荒野を越えて
荒野から、風が吹き抜けた。
――本当に、私が。
群れの主という“意味”を、剥がしたのだ。
狼たちの敵意は、完全に消えていた。
谷の底に残ったのは、ただの静寂と、荒い息だけ。
戦いの末に、群れは七体になっていた。
「……すごいですね。
完全におとなしくなりました」
ニナが、私のもとへ歩み寄ってくる。
その声には、驚きと安堵が混じっていた。
「本当に……乗れるんでしょうか?」
リオンは傷だらけだが、立っている。
彼の向こうで、グランドウルフたちは静かにこちらを見ていた。
体高は人よりわずかに低いが、
その体は筋肉の塊のようにたくましい。
――確かに、大人でも乗れそうなサイズだった。
しかし――この魔物たちは、魔力によって統率されていた。
さっきのは、あくまで即興。
“同族の魔力”を放つことで、ほんの一瞬だけ支配構造に割り込めただけ。
長くは保てない。
コントロールなんて、できるはずもない。
やがて、狼たちは主を失った群れのように、
ただの犬みたいにウロウロと歩きはじめた。
よし――!
「待て! お座り! お手!」
……ダメだ。
犬たちから謎のリスペクトは感じるけど、言うことはまったく聞かない。
「任せろや!」
狼面のバルナが、自信満々に声をあげた。
確かに――彼も“狼”ではある。
けれど、あくまで獣人だ。
……本当にいけるのか?
横では、ディランが静かに剣の手入れをしていた。
その動きは落ち着いていて、まるで何事もなかったかのようだった。
そして次の瞬間――
バルナは、もう“お手”と“お座り”を仕込んでいた。
あの狼面の右手には、いつの間にか貴重な干し肉。
エサを駆使して、器用にしつけをしている。
「バルナさん、すごいですね……」
ニナが真剣な顔で呟いた。
私は思わず、ため息をつく。
「行けるぜ!」
その声とともに、狼面のバルナが――本物の狼に跨っていた。
……いや、早い。
もう乗ってる。
騎手と騎馬のサイズ感には明らかな違和感があったが、
彼は器用に手綱代わりの毛を掴み、まるで昔から乗っていたかのように乗りこなしていた。
続いて、ニナ、ディラン、リオンも次々と跨っていく。
正直に言うと――私は少しだけ、怖かった。
でも、みんなが楽しそうに笑っているのを見て、胸の奥で何かがほどけた。
騎乗は、貴族の嗜みとして少しだけ習っていた。
……やるしかない。
私は覚悟を決め、狼へと歩み寄る。
――あ、なんか、謎のリスペクトを感じる。
大丈夫そう。
横に回り込み、勢いよく跨った。
「お、おおお……!」
視界が一気に高くなる。
風が頬をかすめ、灰色の毛が陽を反射する。
――走れそう。
そして、サイズ感は私が一番合ってる。
「一気にアルディアへ向かうぜ!」
バルナの声が響いた。
次の瞬間、風が爆ぜる。
狼たちが一斉に地を蹴り――谷の底を、白い砂煙が駆け抜けた。
◇
グランドウルフでの旅は、驚くほど順調に進んだ。
この世界の陸地での移動といえば、やはり馬が主流。
最も速いのは“走竜”だが、扱うのが難しい。
グランドウルフはマイナーな騎獣らしいが、独自の文化があるという。
リオンが得意げに語っていた。
「持久力なら、こいつらが一番だって言われてます。
ただ、群れの主に“意味刻み”が多いから、扱いが難しくて……」
確かに、そうかもしれない。
そして――私は、二つの勘違いをしていた。
ひとつは――あのとき、“群れ”そのものに意味が刻まれていると感じたこと。
けれど、実際には“個体”に意味が受け継がれていただけだったようだ。
最も魔力の高い個体が、次の“主”となっていったのだろう。
……まぁ、想定は、ほぼ合っていた。
もうひとつは、私が“意味を奪えた”と思っていたこと。
けれど、あれは――“剥がした”だけだったらしい。
ちょっと、私が盛り上がりすぎただけ。
“意味”を奪えるのは、ごく限られた存在。
神の使徒や、“残響者”と呼ばれる者たちだけだという。
――これらのことは、すべてディランの分析として語られた。
頷きながらも、
自分が――“紅の神”と契約していることを、なぜか言えなかった。
“使徒”は本当に、意味を奪うことができる――
その言葉だけが、なぜか胸の奥に残っていた。
「セラナ、よくやりきったな」
ディランが、静かに私を見て言った。
その声には、確かな信頼の色が混じっていた。
「……こちらこそ。ありがとう。」
私は小さく息を吐いて、そう返した。
風が吹き抜ける。
谷の匂いが、少しだけ優しくなった気がした。
「このペースなら、あと三日で着きそうです」
ニナが、指折り数えながら言った。
その声を聞きながら、私はふと空を見上げる。
あの日以来――
ひとりになると、胸の中を“復讐”が満たすことが多かった。
けれど今は、風が心地よかった。
ただ、それだけが、不思議と嬉しかった。
そして、空の色が少しずつ変わっていくように、
私たちの旅路の三日も、静かに過ぎていった。
◇
旅立ちから、七日目の昼になっていた。
荒野はいつの間にか遠ざかり、
景色は、緑の濃い穏やかな土地へと変わっていた。
「アルディアの城下町が見えてきました!」
リオンの声が、前方から響く。
木々の隙間から、私の視線にもそれが映った。
――勇者が選ばれる国、アルディア。
そしてその奥には、白い石造りの城が静かにそびえていた。




