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万象の魔女  作者: シロイペンギン
エピローグ 因果の継承者
10/13

勇者

私たちは七匹のグランドウルフを門前から少し離れた丘に待機させ、

アルディアの城下町の入り口――その巨大な門の前に立っていた。


街のほうから、ざわめきが聞こえる。

笑い声、商人の呼び声、鐘の音。

荒野の静寂とは、まるで別世界だった。


「数十年ぶりに勇者が選ばれたんです。

 きっとその祝いの賑わいですよ」

リオンが、どこか誇らしげに言う。


門の前では、ニナが衛兵と話している。

彼女の声が、ざわめきと混じり合い届いた。


「……はい、アルセリア家の者です」

「ミラレスが滅んだのは事実ですが――」

「救援の要請を、王城へ伝えたいのです」


断片的に聞こえるその言葉に、胸の奥がざわつく。


衛兵は、明らかに戸惑っていた。

無理もない。滅んだ国の名を名乗り、王城への直訴を求める来訪者など、そうそういるはずがない。


やがて、ニナがこちらを振り返り、静かに告げた。

「あの衛兵が、城門の上官に取り次いでくれるそうです」


私は頷き、深く息を吸った。

荒野とはまるで違う――街の空気。


そして、私たちは衛兵に案内され、

巨大な門を抜け、アルディアの街へと足を踏み入れた。



街は、光にあふれていた。

石畳を行き交う人々の表情は明るく、

店先には花や旗が飾られ、どこも活気に満ちている。


「綺麗な国ですね」

ニナの声が、風に乗って響いた。


「ミラレスのほうが綺麗だった」

そう返した瞬間、ニナの顔が一瞬だけ曇った。


私は――答えを間違えた。

ニナも、あの国を失って悲しいはずなのに。

それをわかっていながら、つい、余計なことを言ってしまう。


沈黙が流れたが、リオンの声がそれを断ち切った。


「勇者は……いつ旅立つのですか?」


彼の問いに、衛兵は少しだけ目を伏せる。

その表情には、どこかためらいがあった。


「……まだ、同行者が見つかっておりません。

 前回の勇者一行が遠征で消息を絶って以来、

 陛下も慎重になられておりまして」


そういえば――リオンが言っていた。

前回の勇者たちは、誰一人として帰ってこなかったのだと。


『魔導士が足を引っ張った』とか、

『準備不足だった』とか。

そんな噂だけが、まるで“残響”のように語り継がれているという。


アルディアの光の下で、

その影だけが、確かにまだ息づいていた。



しばらくして、私たちは城門に辿り着いた。

案内してくれた衛兵が、門前の詰所にいた別の兵士と短く言葉を交わす。

その後すぐに、一人が城の中へと走っていった。


「……上官に報告してきます。どうか、ここでお待ちください」


衛兵の声が、風に混じって響いた。

私は頷き、視線を上げる。


高くそびえる城壁の向こう――

白い塔の頂に、旗がはためいていた。

たしかに“勇者を選定する国”と呼ばれるにふさわしい、威厳のある城だった。


私たちが待っていると、やがて――

門の奥から、ゆっくりとした足音が近づいてきた。


現れたのは、深紅の縁取りが施された黒のローブの男だった。

その両脇には、同じ配色の鎧を纏った二人の騎士が静かに控えている。


年のころは五十を過ぎているだろう。

白髪の混じる整った髪、そして歳月の重みを湛えた穏やかな瞳。

歩みは静かだが、一歩ごとに積み重ねた年月と威厳が滲んでいた。


胸元には、王直属の高位魔導士を示す紋章。


「……セラナ・アルセリア様ですね?」

静かな声だった。

だがその目は、まっすぐに私を見据えていた。


「ようこそ、アルディアへ。

 私は王城魔導院を預かる者――エルネスト・カーヴェルと申します。」


丁寧に頭を下げる彼に、私は少し戸惑いながらも礼を返す。


「この兵より事情は伺っております。

 ミラレスの件、そして救援の要請についても。

 陛下はすでに貴女と会談の場を設けるよう命じられました。」


あまりにも、話が順調すぎた。


胸の奥で、かすかに緊張が走る。

――どうしてこんなにも、都合よく事が運ぶのだろう。


私と同じように、ディランやバルナもわずかに眉をひそめていた。


「お急ぎなのは理解しております。ですが……」

エルネストは、静かに言葉を継いだ。

「しばし、お待ちいただけますか? 王城側の準備が整い次第、使いをお送りします。」


丁寧な口調ではあったが、どこか急いているようにも感じた。

彼は一礼すると、ローブを翻し、そのまま門の奥へと歩み去っていった。


残された私たちは、しばらく無言のまま立ち尽くした。

風が吹き抜け、鎧の鳴る音だけが耳に残る。


「……なんか、話ができすぎてんな」

バルナがぼそりと呟く。

ディランは頷くだけで、何も言わなかった。


やがて、若い兵士が私たちのもとにやってきた。

「こちらへ。兵舎でお待ちいただけるよう手配しております」


私たちはその案内に従い、王城の外郭にある宿舎――



一時間ほど経った頃――

扉の外から、軽い足音が近づいてきた。


入ってきたのは、先ほどとは違う若い兵だった。

丁寧に姿勢を正し、私たちに向かって告げる。


「アルセリア様、お待たせいたしました。

 陛下がお会いになります。ご案内いたします」


その声は固く、わずかに緊張を帯びていた。


「それと……そちらの剣士の方も、同行をお願いします。

 他の方々は、ここでお待ちください」


そう言って兵は、私とディランをまっすぐに指名した。


背後で、バルナが短く舌打ちをする。

ニナは不安そうにこちらを見つめていた。

私も、正直に言えば不安だった。


けれど――それを顔には出さない。

「すぐ戻るわ」

そう告げて、私は微笑む。


兵の後を追い、城門を抜ける。

高い石壁の向こう、白い尖塔が青空に溶け込んでいた。


……私は二度だけ、ミラレスの王城に入ったことがある。

あの城の方が、ずっと温かかった。

そう思い込むようにして、

なるべく、この城を見ないようにした。



「こちらが――謁見の間です」

兵が立ち止まり、静かにそう告げた。


扉の横に控えていた衛兵が、ゆっくりと重い扉を押し開ける。

金属の蝶番が軋む音とともに、冷たい空気が流れ込んだ。


その先に――王がいた。


黄金の装飾を施した椅子に腰かけ、深紅のマントを羽織る初老の男。

その隣には、先ほど城門で出会った魔導士――エルネスト・カーヴェル。

さらに両脇には数名の騎士が並び、沈黙のまま私たちを見つめている。


そして、その中に――一人だけ、異質な気配を放つ若い男がいた。


黒い髪に、整った顔立ち。

王の側に控えていながら、どこか場に馴染まない。

けれど、その瞳は真っ直ぐで、迷いがなかった。


まるで、どんな光の中でも己の正しさだけを信じて立つような――

そんな目をしていた。


「セラナ・アルセリアです」

「ディラン・ヴェルドだ」


私たちは、ゆっくりと頭を下げた。


玉座の上から、低くよく通る声が響く。


「……よく来た。

 私はアルディア王、レクター・ヴァルディアだ」


王は立ち上がることなく、私たちを見据えていた。

その眼差しには、温かさよりも、秤のような冷静さが宿っている。


「――貴公らの来訪、既にエルネストより報告を受けている。

 ミラレスの件……痛ましいことだ」


その声は形式的だった。

けれど、王の言葉には一片の偽りも感じられなかった。


私は小さく息を呑む。


「――ミラレスに救援を派遣しよう」

謁見の間の空気が一瞬止まった。

私は顔を上げる。承諾が、あまりにも早い。


「ただし――」

王の低い声が重なる。

「こちらの要求を受け入れてもらえるのならば、だ」


やはり、条件があった。


王の背後で、エルネストがわずかに目を伏せる。

そして――黒髪の青年が一歩前へ出た。


その瞳は、まっすぐだった。

まるで、この“条件”を彼自身も望んでいるかのように。


王は彼を手で示す。


「この者が――剣に選定されし勇者だ」


青年は一礼した。

静かな声が、謁見の間に響く。


「レイファス・クローヴと申します」


その声は驚くほど落ち着いていて、

けれど、芯のある鋼のような響きを持っていた。


彼はまっすぐにこちらを見た。

その目に、迷いも慢心もない。

ただ――“使命を果たす者”の覚悟だけが宿っていた。


「――そして、そこの男。ディラン・ヴェルド」

王の視線が、私の隣に立つ彼へと向けられた。


「貴様の名も……知っておるぞ」


その声には、重みがあった。

だが、それ以上の言葉は続かなかった。

沈黙の中に、意味の読み取れぬ圧だけが残る。


そして――王は再び、私たちに視線を戻した。


「貴様ら二人が、この勇者レイファスと同行することを約束するのならば……」


一拍の間を置き、ゆっくりと言葉を継ぐ。


「――我がアルディア王国は、国を挙げてミラレスを支援しよう」


その宣言は、王命というより“取引”だった。


私には目的があった。――復讐だ。


この勇者に同行するということは、私の人生が――まったく別の方向へ向かうことを意味するのではないか。そんな思いが胸によぎる。


「答えはいつまでに出せばよろしいのでしょう?」

考える時間が欲しかった。私の方が今、急がねばならないのは分かっているのに。


「今、答えをくれ。そして、早急に西の大陸へ旅立ってほしい」

王の言葉が、冷たく響いた。


故郷のために私ができることを選べば――。

私はもう戻れないのだろうか。


ディランは沈黙したまま。表情から何も読み取れない。彼が何を思っているのか、その沈黙がむしろ重くのしかかる。


気づけば、私の口から自然に言葉が漏れていた。

「一度だけ……国に帰りたいです」


「何を言っている。もう国はないではないか」

言葉は刃になって、静かに落ちた。

胸の奥がひやりと冷える。


沈黙が場を支配した。

誰も動かない。

空気さえ、硬く凍ったようだった。


そのとき――

足音が、一歩、前へと進む音を立てた。


黒髪の青年――勇者が玉座の前に出る。

まっすぐ王を見据え、その声を放つ。


「陛下。私が、この者たちとともにミラレスへ赴くのは、いかがでしょう。

 実力を測り、信頼を築く時間が必要です」


声は穏やかだが、芯が通っていた。

その眼差しには、ただ命令を遂行する者のそれではなく――自ら道を選ぶ者の確信が宿っている。


王はしばし沈黙した。

玉座の上で肘をつき、深く思案するように目を閉じる。

そして――低く、だがはっきりとした声で言った。


「……そうだな。今回は、決して失敗するわけにはいかぬ。

 レイファスよ、この者たちに同行し、ミラレスへ向かえ。

 追って救援部隊も派遣する。」


その言葉とともに、王は立ち上がった。

マントが音を立てて広がり、背の金の紋章が光を反射する。


「この命令は王命である。……期待しているぞ、勇者レイファス。そして――アルセリアの娘よ。」


そう言い残すと、王は数名の兵を従え、静かに玉座の間を後にした。

扉が閉ざされる音が、重く響く。


静寂の中――勇者がこちらを振り返った。

真っ直ぐな瞳が、私を射抜くように見つめている。


「……よかったですね」

その声は穏やかだったが、どこか焦燥を含んでいた。


「ありがとう」

私がそう返すと、勇者は少しだけ安堵したように微笑んだ。


「急ぎましょう。ミラレスへ――時間が惜しい」


彼の背には、淡い光を帯びた美しい剣があった。

夕刻には城門で落ち合おう、とだけ告げて、勇者は去っていった。


静かな余韻の中――

玉座の間に残ったのは、私とディラン、そして一人の男だけだった。


「セラナ様、お祖母様の杖は……持ち出されなかったのですか?」

エルネストが、静かに問いかけてきた。


あの杖は、アルセリア家のどこかに保管されていたはずではあるが、


「……はい。帝国が襲ってきたとき、私は家にいませんでした」


「そうですか」


老魔導士はわずかに目を伏せ、

静かに言葉を選ぶように続けた。


「ミラレスに戻られるのなら、回収しておくことをお勧めします。

 あの杖は――きっと、あなたを助けてくれるでしょう」


その声には、確信にも似た静かな力が宿っていた。


言葉を残し、エルネストはゆっくりと背を向ける。

ローブの裾が翻り、扉の奥へと消えていった。


私は、しばらくその背を見送っていた。


……あの人は、きっとおばあ様のことを知っている気がした。



城を出て皆と合流すると――

すぐに、勇者との約束の時間が訪れた。

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