聡い青年は囲い込む。
お兄ちゃん視点
日向で丸まっている小さな体。
触れたい欲求に勝てずに、そのつややかな髪を梳く。
もっと、触っていたい。もっと触りたい。
でも、このひなが望む自分との距離では触れられない。
葛藤に手を放そうとすれば、ひなが小さくうめくから。
手放せない。
「ひな、好きだよ」
ひなが眠っているときにしか告げられない思いを、吐き出す。
自分の欲に従って距離を詰めれば、ひなが逃げるかもしれないから。
逃がしたくない自分は、ゆっくりとひなを捕まえるための網を編んでいく。
触れている手から、思いが伝わってひなを染めていけばいい。
ころりと寝返りを打つひなが愛おしくて、笑いがこみ上げる。
寝返りのせいで乱れた髪を整えて、丸い頭を撫で続ける。
暖かな陽だまりの中で、世界が止まる夢想を抱きながら、現実のひなを捕まえる手は、もうすぐ編みあがる。
* * * * *
最初にひなとあったのは、伊藤家の母親の退院挨拶だった。
タオルケットにくるまれた小さなひなに、興味本位で近づいていけばそのまま抱いてみてと新生児を渡された。
しっかりと腕を固定され、乗せられはしたものの頼りない体にピクリとも動けないほど緊張した。
そんな俺の腕の中で、ひなは泣くこともなくじっと近い顔を見つめ、ふにゃりと笑った。
乳児特有の反応で、相手が笑わない場合は自分が笑って相手の笑みを引き出すという半ば反射行動だと、今ならわかる。
それでも、胸を撃ち抜かれたのだ。
それからはひながかわいくてしかたなくて、友達とはそれなりに付き合いながらもひなを構い倒した。
ひなの両親は働き者だったから、家に預けられる時間が長かったのも幸いして、ひなの隣のポジションをずっとキープしてきた。
友人と一緒に帰宅して、途中で別れた後、何度か会話した同じサークルの女子に呼び止められた。
正直、早く帰ってひなを構いたい。入学式後の試験とか言って最近構えなかった分不足している。
が、付き合いというものを大切にする学生という生き物の中で生きていくためには、ここで邪険になどできない。
「城嶋くん、あの」
「飯田さん、どうしたの?」
「あの、えっとね、いきなり、こんなこと言われても困るとは思うんだけど…」
この時点で、言われる内容ははっきりと予想がついた。
よりによって、家の前で。今日はひなは試験最終日だから自分より先に帰っているはずで。見ているだろうか。見ていなければいいと思う。
「前から好きでした。よかったら、お付き合いしてください…ッ」
真っ赤な顔をして、そう言い切った彼女は呼吸を忘れるほど緊張していた。
茶色く染められた髪は緩く巻かれていて、化粧も濃すぎずきれいに整えられていて、感じのいい子。
だけど、ひなじゃない。
俺にとってはそれだけで気持ちに応えることができない理由になってしまう。
「ごめんね、好きな子がいるから…。でも気持ちは嬉しい。ありがとう。」
「あっ…うん、わかった…。」
ポロリと一滴涙が彼女の頬を伝っていった。彼女自身泣くつもりはなかったようで、慌てて涙をぬぐうが次から次へとこぼれてきて止まらないらしい。
ふと、その頭を撫でる。
「えっ、城嶋君!?」
「あ、ごめん…隣の子が泣いたときよくこうして泣き止ませてたからつい」
「…お隣の子、かぁ。でもだめだよ!振ったばかりの子にこんな事したら。諦めらんなくなるじゃん!」
「そっか、ごめん」
「ふふっ 私でよかったね。」
悪戯っぽく笑う彼女は、きっと俺にはもったいなさすぎる。
「ごめんね、じゃあ私帰るね。」
「うん、ありがとう」
彼女を見送ることはせず、すぐに家に入る。
玄関先にきれいにそろえられたサイズの小さなローファーを見て、やっぱりひなが来ていたことに胸の奥が温かくなる。
「母さんただいま」
「おかえり、ひなちゃん部屋にいるよ。本読んでるって言ってたけど、もうすぐご飯出来るから呼んできて。」
「わかった」
はやる気持ちを押さえて、階段を上る。
自分の部屋だというのに、ほんの少しだけ、呼吸を整えてから入る。
窓際のイスに腰かけて、ひなはどこか遠くを見ているようだった。
「ひな、ただいま」
「おかえり、お兄ちゃん」
ひな、かわいいひな。
どうやっても俺はひなを逃がしてやれそうにない。
刷り込みでもいい、俺を好きになって。