見ている世界
昼暮れ――私たちは、バルナの鼻を頼りに、グランドウルフの群れへと接近していた。
ディランが、"意味刻み"への対応について語っていた。
「狼の主に刻まれた意味は、おそらく――
この周辺の支配者か、群れそのものの主あたりだろう」
「このレベルの魔物で、それ以上の意味が刻まれているとは考えにくい」
「土地の主であるなら、個体として際立った特徴が現れる。
群れの主であれば、行動で特徴が強く出るはずだ」
淡々とした口調の中に、確かな経験が滲んでいた。
彼の説明を聞きながら、私は思う。
――“意味”にも、ある程度の法則があるのだな、と。
ディランは、短く息を吸い、続けた。
「俺とバルナ、それにリオンで切り込む。
ニナはセラナの護衛だ」
そして、わずかに間を置いてから――
「セラナ、お前は……意味を特定し、剥がせ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
――彼は、私の実力すら知らない。
それでも、私の“決意”を信じてくれているのだと感じた。
胸の奥で、何かが静かに熱を帯びる。
「……うん」
私は、確かに頷いた。
◇
バルナの低い声が響いた。
「見えてきたぜ。二十……いや、二十二、だな」
荒野の先、谷間の底に岩が折り重なり、
まるで天然の要塞のような影をつくっている。
その内部で、灰色の狼たちが蠢いていた。
私たちは、その上方――崖の縁に身を潜めている。
風が下から吹き上げ、獣の匂いを運んできた。
見下ろすと、霧の切れ間に三つほどの影が揺れて見える。
だが、バルナは鼻で群れの数を正確に感じ取っているのだろう。
私は、“万象を見る目”を試してみる。
あの狼――そして、それと同じ種の気配を探知する。
“見る”という行為に明確な意味を与え、魔力を静かに構築する。
そして、それをゆっくりと、目へと込めた。
熱い。
視界の奥が、じんわりと焼けるように疼く。
要塞のような岩場の中――
赤くぼんやりとした光が、いくつも浮かび上がる。
……二十、二十一、二十二――いや、二十三。
私は息を呑んだ。
バルナのやつ、少しだけ間違ってる。
リオンの声が静かに響いた。
「どうしますか? あんな要塞の中に踏み込んだら、戦いにくいです。
それに、主の位置も特定できません」
谷間に沈む風が、言葉のあとをかすめていく。
私は口を開いた。
「……二十三匹いる。
――私、巣から狼を出すことができると思う」
自信があった。
頭の中に、魔法の設計図が浮かんでいた。
短い沈黙ののち、ディランが頷く。
「よし、やってみろ」
その声に、確かな肯定の響きがあった。
私はそっと目を閉じ、息を整える。
どちらも、“燃焼”という現象の構造を再現する。
酸素、熱、そして可燃物。
私は、その可燃物のイメージを少しだけずらした。
湿った苔のように水分を多く含み、
燃えにくい――けれど、煙だけは濃く立ちのぼるもの。
そこに、狼の嫌いそうな刺激臭を混ぜる。
正確な匂いなんて知らないけれど、
香木を焦がしたような、苦くて鼻を刺す香りを思い浮かべた。
そして、熱は抑える。
燃やすためじゃなく。
――追い出すための炎。
魔力の構造が完成した。
掌の中に熱が集まり、わずかに空気がざらつく。
――放つ。
次の瞬間、煙が一気に広がった。
視界が白く染まり、鼻の奥にツンとくる刺激が走る。
……あれ、少し違う。
思っていた匂いと、なんかズレてる。
たぶん、知識が曖昧だったせいだ。
横を見ると、バルナが露骨に嫌そうな顔をしていた。
……うん、いい感じ。
煙はさらに広がっていく。
ちょっと、かっこ悪い魔法。
でも、目的は果たせそうだ。
あとは流すだけ。
私は煙に向けて風の魔法を放つ。
狙いどおり――大量の煙が谷間へと滑り込み、
“狼の要塞”を静かに包み込んでいった。
要塞から、狼たちが一斉に飛び出した。
「……やった!」
思わず声が漏れる。
「セラナ様、流石です!」
隣でニナが、目を丸くして叫んだ。
「行くぞ!」
バルナが変わった、崖を駆け降りる。
ディランとリオンもすぐに続いた。
私とニナも、後を追って崖を下る。
◇
バルナ、ディラン、リオンが谷底で狼と戦い始めた。
やはり三人とも、戦い慣れている。動きに無駄がない。
私の目的はまず、“意味”を特定することだ。
視界に映る十匹ほどの群れのなかに、目立つ個体は見当たらない。
戦いは続いている。
改めて見ると、リオンの動きには少し癖がある。
けれど、やはりディランの剣技は別格だ。
素人の私にも、その差ははっきり分かる。
ただ――このまま斬り尽くされてしまえば、群れごと“意味”が消えてしまう。
馬にするためにも、五匹は残しておかないと。
「まずいぞ!」
ディランの声が谷底に響いた。
いつの間にか、前線の三人が分断されている。
「うわっ……!」
リオンが五匹に囲まれていた。明らかに劣勢だ。
「異常に統率されてやがる!」
「リオンが狙われてるぞ!」
バルナの声が続いた。
ニナが私を見ている。
リオンが危ない。
わからない。どれが主なのか。
特徴はない。
恐ろしく統率されている。
リオンを狙う狼がさらに増え、今や七匹に囲まれていた。
私は息を整え、魔力を目に込める。
狼たちの輪郭が、赤く滲んで見えた。
――全部で二十三匹。
すでに八匹が倒れている。
四匹ずつが、ディランとバルナの周囲を囲み、微妙な距離を保っていた。
全ての狼を観察した。
けれど――どれが“意味刻み”なのか、わからない。
このままでは、リオンが危ない。
「諦めるなら言え! 俺が全部斬る!
それも“選択”だ!」
ディランの声が響いた。
その響きの中で、私は理解した。
相手が“意味刻み”であろうと――
この程度の魔物は、彼にとって敵ではないのだ。
彼の実力は、素人の私でもわかるほど明白だった。
無駄な消耗を避け、アルディアへ向かう。
それが、彼の考える最も合理的な判断だったのだろう。
――でも、そんな人が。
そんな人が、私の“意志”を尊重してくれた。
胸の奥が、熱を帯びる。
「僕は、国のために命をかけてます!
最後まで、やりきってください!!」
狼に襲われながらも、リオンが必死に叫んだ。
今まで口にはしていなかった彼の国への想いが、伝わってくる。
その声は、まっすぐ私の胸に届いた。
その瞬間、胸の熱がさらに広がる。
鼓動が、痛いほどに響いた。
――そうだ。
私がやるべきことは、“意味”を見つけて、剥がして、そして奪う。
『――君なら、この世界の理を、きっと見通せる日が来る』
おじいさんの声が、胸の奥で蘇る。
意味にも、理はある。
必ずある。
構造を考えるんだ。
視界に映る狼たちは、異常なまでに統率されていた。
連携という言葉では足りない。
まるで――同じ思考を共有しているかのようだ。
これほどの一体感、どうやって?
狼なら、匂いか?
けれど、違う。
鼻は、さっきの煙の匂いで塞がれていはず。
音か、マナか?
――僅かに、マナの波長を感じる。
マナの可能性は、高い。
この“神のくれた目”なら、
マナを正確に“視る”ことができるはず。
見る世界を、変える。