第62話 閑話 少女が繋ぐ二つの世界
◇◇◇
――遡る事、5年数か月前。
「もう、本当こんな年の瀬に……って思ったんだけど、『大掃除と思えばいいじゃないか』って。結局掃除するのは私なんですけどね」
「ふふふ、でも羨ましいわ~。一戸建てなんて」
小学4年の2学期も終わり、白い外壁の賃貸マンションの301に長らく住んでいた霧ヶ宮家の引っ越しの日を迎える。
玄関先でシロウの母とイズミの母が世間話をしていて、傍らにイズミが姿勢よく立っている。シロウの姿は無い。
「お母さん、先に車に行ってるね」
母の袖を引き、イズミがそう告げるとシロウの母は玄関を開けてシロウを呼ぶ。
「シロウ~、イズミちゃん行っちゃうわよ~」
「今手が離せねぇ~」
自室でベッドに寝転がり、仏頂面で一世代前の携帯ゲームをしているシロウ。もう何度もクリアしたゲームなのだが、今日は思わぬところで失敗してばかりでイライラが募る。
「シロウ~」
二度目の母の呼びかけには返事さえしなかった。
シロウの母が困り顔でイズミに謝る。
「ごめんね~、イズミちゃん。引っ越して行っちゃうから不貞腐れてるみたい。シロウ~」
イズミは呆れ顔で笑い、シロウ母にペコリと頭を下げる。
「大丈夫です。お世話になりました」
また、と手を振りイズミは階段を下りる。一軒挟んだ幼馴染の親同士、世間話が長い事はイズミも承知の上だ。
父が運転席で待つ車に戻り、イズミはマンションを見上げる。303号室の窓。見上げてもシロウの姿は無い。
イズミが車に戻ってから暫く、303号室の玄関が開き仏頂面のシロウが顔を見せる。
「あっ、シロウ!遅いわよ」
シロウは室内を指差す。
「何か電話来てるけど。今保留中」
「本当?ありがと」
シロウの母は急ぎ足で部屋に戻る。
その機を見て、シロウは仏頂面のままイズミの母を見る。
「中学も学区違うんだよな?」
「うん、ごめんね。でも、そんなに遠くないからまた遊びに――」
イズミ母の言葉を遮り、シロウは言葉を続ける。シロウ母が戻る迄時間は余り無い。
「俺、高校は絶対に駅の方にある高校に行くから。……俺、あんまり頭良くねーけど、家から一番近いし……頑張って勉強するんで」
言い辛そうにぼそぼそとシロウが告げると、イズミの母はニコリと笑い口元に人差し指を立てる。
「受験の時にそれとなく伝えるね」
それを聞いてシロウは照れ臭そうにプイッとそっぽを向く。
「……別にそう言うのじゃねーし。ただの宣言だ」
「シロウ~、電話ずっと無言だったから切っちゃたわよ~?誰からだったの?」
母が戻り、首を傾げる。
「え?あー、……忘れた。そんじゃ、まぁお達者で」
ペコリと頭を下げてシロウは部屋に戻る。
「あっ、コラ!ちゃんと挨拶位しなさいよ」
「ふふふ、男の子ね~」
イズミの母はクスリと笑う。
◇◇◇
3学期が始まって一か月もすると、表札の無い301号室にも大分違和感を感じなくなってきた。
それから少しして、内装工事や修繕工事が始まって、3月になる頃には次の入居者が引っ越してきた。
その頃、隣のクラスの金森すずがイズミの家に遊びに行ったと話をしているのをたまたま廊下で耳にした。
――転校先でイズミは元気にしてるか?
ただそんな事が聞きたくて、チラチラと見かける度に話しかける機会を窺った。
特に面識は無いイズミの友達。朝会えば『あ』とか『おう』とかくらいには声をかわす程度の仲だったから、急に話しかけるには理由が必要だと感じる。。
暫くそんな風に様子を窺いながら3学期を終え、春休みを終えて5年に進級する。
そう言えば、前は登校の時によく会ったなと思い出す。イズミが転校してから登校時間が少しずつ遅くなっていた為、曲がり角で金森すずに会う事も無くなっていたのだ。
母親に『どうしたの?』と首を傾げられながら少し早起きをして家を出ると、二つ目の曲がり角でピンク色のランドセルを背負った金森すずとばったり出くわす。
「お」
登校時に出くわすのは3学期の始業式以来だったが、金森もシロウを覚えていた様でニコリと笑い『おはよう』と挨拶をしてくれた。
「おう」
そのまま電柱一本分程無言で歩いてから、意を決して口を開く。
「……金森さ、最近あいつに会った?」
「あいつ?」
金森すずは分かり切った答えを微笑みながら問い返し、シロウはわざとらしくしらばっくれながら口を尖らせる。
「あいつだよ、あいつ。あー、名前何つったっけなー。うちの隣の隣に住んでたやつ。金森仲良かっただろ?」
「ふふっ、何それ。いずの事でしょ?」
口元を軽く手で隠し、品よくクスクスと笑う金森。
それを聞いて、これまた今思い出した様にわざとらしくポンと手を打つシロウ。
「あぁ、確かそんな名前だったな。イズミだっけ?元気にしてんの?や、俺個人は全く興味無いんだけどさ、うちの白亜の城は抜け忍に厳しくてよ。動向を調べて来いって長から言われてんだよ」
「元気にしてるよ」
苦しい言い訳をするシロウに一切の詮索をせずに、ニコニコと笑いながら金森すずは答えた。
「そうか」
よかった、と思う反面寂しく思っているのはこっちだけか、と理不尽な感情も湧き出て来て、気が付けばまた仏頂面だ。
「もう友達も出来たみたい」
「あ、そう。へぇ、それはよかったっすね」
「同じ事聞かれたよ、いずに」
「同じ事?」
金森の言葉の意味が良く分からずに、眉を寄せて復唱すると金森は笑顔のままでコクリと頷く。
――記憶の限りでは、金森すずはいつだって笑顔だった。
「うん、同じ事」
ニコニコと金森もシロウの言葉を復唱したので、気になっていると思われるのも癪なシロウはそれ以上問うのを止めた。
「また今度遊びに行く約束してるけど、何か伝言ある?」
「……別に」
そっぽを向く仏頂面を横目に見て、またクスクスと笑いながら金森すずは頷く。
「伝えとくね」
「伝えんなよ!別に何もねぇって事だよ!」
それを聞いてまた金森は楽しそうに笑う。
「ふふっ、じゃあ何も無いって言ってたって伝えればいい?」
「つ・た・え・ん・な!」
それから、時々シロウとすずは共に登校する様になった。話題の殆どはイズミの話。二つ目の曲がり角から、三つ目の曲がり角の間まで。
因みに金森がイズミを『いず』と呼ぶのは、『すず』と『いず』みで語感が似ていた事がきっかけだった、と彼女は言った。
4年使っても鮮やかなピンク色のランドセルの少女が繋ぐ、歩いて30分の二つの世界――。




