私の役割
夜空が、驚くほど綺麗だった。
私たちは荒野の中で、風を避けられる岩陰を見つけ、そこで夜を迎えることにした。
灯りは、魔導灯の小さな光と、頭上に散る星々だけ。
その二つが交わって、世界の境界がぼんやりと溶けていく。
今の私の仕事は、休みながら、ときどきこの灯りに魔力を注ぐこと。
光が弱まりはじめるたび、そっと手をかざして力を送り込む。
――私には簡単なことだけど、これを“完璧にできたら一人前の魔導士”だと、魔道具学の講師はよく言っていた。
見張りは、私以外の四人が交代で行っている。
国はもうなくなってしまったのに、それでも皆、私を“貴族様”として扱ってくれている。
……それとも、魔導士だからだろうか。
私は剣も武術もできない。
運動神経には自信があるけれど、それは戦いには役立たない。
魔導士は、一流になれば騎士を立てるか、後衛としてパーティに加わる。
前衛を持たぬ者は長く生き残れない――
おそらく、それも“合理”の果てに生まれた“当然”なのだろう。
――合理。
その言葉を思うと、どうしても、あのおじいさんを思い出す。
たった十日ほどの出来事だったのに、
まるで何年も――生き方そのものを教えられたような気がする。
ときどき、遠くで狼の遠吠えが聞こえた。
けれど、この夜は何事もなく過ぎていく。
◇ ◇ ◇
旅立ちから、四日が経っていた。
私たちは今日も、果ての見えない荒野を歩いている。
空は高く、風は乾いている。
それなのに――胸の奥には、少しずつ不安が積もっていった。
ミラレス全土が“魔響区”に呑まれてしまうまで、
正確な時間は、誰にもわからない。
だからこそ――一刻でも早く、アルディアに着きたかった。
ニナからは、旅立ちの前に――「最低でも一週間はかかる」と聞いていた。
「あと、どれくらいで着くの?」
私は歩きながら、もう一度確認するように尋ねた。
「目的地までは……まだ八日はかかる。」
前を歩くディランが、振り返らずに短く答える。
胸の奥が、少しざわついた。
――まだ、そんなに時間がかかるの?
予定より遅れているのだろうか。
それとも、これが“旅”というものなのだろうか。
やっぱり私は――“小娘”で、“箱入り”で、“常識知らず”なんだろうか。
不安が、静かに胸を締めつける。
このまま八日も歩き続けて、間に合うのだろうか。
そんな考えが、頭を離れなかった。
「……アルディアにご助力をいただければ、
帰りは馬で、もっと早く戻れると思います。」
意外にも、その声はリオンのものだった。
察しの悪そうな奴だと思っていたのに――
もしかして、私の不安に気づいたのだろうか。
けれど、不安は晴れなかった。
「嬢ちゃん、悪いな。魔物が思ったより多くて、少し迂回してるんだ。
俺、鼻が利くんでな。大人で相談して、そう決めたんだ」
バルナの声が、前方から風に乗って届く。
「お嬢様、申し訳ありません。
ですが……私にとっては、お嬢様の安全がいちばんです」
ニナが静かに続けた。
その言葉を聞いた瞬間――ただ、悔しかった。
私は子ども扱いされている。どれだけ覚悟を口にしても、所詮は守る側の“対象”なんだ、という現実が腹の底を焼く。
血が騒ぐのを抑えきれず、私は声を投げつけた。
「どうして、私には教えてくれなかったの? 私か子どもだからってこと?」
ディランが静かに口を挟んだ。
「──それはお前が考えることじゃない。お前にも、考えておくべきことがあるはずだ。アルディアに着いてから、お前には大事な役目が待っている。」
「何それ。意味がわからない。間に合わなかったら、何の意味もないじゃない!」
頭の中がぐちゃぐちゃにかき回され、言葉が勝手に溢れ出す。やっぱり私は――子どもなんだろう。
抑えきれない怒りが胸を焼き、声は刃のように飛んだ。
「この辺に狼の魔物がいるんでしょ? だったら、そいつらを捕まえて、馬にすればいいじゃない! そうすればもっと早く着けるでしょ!」
言葉は無茶で、勢いだけの暴発だった。
けれど――心の奥では、私はずっと、一人で考えていた。
限られた知識の中で、どうすればいいかを、何度も何度も。
子どもなりに、必死に“最善”を探していた。
だからこそ、その声は、確かに“私のもの”だった。
乾いた風の向こうから、低く、静かな返答が返ってきた。
「……悪くはない」
ディランの声。
「世界には、グランドウルフを“馬”のように扱う民族もいる」
――意外だった。
ディランが、私の無茶を否定しなかった。ついさっきまで、私はこの人をもっと現実主義で、融通の利かない人物だと思っていた。
「だが――そのためには、群れの“主”を狩る必要がある」
彼の鋭い視線が、陽光を反射してわずかに光った。
「おそらく、その主は“意味刻み”だ。
危険は桁違いだぞ。……覚悟はあるか?」
乾いた風が草を撫で、静寂が戻る。
その言葉は、昼の光よりもまっすぐで、重かった。
――私は子どもかもしれない。
けれど、それでも――ちゃんと考え、覚悟はできている。
荒野の風が頬を撫でる。皆の視線が私に集まると、胸の奥がほんの少し震えた。
「皆さん、お願いします。
危険を承知で――私のわがままを、聞いてください。」
深く頭を下げると、風が背中を押した。
そう言って、私は深く頭を下げた。
一瞬の静寂。
けれど――気づけば、全員が笑っていた。
リオンは真面目な顔のまま頷き、
バルナは「最高だ」と笑い、
ニナは優しく目を細めた。
そしてディランは――静かに、力強く頷いた。
その瞬間、風が吹いた。
荒野の乾いた風が、髪を揺らす。
「必ず、やりとげる」
――私は、もう覚悟を決めている。
その言葉は、風に溶けて、空へと消えていった。