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90話 撤退戦 決意と覚悟

よろしければ、ご意見・ご感想をお待ちしております。

「ハッ………………………?」


  ウルファルモはダークシュナイダーⅣ世の報告に暫し唖然とする。


  それもそうだろう。全体の部隊としては少数だが、それでも城壁上に残っている人間の戦力と比べれば圧倒的ともいえる数を送っていた筈なのだ。


  それが全滅。


  直ぐに飲み込めるような話ではない。


  だが、流石に軍の副官を勤めるだけあって頭は中々柔軟だったらしい。ウルファルモは暫し唖然としていたが直ぐに我を取り戻し、報告してきたダークシュナイダーⅣ世へと問いただした。


「じょ、城壁上の部隊がぜ、全滅?どういうことだ!?城壁上にはそれなりの部隊がいた筈だし、敵の兵力は少なかった筈だ!そ、それが全滅?意味が分からん!!何かの間違いじゃないのか!?」


「ま、間違いではない………………ピョン!城壁上からの報告も途絶えているし、空を飛べる鳥魔人からの偵察で城壁上には………生きた魔族はいない………との報告がきたピョン………」


  慌てたように問いただすウルファルモに、ダークシュナイダーⅣ世は間違いないと断言する。


  その真剣な様子に、ウルファルモは情報は間違いのないものであると確信するしかなかった。それに、そもそも嘘をつく理由もない。


「本当に………間違いないんだな………」


「この耳でしかと聞いたピョン」


  ダークシュナイダーⅣ世は、己の長いウサ耳を指差しながら肯定する。


  これ以上ない説得力である。


「ぐっ………城壁上の部隊が全滅………。信じがたいが真実なのだろう………」


  そうなれば、最早ここに留まる必要はない。一刻も早くこの場から退却し、拠点を置いているバグラムまで退くべきである。


  そう判断したウルファルモは、全軍に撤退を掛けるべく迅速に動き出す。


「ダークシュナイダーⅣ世!何度も済まないが各部隊に伝令を頼む!直ぐにでもこの場を撤退し、バグラムへと向かう!各隊長クラスに撤退準備をするように伝令をしてくれ!」


「了解だピョン!」


  ウルファルモは再びダークシュナイダーⅣ世へと伝令をするように頼んだ。これにダークシュナイダーⅣ世は応え、直ぐに部下達も使い、伝令のために部隊へと向けて走り出していく。


  その去り行く背を見送った後に、ウルファルモ自身も指揮を取るべく動き出した。


  まず、近くで防御に徹していた第4・5軍の指揮を執っているカルビへと呼び掛ける。


「カルビ!聞いていたな?城壁上の部隊は全滅した!最早ここに留まる理由はない!直ぐにでも全部隊を撤退させる準備に掛かる!その間、何としてでもこの場を守りきれ!」


  ウルファルモがそう指示を出すと、カルビは己の胸をドンッと叩きながら返答する。


「委細承知した!幸いにして、この軍は守りに優れた牛獣魔人ミノタウロス族と豚獣魔人オーク族、それに機動性に長ける鳥魔人ガルーダ族が数多くおります!撤退準備が整うまで、この場を守りきって見せましょうぞ!!」


  カルビの自信満々なその態度に、ウルファルモは心にある不安が少しは削がれ、ささやかな安心感を得ることができた。


「では、この場は任せるぞ!私はこれより撤退準備の指揮に取り掛かる!」


  ウルファルモはそれだけ言うと、この場をカルビに任せ、身を翻して残された軍の指揮を執るために軍の中心目掛けて走り出していく。


  それを横目で見送ったカルビは、今尚こちらに攻撃を仕掛けてくる聖王国軍を睨み、手にした巨大な斧を掲げながら前線で戦う兵達に聞こえるような大声で叫んだ。


「第4・5軍の勇猛なる戦士に告ぐ!!これより、我らは全部隊が撤退するまでの時間を稼ぐ!!味方が退くまでの時を、一分・一秒でも多く稼ぐのだ!!皆、剣を、槍をとれ!爪を掲げよ!牙を剥け!魔族の戦士達よ!勇猛なるその闘志を、人間共に見せつけてやるのだ!」


「「「応よ!!!」」」


  防衛戦という厳しい戦いを強いられる軍に対し、カルビが指揮を上げるために大きく檄を飛ばす。これに全軍が野太い声で応え、さらに守りを固め、迫る敵を突く手数を増やす。


  膂力と体格に恵まれ、門番や守衛といった守り役を得意とする、牛獣魔人ミノタウロス達が前衛に出て、盾や斧で敵を押し留める。


  牛獣魔人ミノタウロスよりも体格は小さいが、体力と腕力、それに連携に優れた豚獣魔人オーク達が見事な陣形を組みながら敵に向かって槍や剣をもって突いていく。

 

  聖王国軍の頭上からは、機動性に優れた鳥魔人ガルーダ達が弓や槍にて敵を牽制したり、鋭い足の爪による急降下の一撃離脱攻撃により、少しずつ戦力を削っていく。


  それぞれが得意な分野を駆使し、傷付きながらも、眼前に迫る数万の聖王国軍をこれ以上は行かせんと、その進軍を阻むために各自が奮戦する。


  すると、段々と聖王国軍の先の勢いは目に見えて衰えていき、その進軍速度は段々と緩やかなものとなっていった。


  人間の兵達の疲労や、突撃時の勢いがなくなった………というのもあるだろう。しかし進軍速度が緩やかになった理由はそれだけではなく、魔族達が持つ高い身体能力にあった。


  人間以上の力を持つ魔族が互いに力を合わせることで、圧倒的な数の人間の軍との押し合いに、奇跡的にも拮抗することに成功したのだ。


  そして、遂には聖王国軍の進撃を完全に封じる事に成功したのだ。


  だが、それに対しカルビは喜びはしなかった。


  寧ろ、より険しい目付きで己の部隊を睨んでいた。

 

  カルビはそれなりに戦場を渡り歩いている戦士だ。死地にあったのも一度や二度ではない。戦場における酸いも甘いもそれなりに知っているといえる。


  そんなカルビ故に、数の恐怖というものがどれ程のものかも良く知っている。


  魔族は確かに個の力としては大抵の人間を上回っている。


  人間以上の力で、軽々と自身の何十倍もの巨石を持ち、放り投げれる者がいる。


  人間以上の速度で走れ、風のように目にも止まらぬ早さで戦場を駆ける者がいる。


  人間以上の魔力を持ち、人間の魔術士十人掛かりで行使する魔法を、単体で難なく扱える者がいる。


  魔族とは、個としての能力は、人間よりも高い位置にいる存在といってもよい。


  だが、個にも力の限界がある。


  いくら優れた力を有していようとも、相手にできる敵の数は限られるし、大量の敵が息つく暇も与えぬ間断ない攻めをしてくれば、いずれは疲弊し隙を突かれることとなる。


  そうなれば、最早敗北以外の道はない。


  故に数をもって強大な敵を討つ軍というものがあり、その軍を動かす戦略等といったものも存在するのだ。


  数の暴力とは決して侮れないものなのだ。


  ………………中にはカトラのような個で軍を相手にできるような異常な存在もいるが、それは極一部の希少な例外である。


  そしてそんな希少な例外を除き、今の状況を踏まえた上でカルビは予想していたのだ。


  このままの膠着状態も、そう長くは続かない………と。


  今は何とか踏みとどまってはいる。だが、それは今の魔族の部隊の損害が少ない上に疲弊していないからだ。


  その状態にあるからこそ、何とか奇跡的にも拮抗できている。


  しかし隊が疲弊し、何処かで綻びが生じれば………恐らくは決壊した川の堤防から水が溢れる如く、聖王国軍が優位を誇る数をもって、怒涛の勢いで強引に攻めてくる。


  そうなれば、中で撤退準備をしている部隊等はひとたまりもない………。


  それだけは何としても阻止しなければならない。


  故に、カルビは部隊を粒さに見渡し、少しでも綻びが生じてはいないかと、常に観察をしていたのだ。


  そして、カルビはそんな綻びを見つけたら、直ぐにその場の指揮官へと向けて指示を出していく。


「ハラミよ!右の前衛が疲弊してきている!後衛と入れ換えて休ませよ!」


「了解!兄貴!」


「トントロ!左の方が手数が足りぬ!中央の部隊を左に寄らせてくれ!」


「わかったでブヒィ!!」



「テバサキ!もっと弓を射かけろ!敵の連携を防ぎ、撹乱させろ!!」


「合点承知でコケッコー!!」

 

  そのカルビの指示に、名を呼ばれた指揮官は反論することなく答えていき、キビキビと部隊を動かしていく。


  その甲斐があり、軍は瓦解せずに何とか最良の状態を維持していた。


  それらの様子をカルビは険しい表情で油断無く見ながらも、内心では安堵の息を吐く。


(何とか前線は保っている………暫くは大丈夫だろう………。だが………)


  カルビは一瞬だけチラリとウルファルモが去っていった中央を見た。


(長くは保ちません。ウルファルモ殿………どうかお急ぎを………)

 

  今の全軍の指揮をとるウルファルモへと撤退の速やかな行動を願いなら、カルビは前線の防衛の指揮をとり続けた………。


 





 ◇◇◇◇◇◇



  魔王軍の中心部………そこでは到着したウルファルモが、全軍を速やかに撤退させるべく、忙しなく指示を飛ばしていた。


「急げ!速やかに撤退の準備を整えろ!天幕等の荷は捨てていけ!少しでも足をはやめるんだ!荷物は食糧や武器などの最小限に納めさせろ!」


「副官!負傷者はどうしましょう?」


「軽傷の者で動ける者は自分で走らせる!重傷の者や動けぬ者に関しては、騎獣に荷車を牽かせてそこに乗せろ!」


「捕虜はどうしましょう?」


「捨て置け!こちらの身動きが封じられるし、神の御使いを語る狂信者相手には、人質は通用しない!!」


  ウルファルモは質問をしてくる部下達に、迅速な指示を与えていく。


  邪魔な荷物を排除し、負傷者の搬送準備を行い、足の早い騎獣等の準備。足手纏いになる捕虜への対策。そして撤退する部隊の編成及びその順番………それらの指示を、淀み無く部下達に与えていく。


  やることや指示にすることが無数にあり、正に目の回る忙しさであった。


  だが、ウルファルモはそれらの全てを順当に処理していき、着実に全軍の撤退準備を整えていく。


  今は少しでも早く撤退準備を進め、損害を少なくした上で、敵軍に攻め込まれる前に、この場をいち早く離脱しなければならない。


  そうでなければカトラという規格外に、身を翻して足止めしてくれているナゲーナ団長に申し訳がたたない。


  ウルファルモは必死に頭と口を動かし、部下達へと指示を飛ばしていく。


  部下達も的確なウルファルモの指示に素直に従い、手早く撤退準備を整えていく。


  部下達も部下達で、先の軍が半壊する程の大魔術に、ただ事ではない事態が起きていることは理解していた。それがどういったものなのか、詳細までは分からない。しかし、ナゲーナ団長が姿を見せず、ウルファルモ副官が指示をしているあたりで、かなりの大事が迫っていることは予感していた。


  故に、ウルファルモの撤退の指示に、皆が何の反論もすることなく、テキパキと迅速に動いて準備を進めていく。


  やることは陣幕や天幕の類。持参した攻城兵器類の破壊・投棄。使える携帯武器の確保。怪我人の移送準備と………いったものである。


  そして、そんな皆の協力の甲斐あり、ウルファルモの想像よりも早い時間で撤退準備が整っていた。


  撤退準備………とは言うものの、先に述べたように、行軍速度を重視するために余計な荷等を捨て、必要最低限の装備で固めるだけの簡単なものであったが………。


  魔族によっては重厚な鎧が移動の妨げになるといって鎧を脱ぎ捨てているために、皆の姿は非常に簡素なものとなっていた。


  正直、最早『軍』というよりは『難民』といった方が的確な様相ではあるが、事実そのようなものに近い状況なので仕方ないだろう。ただ、簡単な武器を持ち、騎獣に跨がっている姿だけが何とか軍としての体裁は保っていると言えるだろう。


  ウルファルモはそんな随分とスッキリした軍を騎獣………『リザード=ランナー』と呼ばれる身長3メートル程はあるある二足歩行のトカゲ………の背に跨がりながら一望する。


  そして、心の中で少しばかり安堵する。


(何とか防衛が崩れる前に撤退することができそうだ………。後は、突破口を開いて手早く撤退するのみだ。だが、それこそが一番の難関でもあるな………)


  予想よりも随分早くに準備が整ったことに満足する。だが、次に行うべきこと………数万に及ぶ敵陣を切り開いて撤退しなければならないという一番の難関を前に、ウルファルモは緊張した面持ちとなりながら、再び心の内を引き締める。


  何せ、敵の海とも言えるような場所へと突っ込んでいかなければ活路は見出だせないのだ。


  そんな所に突っ込めば、必ず大なり小なりで犠牲は出る。下手をすれば全滅もありえるかもしれない。


  だが、やらねば確実に全滅するという道しかない。


  ならば、少しでも多くの者が助かる活路を見出だせる道を選ぶしかない。


  そんな速度と判断力、そして犠牲を重ねる覚悟を試される状況を前に、緊張しないというのは今のウルファルモには難しいことだ。

 

  だが、ウルファルモは緊張しつつも己の為すべきことが何なのかを良く理解していた。


  故に、緊張を押し殺し、指揮官として次なる指示をすべく前戦で防衛に励むカルビの下へと騎獣に乗って駆けた。


  次の指示………それは今戦っている前線部隊を下がらせ、予備隊を前に出して前線部隊の撤退準備を整えることだ。


  前線部隊は休むことなく戦っている為、撤退準備などできる訳もない。更にはかなりの負傷している兵達が出ている。ならば、予備隊と交代させて準備を整えさせつつ、負傷兵達の回収・回復。行軍の補佐をしなければならない。


  ここまで戦ってくれた勇士達を見捨てる訳にはいかない。


  ウルファルモは少しでも犠牲を少なくするためにも、いち早く指示を出さねばと戦場を見回す。

 

  そして、直ぐに大声で指揮を執るカルビを見つけると近寄っていき、声を掛ける。


「カルビ!!」


「ウルファルモ殿!?撤退準備は?」


「既に済んだ!!後はこの場を切り開いて撤退するだけだ!!」


「それは重畳!よくもこれだけ早くに準備が整いましたな!!ウルファルモ殿の采配の良さが見受けられる!!」


  カルビは少しだけ顔を綻ばせて、笑顔を見せながらウルファルモを誉めた。ウルファルモはその賛辞の言葉に、若干照れた様子を見せる。


「いや……皆が協力してくれたこそで、俺だけでは………って、そんな話をしている場合ではない!!カルビ!直ぐに前線部隊と後方の予備隊とを入れ替えよ!前線隊の準備が整い次第、直ぐに撤退を………」


「必要有りませぬ」


  前線部隊を下がらせる。


  その指示を出そうとしたが、その言葉は一瞬にして真顔となったカルビによって遮られた。


  カルビは毅然とした………何かを覚悟したような目で、真っ直ぐにウルファルモを見ていた。


「………………はっ?な、何と?」


  暫し、唖然としたウルファルモだが、何とか気を持ち直し、聞き間違いかと確認を込めて再び問いた。


「前線部隊を下がらせる必要は有りませぬ」


  だが、答えは変わらなかった。


  その変わらぬカルビの答えに、ウルファルモは牙と目を剥き、声を荒げて叫ぶ。


「な、何を言ってるんだ!!じ、自分が何を言っているのか分かっているのか!?」


  前線部隊を下がらせる必要はない。それは部隊を撤退させる必要はないということと同じ意味であり、ひいては自分達を此処に置いていけと言っているのに等しいことである。


  無論、そんな事ができる訳がない。


  許せる筈がない。


  こんな死地に、ボロボロになって必死に戦ってくれた仲間を置いていくことなどできる訳がない。


  ウルファルモはそんなカルビの無謀とも言える考えを改めさせようとした。何が何でも説得して止めようとした。


  だが………。


「無論。理解しております」


「………っ」


  ウルファルモの言葉は、余りにも真剣かつ凄まじい覇気を纏ったカルビの言葉によって止めらてしまう。


  その雰囲気は、先の身をもってカトラを止めているナゲーナ団長に通じるものが感じられ、ウルファルモはグッと口籠ってしまう。


  それほどに、カルビからは有無を言わせぬ覇気が溢れていたのだ。


  そんな覇気だけでウルファルモの口を閉じさせたカルビは、更に淡々と言葉を続けた。


「ここに残れば最早撤退が不可能なことも、確実に命を失うことも………全て既に承知しております。しかし、それでも我々は残らねばなりません。ならなければいけないのです」


  真に力の籠った言葉に、ウルファルモは気圧された。だが、グッと押しとどまって此処に残ろうとする理由を聞いた。


「………何故だ?」


「理由は単純です。この全軍を守るためです。今、前線は硬直状態を保っております。ですが、これは本当に『何とか』といった状態であり、下手に予備隊を上げて部隊を下がらせてしまえば、その隙を突かれ一気に瓦解してしまう可能性があります。それに、何より撤退する軍には最後尾を守る殿が必要です。ならば、その役目は我らにこそ相応しい」


  カルビは真剣な表情でそう答えた後に、「故に我らは残るのです」と再び宣言した。


  そして、それは事実であった。


  今、前線は本当に些細な均衡が乱れるだけで総崩れとなる恐れがある程の状況であり、如何なる油断も許されない。


  だというのに、予備隊を前に出して交代させるなどの大規模な変動をすれば、その隙を突かれる恐れがあるのだ。更に、逃げる軍は後方からの攻撃に弱い。必然、後ろを守る軍が必要となる。


  それならばと、カルビは部隊を下がらせることを拒否し、前線に残り殿となる覚悟を示したのだ。


  全滅を防ぐ最善の手段として、己達が犠牲となる覚悟を………。


  そして、実の所はウルファルモもそれには気付いていた………気付いていたのだ。伊達に指揮官として上に立っている訳ではない。


  今戦っている軍を盾とし捨て置き、残りの軍を退却させることこそが最善の手段であると。


  だが、ウルファルモは敢えて知らない振りをし、考えないようにしていたのだ。


  指揮官としては甘いかもしれないが、部下を………仲間を見捨てたくないという思いから………。


  だが、その仲間を思っての考えは、目の前の当のカルビにとっては余計なお世話であったらしい。


  カルビは覚悟を決めた目付きで真っ直ぐにウルファルモを見据えていた。


  ウルファルモはその目付きに気圧されながらも、よくよく周りを見た。すると、周りで防衛にあたっている魔族の兵士、一人一人がカルビと同じ………覚悟を決めた、決死の表情で戦っていたのだ。


  その兵達の懸命な姿に、ウルファルモは愕然とした。


(覚悟が出来ていないのは………私だけだったのか………)


  そんな周りの覚悟を感じ、ウルファルモは内心で己を恥じた。


  兵達は皆、当に己の死地を此処にと決め、命を失うことも恐れずに、仲間を守らんと必死に戦っていた。だのに、そんな兵達を率いて、兵士の見本となるべき指揮官の自分は、失うことを恐れて何の覚悟もしていなかった。


  ただ、仲間が1人でも多く助かれば良い。


  犠牲は少なくすべきだ。


  仲間を置き去りになどできない。


  そんな甘い事しか考えていなかった。

 

  ウルファルモはギリッと歯を食い縛り、己の考えを恥じた。指揮官とは、ただ優しければ良いものではない。時には非情にして、冷酷な判断を下さなければならない時がある。


  十を生かす為に一を切り捨てる覚悟を。


  百を生かす為に十を捨て石にする非情さを。


  千を………万の軍を生かす為に、それ以下の数を軍を残していく冷酷なる判断力を。


  自分には、その覚悟も思想も無かった。


  ただ犠牲を出すことを恐れ、為すべきことから目を反らしていた。


  他者の死を背負う覚悟から目を背けていた。


  そして………そんな将として持つべき責務を、あまつさえ部下に気付かされる。


  穴があればそこに入りたい羞恥を感じながら、ウルファルモは騎上にて俯く。


  そんな俯き項垂れるウルファルモを暫し黙って見ていたカルビだが、フッと笑ってから語りかけた。


「ウルファルモ殿。指揮官がそのような辛気臭い顔をするものではありませぬぞ。兵が不安がり軍の指揮が落ちまする」


「だが………」


  尚も項垂れるウルファルモに、カルビは淡々とした口調で話し出した。

 

「ウルファルモ殿。貴方が下そうとした判断は指揮官としては失格であり、軍全体を危機に陥れかねないものです。仲間を救いたい気持ちは理解できますが、その為に更なる犠牲者を増やすような甘い考えはお捨て下さい」


「ぐっ………そ、そんな事は………いや………すまない………」


  カルビの指摘に抵抗しようとするも、痛い図星を突かれたせいか直ぐに謝罪を口にして益々項垂れるウルファルモ。


  自信喪失極まれり………といった様子である。


  余りにも項垂れ過ぎていつ、その鼻先がリザード=ランナーの首筋の鱗に当たっている。そこから鼻水の湿った感触が伝わって不快なのか、背後を睨みながら威嚇するような鳴き声をリザード=ランナーは上げていた。


  カルビはそんな様子のウルファルモを一瞥すると、次の瞬間には先程までの威圧感に溢れた様子が嘘のような、穏やかな笑みを称えて話し出した。


「ですが………そんな貴方であるからこそ、我らは命を懸けようと思えるのです」


「えっ………」


  突然のカルビの言葉にウルファルモはパッと顔を上げ、唖然とした表情をする。


  余談だが、その際にリザード=ランナーの首筋からウルファルモの鼻先に掛けて鼻水の糸がひいてしまっていたが、カルビは敢えて見ぬ振りをした。


  それが大人の優しさである。


  不快なのはリザード=ランナーだけである。頑張れリザード=ランナー。


  カルビはそんな唖然とするウルファルモを見ながら尚も話続ける。


「ウルファルモ殿………正直に言ってしまえば貴方はナゲーナ団長のような勇猛さはありませんし、彼のガルハダ様のような知略や先見の目があるわけではない。言ってしまえば極めて凡庸な将です。平均です。普通です。特徴がありません」


「うぐっ………………」


  上げて落とされたウルファルモは、再びリザード=ランナーの首筋に鼻を擦り付ける。


  もう止めてやれウルファルモ。リザード=ランナーの目の瞳孔が開いているぞ。


「しかし………貴方には誰よりも皆を………仲間を気遣い思いやる、その優しさがあります。先程は甘いと言いましたが、その優しさに我々が何度救われたか………」


  カルビは目を瞑って思い出す。


  ナゲーナ団長は、武芸に秀でた勇猛にして尊敬できる上官であった。だが、良くも悪くも戦にのみ特化した猪突猛進な性格傾向にあり、度々兵達の損害を考えないような作戦や突撃命令を行い酷使することがあった。


  時には、勝つために軍を半分以上失うような無茶苦茶な提案をすることもあった。その度に配下にいた兵達は皆が戦々恐々とし、死への恐怖に絶望する者さえいた。


  だが、そんな時におどおどしながらも作戦の変更や見直しを進言してくれたのがウルファルモであった。彼は不思議とナゲーナからは自然と受け入れられていて、数少ない参謀兼ブレーキ役となって作戦の代案を出したりと、て兵達の損失を少なくなるようにと苦心してくれていたのだ。


  更には、戦後の怪我人や戦死者家族に対する対応なども率先して活動していたのだ。臆病で間抜けな性格なれど、その気さくで裏表の無い性格や、他者の心情を理解できる気の効きようは、皆から頼れる上官として慕われていたのだ。


  当の本人はそんな事は知らないが、そんなウルファルモの働きや気配りに兵達は皆が安心し、厚い信頼を寄せていた。下手をすればナゲーナ団長よりも強い忠義心を抱く者もいたのだ。


  その信頼があったこそ今回のナゲーナ団長の不在にも関わらず、軍は何の迷いもなくウルファルモの指示に素早く従っていたのだ。


  カルビは再び目を開け、真っ直ぐウルファルモを見つめる。


「ウルファルモ殿………我々は貴方の優しさに助けられた。幾度命拾いをしたか知れない。故にその優しさに報いたい。あの時、もしかしたら失っていたであろうこの命を、此処で今使いたいのです」


「カ………カルビ………」


「故に命じて下さい。我らに『戦え』と」


  カルビからの嘘偽りのない真摯な言葉に、ウルファルモの涙腺は崩壊しかけた。


  正直、ウルファルモはこんなに部下達からリスペクトされていたとは思ってもみなかった。


  ナゲーナがやらない裏方の仕事ばかりをやったり、自身が死にたくないからと作戦の変更を求める自分は、皆から臆病者と侮られているのではないか?という思いがあった。


  しかし、そんな思いとは逆に実は影ながらその働きが認められていたという事実にウルファルモは嬉しくて嬉しくて、何とも言えない感情となる。最早、涙腺は限界に達しようとしていた。

 

  だが、指揮官が無様に涙を流す姿を部下達に晒す訳にはいかない。


  ウルファルモはグッと涙を堪えて抑え込む。溢れそうになった熱い涙は目の奥に引っ込んでいく。変わりに鼻水が溢れてきていたが、カルビも兵達も敢えて見ない振りをする。


  皆がウルファルモへの優しさに満ちていた。


  ただ、リザード=ランナーだけがウルファルモの下で『ギュルル!』と、抗議の声を上げる。どうやら鼻水が大量に垂れてきたらしい。


  そんな股下からの抗議に気付かないまま、ウルファルモは充血した目で真っ直ぐにカルビを見た。


  その目は真っ赤に充血していた………が、何かを決心したような力強い目付きであった。


「分かった………………カルビ………そなたに命ずる。このまま軍の撤退が完了するまで、そなたらの軍は殿として防衛の任に付け。撤退が完了するまで、退くことも倒れることも許さん。死力を尽くして守り抜け!」


  ウルファルモはカルビへと力強く命じた。


  本当は、自分を信じ、こんなに評価してくれている部下達を失うような、こんな命令を下したくはなった。だが、そうしなければ軍は助からないし全滅の憂き目に合う………。それは絶対に避けるべきだ。


  だが、何よりも………身命を懸けてまで自分達を守ろうしてくれる部下達の思いに………覚悟に………団長代理として応えてやるべきと考えた。


  だから決心する。


  そして命じた。


  ここで命を捨ててくれ!


  大を生かす為に、小となる自分達が犠牲になってくれ!!………………………と。


  指揮官としては正しく、一魔族としては間違えているであろう言葉を口にした。


  そんな冷酷な命令に、カルビは胸の前で両の拳を合わせて頭を下げながら答えた。


「その命。拝命致します」


  その顔は、これより死地に赴くとは思えない程に満足そうな顔をしていた。

 

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