呼び名
夕暮れどき。
約束の時間。
私たちが城下町の出口――大門へ辿り着いたとき。
勇者は、すでにそこにいた。
二人の兵と、六頭の馬を従えて。
横にいるリオンは、勇者を見つめて明らかに興奮していた。
「レイファス・クローヴです。
よろしくお願いします」
彼は、自らを“勇者”とは名乗らなかった。
けれど、その背に負う剣と、静かな立ち振る舞い――
それらが何よりも雄弁に、“彼こそが勇者なのだ”という意味を放っていた。
私たちも軽く挨拶を交わした。
リオンは、少し噛んでいた。
「陛下が馬を用意してくださいました。
名馬です。これなら、四日ほどでミラレスへ辿り着けるはずです」
勇者は穏やかにそう告げた。
だが――ディランがその名馬を、品定めするように一瞥したあと、短く言った。
「いや。こちらで準備した馬で行く」
……馬?
狼、なはず。
勇者は一瞬、戸惑ったように見えたが、すぐに小さく頷いた。
「では、そちらがご用意された“馬”で参りましょう」
わずかに口元を緩めてそう言うと、
横にいた兵たちは無言で頷き、手綱を引いて馬を連れて帰っていった。
◇
狼たちが待機している丘へ、すぐに辿り着いた。
あの野生の獣たちが大人しく待っているか――少し不安だった。
けれど、七匹のグランドウルフはそこにいた。
お互いにじゃれ合い、尻尾を振って。……ただの犬みたいだった。
「へえ……グランドウルフですか。
騎獣としての文化があるとは聞いていましたが、すごいですね」
勇者は、馬が“狼”であることに驚く様子もなく――
年相応の、少し無邪気な顔をしていた。
その表情が、意外だった。
リオンは興奮気味に、勇者へ乗り方を熱弁している。
……説明できるほど、私たちに経験があるかは、正直疑問だった。
「もう日も傾いてる。暗くなっちまう前に、少しでも進もうぜ」
バルナがそう言って、狼に跨った。
明るい性格の彼も――その胸の奥には、故郷へ焦る気持ちがあるのだろう。
私と勇者以外の皆が、それぞれ狼に跨った。
そして――勇者が、軽やかにその獣へと跨る。
狼に騎乗した姿は、私がいちばん様になっていると思っていた。
けれど、この男は……それ以上に様になっていた。
……少し、腹が立った。
すると、まだ背に人のいない二匹のうちの一匹が、こちらを見つめていた。
耳に小さな傷がある。――私が乗ってきた狼だ。
その視線から、私に対する謎のリスペクトを感じる。
『いい子だ』
私は、その狼を“ミラ”と名付けた。
そして、そっと跨る。
『……頼んだ、ミラ』
夕陽の残光が丘を照らす。
七つの影が、同じ方向へと駆け出していった。
◇
アルディアの近隣の森林地帯を抜けると、空が一気に開けた。
風が木々のざわめきを遠くへ運び、乾いた大地の匂いが鼻をかすめる。
やがて――荒野へ出た。
その頃には、すっかり夜が降りていた。
少し進んだ先で、野営に適した岩陰を見つけ、私たちはそこで歩みを止めた。
「ここで夜を越す」
ディランの低い声が、静寂の中に響く。
私たちは手分けして野営の準備を始めた。
王はいくつかの支給品を用意してくれていた。
そのひとつが――新型の魔導灯。
一度、魔力を注げば一晩は光を保ち、
さらに“魔物に感知されにくい”という仕組みだという。
東の大陸からの輸入品らしい。
「アルディアは勇者を輸出して、物を輸入してるってわけだな」
バルナが、ちょっと得意げに言った。
……ニナと勇者だけが笑っていた。
たぶん、この二人は“笑ってあげた”のだろう。
だって――全く面白くなかったから。
◇
魔導灯が、静かに光っていた。
笑い声が消えたあと――夜の風だけが、そっと通り抜けていく。
他のみんなは、順番に見張りをしている。
そのあいだ、私は灯の光をぼんやりと見つめていた。
淡い光が揺らめくたびに、心の中のざわめきも、少しだけ静まっていく。
――そのとき。
見張りを終えた勇者が、こちらへ歩いてきた。
「ちゃんと、休んでくださいね」
勇者が穏やかに言う。
「勇者も、見張りありがとう」
私は彼の剣の柄を見ながら言った。
「“勇者”って呼ばれると……
ちょっと距離、感じますね」
魔導灯の光が、その瞳に小さく映っていた。
「私は勇者の言葉に、距離を感じるな」
私は、彼の目を見て言った。
「そうですね。人との距離の取り方は、あまり得意ではなくて」
そう語る彼の声は、夜の静けさに溶けるようだった。
「へぇ。なんでもできそうなのに」
思わず、本音がこぼれる。
「そんなことは、ありませんよ。
一人じゃ何もできないから――こうして、信頼できる仲間を探してるんです」
灯の光が揺れ、彼の横顔をやわらかく照らした。
しばらく沈黙があった。
それは気まずさではなく、心が呼吸するような静けさだった。
「……私のこと、“セラ”って呼んでよ」
「父も母も、友達も、そう呼んでたの」
言ってから、胸の奥が少し熱くなった。
あったばかりのこの人に、なぜこんなことを言ってしまったのだろう。
「わかりました。……セラ」
レイファスは静かに頷く。
「なら、僕のことも“レイ”と呼んでください。
同じです。父も母も、友人も、そう呼びます」
魔導灯の光が彼の瞳に反射して――その中に、私が映っていた。
「セラ。……ディランさんや、皆さんの了承を得られるなら」
彼の瞳は真剣だった。
魔導灯の光がその眼差しを照らし、影が頬をかすめる。
「――魔響区へ。ミラレスへ、入ろうと思っています」
レイの言葉が、夜の荒野に静かに響いていた。




