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ぴちゃん。

作者: 山菜おこわ
掲載日:2026/07/14

ときに人というのは不思議で、意識していなくてもたった一つの異音を妙に耳に残したり、普段何気なく見ている景色をパッと見ただけで、何かあれば「違う」と違和感が目に飛び込んでくるという。

これをポップアウト効果という。




「-で、ここが噂の怪しい音が聞こえた場所ってわけ?」


太陽も傾き掛けた夕暮れの刻。人一人歩くのが精一杯な窮屈で薄暗い路地の一角にて少年が呟く。

誰に言ったわけでもない。少年は手にしていたスマホに顔を近づけると、「おーい聞いてるかー?」となんとも気の抜けた声で話す。するとスマホから慌てた声が返ってくる。


「そ、そうだよっ!ってか本当に着いちゃったんだね。(ごう)


「おう。ほらっ、お前も見てみろよ」


「げっ!?僕はいいよぉ!」


ビデオ通話の画面を正面に向ければ、スマホの中の少年は腕を交差させて顔をふさぐ。

その様子に少年-強は、「ヘンッ」と鼻を鳴らして「この程度でビビんなよ」と愚痴る。


「違うよ!強が不用心なんだってば!あれだけ先生から近付くなって言われたのに!」


「はっ、怯えるだけなんて誰でも出来る」


強はため息混じりに少年を小馬鹿にすると、正面に顔を向ける。

強の視線の先には、濃い霧に紛れ、今にも崩れてしまいそうなボロい建物が見え隠れしていた。


最近この辺りでは行方不明となる事件が相次いでいる。

噂では神隠しにあっているとか、誘拐、不審者による犯罪に巻き込まれているなど様々だ。


「さて」


強はなんの躊躇いもなく霧を抜けて近付くと、本当に稼働しているのか怪しいくらいに古びているのが解る。

建物の殆どは茶色み掛かって朽ち、トタン屋根は幾つか捲れ上がっている。

今聞こえるガタンガタンと地面を揺らす工場の駆動音が聞こえなければ、ここが工場で、稼働しているのかすら判断できないだろう。


「ねぇ・・・・・・きっ、聞こえる?」


恐る恐るスマホから少年が声を絞り出す。強は自分にも納得させるように独りでに頷いた。


「あぁ。スマホづてだと分かりづらいだろうけど、俺にはばっちり聞こえる」


工場の駆動音に混じり、ぴちゃんとまるで水滴が水面を打つような音が妙に耳に入る。


辺りを見渡してみても原因足るものが無く、そしてその音が聞こえてくるのがなぜか工場の方だと本能的に理解していた。

本来ならば有り得ない。この騒がしい工場が目の前にあるのに、小さな水滴の音が聞こえる筈がない。

つぅ、と一雫の汗が額から滑り落ちる。


「うえぇッ!?やっぱり行くのやめなよぉ!」


弱気な少年の声に、強はごくりと生唾を呑み込む。


正直怖い。有り得るわけがないのだから。

だけど強と言う少年は、虚勢を張り続けてクラスのガキ大将になった。

普段慕っている少年の手前、どうにも引ける状態ではない。


そう思っているうちにも、一定の感覚で落ちる音は、まるで強を誘っているかのように頭に響いた。


「・・・・・・”来て”って言ってるみたいだ」


強は何かに惹かれるように歩きだす。

まだ止まる事は出来た。しかしそれに乗じて動かなければ足が止まる気がしたのだ。


「えっ、ちょ、ちょっと!?強!」


スマホの中の少年の声を無視して、工場の門を通過する。もし声に耳を傾けてしまえば、すぐにでも歩みを止めてしまうだろう。

そうしてしまえば、明日にも臆病者だと強に後ろ指を指され、残りの学校生活に支障が出る。それだけは嫌だ。


あぁ、どうして電話なんてしてしまったのだろうと強は酷く後悔した。

もちろん道中が怖かったからだ。

だが今はそれが足枷となって引き返す事が出来なくなっていた。


門をくぐると、異様な光景に顔が歪む。

アスファルトで固められた地面は大きく割れ、その間から草の芽が顔を覗かせていた。

となりを見やれば、いつから稼働していないのか、朽ち果てたフォークリフトが横転していた。

本当にこの工場はまだ動いているのか?

それを証明するように、近付いて行くにつれて工場が稼働する音が大きくなっていく。


ギィ・・・・・・。


思わず振り返る。

鉄門は誰にも触れられていないはずなのにギギギ・・・・・・と不快な軋みを響かせ、閉められる。


どうして独りでに動いた?

強の頭は解決策を出そうとぐるぐる回る。しかし納得する答えが現れない。


暫らく見つめていても、もう鉄門は動かない。

まるで強を逃がさないと訴え掛けているようだった。


怖さは全く掻き消えてはくれない。

今でも冷や汗は絶えず流れ、ぐっしょりとシャツを濡らしていく。


スマホから少年が叫びに近い声をあげている。見れば握る手が震えている。

強はそれを押し殺すように強く握りしめた。


「・・・・・・怖いわけねぇ」


虚勢で張ったその勇気すら、恐怖に口をガタガタと鳴らし、工場の音で無惨にもかき消される。


強は恐怖を置き去りにするかのように工場に向かって再び歩きだす。


「もういいよ!強!凄いって!一人でそんな所行くなんて凄いよっ!」


少年の励ましも強の耳には入る事はない。

強は強気な態度を崩さず、目の前の結果を求めて止まらない。

ここはただの工場なのだと言いたい。そしてスマホの中の少年に見届けてもらいたい。

そうすれば明日は後ろ指ではなく、拍手が溢れ、また賞賛を浴びるいつもの強になれるだろう。


いっその事、工場の人に見つかりたいとさえ思った。そうすれば仕方ないと肩がつく。

しかしその願い叶わず、ついに強は工場の扉まで辿り着いてしまった。


「よし・・・・・・ここまで来た」


気付けば強は肩で息を切らしていた。


「強!本当にもう凄いって!だからもう帰ろうよ!」


「いやもう後はここ開けるだけだから・・・・・・」


強は息も絶え絶えに、手前にある取っ手に手を掛ける。

ここを開ければ全て終わり。

最悪追い出されるだけだし、さっさと済ませてしまおう。

強は取っ手をひねり、扉を押す。


ギィ・・・・・・。錆びた蝶番が、長い眠りから目覚めたように軋んで役目を全うする。


「え?」


そこに広がる光景-そこには何も無かった。


「あっ、えっ?」


工場の中を忙しなくしていた設備は一つもなく、そこにあったのはもぬけの殻となった工場だけだった。


「・・・・・・は?」


いつの間にか工場内から響いていた駆動音はぴたりと止み、響くのは強の声のみだった-いや、他にもう一つ。


ピチャ・・・・・・。


強の頭になにかが触れた気がした。瞬時にこれがさっきまで聞こえていた音だと理解した。

強は見上げようとして、ふと止まった。

嫌な予感がした。


強は見上げた頭が力無く下がっていく。

視界の下、何かが映る。


恐る恐る首を動かすと、下には水溜まりが出来ていた。

そこに映っていたのは、下を向く強と、その後ろから覗き込む無表情の女の顔。

水溜まり越しに目が合った瞬間、女は嬉しそうに顔を歪めて笑った。


「あ-」


強の声はそれを最後に、覆い被さる女により遮られる。伸し掛る女に耐えようと身体を固めるも、水溜まりが急に地面を無くして強を呑み込んで消えた。


後に残ったのは放り出されたスマホだけだった。


「強?強ッ!?」


スマホ越しに必死に少年が叫ぶも、虚しく工場内に響き渡るだけで誰も反応しない。

ただ一つ・・・・・・。


スマホ越しに映る水滴を除いて。


ピチャン・・・・・・。

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