36話 手に入れし勝利(醤油)
見知らぬ天井が見えた。
【剛腕猿人】こと郷田が目を開いて抱いた最初の感想はそれだった。
「我は‥……」
「目が覚めたかしら?」
自分の呟きに、聞き覚えのある声が返答をしてきた。
郷田は顔だけを動かし、声のする方向を見ると想像通りの人物が自分を見下ろしていた。
「女帝‥……」
女帝‥……佐沼 秋子が、そこにはいた。
「気分はどうかしら?」
「‥……悪くは無い、寧ろ晴れやかな気分だ」
郷田は、自分でも理解できない程に心晴れやかな気分になっていた。
「そう?ならよかったわ」
秋子も秋子で、先程まで激闘を繰り広げていた相手に対するとは思えない程軽い態度で話をしていた。
「我は……負けたのか?」
郷田の質問に、秋子は何も答えなかった。
「そうか‥……負けたのか」
だが、郷田は秋子の目を見ただけで、自身が敗北したのだと確信し、視線を再度、天井へと向けた。
「で‥……我は気を失っていたのか。どれ程意識がなかったのだ?」
「1分程かしら?」
秋子はチラッと時計を見てから郷田へと答えた。
「そうか…‥…‥……意識まで失い、不様に倒れているのであれば、最早我の完全なる敗北を認めざるを得まい。完敗だ女帝よ……見事だ……」
郷田はフッと笑いながら目を閉じ、秋子の勝利を祝福した。
「ありがとう。だけど、この勝利は私1人だけで得たものではないのよ?」
「どういうことだ?」
祝福した直後に、秋子からの予想外の返答に、郷田は眉をひそめながら視線を再び秋子へと戻した。
「そのままの意味よ。今回の戦いを勝ち抜けたのは私を支えてくれた人達……お父さんに麗香……私の家族がいたからこそ、私は頑張れたし、諦めずにすんだの」
秋子は既に醤油を手にして、こちらへと手を振る麗香を見ながら答えた。
「郷田さん……あなたはさっき、『愛』はまやかしだと言っていたけど、そうじゃないわ。
人はね、自分1人だけの力では何もできないし、限りがある。だけど、家族・友人……愛すべき人達がいるからこそ、人は守るために戦えるし、限界以上の力を出せる‥……」
秋子の言葉を、郷田は何も言わずに黙って耳を傾けていた。
「何よりも、愛すべき人達がいるからこそ、『負けられない』と思えるの」
「負け‥……られない‥……」
郷田はボソリと秋子の言った言葉を呟いた。
「だからこそ私は勝てた。確かにあなたの力は凄まじかったし、脅威を感じた。
でも、ただそれだけ。思いの込められていない力だけの拳は流れが読みやすく単調だった。故に、私は回避しながら攻撃パターンを読んで、解析が終了した所でわざと隙をつくって誘いこみ‥……」
「必殺のカウンターを放ったわけか‥……」
秋子の言いたいことの先を予測して、郷田が話をつむいだ。
「えぇ、そうよ。だけど、解析が終わるまで諦めずに耐え続けられたのも‥……」
「家族‥……愛すべき者のため‥……か‥……」
郷田の言葉に秋子は静かに頷いた。
「なるほど‥……我は貴様とだけ戦っていたつもりであったが‥……フフフ‥……貴様の家族とも戦っていたようなものか‥……それは勝てぬはずだな‥……」
郷田は自嘲気味に笑いながら天井を見た。
「我は、力こそが全てと考え、力を得ようと鍛え続けてきた。しかし‥……いつの間にか我は、鍛えた己の力に飲まれていなのやもしれぬ‥……故に周りが見えず敗北した‥……」
郷田は目をスッと閉じた。
「力だけに拘り、守るべきものも無い我が……貴様に勝てる筈もなかったな、女帝よ……」
郷田は目を開き、虚ろな視線で秋子を見た。
その目からは、先程までの荒々しさが嘘のように生気を感じさせなかった。
「確かに……あなたは今回、自分の力を過信して自分だけを信じて私に挑んできた‥……。
だけど、だからといって、あなたに『守るべき者がいない』というのは違うんじゃないかしら?」
「どういうことだ?」
郷田がキョトンとしながら、秋子の言葉の意味を知ろうとした時‥……。
「母ちゃん!」
「おかあちゃん!」
「かあ~ちゃん」
「ババア!」
「おっかちゃん!」
「か~ずこ~」
と、5人の丸坊主やオカッパの男女の子供達と、眼鏡を掛けた痩せぎみの中年男性が、郷田へと走り寄ってきた。
「うぬら?」
そう、郷田の子供達と旦那である。
「母ちゃん痛くない?大丈夫?」
「おかあちゃん!おかあちゃん!」
「か、母ちゃんを虐めるな!」
「和子!心配したぞ!」
郷田の家族は、郷田へと駆け寄るなり、介抱したり、泣きついたり‥……中には秋子へと立ち塞がり、郷田を守ろうとする者もいた。
「うぬら‥……」
「分かったでしょう?あなたは力に目を奪われて、見えていなかったけれど、あなたにも守るべき家族がいる。そもそも、タイムセールに出ている時点で、あなたは無意識のうちに家族を養い、守ろうとしてたんじゃないかしら?」
秋子の言葉に郷田は目を見開き、自分を囲む家族達を見た。
「「「「「母ちゃん!!」」」」」
「和子‥……」
その瞬間、郷田は何故自分があなたはに敵わなかったのかを、心の底から理解がすることができた。
「あぁ‥……なるほど‥……これは敵わぬ訳よ」
郷田は、秋子の方を向き、これまで見せたことのないような満面の笑みをした。
「完敗だ……力も心も……全てにおいて完敗だ女帝よ……いや、秋子よ!!勝利(醤油)は全て貴様のものだ」
その郷田の姿は、まるで憑き物でも落ちたかのように晴れやかなものであった
「ありがとう、それじゃあお先に失礼するわね」
秋子はそう言うと、郷田へと背を向けて、醤油のカートへと歩みだした。
そんな歩く秋子の背後を見送った後、郷田は家族達へと視線を戻した。
「すまぬな‥……うぬらにも心配を掛けた……」
「そんな事ないよ!オイラ達は大丈夫だよ」
「そうだぜ!母ちゃん!」
「今回は負けちまったけど、次は勝とうぜ母ちゃん!!」
「和子‥……俺は減塩醤油じゃなくても大丈夫だから‥……」
郷田の周りで子供達や夫が、口々に元気づけてくる。
その光景を見て、郷田は理解した。
(そうか‥……これが‥……今、我が感じるものこそが‥……『守りたい』と思い‥……か)
「あぁ……あぁ、そうだな!次こそは我が勝つぞ!勝って、次こそは、うぬらに勝利を捧げようぞ!」
郷田は、先程までの敗北した雰囲気など消し飛ばし、高らかに自らの家族へと宣言した。
「母ちゃん……」
「おかあちゃん‥……」
「和子‥……」
そんな郷田を見ながら彼女の家族は‥……。
「取り敢えず、その言葉使いをどうにかしようよ!」
「そうだぞ!どこの覇王様だよ!本当にやめてくれよ!!」
「3者面談の時も、その言葉使いで先生が唖然としてたんだよ!」
「和子!頼むから止めてくれぇ!正直恥ずかしいから!」
予想外の反応を示した。
「う、うぬら、何を?!」
「だから止めろって!」
「恥ずかしいから!マジで!」
「おがあちゃーん!!」
「我は、我は止めぬぞ!この喋りは止めぬぞおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
敗北した時よりも、悲痛な叫びが木霊した。
◇◇◇
「終わった、ママ?」
こちらへと向かってくる母 秋子へと麗香は微笑みなが聞いた。
「えぇ、終わった麗香」
秋子もまた、微笑み返しながら麗香へと答えた。
「中々の激戦だったね?まぁ、ママが勝つとは思っていたけれどね」
「あらあら?嬉しいことを言ってくれるわね?でも私も正直、麗香がいなかったら危なかったわ。ありがとね麗香」
秋子は麗香へと礼を述べると、麗香は照れくさそうにしながら顔を、赤らめた。
「も、もうママ!止めてよ!家族なら助け合うのは当然でしょう?あっ、それよりも!はい醤油!」
麗香は誤魔化すように、手に持っていた醤油を秋子へと手渡した。
「あら?ありがとう。それじゃあ、お会計を済ませて帰りましょうか?夕飯の準備もしなきゃいけないものね」
「そうだね!早く帰ろう!そういえばパパや魔王くんは何処に?」
と、麗香は辺りをキョロキョロと見渡す。
「あらあら?あそこにいるわよ?」
秋子は健三達の姿を見つけ、店内の片隅を指差しながら麗香へと語り掛けた。
「あっ!本当だ!パパと魔王くん‥……って、なんで体育座りしてるの?」
母が指差す方向を見た麗香の目に入ってきたものは、何故か店内の隅で並んで体育座りして固まっている、魔王・健三・ハルンの姿であった。
【用語解説:その10】
【魔物】
生物の進化の過程において、大量の魔力の影響を受けて、異質な進化を遂げた生物。
体内の魔力が通常の生物(人間・動植物)よりも非常に高く、その魔力に耐える為に、体のつくりも相応に強靭かつ頑強にできている上に、知能の高いものは、魔法を使う場合もある。
魔物は体内の何処かに魔核という魔力の結晶が存在し、その魔核を破壊されると体内の魔力のコントロールが困難となり死亡する。尚、この魔核は魔術の触媒等に使用するため、ものによっては高値で取引される。




