閑話 リリの学校生活 その3
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「どうしたんだい?その子……どこか具合が悪いのかい?」
そう心配そうに声を掛けてきたのは、40代程の眼鏡を掛けた中年の男であった。
頭は禿げ上がり、体はタプタプと肉が震える程に太っており、その上には何らかのアニメの女の子のキャラが描かれたシャツを着ていた。正直、シャツがピチピチで、女の子のキャラが可哀想なことになっていた。
そんな見た目からしてオタク……それも、普段ならば絶対に近づきたくないタイプの不潔なオタクが、彼等の目の前に立っていた。
「あ、あ、人だ……人ですよ剛君!」
「あぁ、やっと他の人に会えたぜ!」
だが、極限状態に追い込まれていた彼等にとっては、そんなオタクでも神や仏に近い救いの存在にさえ見えて、無警戒にその存在を受け入れていた。
「あ、あぁ!良かったです!す、すみませんが、この子が具合が悪くなったみたいなんです!手を貸してくれませんか?」
胡桃もまた、やっと人に会えた安心感から、安堵の様子を見せながら無警戒にその男へと近寄っていった。
しかし、その瞬間………。
「ダメッ胡桃ちゃん!その人に近寄らないで!!」
「へっ?」
冬美が突然に叫んだのだった。
突然の冬美の叫びに、驚きと困惑で硬直する胡桃に対し、その男が動きを見せた。
『ガシッ!』
「へっ?なっ?!キャアアアア!!」
「胡桃ちゃん?!」
男は冬美の方を見ながら硬直する胡桃に背後から抱き付き、そのまま持ち上げてその未成熟な体を撫で回し始めたのだ。
突然の男の奇行に一瞬呆けた胡桃であったが、事態を理解した瞬間に羞恥と恐怖から、顔を真っ赤に染めながら泣き叫んだ。
「ブッフフフフ!!やっぱり、これくらいの子供の体の抱き具合は堪りませんなぁ!」
男は、そんな泣き叫ぶ胡桃をしっかりと抱きしめ、下卑た笑みを見せながら、尚も彼女の体中を撫で回し続けていた。
「なっ!お、お前胡桃に何してんだ!」
突然の事態に唖然としていた剛であったが、直ぐに我を取り戻すと怒号を上げながら、その男を睨んだ。
しかし、男はそんな剛の怒号にも怯む様子も見せず、寧ろ余計にニヤニヤと気持ちの悪い笑みを深めながら、更に胡桃を触る手に力を込め、彼等に見せつけるように彼女を弄びだした。
「ブッフフフ?何って、この娘を愛でているんだよ?見て分かんない?分かんないか?お子ちゃまのボク達には理解できないよね?」
ブッフフフと気味の悪い笑い声を上げながら、男は胡桃の胸に手を伸ばし、ワキワキと揉みだした。
「やぁ!?ヤダァァァ!離してぇぇ!!」
「く、胡桃ちゃん!」
「ムホホホ?!堪りませんなぁ!この硬さのある揉み心地!それにこの悲鳴!物凄く興奮しますぞぉぉ!!」
更に興奮した様子で胡桃を弄ぶ男の姿と泣き叫ぶ彼女の姿に、剛は凄まじい怒りを感じた。そして、感情のままに男へと拳を振りかぶりながら突進していった。
「胡桃を離せぇぇぇぇぇぇ!!!」
突進する速度も加わり、勢いの乗った拳が男の脇腹へと刺さろうとした瞬間………。
「男はイラネ」
そう言って、男は事も無げに足を振りかぶった。
すると、その足は剛の腹部へと突き刺さると、そのまま体重40キロはある彼を、宙へと打ち上げて地面へと落下させた。
「グッ?!ガァァァァァァァ?!」
一瞬何が起きたか分からなかった剛だが、直ぐ様腹から伝わる痛みに悶絶し、地面に落ちた時にはその衝撃もあって、動くことができなくなっていた。
「つ、剛君!」
「剛君!!」
目の前で幼なじみの彼が吹き飛んだ事態に、何が起きたか分からなかった胡桃だが、尋常じゃない汗を掻いて悶絶する彼を見て、心配のあまりに金切り声に近い叫びを上げた。
「ブッフフフフ!男には用はないんだよね?っていうか、君ってこの娘の彼氏?最近の子供はマセてるねぇ?ホント腹立つ!あっ?でも、彼の前で君をNTRなーんて楽しいかもしれないなぁ?ブッフフフフ」
「て、てめぇ………」
その男が何を言っているのか、子供の彼等には分からなかったが、それでも胡桃が酷い目にあうことは容易に想像することができた。
なんとか胡桃を助けなければ………そう思うものも、剛の体は痛みにより上手く動かせずにいた。
ただの蹴りの一発で……そう考えると、悔しい思いが沸き上がってくる剛であったが、同時にその男が尋常な人間じゃないことを痛感していた。
いくら相手は大人であり、自分は子供とはいえ、明らかに運動不足気味な肥満体型の男が、子供の中では大きい方に入る自分を宙に浮く程に蹴り上げるなど普通ではなかった。
「な、なんなん……だよ……あんた……」
掠れる声で呟いた剛の言葉に、男は眉間に皺を寄せると、倒れる彼に近づき、その背を足で踏んづけだした。
「なっ!ガァァァァァ!!?」
「つ、剛君!」
剛が苦悶の声を上げ、胡桃が叫ぶ。
だが、男は気にする素振りも見せない。
足に力を込めながら、グリグリと背を踏む男の顔は、狂気と嗜虐心に満ち溢れた顔をしていた。
「全く!年上に!『あんた』って!言ってんじゃ!ないよ!ガキが!これだから!ゆとりってのは!バカばっかり!なんだよ!このバカが!バカが!バカが!バカが!」
狂ったように剛を踏みつける男に、胡桃は心の底から恐怖した。これまでに、これ程に醜くく、狂った男を見たことがなかった。
「あっ………ぐっ………」
「ハァハァ……このクソガキが!おっと!ごめんねぇ?ほったからしにしちゃって?じゃあ、お兄さんと遊ぼうかい?」
動かなくなった剛を見て、気が済んだのか、男は剛から足を離すと腕に抱えた胡桃に向かって、満面の笑みを見せた。
「や、やだ……離してよ………」
男の狂気にも近いその笑顔に、胡桃は心底恐怖し、必死に抵抗しようとするが、男は全くびくともしない。寧ろ、胡桃の抵抗を喜んでいる節さえある。
「ブッフフフフ離さないよ?せっかく手に入れた玩具だからね?やっと力の使い方に慣れてきてからの初の獲物。たっぷり味会わせてもらうよ?しかし、ボクちんはついてるなぁ!初めての狩りで委員長タイプとツインテ美少女の二人が手に入ったんだからね!」
舌舐めずりをしながら何かを言ってくる男に、胡桃は全身に鳥肌が立ち、とてつもない嫌悪感に襲われた。
「な、何を言って……るんですか?こ、こんな事したら………警察に捕まって………」
「ブッフフフフ!残念無念!此処に警察は来れないよ?だって此処はボクちんのテリトリー。誰も入ってこれない!それに、事が済めば、君達の記憶を消せばいいんだしね!」
ブッフフフフと得意気に語る男に、胡桃は戦慄した。
狂ってる。頭がおかしい。
常識が通じない上に、余りにも意味不明な事を言う男に、胡桃は恐怖と絶望感に苛まされた。
「ブッフフフフ……んっ?そうかい?じゃあ、早目にこの娘を頂いて、次の娘をたっぷり楽しもうかな?」
すると突然、男は何やら一人言……というより、虚空に向かって何らかの会話らしき事をした後、勝手に何やら結論を出し始めた。
一体誰と話してるの?
そう胡桃が思う間もなく、男は彼女の顔を自分の顔へと近付け始めた。
「なっ!?何をするのよ?」
「ブッフフフフ?何ってキスだよ?ホントはもうちょっと君で楽しみたかったんだけど、時間がないらしいから、君で補給させてもらうよ?そしたらお友達のツインテ少女と遊ぶんだ」
男の言っている意味は、やはり理解できなかった。だが、『キスをする』という言葉だけは理解できた。それを聞いて理解した瞬間、胡桃はこれまでで最大の抵抗を見せた。
「やだぁ!やだよぉ!助けてぇ!!」
目からは大量の涙を溢しながら、大声で泣き叫び、力の限り抵抗した。
しかし、足で蹴ろうが体を揺さぶろうが全くビクともしない。まるで、岩のように微動だにしないのだ。
「ブッフフフ!照れてるのかな?でも、大丈夫だよ?お兄さんが優しくエスコートしてあげるからね?」
そう言いながら、鼻息が荒く、目は充血し、興奮した様子で、己のすぼめた唇を少しずつ胡桃の口元へと近付けていった。
「いや………やだぁ………」
こんな男と……訳の分からない状況で初めてのキスを奪われる………。
それを想像しただけで、凄まじい絶望感が彼女を襲っていた。
そんなの嫌だ!そうは思っても、体は拘束されて逃げらない。彼女に出来るせめてもの抵抗は、目を閉じて視界を塞ぐことしかできなかった。
「おやおや?恥ずかしいのかい?じゃあ、そのまま目を閉じてな?直ぐに……終わるからね?」
目を閉じた暗闇の向こうから、男がそう言ってきた。それと同時に、顔の前に熱い何かが近づいてくるのが感覚でわかった。
恐らくは、男の顔がもう目前まで迫っているのだろう。
あぁ……もう、駄目だ………。
そう思った瞬間………。
「ぷぎぃ?!」
耳元近くで男の短い悲鳴が聞こえると同時に、体の拘束が解かれ、胡桃は地面へと着地することができた。
「あっ?あれ?」
何が起きたのかと目を開けば、先程まで自分を拘束していた男が、うずくまっていた。よく見れば、股間を抑えながらプルプルと震えていた。
「胡桃ちゃん!大丈夫!?」
「えっ?冬美?」
声の方を見ると、うずくまる男の背後に冬美がリコーダーを構えて立っていた。
恐らくは、そのリコーダーで背後から男の股間を強打したのだろう。
さしもの化け物じみた防御力を誇っていた男も、男の急所たる股間までは普通だったらしい。
「逃げるよ胡桃ちゃん!」
冬美は唖然とする胡桃の手を取り、一気に走りだして、男からの逃亡を図った。
「えっ?う、うん!あっ!まって、剛君が!」
「大丈夫!炎慈江留君が担いでいるから!」
「早く走るんです!」
見れば、剛の腰巾着こと炎慈江留が、動けない剛をしっかりとおんぶして走っている。
普段は卑屈で、剛の横で虎の威を借りる狐的な彼であるが、意外とやる時はやる男であった。
「とにかく、早くあの人から離れよう!何だかあの人……普通じゃないの!」
「見れば分かるわよ!てか、身をもって経験しちゃったわよ!ファーストキスが奪われる直前だったんだから!きっとあいつが噂の変質者よ!早く警察に知らせないと!」
走りながら叫ぶ冬美に、少し本来の自分を取り戻し始めた胡桃が、悪態を吐きつつ警察へ知らせようと提案する。
だが、冬美は首をフルフルと横に振ってその提案を断った。
「あの人……警察やなんかでどうにかなるとら思えないの………」
「はぁ!何言ってんのよ?」
「そうですよ!早く警察に知らせましょう!」
無論、そんな冬美の意見に直ぐに賛同する二人ではなかった。
そんな二人の顔を見ながら、冬美は少し考えてから呟いた。
「一緒にしたくないけど……あの人、リリちゃんと同じ感じがしたの………」
「はぁ!?リリさんとあの変態が?全然違うじゃないの!!」
「そうですよ!ハゲデブ中年のキモオヤジとリリがどう同じなんですか?生物的にも正反対の存在ですよ?!」
かなり毒舌な炎慈江留であった。
「分かんないけど……何か人間とは思えない感じがするの………。何か……大きな力というか……気配?みたいなのを感じるの……」
「………何それ?霊感か何か?」
さしもの幼なじみたる胡桃でも、冬美のこの発言には付いていけずにいた。
「分かんないよ……。こんなの初めてだし。ただ………」
「ただ………?」
「リリちゃんは、リリちゃん自身から感じたけど、あの人は本人からというより………背後から何かを………」
「どこに行くんだい?お姫様?」
冬美の言葉を遮り、前方から聞き覚えのある声………二度と聞きたくない男の声で、そう呼び止められた。
見れば、やはりというか、再び交通安全の看板がある通りへと戻ってきていた。
ただ、先程までと違うのは、その通りの真ん中に、例の男が額に青筋を浮かべて立ち塞がっていた。
「や、やっぱり……戻ってきちゃった……」
「な、なんでなんだよ……」
胡桃と炎慈江留が、絶望の表情を浮かべ立ち尽くした。
それと同時に、流石に気付きだしていた。
この異常な事態の発生源は、間違いなくこの目の前の男であることを。
「ブッフフフフ……逃げれる訳はないよ?言っただろ、此処は僕の『テリトリー』だってさ………」
男はニタニタと嫌な笑みをしながら、ゆっくりと冬美達へと近づいていった。
「な、何を言ってるんだ?」
後退りしながら、炎慈江留が男の言葉の意味に、質問を投げ掛けた。
何となくだが、この男は妙な方法で自分達をこの場に閉じ込めている。しかし、それがどんなトリックで、こんな異常な事態を起こしているのか……それが理解できない。
ならば、会話を通して少しでも情報を得られないだろうかと考えた質問であった。
鼠顔で、一見姑息なタイプに見えるが、意外と思慮深い炎慈江留であった。
そんな彼の質問に、男はピタリと立ち止まると、ニタニタとした笑みも引っ込めて無表情な顔となった。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ボクちんはねぇ、神様に選ばれたんだよ」
「神様に選ばれた?」
その瞬間に炎慈江留は思った。
『あっ。こいつマジでヤバい』と。
しかし、そんな態度を出せば、男が何をしてくるか分からないので、ここは刺激しないで話を流すことにした。
意外と空気の読める炎慈江留だ。
「そう……。僕は神に選ばれて、特別な力を得たんだ。今まで誰もが僕を邪険に扱い、僕という存在を認めなかった。親ですら、毎日毎日『働け』『自立しろ』だのと煩く喚いて僕を認めなかった………辛い日々だった」
男の話を聞いた炎慈江留は思った。
『あっ。この人、典型的な駄目人間じゃね?』と。
そして同時に思った。
『絶対にこうはなるまい。親と友人は大切にしよう』と。
彼は意外と人から見て学ぶタイプであった。
「だけど、つい先日。神が僕の下に現れて言ったんだ。『皆がお前を認めぬのは、皆がお前の才を妬んでいるからだ。だが、私はお前を認めている。お前の才を解放し、特別な力を与えよう』とね!」
その時のことを思いだしたのか、目をキラキラと輝かせ、笑いながら語る男に、炎慈江留は確かな狂気を感じゾッとした。
こいつはマジでヤバい。
多分、自分の想像で色々と思い込んでいる。自分が特別だと、自分は正しい、何をしても許される、そんな風に自分を正当化している狂った奴だ。
そう思い至った炎慈江留は、額から大玉の汗を流しながら、こんな狂った男の妄言に付き合ってられない。どうにかして、皆を連れて逃げなければと考えた。
しかし、そうすると腑に落ちないことがあった。男の妄想たる狂言と断じるには、この状況は不可解だった。
何度も戻ってきてしまう通学路。
異常な力と耐久力を持つ、肥満の男。
そのどちらも、妄言とするには、あまりに現実離れしたことであり、まるで男の言う『特別の力』とやらが現実で働いているかのようだったのだ。
「だけどね……そんな選ばれたボクちんに、君達は不敬を働いた………」
必死に状況の打破を考える炎慈江留の耳に、そんな男の声が聞こえてきた。
先程までの笑顔は消え、どす黒い怒りの感情を露にした顔で彼等を………正解には先程彼の股間を強打した冬美を睨んでいた。
「選ばれたボクちんに………このボクちんに!このクソガキがぁぁぁぁぁぁ!!!」
男は凄まじい憎悪を込めた絶叫を上げた。
「このクソガキがぁ!!せっかく可愛がってやろうとしたが止めだ!!テメェは神の贄に捧げて、エネルギーの補給原にしてやるぅあ!だが、その前にぐちゃぐちゃのメチャクチャに犯しつくしてやるぅあ!!」
怒りの形相で冬美を睨みながら、下卑た言葉を吐き出す男に、冬美は恐怖から顔面蒼白となって後退りした。
「ふ、冬美!に、逃げるんです!ここは僕がなんとかします!」
炎慈江留はそんな冬美の前へと進み出て、彼女を男の視界から庇うように立ち塞がりながら、逃げるように叫んだ。
正に勇者のようなイケメン的行動であるが、如何せん彼は鼠顔なので、何とも格好がつかないでいた。
「で、でも………」
「胡桃さん!冬美さんを連れて逃げて下さい!」
逃げる事に躊躇す冬美を連れて逃げるように、炎慈江留は胡桃に彼女を連れて逃げるように指示をした。
マジで行動や言動はイケメンであった。
「で、でも炎慈江留と剛は………」
「炎慈江留……降ろせ………」
戸惑う胡桃の声を、炎慈江留の背に背負われていた剛が遮った。
「剛君?!」
剛の指示に従い、炎慈江留は彼をゆっくりと降ろすと、剛はヨロヨロとしながらも立ち上がり、胡桃の前へと進み出た。
「胡桃……行け……ここは俺達が何とかするからよ………」
剛も剛で、イケメンな行動に出た。
「で、でも……剛………」
尚も戸惑いを見せる胡桃と冬美に対し、剛は有らん限りの声で叫んだ。
「とっとと逃げろ!!この変態の狙いはテメェらなんだ!こいつをどうにかしようにも、テメェらがいれば足手まといだ!とっとと行け!!そしたら何の心配もなく、こいつをブチのめせるんだ!!」
剛もマジでイケメンだった。小学生でこれだけの事を言えるのは、驚きである。
「剛………君………」
涙目になりながら剛の背中に呟く胡桃に、剛は後ろを見ずに絞り出すような声で呟いた。
「頼む………逃げてくれ……せめて、惚れた女の1人くらい守らせてくれ………」
とても小学生三年生の台詞ではなかった。
彼は一体、どのような教育と家庭環境の末に、このようなドラマの主人公的な発言ができるようになったのだろうか?
「剛………バカ………」
そう呟いた胡桃は顔を真っ赤にし、ボロボロと涙を溢しながら剛に背を向けた。
「行こう………冬美………」
「胡桃ちゃん………」
胡桃は心配そうにする冬美の手を取り、前へと進み出した。
だが、2、3歩歩いたところで立ち止まると、前を見据えたまま剛へと呟いた。
「今は返事はしない………だから………絶対に無理しないでよ………」
「あぁ………分かってるよ………」
今一度確認しよう。
彼等は小学生である。
決してドラマの主人公でも、子役でもない。
やがて、別れを済ませた胡桃は、足早くその場を離れだした。
残された男子二人は、胡桃達を追わせまいと、男の前へと立ち塞がった。
正直、ここから逃げ出せるかは分からない。
恐らくは、再び戻ってきてしまうことは予想できたが、それでも彼女達を逃がさずにはいれなかったのだ。
「へっ!剛君……カッコいいですね?僕はどこまでも付いていきますよ!」
「炎慈江留……すまねぇな………」
二人は横に並んで男を睨み付けながら、そんな短いやり取りをしていた。
本当に小学生かと疑いたくなる二人である。
「ブッフフフ?女の子を庇ってるつもりかい?だったら無駄だよ?どちらにせよ、ここからは出られないからね」
これまでのやり取りを見ていた男は、吐き捨てるようにそう言うと、何やら腕を上げて奇妙な構えを取り出した。
「な、なにを………?」
その奇妙な構えに危機感を抱いた炎慈江留が問いかけた。
すると、男はにやついた笑みを見せた。
「もうさ……なんだか面倒だから、さっさっと片付けちゃうよ。お前らの行動が、全部無駄だってことを教えて上げるよ!……さぁ、ボクちんの声に応えろ!出てこい!『アブラシボリ』!!」
いきなり男が意味の分からない言葉を叫んできたので、一体なんのことだと唖然とする剛達であったが、そんな彼等を凄まじいプレッシャーが襲った。
「な、なんだ?!」
「わ、分かんないです……けど、急に寒気が?!」
剛達は、突然の謎のプレッシャーにより、全身が押し潰されるような感覚を覚えるとともに、震えと冷や汗が止まらなくなった。
このプレッシャーは何なんだ?
震える体を必死に抑えながら、視線を何とか男の方に移すと、その男の背後で変化があった。
男の背後の空間が歪み、亀裂が入ったのだ。
その異常な事態だけでも驚愕だというのに、更に亀裂からは謎の赤黒い液体が溢れだしたのだ。
溢れ出したその液体は、まるで意思があるかの如く動きだし、一塊になると何かの形をつくり始めた。
それは何やら巨大な人型のようなものへと姿を変えていく。
やがて、暫くすると男の背後には異形の存在が立っていた。
高さにして3メートル程、基本は人間のような形をしているが、妙に足が細長く、肌は赤黒く、表面はヌメヌメと粘ついている。顔はのっぺりとしており、鼻や耳といった器官は無く、ギョロりとした黄色い1つ目があるだけだ。そして、最大の特徴は手であり、複数の長い手が、タコの触手のように蠢いているのだ。
「な、ば、化け物………」
予想だにしない異形の登場に、流石の剛達も腰を抜かし、地面にへたり込んだ。
「化け物とは失礼だな?これは神様。ボクちんの神様のアブラシボリ様だよ」
男は得意気な顔でアブラシボリと呼ぶ存在を彼等に紹介した。
『早速私を呼び出せるまでに至るとは……。流石だなコウジよ。だが、実体化は消耗が激しい……長くは顕現できぬ。要件は早目に頼むぞ』
すると、アブラシボリと呼ばれた存在は、流暢に喋りだした。
「なっ!しゃ、しゃべ………」
「ブッフフフフ!それは安心してよ!ちょうど贄になりそうな奴らを捕まえたんだ!ホラ、見てよ?」
アブラシボリなる存在が、人間のように喋ったことに驚く間もなく、男……アブラシボリにコウジと呼ばれた者は、まるで子が親に手柄を報告するように、剛達を指差しながら得意気に報告をした。
『ほう……それは、それは。流石だなコウジよ。私の与えた力……神隠しの結界を、こうも早く使いこなすとは………やはり、お前の才能は素晴らしい』
「ブッフフフフ!そうだろ?」
大袈裟な身振り手振りでコウジを褒め称える異形と、それを当然とばかりに受け止める光景に、剛達は唖然とするしかなかった。
『それで……私を呼び出したのは、ただ贄を与えるだけではあるまい?』
「ブッフフフフ!そうなんだよ!聞いてくれよ!あのクソガキ共が、選ばれた存在たるボクちんに対して、暴力を振るったり、馬鹿にしてきたりするんだよ!」
『ホウ……それは許せんな………それは罰を与えねばあるまい』
「流石は神様!分かってるね!」
コウジの報告を受けたアブラシボリは、その視線を剛達へと向けた。
『神に刃向かう愚者共め……己の犯した罪を償わせてやろう』
そう宣言すると同時に、アブラシボリの全ての腕がまるでバンジーのゴムのように伸び、高速で剛達へと迫ってきたのだ。
突然の出来事に全く反応できなかった二人は敢えなくその腕に捕まり、腕や足、胴周りといった体のあらゆる箇所を拘束され、そのまま空中へと持ち上げられた。
「なっ?ぐがぁ?!」
「い、いだい!し、しまるぅ!?」
拘束された箇所を、ギチギチと締められ、二人は苦悶の声を上げた。
「ブッフフフフ!いい様だね!ねぇ、どんな気分?格好つけてボクちんの前に立ったのに、一瞬でやられちゃってどんな気分?」
アブラシボリに拘束された二人を見たコウジは、心底おかしそうに笑っていた。
剛は、そんな腹を抱えて笑うコウジを睨みながら必死の抵抗をしたが、掴んでくる腕は拘束する力を緩める気配はなかった。
寧ろ、抵抗すればするほどに、更に力が込められ二人を締め上げていった。
「ぐぁぁぁぁ………」
『抵抗するな、これは神による正当な神罰である。己が犯した罪を自覚し、この罰を受け入れるのだ』
剛は痛みにより、額から大量の脂汗を流しながら、そう宣言して締め上げてくるアブラシボリの顔を見た。
そして、その顔を見た瞬間に思った。
楽しんでやがる。
アブラシボリの顔は、単眼しかないので表情が分かりにくいが、それでも理解できる程にそいつの目は醜く歪み、今の痛め付ける状況を楽しんでいることが読み取れた。
剛は、この目の前の神と自称する存在が、自分達を痛め付けることで嗜虐心を満たしているのを感じ取ったのだ。
「くそ………が………」
そう悪態をついた捕まったらだが、アブラシボリはその悪態すらも楽しんでいるようであった。
『口が悪いな。コウジよ、この子供は贄として貰っても良いのだな?』
「いいけど……たっぷり痛め付けてからね?あっ!その前に、もう二人逃げた女の子がいるんだ。その二人を捕まえて、こいつらの前でぐちゃぐちゃにしたいんだけど?凄く楽しそうじゃない?」
最低最悪な事を、楽しげに口にするコウジに、剛は睨み殺さんばかりの視線を送る。
「や、やめろ……あい……がぁ?!」
『フム……。確かにそれは神罰として有効な方法であろう。よし、直ぐにその娘らを捕獲するか』
「頼むよアブラシボリ!特に、あのツインテ少女は、思う存分にぐちゃぐちゃにしたいからね!」
声を絞り出して止めようとしたが、掴まれた腕を強力に締め付けられて声にすることができやかった。
その間も、コウジと神を自称するアブラシボリは、神罰と称した下卑た考えを実行に移すところであった。
『さて………では早速………』
アブラシボリは、体から更に複数の手を生やし、それをワキワキと動かしながら、胡桃達が去って行った方の道へと伸ばしだした。
それを見た剛と炎慈江留は、それだけはさせまいと痛みを堪え、必死に暴れて抵抗を始めた。
それにより、アブラシボリは体を揺さぶられ、上手くバランスを取れずにいた。
『ムッ?こやつら?』
「何だよ、急に抵抗しやがって………。うざったいったらないよ………なっ!!」
「ゲフッ?!」
そんな抵抗をする剛達に苛ついたコウジは、身動きがとれない剛に近寄っていき、その腹を力一杯に殴った。
「まったく!大人の!厳しさを!知れよ!クソガキが!」
「げふっ?ぐふっ!がふっ!」
コウジは鬱憤を晴らすように、何度も何度も剛の腹や顔面を殴り続けた。
『コウジよ……そのままでは死ぬぞ?殺してしまっては、油を絞りとれなくなる。ほどほどにしておけよ』
「はぁ、はぁ……分かってるよ」
「うぐぅ……あぁ………」
「つ、剛君!剛君!!」
やがて、アブラシボリの制止の声もあり、気が済んだコウジは拳を収めた。そして、ボロボロとなって動く気力がなくなり、苦悶の声を漏らす剛の顔に唾を吐き掛け、アブラシボリの隣へと戻っていった。
「全く……手間を掛けさせやがって………」
『良い手際だな。それでは少女達を捕まえるとするか』
「あぁ頼むよ。でも、楽しみだなぁ。あの女の子をぐちゃぐちゃに楽しめると思うと!」
『気が済んだなら私に回せ。私の食料たる油も、女の子供の方が美味だからな』
「分かってるよ」
強打された顔や体の凄まじい痛みにより、剛の意識は急速に薄れいった。
だが、不思議とコウジとアブラシボリの下卑た会話や、自分を必死に呼ぶ炎慈江留の声だけはよく聞こえた。
故に、悔しいと思った。
なんにも出来ない自分が情けなかった。
好きな女の子1人を守れない自分が嫌になった。
どうにかして、皆を守ってやりたかった。
だけど………自分では何もできない………。
もう、動くことさえできない………。
だが、皆は守りたい………。
そんな強い思いがあったからか、剛は自然と口からその言葉を漏らしていた………。
「だ…れか…たしゅ…けてやって……くれ」
『では、少女らを探し………な、なんだこれは?!な、何故気付かなかったのだ?』
「んっ?どうしたのアブラシボリ?」
急に慌てた様子で大声を上げるアブラシボリに、コウジは訝しげな様子で尋ねた。
『これは……私の結界がやぶ………』
アブラシボリは言葉を全て言い切れなかった。
何故ならば言葉を言い切る前に、何かがか彼の胸元に現れ、勢いよく後方へ吹き飛ばしたからだ。
『ゴボァァォァァァ?!』
土煙が上がり、絶叫を上げながらアブラシボリは後方へ吹き飛び、地面へと無様にゴロゴロと転がった。
剛と炎慈江留は幸いなことに、吹き飛んだ拍子に力が抜けたのか、拘束から解放されて地面へと転げ落ちた。
「ア、アブラシボリ………?」
コウジは唖然としながら吹き飛ばされたアブラシボリを見ていた。
一体何が起きたのか?
そう疑問に思うのは当然である。
何せ、剛や炎慈江留にも、何が起きたのか分からないのだから。
「ゴホッ!な、何が?剛君!大丈夫ですか?!」
「ゴホッゴホッ……何とか………」
土煙にむせながら、二人は互いの安否を確認し、ホッとする。しかし、一体何が起きたのか?二人がそんな疑問を考えていると、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「剛!!大丈夫!ってボロボロじゃないの!」
「炎慈江留君も!!」
「………胡桃?」
「冬美さんも………」
そこには涙目で此方を見る、胡桃と冬美の二人がいたのだ。
逃がした女子二人が戻ってきたことに、嬉しさを感じつつも、直ぐに怒りが沸いてきた。
何故戻ったのか?ここはまだ、安全とは言い難いのに。
そう考えた剛は、直ぐに逃げるように叫ぼうとした。
だが、それは次の瞬間、胡桃が彼を抱擁してきた事で防がれてしまった。
「お………おい胡桃?」
突然の胡桃の行動に、動揺すると共に、剛は耳まで真っ赤にして照れてしまう。
「ばか……何がぶっ飛ばすよ……反対にこんなボロボロになって………」
しかし、泣き声混じりの声で胡桃が耳元でそう呟いてきたことで、急に冷静さを取り戻すことができた。
「すまねぇ……でも、あぁしねぇといけないと思ったんだ………」
剛は胡桃を落ち着かせるように、背をポンポンと叩きながら、お前を守りたかったのだと呟く。
もう、本当に小学生の会話ではない。
「分かってる………ありがとう………」
暫し抱き合いながら、互いの無事を祝っていた彼等だったが、剛がハッとすると共に胡桃を引き剥がした。
「こんなことしてる場合じゃねぇ!何だか分からないが、あの化け物が吹き飛んだうちに逃げるんだ!まだ、あいつらはやられた訳じゃねーし、お前らの安全が保証された訳じゃない!だから早く………」
「大丈夫だよ」
剛の言葉を遮り、冬美がそう呟いた。
「大丈夫って………どういう?」
冬美の言葉の意味が分からず、剛と炎慈江留はキョトンとして聞き返した。
そんな二人に対し、冬美はニッコリと微笑んだ後、まだ土煙が舞う道の真ん中を真っ直ぐに見据える。
「来てくれたから」
「来てくれた?」
誰が?と続けて剛は聞こうとした。
が、冬美の視線に合わせ、段々と晴れてきた土煙の中を見た。そして、こちらに背を向けて佇む1人の人影を見て、言葉を飲み込んだ。
誰か聞く必要はない。
その人物は、彼も良く知る人物だから。
だからこそ、剛はその人物を見て目を見開いて驚愕する。
「なんで………あいつが………?」
剛は、心の底からの『何故?』という思いを呟きながら、その人物を注視した。
その、髪も肌も白く、赤い眼をした少女の姿を………。




