世界に意味を刻まれた者
私は、野営地の東の果て――この国の境界に立っていた。
そこには、これからの旅を共にする四人がすでに揃っていた。
「……お願いします。」
そう言って、私は深く頭を下げた。
それぞれが、それぞれの仕方で頷き、言葉を返してくれる。
リオンは真面目に、バルナは軽口を交えて、ディランは静かに。
ニナは、最後まで微笑んでいた。
国を出るのは、これで五度目。
学校の課外授業で三回、
二人の姉が嫁いでいくときに帝国へ同行した二回。
姉たちは、今も元気だろうか。
あのとき笑っていた顔を、ふと、思い出す。
……自分の母国が、
自分の今いる国によって“地図から消えた”と知ったとき、
彼女たちは、どんな気持ちになるのだろう。
それとも――まだ、知らないのだろうか。
そんなことを考えながら、私は歩き出した。
――国を出た。
いや、もう“国”ではなくなってしまった。
私の"世界"を出た。
◇
しばらくは、かつて街道だったらしい場所を歩いた。
草に覆われ、石畳の名残だけが足元に残っている。
ときどき、リオンが道の安全や地形のうんちくを語り出したり、
バルナが「腹減った」とぼやいたりする。
けれど、会話が続くことはなかった。
誰もが、それぞれの考えに沈んでいる。
焦げた匂いが、まだ風の中に混じっている。
――沈黙が長い。
少し気まずい。
……なにか、話題ないかな。
「ねぇ、ニナ。――勇者って、結局なに?」
歩きながら、なんとなく口に出してみた。
正直、私はよく知らない。
これまでは、なんとなく知ったかぶってただけ。
“なんかすごい人”くらいの認識で――。
まぁ、目的地が“勇者の国”アルディアなら、話題としては悪くない。
むしろ、我ながらナイスチョイス。
ニナは少し驚いたようにこちらを見て、
それから小さく微笑んだ。
「……そうですね――」
ニナが答えようとした、その瞬間。
「勇者は勇者ですよ!」
リオンが食い気味に割り込んできた。
真剣な目で、まるで授業中の模範解答みたいに胸を張る。
「世界の災いと呼ばれる邪竜を討つため、神に選ばれし存在です!
古の時代から、幾多の勇者たちが歴史を――」
……語り始めた。
止まらない。目が輝いてる。
(……なんだコイツ?)
その後も、リオンは延々と勇者について語り続けていた。
止まらない。彼はもはや、自分の世界に入っていた。
ニナだけが、律儀に頷きながら聞いている。
……さすが、できるメイド。
要するに――
勇者っていうのは“血筋”じゃなく、“聖剣に選ばれた存在”のことらしい。
東の大陸に渡り、災いの源とされる黒竜を討伐する使命を負うのだとか。
驚いたのは、先代の勇者がその黒竜に返り討ちにされ、
戻ることはなかった――という事実。
……勇者といえど、世の中はシビアだ。
ちなみに、おばあ様は“先々代の勇者”と共に、
その黒竜を討伐したらしい。
――リオンが熱弁した話の、ほんの一部だけを要約すると、そんな感じだった。
リオンがようやく自分の世界から戻ってきたのか、唐突に私に話を振ってきた。
「セラナさん、相当魔法の腕がいいらしいですね? 王宮でも有名でした。なら――勇者パーティの魔道士に志願してみてはどうです?」
リオンは得意げに続ける。
先代の勇者は期待されていたが、仲間の実力不足――とくに魔道士の力量が足りなかったのが敗因だと、国中では噂されているらしい。
止まらない。
……勇者の話題は、やめておけばよかった。
私は肩をすくめて答えた。
「いや、勇者って……すごいね。
そんなパーティに入れたら、そりゃ素敵だけどさ。」
この言葉は、嘘じゃなかった。
――おばぁ様のように、私もなりたいと思うから。
心の中で、ひとつの天秤を思い描く。
片方には――アルセリア家の名誉、復興、野望。
もう片方には――復讐。
その針がどちらに傾くかなんて、考えるまでもなかった。
「でも、私、まだ子どもだしね。」
軽く笑ってみせた。
けれど――どうしてだろう。
その言葉の中には、ひとつも“本当の気持ち”なんてなかった。
リオンは残念そうに眉を下げ、それでも懲りずに続けた。
「すでに次の勇者は選定されているそうです。セラナさんと歳も近い、十六歳とか……」
……しつこい。
少し、イライラしてきた。
――うるさい。ほんと、うるさい。
少し前方では、ニナがバルナと何か真剣に話をしている。
その声が風にかき消され、妙に遠く感じた。
私は、珍しく我慢していた。
けれど、コイツはまだ、何かを言い続けている。
その声が、ひどく耳につく。
もう、限界だ。
「……黙って」
そう、口が動きかけた――その瞬間。
背後から、低く、落ち着いた声が空気を断ち切った。
「やめておけ、リオン。……彼女にも、彼女の信念がある。」
その声は、鋼のように静かで――風よりも強かった。
リオンの言葉がぴたりと止まり、荒野に沈黙が戻る。
胸の奥に溜まっていた苛立ちが、
不思議と、風に溶けて消えていく。
焦げた草の匂いが、風に乗って流れていった。
さっきまで重く淀んでいた空気が、少しだけ軽くなる。
――風の音だけが、再び耳に残った。
それでも、リオンは本気で残念そうな顔をしていた。
その表情があまりに真っ直ぐで、少しだけ可哀想になった。
……多分、コイツも悪い奴じゃないんだろう。
「――少しだけ、考えとく」
そう言ってみると、リオンの顔がぱっと明るくなった。
本当に、単純な人だ。
けれどその笑顔を見て、ほんの少しだけ胸の重さが軽くなった気がした。
◇
気づけば、空は橙に染まりはじめていた。
いつの間にか街道の跡も途切れ、足元は乾いた土と岩ばかりの荒野に変わっている。
風が強く、砂混じりの音が耳にざらついた。
「この辺り……グランドウルフが群れで出るんだ。
安全に野営できそうな場所があればいいんだが。」
先頭を歩くバルナが、耳をぴくりと動かしながら言った。
その横顔は冗談めかしていたが、目だけは真剣だった。
「グランドウルフ?」
私が聞き返すと、ディランがちらりと視線を向け、短く答えた。
「……低級の魔物だが、群れで行動する。数で来られると厄介だ。」
一拍置いて、彼は続けた。
「それに――“意味刻み”が混じっていると、さらに面倒だ。
常に、その可能性は考慮しておく必要がある。」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
――ピピ先生の授業を思い出す。
この世界は、“意味”によって支えられています。
人も、物も、魔物も――すべてが“意味”を持っているのです。
強い想いを抱く人は、その心の中に“意味”を刻むことがあります。
また、長い年月の中で、多くの人々の願いや祈りが積み重なれば、
石や剣、土地のような“物”にも“意味”が宿ります。
そして、稀に――
世界そのものが、何かに“意味”を刻みつけることがあります。
それらは形を変え、
時に、ひとつの“強い意味を持つ存在”として現れる。
――それが、“意味刻み”。
◇ ◇ ◇
遠くで、低く長い獣の遠吠えが響いた。
なんとなくだけど――出会ってしまいそうな気がする。
私の勘は、よく当たる。
とくに――悪いことほど。
そんなことを考えながら、
私は、沈みゆく夕暮れの荒野を歩いていた。
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こちらは転生者のアーシェが、家族や仲間とともに“選択”を迫られていく物語です。
『万象の魔女』とはまた違った視点で、世界の裏側や神々の思惑に触れていきます。