タイトル未定2026/06/18 18:49
私が転職した会社の最初の配属先が横浜の郊外であった。厳密には、横浜といっても市内ではなく、横浜に隣接した衛星都市であった。最寄り駅は、横浜を始発駅として走る私鉄の相鉄線の大和駅だった。
この私鉄の相鉄線には特急がなく、急行があった。ただ、その急行というのが少し変わっていた。たいていの場合、急行というのは、始発から終点までの間の主要駅に、ある程度の間隔を取って、停車して行くものである。しかし、相鉄線は全部で十八駅しかないのに、急行は、始発の横浜駅を出ると、次はいきなり十駅目に止まるのだった。つまり、距離にして半分以上を飛ばすのだ。その後は、終点までの八つの駅の全てに止まる。乗降客の多い駅も少ない駅も同じようにだ。
急行の中には、一定の距離を走り、終点近くになると、各駅に止まり出すというケースは少なくないが、それでもそこまで到達するまでには、途中駅にいくつか停車する。だが、この相鉄線の場合は、はじめから半分以上をすっ飛ばして行くのだ。
勤務先の最寄りの大和駅は、急行で五つ目だった。全駅のうち、始発の横浜駅は別として、後に支線との分岐点となる急行の一つ目の二俣川駅、そして、大和駅と終点の海老名駅が主要駅であった。というのも大和駅と海老名駅には、小田急線の二路線が交差していたので、必然的に乗降客が多かったからだ。その他の駅は他の鉄道と交わっておらず、文字通り〝相乗作用〟といった要素では、乗降客が増えることはなかった。
ところで、私の勤務する会社は、不動産会社であった。といっても、大手ディベロッパーではなく、アパートやマンションの仲介業者だった。
以前は、中堅ながら今で言う東証プライムに上場していた会社で、営業の仕事をしていた。そこは、その当時はそのような用語はなかったが、現代で言えば、ブラック企業というやつだった。営業のノルマ達成のための叱咤、叱咤ばかりが毎日繰り返される、激励のないそんな会社であった。
そのような毎日を送っていて、ある日突然、胃潰瘍になった。その上、腰痛も始まった。それらの激痛、時に鈍痛はなかなか治まらなかった。主治医、つまり、消化器内科医と整形外科医の二人が口裏合わせをしたかのように、原因はストレスであると診立てた。
私の営業成績は取り立てて良くも悪くもなかったが、からだの不調がその仕事を見直す良い機会となった。
その後、転職活動を行ったが、営業の経歴を捉えられると、なかなか総務や経理などの内勤職からは色よい返事をもらえなかった。結局、次の仕事に就けたのも、不動産仲介業という一種の営業職であった。
だが、営業とはいっても能動的に動くものではなかった。客は、店の大きなガラスに貼ってある物件情報やこちらが出した広告媒体での募集告知を見て、自ら問い合わせをして来るケースがほとんどであった。それらを一定のマニュアルに従って、処理して行けば業務は滞りなく済んだ。その意味では受動的な営業であった。前職が自ら電話をして、アポイントメントを取って、飛び込むというスタイルだったのに対し、次のは、来た客を整理するという受け身の姿勢であった。
だから、仕事は楽であった。他の営業所員はそれなりにあくせくしていたが、私にとってこの業務は前職に比べたら、赤子の手をひねるようなものであった。
ただ、今までは東京都内を駆けずりまわっていたので、それなりに、緊張感や刺激があったが、ここ横浜の衛星都市である大和市界隈はそのような雰囲気ではなかった。その意味で、物足りなさがあった。仕事も街ものんびりとしていたので、何か満ち足りなさを感じていた。
たいていの客は、ネットに載っている告知を見て問い合わせて来た。中には、店のガラス一面に貼られた物件情報を見て、やって来る者もいた。
その日の午前中も一人の客が入って来た。自衛隊員だった。近くに厚木基地があるので、この当たりには防衛省の関係者が多く住んでいた。彼は、直に、千葉の柏にある下総航空基地から、異動で厚木航空基地にやって来ることになっていた。
部屋探しの条件は、まず賃料が安いこと。だから、マンションではなく、アパートでも良いとのことだった。また、駅からは近いに越したことはないとの要望だった。
私は、彼が気に入っていた物件の他に、二つほど予備を用意して、彼と車に乗り込んだ。小さな社用車だ。
お気に入りの物件は、大和駅の隣の大塚駅にあった。この駅前は、この沿線の中で最も開発の遅れたへんぴな所だった。だからこそ家賃が安かった。
用意した三物件は、いずれもこの大塚駅を最寄り駅としていた。全て一通り部屋の中を案内した。みな欠点もあれば長所もあり、甲乙を付け難く、その日のうちに結論は出なかった。その日、客はこの大塚駅から相鉄線に乗って、千葉へ帰るので、大塚駅まで送り届けた。
客と別れて、営業所に戻る途中に踏切があった。前の車が一時停止を終え、発進すると、
『カン・カン・カン・カン』と踏切の鐘が鳴り出した。
ついてないなあ、とつぶやいたが、別段急いでいる訳でもなかったので、ゆっくりと待つことにした。
私は肩の凝りをほぐそうと何度も何度も首を回した。そして、肩を持ち上げては落とすという体操をした。黙想しながら、それを何度か繰り返した。
その後、正面を直視すると、何と、踏切の中に老婆が佇んでいた。どうしたんだろう、耳が遠くて、鐘が聞こえないのだろうか。それとも、足を挫いたのだろうか。もしかしたら、ボケているのか・・・・・・
私は、瞬間的にそう思いながら、急いでドアを開け、外に飛び出した。
警笛が鳴り、鳴り響いた。電車が迫っていた。
今なら踏切に飛び込んで行けば間に合うかもしれない、私が、そう思った瞬間、あたり一面オレンジ色になった。その直後に物凄い風が吹いた。私もそれに押されて、ツンのめりそうになった。それは、危うく踏切のバーが折れ曲がるほどの風圧だった。
見ると、老婆が勢い良く転がった。二回転か三回転、いやそれ以上転がったかもしれない。
電車は急停車した。先頭車両がちょうど踏切を超えた位置で停車した。あのままであれば、間違いなくはねられていた。
私は、車両に沿って、迂回しながら老婆に駆け寄った。
「だいじょうぶですか」
「ええ、だいじょうぶですよ。ありがとうございます」
そう言いながら、立ち上がった老婆の活舌は、はっきりとしていた。不思議なことに、あれだけの勢いでからだを回転させられたのに、かすり傷一つなかった。多少土埃が付いている程度だった。私がその埃をはたいてやると、
「あー、おばあちゃん、大丈夫だった―」
と、血相を変えて中年女性が走って来た。
「すいません、認知症なもんで、ちょっと、目を離した隙に、徘徊してしまって・・・・・・」
その女性は、私といっしょに埃を落とした後、引き続き老婆の服装を整えながら言い訳をした。
どうやら老婆は認知症で、踏切に入り込んでしまったようだった。嫁か実の娘かはわからなかったが、二人で何度も何度も恐縮しながら、帰って行った。
私たちのやり取りを見ていた車両が、再び走り出して行った。
それにしてもあの突風といい、その前にオレンジ色に光った周りの光景といい、あれはいったい何だったのだろうか・・・・・・不可思議でならなかったが、私の脳は、その出来事を通常のことと見なせと指示をしているような気がした。つまり、とにかく老婆が無事であったことが何よりだったので、それ以上事態を追究するなと命じられているような気がした。
それから一年以上が経過した。不動産仲介の仕事にもすっかり慣れていた。
その日は、朝からどんよりと曇った日で、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。
三日前に電話で問い合わせをして来た客で、若い新婚のカップルが来た。今、住んでいる部屋が手狭になったので、もう少し広めの間取りを探しているとのことだった。
妻は、パートタイマーとして、あるチェーンストアーに勤務していた。だから、その場所に自転車で通える距離を所望していた。
候補に上がっていた物件は、大塚駅を最寄りとしていた。私たちは大塚駅で待ち合わせ、車で移動し、現地を案内した。その後、再び大塚駅に戻って、別れた。そして、私はいつものように、営業所に戻ろうとした。
駅前通りから抜けて行くと、車が詰まっていた。その先に踏切があった。私の前の前を走っていた車が、一時停止をした時に警報機が鳴り出したのに、そのまま行ってしまった。そして、その次の、つまり、私の前の車が、下りかけていた遮断機を無理にくぐろうとした。まあ、たいていの場合、このような脱法行為をしても、時間的に考えて、突っ走って行けてしまうものだ。
しょうがねえやつだなあ・・・・・・と、私は心の中でつぶやいたが、何とその車は、すんなりと踏切を走破できなかった。アクセルを踏んだ後、ハンドルを左に取られてしまったのか、線路の脇のくぼみのような所に落ちてしまった。
ドライバーはみな、自分はそんな事態に陥るはずはないと思って、そういう行動を取るものと思われた。だが、そのうちの極々一部がこういう事態に遭遇してしまうのだ。だからこそ、全国では、何日かに一回の割合で、踏切事故が起きているのだ。
運転手は何度もアクセルやブレーキを踏んでいた。後ろから見ると、むきになっているようにも、焦っているようにも見えた。
命を優先するには車から脱出するしかない。だが、その場合は、車は破損するし、電車も衝撃を受ける。運転手や乗客も無事でいられるとは限らない。
私は、車から降りた。そして、走って来る電車の運転手に緊急事態を知らせる非常装置のボタンを探した。ところが、私も慌てているせいか、なかなか見つからない。
電車が近付いて来るのが見えた。不思議なことに、視界に入る電車の大きさに比例して、警報機の音まで大きくなって来るような気がした。
「あった!これだ!」
非常装置を見つけた。
ところが、焦っていて、なかなか押し切れない。手も滑る。押した、と思っても壊れているのかボタンがへこまない。
どうなってんだー。
と思った瞬間、当たりがオレンジ色に染まった。まぶしくて目を開けていられないくらいだ。強烈なまぶしさだ。その上、強風が吹いた。立っていられないほどの風だ。
もし、衝突したらその弾みで私も巻き添えになるかもしれない。そんな思いもつかの間、物凄い金属音を鳴らしながら、急ブレーキをかけた電車が通り過ぎた。先頭車両が踏切を二十メートルほど過ぎた地点で止まった。
私の瞼には、太陽の直射日光を浴びたようなまぶしさが残影として残り、視界を取り戻すには何秒もの時間がかかった。
視界がはっきりとして来た。
車は踏切の手前側に横向きで止まっていた。だが、へこんだ跡やつぶれた跡はなかった。損傷はなかったのだ。
電車の運転手が電車から小さなジャンプをして降りて来た。車に駆け寄ると同時に、車のドアが開き、ドライバーが降りて来た。相変わらず、警報機が鳴り続けていたので、二人の会話は聞こえない。
ドライバーは、大きく息をついた後、頭を深々と下げている。運転手は多少微笑んでいる。どうやら、みな無事だったようだ。
安全を確認したら、次は列車を運行することが先決だ。運転手は小走りで、電車の顔に近付き、今度は勢いを付けて細い入口に駆け上がった。そして、何事もなかったかのように、再び電車が動いて行った。
一方、私の手の震えはなかなか治まらなかった。だが、列車が踏切内から消え、警報機が鳴り止むと、私の手も正常に戻った。
そういえば、前の老婆が助かった一件もこの踏切だった。老婆が立ち往生し、私が助けに行こうとした瞬間、突風が吹き、事なきを得た件だ。その時もあたり一面がオレンジ色に光った。そう、周りがオレンジ色に染まって見えたのだ。
果たして、これは偶然だろうか・・・・・・二件とも無事故で済んだのだから、それで良しということではあったが、この二つの未遂事故は私には偶然とは思えなかった。ただ、仮にこれが偶然ではなかったにしても、それを確認したり、検証したりする術がなかった。それに、そうする必要もなかったし、それに費やすエネルギーもなかった。
結局、無事故で済んだので、この件は誰にも話すことなく、私の中で終了した。
ところで、相鉄線は、本線とは別に二俣川駅から支線が開通していた。本線が京浜工業地帯に勤務するブルーカラーの労働者を輸送するのに対し、支線は新しく開発する田園都市に住む都心へ通うホワイトカラー層を対象としていた。だから、始発の横浜駅では、右に行く本線と左へ行く支線とで、客層が真っ二つに分かれていた。
本線ではドアが開くと同時に猛烈な席取り合戦が展開された。それもそのはずである、工場での重労働をして来た後だ、からだを休ませるのには着席することが何よりだからだ。一方、支線の客は積極的に席取り合戦には参加しなかった。事務職は肉体的な疲労は少なかったのだ。それに、可処分所得の高さが一定の品格を保たせていたので、本当は先を争って、座りたかったが、体裁を考えて静かに乗り込むという行動を取らざるを得なかったのだ。
このように、相鉄線は文化や価値観の違う二種類の人たちが乗る珍しい路線になって行った。
それから約二年が経過した。その間、私の仕事は、支線の方へのニーズが増え、本線の方の引き合いは横ばい状態であった。特に、大塚駅の物件を案内する機会が少なく、例の踏切を渡ることもめっきり減っていた。
そんな時、辞令が出た。異動の辞令だ。転勤先は、大和駅よりもっと片田舎な所にある営業所であった。昇格も伴わずの異動だったので、事実上左遷のように見られた。その異動に私自身は当然驚いたが、私以上に周囲の者たちが驚いた。私の営業成績は良かったので、周りの者たちからは、営業所内で課長に昇進するか、仮に昇進がなくても、もっと都心に近い営業所や大型の支店への異動と目されていたからだ。
私は、その異動の意味が分からず、所長に問い質した。しかし、所長は本社の人事部の意向だと繰り返すばかりで埒が明かなかった。
誰もが知っての通り、サラリーマンの世界では不本意な異動や納得の行かない人事など日常茶飯事であったが、いざ自分の身にそれが降りかかると、そう簡単に割り切れるものではなかった。その私の落ち込みを見てか、北沢という同僚が慰労会を開いてくれた。二人きりでの慰労会だったが。
北沢も同じ中途採用組で、高校を卒業してから大学を出るまでに二年ほどダブっていて、私より一歳年長であった。だが、大学の卒業年次が同じだったので、私たちは同期という扱いを受けていた。
彼が慰労会を予約した店は大塚駅の近くにある小さな居酒屋だった。横浜駅は無論、大和駅や海老名駅と比べても圧倒的に飲食店が少ない街だったので、どうしてそこを選んだのか不思議だった。
「先に一杯やってたよ」
私が到着すると、北沢が飲んでいた。私が客への物件の案内で三十分ほど遅れそうだったので、先に飲んでいてくれと連絡を入れておいたからだ。
「この店の上の階を仲介したことがあってね・・・・・・」
そこは、一階が店舗で、その上がマンションになっている駅前によくある建物であった。
「ああ、そうだったのかあ・・・・・・今日は、どうして大塚駅なのか、不思議だったよ」
私は単純にそう思っていた。
「独り者向けのワンルームの他に、一部にファミリータイプがあって、そこに入った人で、市会議員さんだったよ」
「へえ、議員、いい客だねえ」
「鳥飼という議員で、何かライフワークがあると言っていたなあ・・・・・・」
私たちは、とりあえず封の切られていた瓶ビールで乾杯した。
「所長は本社の人事部の意向なんて言ってるが、日頃の査定をしたり、異動の案を書いているのは所長だからな」
「そうだろうねえ・・・・・・」
「所長は誰かれ区別なく、良い査定はしていないというもっぱらの噂だよ。だから、あの人の下になると、みな日の目を見ないらしい。この際、早目に所長の下から退出できて良かったんじゃないのかな」
その言葉は慰めではあったが、一方では真実であった。
「まあ、次の所でも淡々とやることだな。俺は前の会社にいた時、人事部にいたことがあってね、不本意な異動をさせられたやつを見て来たが、みな落胆して異動先で自滅してしまうんだな。中には奮起して、復活する者もいるけど、大半の者はモチベーションが下がって行くんだ・・・・・・」
「・・・・・・」
北沢が前の会社で人事部にいたというのは初耳だった。それならと思い、私は、人事のプロの言うことを素直に拝聴した。
結局、ずいぶん深酒をして、店を出た。その際、店の主人に、次は終電だと言われた。
私は、泥酔という認識はなかったが、かなり酔っていた。北沢はふらつきながらの千鳥足だったので、だいぶ酔っていたに違いない。
路地を曲がると、三十メートルほど先に踏切があった。が、
「カン・カン・カン・カン・・・・・・」
と、警報音が鳴り出していた。
大塚駅の出入り口は片側しかない。踏切を渡って、向こうサイドに行かないと駅舎に入れないのだ。
ああ、終電に間に合わなかったか、と、私が思った瞬間、北沢が走り出した。変則的な〝千鳥駆け足〟でだ。
「乗らないと間に合わないぞー」
と叫んでいる。
危ないぞ、と思いながら、私は追いかけた。電車は近付いてはいるが、まだ、来ない。突っ切れる。私は、そう思った。
ところが、あわてていたせいか、酔っ払っていたせいか、その理由はわからなかったが、線路とアスファルトの間に足を取られ、ひっくり返ってしまった。しかも、私と北沢とも同時にだ。
落ち着け、大丈夫だ。咄嗟に私はそう思って、起き上がろうとした。すると、驚いたことに、立ち上がれない。からだに力が入らないのだ。腰が抜けたとはこのことを言うのか。ただ、自分が起き上がれなくても、北沢が引っ張ってくれるだろうと思った。ところが、その北沢も立ち上がろうともがいている。何かを叫んでいるが、よく聞き取れない。音量を上げて来るかのような警報音に遮られて、声が聞こえないのだ。同時に電車の警笛が聞こえ、それが鳴り止まずに近付いて来た。
いったい、どうなっているんだ。
と思いながら、左手を踏切の地面に付いた瞬間、夜空がオレンジ色に光った。そして、物凄い突風が吹いた。竜巻かと思った。まるで、宙に浮いているようであった・・・・・・
目が覚めた。
私たちは、遮断機の外側の道路脇の植え込みに横になっていた。
時計は午前二時をまわっていた。
泥酔した酔っ払いのように、しばらくの間寝入っていたようだ。
横で寝息を立てていた北沢を起こした。北沢が家に連絡したら、かみさんが車で迎えに来てくれた。私も便乗して家まで送ってもらった。
この時、北沢は、居酒屋を出てからのことをいっさい覚えていなかった。
それから数日後に異動し、新天地に着いた。そこは、相当な田舎街であった。ところが、近くにライバル会社の営業所がなく、仲介は独占状態であった。一年後に大きな工場ができ、四年後に、スーパーができた。それに伴う人の流入が不動産仲介に多大なビジネスチャンスをもたらした。
私は、その営業所に何と八年もの間在籍し、その間に抜群の営業成績を上げて、所長に次ぐ次長となった。その後、再び昇格の異動辞令を受けた。それも、古巣大和駅の営業所長への就任だった。それは、まさに、勝利者としての凱旋であった。
大和営業所の所長になって数日後、部下が、仲介をした客が焼き肉店をオープンしたので、食べに行ってあげたいと言うので、もう一人の部下と三人でそこにランチをしに行くことになった。いつものように社用車に乗り込んだ。
最寄り駅は大塚駅であった。大塚駅といえば、あの不思議なことが起こる踏切のある所だった。私は、あの日、北沢が慰労会を開催してくれて以来、そこに踏み入れていなかったが、今日もまた何かが起こるような気がしてならなかった。
しかし、その日は様相が違っていた。駅前に近付くと、何かセレモニーみたいなものをやっていて、誰かが挨拶に立っていた。
「・・・・・・ということで、念願の高架化により、踏切が無くなりました」
え、踏切が無くなったのか!あの踏切が・・・・・・
部下が言うには、挨拶に立っているのは鳥飼という市長とのことであった。
信号待ちをしていた私たちは、その挨拶を傾聴した。
「・・・・・・実は、私事ながら、私の兄が幼い頃この踏切で事故に遭い、命を落としました。両親はその上の姉とこどもは二人で良いと考えていたのに、下を失ったので、その代わりと言っては何ですが、私が生まれました。つまり、私は、兄がここにあった踏切で亡くならなければ、生まれて来なかった訳であります・・・・・・そんな経緯で生を授かった以上、私は、何としても踏切の事故を撲滅せねばならないと考えました・・・・・・たまたま市会議員、そして市長になり、多くのみなさまのご賛同と鉄道会社さまのご協力をいただいて、こうして踏切を無くすことができました・・・・・・」
ここで、小さな拍手が起き、市長が一呼吸ついた。
「そして、まことに勝手ながら、高架の壁面の色は、私の兄が好きだったオレンジ色にさせていただきました・・・・・・」
高架の壁を見ると、太陽をあしらったスケールの大きな絵が描かれていた。そう言われてみると、全体的にオレンジ色が多く使われていた。
「私には、これ以上の喜びはありません・・・・・・ご協力をいただいたみなさまに、感謝を申し上げて、私のご挨拶に代えさせていただきます」
市長の声は涙声にも聞こえた。
通り一遍の政治家の挨拶とは一味違い、満場の拍手が巻き起こった。
その時、私は、背筋に、ゾクゾクっとしたものは感じなかった。それよりもむしろ、全身に暖かいものを感じた。
市長を良く見ると、オレンジ色のネクタイをしていた。
―おわり―




