皇女七海~本編連載1周年記念作品
『幸福の大陸パンゲアの創造』連載1周年記念作です!
今後とも、応援、よろしくお願いします!!m(-k-)/
※本編「第三十話 打倒保守派の即行」までの重大なネタバレを含みます。
未読の方は、まずそちらまで先に読むことをおすすめしますm(-k-)rn..
真っ青な五月晴れに、輝く太陽。
まさに五月の晴れ空が延々続いていく下、庭園の東屋へ向かう少女の足取りは沼にはまっているかのごとく重い。目線は色とりどりの花を通り過ぎて、その足元にただ広がる茶色の土あたりをふらふらし、自慢の白髪も艶がなく、老婆のそれのように枯れてしまっている。
赤暦二〇〇三年五月九日。
真仁朝伊達派の政治情勢は、緊張の極度に達している。
これまでの武力的な列島統一政策を否定し、経済的にも文化的にも富をもたらす平和的な新統一政策、幸福の大陸パンゲアの創造政策をいよいよ実行に移そうと企み、軍事費を削減した“パンゲア予算”をついに大王が議会に提出したのは、この年の一月。臣民への説明は自身の全国遊説などの努力あって十全に果たされていた。高まる世論を背景にしての提出であったが、軍部の根回しを受けていた保守的な議会はこれを否決した。
真仁は議会に対し説得を試みるも、まるで聞く耳を持たない彼らの態度についには腹を立て、三月末には議会無視の強硬策を決断。一度はこれを政府閣僚らに批判され再び議会に対する説明の機会を設けるも、結果は相変わらずとなり、パンゲア予算案は大王の狙い通りに議会の予算審議期限切れをもって正式に成立が決まった。
以後、軍部と直接対峙することとなるが、彼はここでも強硬突破を目論み、初めから説得や協議ではなく懐柔する姿勢を見せる。この不誠実とも言える態度に、職のかかった軍部は激昂した。青年教練兵による大王暗殺未遂事件をはじめとして、軍部の反乱が伊達派の山々を震え上がらせているのだ。今が真仁親政開始後から高まってきていた急進派と保守派の対立の正念場であることは誰の目にも明らかである。もっとも暗殺未遂以降の一連の事件は報道管制がしかれているため、一部の人間しか具体的に知る由はないが。
大王秘書、春川辺芭瀬こと北条七海は、足を引きずって東屋へ辿り着く。
「あら秘書閣下。五分の遅刻ですよ?」
はと目を上げると、屋根の下で、庭師の作業着を着た二十代ほどの女性がいたずらっぽく微笑んでいる。彼女の前の長机では、すでに二人が大好きなハーブティーが二杯、湯気をうっすら昇らせていた。
「すみません。少し考え事をしていたのです」
ため息をつきつつ、向かいの長いすにかける。
「ああ、例のことですか。無理もないですね、陛下の一大事ですし」
カップに伸ばした手をぴたっと止める。固唾を呑んで馴染みの庭師に尋ねた。
「何のお話ですか?」
「内乱でしょう?」
何ということもなく言い当ててお茶をすする。
「そ、それは、殿下のご命令で拡散が禁じられている情報です」
「もちろん、不用意には話してないですよ? でも、ここは首都ですから。特に大母殿下のお屋敷につとめていれば、情報の方から耳に飛び込んできますよ。いえ、ほんとにやばいやつは、さすがにないと思いますけど」
信じ難い表情で見つめられ、若い女は苦笑いする。
「何なら他の街の人でも、かなり危険な状況なんだってことくらいは察してますよ。連日、対立の動静が報じられていたのに、予算が強制執行で成立、軍部に対しては大崎家懐柔を試みている、の後からもう一週間以上も続報がないんですから。公開できないような凄い闘争に発展してるなあ、なんて誰でも分かります」
「暗黙の了解ですか」
「そうですね。別に今回が史上初めてのケースってわけでもないですし。何なら王都陥落だって初めは情報統制されてましたからね」
「そうだったのですか」
「ええ。当時は第一王子であらせられた真仁殿下の大王即位っていうニュースだけで、王都陥落の事実が正式に認められたのは、たしか数年たった後だったはずです。そのまま敵軍が侵攻してきた時に備えて、士気が下がるのを恐れたのかもしれませんね」
「それが結局、北条派は帝位をめぐる内紛になり、戦争どころではなくなったと判断したのですね」
「おそらく、そうでしょう。もっとも、父はここでずっと庭師をやってましたから、仮王宮のことは知ってたようでしたけど」
「そう言えば、お父様も庭師でしたね」
秘書が白いシンプルなカップを手に取る。
「はい。うちの家系は代々、“氷野宮”の庭師です」
氷野邸という公称からすると大げさなその呼び方に、七海はふっと破顔する。そうして一口飲むと、目をうっとり細めて香りを味わう。
「これは、カモミールとラベンダーですね」
「そうです。さすが閣下ですね」
「帝国ではハーブティーの第一人者を自認していました」
機嫌よく言うのに乗って、庭師が質問する。
「さすが“文化帝国”はお洒落ですねえ。閣下は北条派ではどういうお方だったんですか? 一流文化人だったんですか?」
一般人世界に対し閉鎖的な伊達派と違い開放的な北条派では、様々な先進文化が受容されている。“文化帝国”という言葉は、実用的な“技術王国”である伊達派からの蔑称である一方、憧れの対象でもあるのだ。
七海はきらきらした友人の目を前に、自らの過去を語り始めた。
北条派の黄暦一九九二年、一般人世界の西暦では一九九六年の二月二十三日。
雪が舞い散る朝に、北条家第二皇女、北条七海は誕生した。奇しくも伊達派待望の第一王子、真仁が生れた十五日後のことであった。
生れた時には既に父の名帝正風は都市焼討時の戦傷悪化により他界しており、母も生後間もなく衰弱してこの世を去った。ゆえに、七海は両親の顔というものをてんで知らない。しかし、周りには保母や侍女が常にいたため、そのことを寂しいと思ったことはない。幼年期は比較的平穏であった。
しかし、黄暦一九九八年に発生した、沙織派軍事クーデタ、つまり、王都からの第一皇女奪還の日から、七海の周囲の状況は著しく変わった。
「周陛下と、沙織殿下の対立ですか?」
庭師の言葉に首肯する。
「当時、お幾つだったんですか?」
「私は六歳です。姉様と兄様は十歳でした。ちょうど十年前のことですので」
素朴な瞳で作業着の女性は驚く。
「十歳! そんな頃から帝位争いするだなんて――精神的な発達が早いんですね。あ、成人年齢もこちらより低いんでしたっけ?」
「正確には成人という明確な規定は制度上ないのですが、一般に早くて十一、二歳、遅くとも十四歳程度と考えられています。この位の年になり、十分体が発達していれば、軍隊に入ることが認められますので。この辺りの根拠は伊達派と一緒だと思います」
「そうですね。……それにしても、十歳はやっぱり権力闘争するには幼い気がします」
「そのことですが、初めは当人たちが望んだことではありませんでした」
庭師がはてと首を傾げる。
「お二人は担ぎ出されたのです。帝位に群がる官僚たちによって」
赤目が伏せる。
「先帝正風陛下に取り立てられていた忠臣たちは、先帝陛下の希望に沿って沙織姉様の即位を推し、逆に寵愛を受けられなかった者たちが周兄様を無理やり玉座に座らせたのです。その証拠に、一度、兄様が嘆いているのを聞きました。どうにか沙織姉様と仲良くすることは出来ないものかと」
「沙織殿下はどう思ってたんですか?」
カップを両手で包み込んで問う。
「……姉様ですか。どうでしょう。周派に狙われる危険があるので、帰国してからは半ば幽閉状態でしたから、そのようなことを話す機会はありませんでした」
「え、でも、沙織殿下が閣下を周陛下の暴力から救ったんですよね? それなのに、それほど疎遠だったんですか?」
「それは……政治というものかもしれません」
難しくなりそうな話に、庭師は耳を大きくする。
「姉様と兄様の対立は、次第に二人の妹である私にも影響を及ぼし始めました。初めは幼い双子を利用して周囲が派閥争いをしていましたのに、段々と当人たちが自ら対決するようになってきまして、それでは都合が悪いと新しいマリオネットとして白羽の矢が立ったのです。つまり、自立して対立を始めた二人に代わりまして、今度は私が官僚の都合のよい政争の具にされそうになったのです」
「ひどいですね、官僚というのは」
ええ、と七海はうなずくが、この後の自身の処遇など、当然未だ気付いてはいない。
「しかし、長い間二人に執着していたため、私はその間に十分学ぶことが出来ました。本心に反していがみ合う結果となった事実から、決して彼らに主導権は渡しませんでした」
かっこいい、と庭師に独白されると、わずかに白い肌を朱に染めつつ、苦笑いする。
「ですが、隠居という年でもありませんから、対立や様々な野望と無関係でいることは不可能でした。私は注意深く多くの家臣の言葉に耳を貸し、どの辺りと結びつくべきか冷静に考えました――普段は慎重さが足りない面も折にありますがこの時ばかりは全く別でした。沙織派、周派に限らず、漁夫の利を得る形で私が帝位を簒奪するよう具申する者たちもいました。そして、結局は、穏健派で有名な北海島元帥の小十郎閣下の意見を採用したのです」
「どんな意見だったんですか?」
「まさにこれですよ」
そう言って、ハーブティのカップを得意げにかかげる。
「なるほど! とりあえず一杯飲んで休みましょうと!」
「いえ、そのような余裕はないです」
「じゃ、じゃあ……?」
ティーポットを空中で持ったままきょとんとした目に、先ほどの質問へのこたえになるのですが、と前置いて話す。
「過熱している権力闘争への関与はとりあえず避け、それでいて支持を失わないように文化一流人を目指すよう提案されたのです。事実、これで私に対する支持は高まりました。七海派はそれなりに大きな勢力になりまして、おかげで兄様から帝位を狙っているのではないかと疑われたのです。それで、他にも沙織派への牽制ということもあり后に迎えると発表されたのですが、どうも不安が濃かったのでしょうか、後にその……い、嫌がらせのようなものを度々受けまして、そこを姉様が救ってくださったのです」
政治はどこにいった、という説明だが、要は沙織は支持が高まっていた七海派に恩を売ることで沙織派に吸収を図ったのである。そして、それはほとんど成功していると言える状況が、北条派では今でも続いている。
が、小難しい政治のことはともかく、ははあと、庭師が大きく首を縦に振る。
「その、元帥閣下には感謝しませんとね。おかげさまで七海閣下との縁ができたわけですし」
敵将に感謝とは保守派筆頭の当主が聞いたら苦言を呈されること間違いなしだが、秘書はむしろ笑顔でこたえた。
一流文化人、皇女北条七海が公的にのこしたものと言えば、真っ先に誰もが上げるのが、北海島での黄汐宮大庭園建造事業だ。
黄汐宮自体は、正風帝の父、黄汐黄帝が建立した北条派初の西洋建築と呼ばれる代物で、およそ百年前に建てられた。なお、伊達派においてはこの半世紀ほど前から西洋建築が盛んに造られ始めており、大量の技術輸入を伴う西洋文明受容で技術王国の伊達派が珍しくリードしたと格好の宣伝材料に今でもなっている。さらに、似た大規模宮殿では、氷野邸建設は初めから庭園もセットで計画された一方、黄汐宮にはそのプランさえもないまま、建物だけが北の大地に飛び降りてきたように突然建ったのであった。
この妙ちくりんな巨大建造物は長らく両国で笑いものにされていたが、七海がその評価を一転させたのだ。
北海島元帥小十郎の進言に従い一流文化人となるに当たって、帝国の長年の弱点をまずは克服する道を選んだのである。
彼女は一般人世界に人をやって、様々な西洋庭園を研究させ、その報告書を一つひとつ吟味した。その作業中に、宮殿が英国風の建築であることを理解し、自然とイングリッシュガーデン建設へと構想がまとまっていったのである。そして、自身も参加して青写真が練られると、皇女の号令により一気に英国風大庭園は造成された。
さらに、彼女はこれをアピールするため、前例のない帝室管理地の一般開放を行い、全国から多くの帝国臣民がこの楽園を訪れ、噂は瞬く間に伊達派にも伝わったほどであった。
「たしか陛下が発言したんですよ。その庭のことを聞いて。当時は王都焼失に、先大王陛下と妃殿下の崩御で、まだかなり精神的に衰弱してた頃だったんですけど、その中で公式にコメントをしたのが驚かれてました」
ハーブティのおかわりを頼みながら尋ねる。
「どのように言っていたのですか?」
ポットからお茶を注ぐとカップを秘書の前に出す。それを七海が会釈して受け取ると、ハーブのよい香りがする湯気の向こう側で、庭師は口角を上げた。
「『両国に西洋風庭園が揃ったところで、ぜひ相互の鑑賞会など開いてみたいものだ。黄汐宮はさぞ素晴らしいと聞いた。それを造成した皇女が氷野邸大庭園と諏訪離宮をどう評するか気になるところだ』という感じだったと思います」
「諏訪離宮ですか……」
――まさかあのような形で案内することになるとは、思いもしなかったでしょうね。
秘密裏に行ったお見舞いを思い出し、暗い顔をする。庭師が不思議そうな目で見つめてくるので、慌てて表情を取り繕いぎこちなく微笑み返す。大王の療養地がばれてはことだ。誰に襲撃されるかも分からない。
庭師は疑問顔のままながらスルーしてくれて、木組みの天井をなぞるように見上げて語り出す。
「あのコメントを出したときは、かなりの国民が非難したんですよ」
「なんと。な、なぜですか?」
「それはもちろん……」
眉を八の字にして皇女の顔をとらえる。
「“敵国皇女”が造った庭を“素晴らしい”そうだなんて言ったからですよ。挙げ句、その人物に王国の至宝を評価させたいだなんて、私たち庭師の間からも反発が相次ぎました。基本的に、西洋化が著しく遅れてる北条派の人間が批評できる代物じゃないって当時は大勢の人が信じ込んでましたから」
七海が固唾を呑み、恐る恐る問いかける。
「今でも……でしょうか?」
庭師は柔和に微笑み、首を左右に振った。
「今はパンゲア政策がありますから。軍部や保守派の人以外は、洗脳が解かれたんです」
もっとも新しい洗脳にかかったとも言えるかもしれませんけどね、と笑う。
七海はほっと胸を撫で下ろすと同時に、真仁のこれまでの苦難に思いを馳せた。千七百年かけて埋め込まれてきた好戦的な洗脳を解除するのに、一体どれだけの苦労をし、これからしていくのだろうか。これは一種の歴史に対するあがきだ。およそ二千年の時を否定し、新たな時代を創造する。
――ですが、
東屋を囲む五月の花々を見渡し、薄く笑む。
「確実に雪は解け、花が咲き始めています」
庭師も強く、深く、大王秘書の言葉にうなずいてみせた。
政治家の肌感覚は本当に敏感だ。
七海が言ったことは間もなく現実として結論が出た。
五月九日。ついに運命の治安維持隊突撃事件が発生。内務大臣春瀬の解任が秘密裏に通達され、彼女はその短い任期を完全に終えて、氷野邸へ戻っていった。
そしてこの日の夕刻には、暗殺未遂時の傷に不安を抱えたままの大王が首都へ急遽帰還し、自ら近衛騎兵隊の出動準備に当たった。
そして翌十日朝。騎士長氷野華穂をはじめとした第八伯爵領分隊の騎兵隊は反乱の続く久住市に潜入。反乱部隊が最後通牒を拒否したため、大王の命令に従いやむなく斬りかかってこれを皆殺しにした。
ここに、パンゲア推進派の勝利と、反対派の敗北が決したのであった。
内閣も大きく改造された。保守派や軍部との癒着が疑われる大臣が次々職を解かれる中、世論の注目はこの二人の交代に集まった。保守派の内務省大臣、銀髪の大母春瀬の解任と、急進派の初代外務省大臣、白髪の皇女七海の起用である。
しかし、この起用には、大きな悪魔が一匹、潜んでいた……。