好きよ。」
今の、久野さんの想い。
真っ直ぐで、キレイ。
私は、こんなキレイな想いじゃない。
「それを、どうして私に言うんですか」
「私に、どうしろって言うんですか」
「私が、今更、どうしようも無いじゃないですか…!」
ボロボロと溢れるのは本音と、涙。
わからない、なんてフタをして、目をそらした結果だ。愛や恋なんて、わからないものは怖い。怖いから、逃げたんだ。
恋人っていう、わからない関係よりも、幼馴染の関係が愛しくて、大切で。
わからないわからないわからない。
こわい。
「ひな?」
中庭に面した、2階の渡り廊下の窓から透くんの声が聞こえて、思わず顔を上げてしまった。
涙で、ひどい顔をしていたことを思い出してすぐに顔を伏せる。高校生にもなって、外で泣いてしまうなんて恥ずかしすぎて、埋まってしまいたい。
そうだ、逃げよう。
「久野!お前何してるんだよ!」
「気になるなら降りてくればいいでしょ。」
窓から身を乗り出していた透くんは舌打ちを一つして、引っ込んだ。
ここから一度昇降口を回って来るまで、5分くらいだろうか。
今すぐここから走って逃げてしまえば、会わずに済む。
逃げ出そうとしたことを察して、久野さんが私の腕を強く強くつかんだ。
だめだ、これじゃあ逃げ出せない。
「やだ!離して!」
子供みたいにただ駄々をこねる。
「また、逃げるの?」
「どうして、あなたには関係ない!」
「関係あるのよ」
「そんなの知らない!」
「いい加減にしなさいよ!」
それまで、淡々と言葉を発していた久野さんの激昂に、私の体も思考も停止する。
苛烈な光を宿した、大きな瞳が私をまっすぐに射貫く。
その瞳の中にいる私は、人ごみの中で迷子になった幼子のように情けない表情をしていた。
「今逃げるなら、もう透に近づかないで」
つかまれていた腕が、急に放される。
バクバクと心臓が高鳴っているのに、頭の先から氷を被ったように冷えていく。
「っ、ひな、」
息を切らした透くんの姿を見たとき、私は反射的に背を向けて駆け出してしまった。