夢現 3
車を発進させるとフロントガラスを弾く雨音が激しく響く。雨足が強くなってきたのだろう。私はワイパーの速度を早め北野天満宮迄の道のりを急いだ。
時折ルームミラーで娘を見やるが会話は何時ものように殆ど交わさない。会話を求める客も殆どいないし気の利いた会話も出来ない。
だから今日の様に綺麗な娘が乗るとルームミラーでチラチラと見やり楽しんでいるのが関の山だ。
だから話しかけて来たのは娘の方からだった。
「もうそろそろ祇園祭が始まりおすな。」
ボソリと娘が言った。
雨音で聞き取りにくい筈が何故か其の声は違和感なくハッキリと聞こえた。
「えええ。そうですね。祭りはお好きなんですか ?」
「へえ。大好きどす。運転手はんはお嫌いどすか ?」
「いや。嫌いやないですけど最近は全然行ってませんね。」
「そうどすか。せやけどお祭りはええもんどすよって。気持ちも楽しゅうなります。」
「確かにそうですね。」
「へえ。其れに人の人生みたいで、わてはしんみりするんどす。」
「人生ですか ?」
「そうどす。」
「はぁ、でも、祭りと人生は関係無い様に思いますが。」
「そんな事あらしません。祭り言うもんは来てる人には其れだけかも知れまへんけどな。其れに関わる人は飾り付けこさえたり、練習したりしたはるんどす。其れから本番が始まりますやろ。ほんで終わりましたら跡形ずけ、最後に残るんは想い出どすやろ。」
「何や私には難しいですね。其れに残骸ですか ?」
「そうどす。人は社会に出る迄に色々学んで、勉強して経験を積みますやろ。ほんで祭りが始まって人が集まる様に人の人生にも人が集まります。やがて祭りの後の様に人が引いて行って、家族で跡形ずけして最後に想い出だけが残るんどす。」
「はぁーー。何や分かった様な分からんような。其れに残骸言うのがしっくりきませんね。」
「運転手はんも故人の想い出ーー。そうか想い出の品言うのをお持ちどすやろ。」
「え、ええ。持ってます。」
「わても祖母の形見言うのを持ってます。運転手はんは、わての其の形見見て祖母の想い出を思い出せますやろか ?」
「え、いや。私の祖母の事ですか ?」
「そんな訳おまへんやろ。わての祖母の想い出どす。」
「いや、其れはーー。」
「そう言うことどす。想い出の品見て故人を思い出せるんは身内だけどす。他人さんにしたら其れは残骸ガラクタと同じどすやろ。」
「成る程、そう言うことですか。」
と、未だ二十代前半にしか見えぬ娘の言葉に納得させらる。慎太郎は年のわりに人生を悟った事を言うな。と、思い乍らルームミラーで娘を見やった。
そして慎太郎は慌てて後ろを振り返る。
真逆ーー。
ゾクリと背筋が氷る。
全身の毛穴がプクプクと立って行く。
そんな阿呆な。
そんな阿呆な事が。
と、何度も何度も後ろを振り返る。
然れど其処に娘の姿は見当たらない。慎太郎は慌てて車を路肩によせるとハザードランプを点灯させ車を停車させた。
そして体をグルッと捻り後ろを見やる。
然れど、
然れど、
其処に娘はいない。
真逆、真逆ーー。
ちょっと待て。
どう言う事だ。
と再度後ろを見やる。
然れど娘はいない。
なら私は、
私は一体誰と話してたんだ ?
恐怖で体が硬直して行く。
ブルッと体が震える。
そしてグルット歪む世界の中で、慎太郎は目を覚ました。
車の中で程よく汗が滴っている。此処は ? と、周りを見やると何時ものコンビニの駐車場である。
夢 ?
と、もう一度周りを見やる。矢張り其処は見慣れたコンビニの駐車場だ。私は一体いつ眠ったのだろう。と、不安と恐怖は眠りから覚めても拭えない。
眠った記憶等無い。
否、正確には寝ようと考えた記憶が無い。然れど自分は眠っていた。そして奇妙な夢。夢は夢だと思っても何故かしっくりとこないでいる。
今朝見た夢に今見た夢ーー。
何方も気持ちが悪い。
慎太郎は軽く頭を振るとエナジードリンクの蓋をプシュッと開け其れを一気に飲み干す。空き缶を袋にしまい胸ポケットから煙草を取り一服点ける。
紫煙が車の中に充満して行く。慎太郎は其れを分散させる様に窓を開け、そして何処からが夢だったのか考える事にした。
夢ーー。
ボソリと呟きフロントガラスに映り込む自分を見やる。しょぼくれたおっさんが其処にいる。気が付けば四十六才。
年を取った。鏡を見るたびにそう感じる。自分の中では然程生きている様な感じはしない。然れど年老いて行く自分を見やり自分の年を考えると、もう四十六になったのだと思い知らされる。
全てが夢だったら良いのに。ふと、そんな事を思った。全てが夢で目が覚めれば、昔の様に家族がいて楽しく笑っている自分がいる。
慎太郎は昔を振り返り泣きそうになる。
最後に残るのは想い出だけ。
ふと、娘の言葉が脳裏に蘇る。
フワリ、フワリと体が揺れる。
慎太郎はグッタリとシートに体を委ね煙草を外に捨てる。
フワリ、ユラリと体が揺れる。
残骸なはずが無い。
此れは大切な想い出だ。
決して残骸等ではない。
然れど、
娘の言葉が頭から離れない。
違う。此れは私の大切な家族の想い出だ。
目頭にたまる涙を拭い慎太郎はグイッと体を起こす。フワリ、ユラリと体が揺れる。ソッと頭を抑え此れも夢の所為だと罵ってみる。
所詮こんなこと誰にも分からない。
分からないだろう。家族を全て失った私の辛さ等誰にも分からない。別に分かって欲しいとも思わぬがほっといて欲しい。そうだ、私が何を大切にしようとほっといてくれと思う。
慎太郎はシフトレバーをグッと握りRレンジに入れる。
ピーピーとバック音が鳴る。
詰まらぬ事を必至に考えても意味が無いと、慎太郎は夢と想い出を振り払う様に車を発進させた。
そしてギュッとブレーキペダルを踏む。
真逆ーー。
此れも夢 ?
慎太郎は自分の思考を疑った。
然れど其れはルームミラーに確りと映っている。
ヌッペリとした奇妙な人。
其れは紛れも無く夢で見た喪服を着た男。
そんなはずは無い。
あれは夢だ。
夢なんだ。
だったら、矢張り此れも夢 ?
ゾクリ、ゾクリと悪寒が走る。
良い知れぬ思いが体を突き抜けて行く。
そしてグッと首を絞められた様に息がーー。
息がーー。
慎太郎は薄れ行く意識の中で男を見やった。男はユックリとこちらを見やりジロリと慎太郎を睨みつけた。