神様と狛犬
『狛犬』
神社の社頭や社殿の前に据え置かれる一対の獅子に似た獣の像。魔よけのためといい、昔は宮中の門扉・几帳・屏風などの動揺するのをとめるためにも用いた。こま。(広辞苑第六版より引用)
俺はパタリと電子辞書を閉じた。紙媒体だとあんなに分厚くなる広辞苑が、電子書籍だと楽々持ち運び可能になるのだから、現代技術とはすばらしい。おかげで、気になる言葉があるときはすぐに調べられる。
……そう、狛犬っていうのは本来獅子の形をしている物だ。
例えライオンに似ても似つかなくても、『獅子』なのに狛『犬』でも、日本の神社仏閣の入り口に置いてある狛犬っていうのは大体似たような形をしているもんだろう。
代々うちの家が神主を務める神社に置かれている狛犬も、ご多分にもれずごくごく普通でオーソドックスな狛犬の形をしていた。
今朝までは。
「おー、坊。おかえりー」
学校帰りそのままのブレザー姿で固まっている俺に、実にのんきな声がかけられる。
「……あのさ。なに、これ」
「これ? 狛犬」
それがどうした? と言わんばかりな顔をしているのは、真っ白な長髪と真っ赤な目を持った、見た目だけなら二十代な青年の姿をしたうちの『家族』。
ああ、相変わらず色と髪型と年齢以外は俺そっくりな顔してるなぁ、遺伝子って偉大だなぁ、と軽く逃避しかけた思考を無理やり現実に繋ぎ止め、目の前の『狛犬』に意識を向ける。
今朝俺が学校に行く時までは確かに普通で、オーソドックスで、何の変哲もない、どこにでもある、多分日本人の誰もが狛犬と聞いて最初に思い浮かべるであろう、典型的な狛犬が鎮座していたはずの場所に、デデーンと居座っている、『物』。
先っぽだけが黒いとがった耳、愛らしいつぶらな瞳に頬に浮かぶ赤い丸。尻尾は稲妻を連想させるギザギザ型。
「……大じい」
「ん?」
俺に『大じい』と呼ばれた青年が、首を傾げる。
俺はスーッと息を吸い込み……目の前の『狛犬』を力強く指差し、叫んだ。
「うちの狛犬を勝手に電気ネズミに改造するなあああああああああああっ!」
青年、もとい我が家の『神様』が「てへっ」と似合わないポーズをとった。
地元の伝説曰く、俺は神様の末裔であるらしい。
『昔々あるところにとある神様が人間の娘に恋をして、二人の間には子供が産まれました』。だいぶ省略したが、これがうちの一族と神社の始まりだ。つまり、これが正しければこの目の前の『神様』は我が家の祭神兼ご先祖様ということになる。俺とこのふざけた神様が同じ顔をしているのを考えても、多分、血がつながっているのは間違いないだろう。
とはいえ、神様だろうがご先祖様だろうが、常日頃ジャージかTシャツで歩き回り、参拝客が来ない暇な日は漫画を読むかゲームをするかネットサーフィンをするか、といった存在を畏れ敬えるか、と言われれば当然、答えはNOだ。
まあ、白い髪とか赤い目とか、全く年を取らないだとか、俺達家族以外には見えないだとか……俺が朝学校に出かけて夕方帰るまでの数時間の間に、まともな造形だったはずの狛犬を十万ボルトが得意なネズミ型に変えてしまうだとか……というところは神様っぽい、と言えないような気もしないではない。
とはいえ、こんな奴がやたらと長くて仰々しい神様としての正式名称が似合うわけがない。そんなわけで、俺達家族の間では彼は「大じい」だとか、「大じい様」で通っている。
「大体、日頃ろくに仕事しないくせになんでこういう無駄なところで無駄な才能使うんだよ。なんでわざわざ狛犬を改造するんだよ。もっと違うところで生かせよ、こういう才能は! 大体、なんでよりによってチョイスがピ○チュウ!?」
「なんだよ、かわいいだろうが、ピ○チュウ! あのやたら強面でかわいくない石像の顔見るのにも飽きたんだよ」
「そんな理由!?」
「かわいくて強いっていいじゃないか。強さだけでいけばゴジ○とか、サイヤ人とかと迷ったんだけど、どうせならかわいいほうが……」
「その選択肢の時点ですでにおかしいって気づけ」
「え、じゃあ、海賊王のほう?」
「そういう話じゃない!」
狛犬の「こ」の字もねぇ。俺は額を覆って深々とため息をついた。
「もっと、こう、気にすることがあるじゃん。伝統とか、習慣とか、なんかそういう……」
「何を言ってるんだ、坊。うちの狛犬にろくな伝統なんてないぞ? お前のひいじいちゃんが『神社なんだからあったほうがいい気がする』とか言って、知り合いに頼んで作ってもらっただけだぞ」
「そうだったの!?」
ある意味衝撃の事実発覚。この適当さ加減は血筋か。いやしかし、設置された由来がどうあれ、魔よけの狛犬を勝手に改造していいということにはならない。例え神様本人でも。
「とにかく、これダメだから。戻して」
「えー、せっかくかわいく作れたのにー」
「いや、狛犬にかわいさとかいらないから。大体、これ狛犬ですらないじゃん。狛鼠じゃん」
「うーん、そうか……」
大じいはかなり不満げな表情ながらも、一応俺のセリフに納得はしてくれたようで、腕を組んでうんうんと頷いている。
「そーか、そーだな。これを狛犬って呼ぶのはさすがにまずいか」
俺としては、できれば実行する前に気が付いてほしかった。誰かに見られてたらどうしよう。参拝者が来ない日のほうが多いとはいえ、全く来ないというわけでもないのだ。
そんな俺の心配をよそに、大じいは実に残念そうにため息をつき、未練がましく電気ネズミ像を眺めている。
「はああああ、せっかくかわいく作れたのに……。仕方ないか」
そうして、パァンッと一回柏手を打った。
と、同時に一対の電気ネズミ像が白い煙に包まれる。しばらくして煙の下から現れたのは、実にまともな……。
まともな……。
「……ハチ公!?」
渋谷駅の有名待ち合わせスポットだった。
「違うぞ、坊。これはハチ公ではない、『お父さん』だっ」
「お父さ……って、あの携帯会社のCMか!?」
「いえす、おふこーす!」
「親指立てるな、ドヤ顔すんな」
「ちなみに、背中を押せばしゃべります!」
「キャンペーン中のプレゼントか!」
直訳すると『柔らかい銀行』になる携帯会社のマスコットならともかく、神社の狛犬でそんなことをしたところでただの怪談話だ。いや、狛犬が一夜にしてハチ公もどきになってる時点ですでに怪談ものだが。
「これなら、ちゃんと犬だから『狛犬』って呼べるだろ。なにより、かわいい!」
「あんたのその『かわいい』へのこだわりはいったいなんなんだよ!? あと、さっきのあれはそういう意味で言ったんじゃないからっ」
「あ、でも、お父さんだとかわいいが魔よけの意味がなぁ……。特に強いってわけでもないし……」
「聞けよ、人の話」
魔よけ云々以前の問題だ。っていうか、強さと魔よけって関係あるんだろうか。
大じいはしばらくうーんと首をひねっていたかと思うと、突如いい笑顔で顔をあげた。嫌な予感しかしない。
「大じい、ちょっと待っ……っ」
俺の静止は間に合わなかった。
大じいはそれはもう、実にいい笑顔で柏手を打った。再び白い煙に包まれる我が家の狛犬(仮)。
「できた! モロ一族!」
「黙れ、小僧っ」
今度煙の向こうから現れたのは、やたら馬鹿でかい強面狼だった。
「そういうこと言ってるんじゃないんだよ! まともな狛犬に戻してくれって言ってんの!」
「嫌だ、つまらん」
「つまらん!?」
ごくごく当然と思われる俺の要望は、大じいに鼻で笑われて却下された。
「これなら強いし魔よけにもばっちりだろ」
いや、まあ、大体の悪人を返り討ちにできるであろう存在ではあるけれども。っていうか、あんた、さっきまでの『かわいい』へのこだわりはどうした。
「え? かわいくないか、モロ。モフモフだし」
「かわいくねーよ」
首だけになっても動き回るような存在を『かわいい』だなんて、俺は認めない。というか、こいつら『犬』じゃないだろ。どっちかっていうと狼だろ。……いや、『山犬』だから大じい的にセーフなのか?
「まったく、これも嫌なのか? じゃあ、あと残ってるのは……。人型ではあるけど、戦国時代の半妖とか? 高橋留美子原作の」
「懐かしっ。っていうか、真剣に悩むな! だから、普通でいいんだって、普通で。あんたはウチを珍百景にでも出演させる気か!?」
「あー」
「『それだ!』って顔をするな!」
その場合、誰が、なんと言って、この事態を説明すると思ってんだ。俺は嫌だぞ、この野郎。
そう言うと、大じいはさも当然と言うように答えた。
「『ご神託があったので』って言えばいいじゃん」
「確かに嘘は言ってないけれども!」
この場合、『ご神託』と書いてルビは『年寄りのわがまま』だ。
と、騒いでいる間にいつの間に近づいたのか、俺の背後で驚いたような声がした。
「……うちの狛犬はこんなに大きかったかな?」
「父さん」
聞こえてきた声に振り向くと、掃除をしに来たのか庭ぼうきを持った父さん(俺の父親だ。間違っても犬の姿はしていない)が目を丸くしていた。
「もしかして、これは大じいの仕業かな?」
「もしかしなくても、そうだよ」
説明しなくても通じるあたり、お互いこの手の超常現象には慣れたものである。慣れたくもないが。
父さんは深々とため息をつくと、諭すように指を一本立てた。
「まったく……。何をやっているんですか、貴方は」
そーだ、父さん。もっと言ってやれ。
大じいは父さんにまで説教されたのが気に食わないのか、ムッとした顔をした。
「なんだよー、お前までそんなこと言うのかー」
「当たり前ですよ。こんなもの認められるわけないでしょう」
父さんは毅然とした態度で狛犬(もどき)を指差して、言った。
「モロの君の尻尾は二本です」
「あっ」
「どーでもいいわああああああああああ!」
本日二回目の腹からの絶叫が飛び出した。常識を持ったやつはここにいないのか。っていうか、詳しいな、父さん!?
「何言ってる、重要なことだぞ? 尻尾一本だと、別のキャラクターになるし……」
「父さんが何言ってんの!? 止めてよ、大じいを!」
「どうせ、『あのやたら強面でかわいくない石像の顔見るのにも飽きた』とか言い出したんだろ? いいじゃないか、模様替えくらい」
「模様替え!? 模様替えってこんなんだったっけ!?」
俺の知ってる模様替えと違う。すごく違う。
ダメだ。援軍が来たと思ったら、敵の増援だった。二対一とか、俺にとって不利すぎる。どうする、どうすれば、珍百景出演を阻止することが出来る。
あきらめかけ、力なくうなだれた俺の視界に、教科書とノートが詰まった学校鞄が映った。学校帰りにそのまま神社に寄ったため、適当に足元に置いていたものだ。そういえば、今日の授業もつまらなかったなぁ、政経とか何の役に立つんだよ……と現実逃避気味に思い返し……ひらめいた。
いや、待て。確かにこの策は父さんには有効だろう。しかし、果たして大じいにも通じるかと言われればそれは賭けだ。大じいは腐っても神様。今回のように唐突に狛犬をマイナーチェンジする以外にも、何を考え、何をしでかすか俺達家族にも把握しきれない部分がある。
だが。だが、しかし。俺にはもうこれ以上の策は思いつかない。最悪、父さんだけでも味方につけることが出来れば多少有利な状況に持ち込むことが出来るはず……!
俺は心を決めると、学校鞄に手を突っ込み、目当ての教科書を引っ張り出した。
「大じいっ、父さん!」
「ん? どうした、急に」
不思議そうな顔をした大じいと父さんに向かって、ちょうど今日授業でやったページを勢いよく開けてみせた。
「あんたら、著作権って知ってるか!?」
「「……あ」」
父さんと大じいの声がきれいにはもる。
俺は神様も法律を気にするのだということを初めて知った。
数日後。
「先生」
「はい、なんですか」
「政経ってなんの役に立つんだとか思ってすいませんでした」
「はい?」
「すごく、役に立ちました。ありがとうございます」
「……? ええ、どういたしまして……?」
唐突にがっしりとした握手付で感謝され、とまどう政経担当の先生を残し、俺はいい気分で下校する。
『著作権』攻撃がよほど効いたのか、我が家の狛犬はあれ以来、ごくごく普通で、オーソドックスで、典型的で、一般的な、どこにでもある、実にありふれた形を保っている。普通って素晴らしい。うちの神様はたいがい変わり者だが、人間の法律を気にする変わり者でよかった。
そんなことをしみじみと考えながら、我が家の隣にある神社の鳥居をくぐる。
「大じいー、ただい……」
いつものように大じいに挨拶をしようとした、その時。
パァン
聞き覚えのある柏手の音。見覚えのある白い煙。
「おー、坊。おかえりー」
実に聞き覚えのある、大じいののんきな声。
「…………あのさ。なに、これ」
「狛犬」
「そうじゃなくて」
だらだらと冷や汗を流す俺をよそに、大じいは得意満面で我が家の狛犬を……なぜか頭が三つになっている『狛犬』を指差した。
「ギリシャ神話の冥界の番犬、ケルベロスだ! これなら、『犬』だし、強いし、モフモフだし、なにより、著作権にもひっかからない!」
「いい加減にしろおおおおおおおおおおおお!!」
我が家が珍百景に出演する日も、近いかもしれない。