第65話 ずっと前のずっと前から
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蝉の声が響き、風が葉を揺らし、音と共に影を揺らす八月の初め。
神社の境内をぐるりと一回りしているイズミは、本殿の向こう側を歩きながら胸を押さえて大きく深呼吸をする。
これからイズミはシロウに告白の練習をする。練習と言っても、本番の相手も当然シロウだ。
胸に当てた手に伝わる鼓動はまるで運動後の様に速く、手は少し震えていた。
本殿を挟んでシロウからは姿が見えないので、立ち止まりもう二度深呼吸をする。合わせて三度深呼吸をしてみても鼓動も震えも収まらないので、四度目はもう止めた。
グッと両手を握り、思いっきり背伸びをしてからまた歩き出すとシロウの方から『パン』と何かを叩く音がする。
建物を周り、再びシロウの姿を確認するとイズミは不思議そうに首を傾げて彼に問う。
「何か音がした?パンって」
シロウは何食わぬ顔で掌を見せる。
「あぁ、別に。蚊がいた」
「ふふ、逃がしたの?」
「まぁね」
シロウはそう言って手元に置いたペットボトルをゴクリと口にする。
イズミは平静を装いながらシロウの下へと歩みを進めると、少し前で立ち止まりニコリと微笑む。
「それじゃ、始めるね」
シロウは不敵な笑みを浮かべながら頷く。
「おう。やってみろ」
偉そうね、と呟いてクスリと笑ってからイズミは目を閉じてふーっと息を吐く。
そして、目を開いてキッとシロウを睨むように見つめると口を尖らせて声を絞り出す。
「……すっ!すす……き」
絞り出された渾身の告白にシロウは呆れ顔で首を傾げる。
「んん?ススキ?お月見の?」
わかり切っているだろうにわざと質問をしてくるシロウに対し、顔を赤らめながらイズミは憤慨する。
「もうっ!そうやって茶化すから嫌なの!最初の一回はオッケーしてっていったでしょ!」
憤慨するイズミを制止しながらケラケラと笑うシロウ。
「俺の記憶が確かなら『ちゃんと言えたら』って但し書きが付いてたはずだけどな。そもそも俺はススキの何をオッケーすればいいんですかね?存在?」
「もうっ!うるさいっ!」
「はい、じゃあ次どうぞ。ちゃんとしたやつね」
シロウは手を差し出してイズミに次の告白を促し、イズミはまだ恨みがましくシロウを睨んでいて、口を尖らせて呟く。
「……好き、なので」
既に顔は真っ赤。だが、シロウの容赦無い追撃が入る。
「なので?」
イズミは目を逸らさずに、だが次第に困り顔になりつつも、告白を続ける。
「なので……、私と、お付き合い、いー……、して、頂けま……」
途切れ途切れ其処まで言うと、意を決して一度息を吸い込み、息とともに声を上げる。
「頂けませんでしょうか!」
キチンと『告白』を遂げて、イズミはそのままジッとシロウの言葉を待つ。
――分かってはいるが、これは告白の練習だ。
だから、そう遠くない未来にイズミは他の誰かに同じ事をするのだ。そう思うと、胸の真ん中から少し左の辺りが尖ったスプーンでほじくられるような感覚になる。
その感覚は、浮かべた薄笑いの端の方に少しだけ影響を及ぼすが、きっとそれは気付かれる事も無く、シロウはイズミとの約束を優先する。
「うっ……うわぁ、光栄だなぁ。クラス最底辺の俺なんかが皆の憧れの霧ヶ宮さんに告白されるなんて……!」
茶化しでもしないと泣いてしまうかも知れない。
へらへらと白々しい演技に苦言を呈されるかと思いきや、シロウの予想に反してイズミはクスリと安心した様に笑う。
「ありがと。……勇気でた」
右手で胸の鼓動を確かめるようにギュッと胸を押さえて、
そして、言葉を続ける。
真っ赤な顔で、少しだけ近づいて、真っ直ぐにシロウの目を見る。
「練習終わり。本番行くね」
「ん?」
言葉の意味がすぐに分からず、きょとんとしたシロウに向けて。
言い放つ。
何年分もの、積もり募った言葉と想い。
「ねぇ、シロウ。……私、あなたが好き」
入学式の日、広い体育館の中で必死にシロウの姿を探した。
更に言えば、小学校の入学式の時も探した。
もっと言えば、いつだってずっと探していた。
「子供の頃からずっとずっと……」
言いながら目の前のシロウの姿がぼやけるが、イズミは構わず振り絞る。
声と、勇気を、振り絞る。
「あなたのことが好きだったの」
シロウはグイッと手で目を擦りながら、ひきつった笑いを浮かべて答える。
「あ、あ~……、……いいんじゃねぇ?感動しすぎて涙が出て来たよ」
子供の頃からずっと好きだったイズミが、見知らぬ誰かへと告げた想いに、流石のシロウも耐えきれず涙が流れる。
イズミは真っ赤な顔で不服そうに頬を膨らませる。
「……人が勇気を振り絞って告白したのに『いいんじゃねぇ?』はひどいんじゃないの?」
「いや、だってさぁ――」
と、言いかけてシロウはイズミの言葉を頭の中で反芻する。ん?告白?
――練習終わり。本番行くね。
イズミは確かにそう言った。
「え、っと、さ。練習の本番だよな?一応確認な、一応。ははは。思い違いがあるといけないからな」
「ううん。言ったはずだけど?練習終わりって」
イズミは困り顔でシロウの顔を覗き込む。
「……振るならちゃんと振ってよ」
その言葉と表情で、ようやくシロウも状況が飲み込める。
イズミの告白は、自分に向けての物だったのだ、と――。
「……もしかして、今告白された?」
驚いた顔のシロウにムッとしながらもイズミはコクリと頷く。
「もう一回言わなきゃだめ?」
再度目元を拭いながら、半歩後ずさりをして手でイズミを制する。
「いやいやいや、待て。何でそうなるんだよ。告白の練習とやらが終わったら俺が告白しようと思ってたのに……!」
「えっ」
驚くイズミを余所にシロウは頭を抱えて嘆く。
「これじゃ完全に後出しジャンケンじゃねぇか。……格好悪っ」
「それって、もしかして……シロウも私の事を好きだっていう事?」
ジッとシロウの表情を伺いながらイズミは半歩前に出る。
「……俺だけ安全圏でそんな事言えるかよ」
最早答えの分かり切っている様なその回答を聞き、イズミは意地悪そうに笑う。
「へぇ。そんなの分からないじゃない。言ってみなよ。こっぴどく振ってあげるから。ふふふっ」
シロウは眉を寄せ、困った顔でイズミを見る。
そして、人差し指で自身を指さし、次いでイズミを指す。
「アイ・ラブ・ユー、……って事だよ。アホタレバカマヌケ」
子供じみた罵声で何とか照れ臭さを相殺しようとするシロウの意図が伝わり、イズミはニッコリと笑いながらシロウの差した人差し指をギュッと掴む。
「……いつから?」
シロウは手を払いもせずにぷいっとそっぽを向く。
「ずっと前からだよ」
そんなシロウの横顔を眺めながらイズミも張り合って言葉を続ける。
「ふぅん。私はそれよりずっとずっと前だけど」
「あっそ。俺はそんなのより遥かずっと太古の昔からだが?」
イズミはムッと頬を膨らませながらシロウの手を引きベンチにと促す。
「へぇ。私は生まれるずっと前……生まれ変わる前からですけど?私がお姫様で、シロウが王子様だったっけ?」
ベンチに座り、首を傾げながら思い出した振りをするイズミに白い目を向けるシロウ。
「誰がお姫様だよ、図々しい。あぁ俺が勇者でお前が魔王の時だっけ?」
「あっ、ひどい!」
今度はシロウが意地悪そうに笑う番だ。
「あれ?こっぴどく振って下さるんじゃ無かったでしたっけ?」
「……ばーか」
呆れた声でイズミは言い、触れたシロウの手を軽く抓る。
蝉の声、八月の初め――。




