序章
中流階級という裕福過ぎず、かといって貧し過ぎない一般的な家庭に生まれ、国の定めた義務教育を真っ当に受け、ただの一度の落第もなく順当に高等教育まで進学した平凡でよくある経歴を持ち、過度な問題もなく、絶大な称賛の声もない生涯を過ごしたつまらない人間が私。天賦の才と優れた技術者を抱え、各国から多額の投資を受けて尚、利己的な思想でもって己の才能を裏切り、彼の一番近くにいながらも我欲に従い彼を見殺しにしたのがあなた。そして国の特務機関が製造した人工生命体という異質な出自を持ち、それと対立する組織に入った異様な経歴、あらゆる偉業をなし、最後は歴史的失態を犯した英雄が彼。
上記の対比があなたに対する侮蔑、そして私の彼に対するに憧れを...いや、そんな大それた想いよりもっと簡単なことだ。私は彼のファンだった。ファン、要するに羨ましい、妬ましいとは対極的な感情であり、ただただ遠くから応援していたいという想い。このペンライトは彼を影ながら支える存在だと、この団扇は彼の後を見守る存在だと、そう思っていた。
故に今回の事態は想定外だった。彼から想いを託されるだなんて解釈違いなことは。道の途絶えた彼の覇道を受け継ぎ、前線に立って希望を示すことの傲慢さに耐えられない。受けた責任から逃げようとしている己の怠慢さが許せない。
突如人類に対して宣戦布告を行った謎の組織『七曜の星』によって世界が穢されるまで十年の月日を要した。空を埋め尽くす圧倒的な物量と恒星すらも手中に収める技術的な格差に立ち向かい続けた彼が十年この世界を保ったのだ。そして敵の罠にかけられ人類連合隊の大半を滅ぼした上に、七曜の星王を復活させ人類を窮地に立たせた罪を賄うには十分すぎる功績だと思う。その上この世界を浄化し、かつての緑と青で彩られた世界を取り戻す偉業も成し遂げるはずだった。
正義、功績、罪、全て彼でないといけないのだ。死して今日を繋いだ同胞たちにはただの厄介ファンの戯言の様に聞こえるかもしれない。だが、私にとってこれは正真正銘心の底から生まれた不妄言だ。
それ故思う。なぜ選ばれたのが私なのか。正直不服ではあるものの、おそらくこの星で数少ない放射能汚染のされていない瓦礫の陰に横たわるあなたが選ばれていたのであれば、まだ納得できた。対地球外生命体用決戦兵器を開発できたあなたなら。せめてあの時原初の星の初撃によって粉塵漂う大気の一部になった不運の神に道かれた者、それが浅香隊長ではなく私だったら良かったと願わずにはいられない。ああダメだ。次から次へとアルミニウムのように弱音が湧いて出て来る。
どんなに奇跡を渇望したところで、塵にまみれたこの灰色の空は変わらず濁った雨を降らせる。
どんなに強く拳を握りしめたところで、周囲から聞こえる騒音は彼の最後の鼓動音を打ち消す。
「...?」
痛みとは、痛覚のみならず視覚等の様々な感覚によって複合的に感じ取るものである。故に気付かなかった。握りしめた拳に痛みが走り続けていることに。ゆっくりと鐘の音の様に手を開き確認する。鋭利な装飾の施された金属製品を握りしめていたのだ。出血を伴うのは道理に導かれずともわかる。すっかり見慣れてしまった色に染まった掌には血液を完全に弾き、未開封品が如き輝きを保つ十の指輪があった。
今は気を失い倒れているあいつの作ったこの指輪の名前は確か...『唯一完成された原初の奇跡』だったか。ンとソが続く読みづらい読み仮名を持つ上に"オリジン"、"プロト"、"ゼロ"という類義語の塊のようなとてもセンスのあるとは言えない名前を付けたあいつの感性はもはや軽蔑するのも飽きるほどだ。そんな名前の機能性を度外視されたこの指輪は、身に着けると原初の宇宙すらも支配できる強大な力が得られるという。人類が、いや全生命体が持っても手に余る発明品にしてあいつが唯一完成したと言った代物だった。大いなる力には代償を伴うという原則がある。そんなどうでもいいこだわりの副産物として、様々な対価及び一度付けたら死ぬまで外れることはない制約が与えられている。
そう、たとえ指を切断されようとも、百の病に伏せようとも。死ぬまで外れない。対偶を取るならば、私の手に外された状態の指輪があるということは即ち、彼はただ気を失っているなどと言う甘い理想と対極的な状態にあるということの証明となる。
残された人類の総数が一桁となっている現実よりも、故郷が島ごとなくなっている現実よりも遥かに辛い現実から目を背けたくなる。はっきり言って、人類の命運や私自身の生命など私にはどうでもいいことだ。
だが彼はそんな無価値な人類を守ろうと必死に戦っていた。ならば私のすべきことは自明、決心と共に指輪を手にはめながら立ち上がる。
どんなに嫌でも、どんなに苦痛でも、託されたからには行動するべき、それが私の正義。
「いつも君には助けてもらってばかりだったね。...もう一つ助けてもらいたいことがあるんだ。いいかな。ね。」
それが彼の最後の言葉ならばこそ、だからこそ、故にこそ我欲を切り捨て歩むべきだ。心を鋼に固めた私は彼の死体から意識を切る。避難所代わりに使用していた倉庫から出た私は視線を敵の船へと向ける。戦うのだ。
「Active First. Unlock to DecaRe:ng's Re:miter.」
両手を開き、前へ出す。戦国時代の忍者は印と呼ばれる仕草でもって心を静めたと言う。私には印ができるほどの器用さもなく、そもそも印がどうやるのかなど全く知らない。故にただ手を前に構えるだけで代用する。
そして詠唱。ファンたるもの、詠唱を完全に暗唱するのは当然のこと...と言うと今の時代炎上しそうなので言わないでおく。楽しみ方は人それぞれ。頑張って暗記をするも良し。あえて事前知識を得ずに初見を楽しむのも良し。
少なくとも私はしっかり周辺知識を記憶するタイプのファン、それだけ。家で何度も練習した一見無駄に思える行為に意味はあった。
「Active Second. My Body Never Change by a Re:pper.」
飛んできた瓦礫が私の足にぶつかり、骨を砕か...ない。まるでコンクリートの柱に投げ込まれたテニスボールの様に瓦礫ははじかれる。既にこの身は神槍ですら貫かれない絶対の耐性を持つ。厳密には皮膚周辺の空気にダイラタンシーとしての性質を与えることによって生じる対衝撃耐性な為、槍には貫かれる模様。
代償は...何だったか。急激に来る息苦しさで思い出す。能力の発動中呼吸ができなくなる。故に波状攻撃を受ければ最後窒息死する。無限の耐久はゲームバランスを崩壊させる。ガードブレイクのギミックとして呼吸不可を与えられている。尚、何故か呼吸をしない生物でも能力使用中は息苦しさを感じると仕様書には書いてあった。
これは前もって肺活量を上げる訓練をしておくべきだったと反省するべきか否か迷うところだ。
「Active Third. Re:member to All Sistem and All Avi:Re:ty. 」
指輪の持つ全機能、周辺状況が同時に認識、想起される。まるで私の脳、人格が十個に増えたかのようだ。風の方角、自身の鼓動、相手の視線、不可視の時空それら全てを感じ取れるまでに拡張された感覚は、もはや人間の限界への挑戦にも思える。
人の脳は大量にエネルギーを消費する。故に普段の脳稼働率は10%にも満たないとどこかの科学雑誌の別冊で読んだことがある気がする。つまり今の私は今日まで蓄えてきたカロリーを猛スピードで消費していることになる。短期決戦を目指さなければ餓死してしまいそうな不安を覚える。
「Active Fourth. Supe:Re:or is Us. Infe:Re:or is Thou.」
昔読んだ2042年発行のインタビュー記事に書いてあった。"実は詠唱はただの演出で、実際は詠唱なんてなくとも指輪の力を起動させることができる。"と。単語の合間合間に"Re:"を入れるのもかっこつけだ。Ripperを変にRe:pperなどと表現することも演出の一種だ。
なら詠唱などしないほうが相手にも能力の発動タイミングを見図れずに済む分意味があるように思える。だが詠唱をした方が、指輪の起動を安定的に行える。強大過ぎる力は人間の意識という不安定な物でコントロールするよりも、安定的な言葉で操作する方が味方を巻き込まない意味でも、自滅を防止する意味でもリスクヘッジ的に音声操作をした方が良いのだ。と言っても、言葉では起動に時間がかかる点は無視できるものではない。そのため元々、音声で制御していた物を後から脳波でも操作できるように改良した過去がある。
要するに、訓練されたならまだしも、指輪を付けて初日の私にとって詠唱は非常にありがたい機能である。
「Actice Fifth. Expand Re:Break the Breaking. 」
先程まで感じていた脳疲労が失われる。これなら何日でも、何年でも不眠不休で動けそうな錯覚に陥る。実際は疲労感が失われるだけで疲労事態はしっかりと蓄積されている為、本当に数年単位で動き続けた場合、過労死するであろうことは目に見えている。
この指輪の本来想定されていた使い方としては、相手にこの能力を使用し、限界を誤認させることにある。またもう一つの使い方として銃に能力を使用して、弾切れになっている事実を銃自身に誤認させることで存在しないはずの弾丸を放つことができる側面もある。
しかし彼の英雄は別の使い方を見出した。それが今私の使った自分の限界を超えるという使い方だ。第四の指輪との組み合わせにより、人はスーパーコンピュータをも超える演算能力を獲得する。
「Active Sixth. Judge TheiR e:ven Justice.」
詠唱の話に戻るが、詠唱をするという行為には周囲の人たちに"戦う意思"を伝えることができると共に自信を奮い立たせることもできる側面がある。人の心は自らの言葉によってあり方を変える。"自分は弱い"と口にすれば実際に弱くなる。"自分は強い"と口にすれば実際に強くなる。
でもさすがにTheiR e:venは無理があると思う。理解はできる。何か文中にRe:とか画数の多い感じとかあるとかっこいいと我が中二心が精一杯の擁護をする。必殺:絶凱曹覇斬...とか昔考えたりし...いや、何でもない。
ともかくその技名に意味はなくとも気分は上がる。人間とは気分によってパフォーマンスに影響される生き物だからこれで良い。はい、この話おしまい。
正義を執行する大義名分も得られたということでそろそろ攻めに転じる。
「Active Seventh. FRe:eze and Move.」
宙を舞う数々のミサイルらしき兵器たちは一斉にその動きを止め、敵戦艦へとその矛先を向ける。
人類の兵器ではまともに撃ち落とせなかった敵の主力母艦はあっという間に姿を消す。粉々になる物、小さな鉄球になる物、異空へ飛ばされる物、昨日まで人類が受けてきた所業をそのまま返却する。
ああ、人類の力とはここまで小さなものだったのか。そう思わされる。やっぱあいつの創ったこの指輪おかしくない?本当に人の手で創ったの?これを?
敵戦艦より通信が入る。不自然な日本語で何か問いかけている。無視する。
「Active Eighth. Control the other Re:ngs.」
いままで散々町を破壊し、文明を滅ぼされて尚、奴らを許せるだけの慈悲は私の人生の中には一欠けらたりとも存在しない。あの日、小学生の頃、私に濡れ衣を着せてきた高橋を許していないのと同じように奴らを私は許さない。
たとえ私が奴らを許したとしても、この背中に乗った死者達の想いが、憎悪が、悲嘆が、奴らを滅ぼさずにはいられない。私の後姿を見るそんな彼らの為にも格好付ける。
声を張って慰霊と成す。
「Active Ninth. VictoRe:y is only Mine. 」
間もなく詠唱が完了する。即ち、この戦いの終わりを示す。当然その結末は勝利と決まっている。彼から、皆から託された戦いに敗北があるはずがない。
それが終われば、文明の失われたこの星を再建する必要がある。そのためにも、目の前の脅威を排除しなければ...ってあれ?文明の再建?無理では?
ふと気付いてしまう。残った人類は把握している限りでも、いや、第三の指輪の力により正確に把握できている。47人、それが今の地球にいる人類の全てだ。
その人数でこの汚染された星をかつての命溢れる状態にどうして復興できるだろうか。
「Active Tenth. Re:Lord this World.」
最後に天才的発想が働いた。
お久しぶりです。最近転職をした鳫麁魘礬です。
以前は働きながら小説を書くなんて無理では?と思っていたのですが、転職をしてからは案外時間が取れるようになったが故、活動を再開する運びとなりました。
「復活記念にとりあえず三万文字書こう」と言い出した阿呆がありまして、うーん流石に時間があると言っても限度あると。
結果作っていた第一話の序盤をプロローグとして分け、投稿しております。
第一話の更新は来月になるかなー。
2025/08/24追記
想定していたよりも簡単にルビを挿入可能である事実が判明した為、前半部分にルビを入れました。あと誤字修正ちょっとしました。