第7話 天使かよ
◇◇◇
休み時間だろうと基本的に自席から動く事の無いシロウは『動かざること山の如し、山のシロウ』を心の中でのみ自称するが、生理現象には逆らえず極めて最小回数トイレにだけは向かう。疾きこと風の如くである。
「あっ」
トイレ前でばったりイズミに出会う。正確にはイズミと弥宵だ。A組の彼女は『コの字型』の校舎の反対側なので、何等かの理由でわざわざこちら側まで来たのだろう。因みにシロウとマキトはD組だ。一学年六クラス、A組からF組まである。
「あっ、じゃないでしょ。ちゃんと挨拶位しなってば。ほら、いつも通り『ご機嫌麗しゅう霧ケ宮様』ってさ」
楽しそうに軽口を叩いてくるイズミをジッと呆れ顔で見るシロウ。
「お前さ、同級生の前でそんな事言ってると『モラハラ』に該当するからな?知ってる?モラル・ハラスメント」
「もら……はら……?」
耳に馴染みの無い単語のようでイズミは困った顔で隣にいる弥宵を見る。背はあまり高く無く、長身のイズミの隣にいると結構身長差がある。
弥宵は少し背伸びをしてイズミに耳打ちをする。
「……態度とか言葉による精神的な暴力、って感じだったと思うよ?」
「えぇっ!?……ごめん。そんなつもりは無かったんだけど」
目に見えてシュンと落ち込むイズミを見て、シロウは何だかものすごく悪い事をしてしまったような気になってしまう。
「あ、いや、大丈夫だ!じゃあほら、かわりにさ、俺セクハラするから!ははは、ほらそれで相殺だろ!?ははっ」
正に勢いで言い終わってから後悔するやつ。モラハラやロジハラよりも、セクハラという言葉は遥かに社会認知が進んでいる。
「最低ね」
キッとシロウを睨むイズミの袖を引き、宥める様に笑う弥宵。
「いずみん、シロウ君さ、今フォローしてくれたんだと思うよ?いずみんが落ち込んじゃったからさ~」
「……どこにフォローでセクハラして来る輩がいるのよ」
「ほらほら、教室戻るよ。い~ずみん」
口を尖らせて文句を言うイズミの背中を押し、自クラスへと戻らせる。
チラリと振り返り、シロウと目が合うとニコリと笑う。
「いずみん、重い~」
「嘘!?昨日より!?」
「そんな厳密な話しじゃなくって~。体重かけてないで自分で歩け~」
少しずつ遠ざかるそんなやりとりを聞きながらシロウは足早にトイレへと消えていった。
◇◇◇
「あれ、天使だろ」
天野蒔土攻略会議。開始早々ブレンドジュースを作りに行くよりも先に、シロウは力強く言い放つ。
突然の放言に眉を寄せるイズミ。
「突然何なの?行かないなら私先にドリンクバー行くけど」
「あ、待て待て。行くから。お前のも持ってきてやるよ。俺、優しいだろ?」
「優しい人はそう言うこと言わないんだよ?」
呆れ笑いを浮かべるイズミの言葉を聞き流し、シロウは上機嫌でドリンクバーに向かう。
「ほい、お待たせ」
コトリとイズミの目の前に置かれたのは二層に色の別れたドリンク。底の方がピンク色で、はっきりと層が別れて白色になっている。
「わぁ、すごい」
自身はまた怪しげな色のブレンドジュースを持ちながら、得意げにニヤリと笑う。
「ホムラシロウスペシャルブレンド『天使』、でございます」
再び出現した『天使』と言うワードに眉を寄せる。
「さっきから天使天使ってどうしちゃったの?何かに目覚めたの?大丈夫?変な壺とか売りつけてこないでしょうね?」
「あ、違う。そう言うのじゃ無い。それは安心してくれ」
「じゃあ何なの?ん、これおいしいね」
ホムラスペシャルブレンド『天使』を一口飲む。
「混ぜて飲む事で二度おいしいぞ」
「へぇ。これは素直にすごいね、どうやってるの?」
予想外に好評を博したスペシャルブレンド。シロウのアドバイスを受けながらもイズミは層を崩さないように気を付けながらストローを使う。特別なやり方がある訳で無く、糖度の高いものを先に入れて低いものをゆっくり注げば交じらずきれいな層が出来ると言う訳だ。
白い層は少しずつ減っていき、氷がカランと音を立てて回り、やがてピンク色の層だけが残る。
「……甘い」
シロップの層だけを飲んでしまい、少し眉を寄せて小さく舌を出すイズミに呆れ顔のシロウ。
「だから混ぜろって言ったんだよ」
「だって綺麗だったんだもん」
子供の様に口を尖らせながらストローで氷をかき混ぜてシロップを薄める。
「物を選べば3層も出来るぞ。めんどくさいからやらないけど」
「へぇ、スポンサー様の意向に逆らうんだ?」
「はい、それパワハラね」
「むぐ、難しい時代ね」
苦い顔で口を噤み、ストローに口を付ける。
ピンク色のシロップは氷で薄まり、程よい甘さになる。
「それでさ、同じ事何度も聞くけど何が天使なの?」
「何って、お前も大概鈍いな。柏木さんに決まってんだろ。そのドリンクは天使のイメージです」
照れもせずに嬉しそうにシロウは笑い、イズミはぎこちない笑顔を浮かべる。
「へ……へぇ。あのさ、もしかして忘れてるのかも知れないけれど……弥宵はさ、マキトくんが好きなんだよ?」
シロウは真顔で眉を顰める。
「いや、流石にそれは忘れないだろ。それは勿論知ってるぞ。別に好きとかそう言うのじゃないから安心しろよ」
「じゃあ何で天使とかって舞い上がった事言ってるのよ」
疑惑の眼差しをシロウに向けながら、頬杖を突きストローを吸う。
「何でって……、女子に挨拶されたのなんて何年振りだからさぁ。そりゃ舞い上がりもするわ。はははは、言わせんなよこの野郎」
「何年振りって……、じゃあ今シロウの目の前に座ってるのは何なの?麗しの霧ヶ宮さんじゃないの?毎朝挨拶してるんですけど?」
「ぶはっ、自分で何言ってんだお前。麗しの霧ヶ宮さんはちょっとカテゴリーが違うみたいっすね」
イズミはジト目でシロウを見ると、空になったグラスをズイっとシロウに差し出す。
「何で自分の事なのに他人事なのよ。はい、じゃあ麗しの霧ヶ宮さんをイメージしたドリンクもお願いね」
「……えぇ~、今度は何ハラだよ」
とは言え、せめてものご機嫌取りにと緑・黄色・白の三層に分かれたドリンクを作るシロウだった。イズミが喜んだ事は言うまでもない――。