第61話 真っすぐ、ど真ん中
◇◇◇
都合良くサッカーボールとサッカーゴールがある場所など、一つしか思いつかなかった――。
マキトがシロウの家を訪れていると言う事は、サッカー部は休みと言う訳だ。夏休み期間中は練習の曜日が違うらしい。グラウンドは陸上部と野球部がメインで使っていたが、グラウンド一番端のゴール付近は空いている様子だった。
「お、ラッキーだね。端っこ空いてる」
日差しを避けるように目の上を手で隠しながらマキトが目を細める。
「ちょっと許可取ってくるね」
「何て言って取るんだよ?」
職員室に向かって走り出しかけていたマキトは振り返ると楽しそうに笑う。
「ははっ、親友との青春の一ページ……で通らないかな?」
「……くっさ、あほか。通る訳ねぇだろ」
「まぁ、行ってくるね」
職員室へと向かうマキトを追い払う様にシッシッと手を振るシロウ。
これから8月に入ろうかと言う梅雨も過ぎた夏の始まり。30度を超える外気温の中で、陸上部も野球部も声を張り上げて頑張っている。
木陰を求めて体育館側に避難すると、ドドンと床を力強く踏む音と、乾いた竹刀同士がぶつかる音がする。全開になった剣道場の扉の向こうでは、全身に防具を付けた剣道部たちが声を上げ、打ち合っていた。
全員面を付けている為、顔は見えないが胴の下に付いている『垂れ』と言う箇所に『柏木』と大きく白字で刺繍されていた為すぐに柏木を見つける事が出来た。
よく見ていると、男女構わず一緒に練習をしている様子で、柏木弥宵は自分よりも二回りほど大柄な男性部員に対して果敢に打ち込んでいた。
「……やぁああああっ!っめぇぇえっん!」
小柄な柏木は素早い動きで大柄な男の面を打つ。
よく考えると私服なので、怪しまれないように少し離れた場所でそのまま剣道部の練習風景を眺めていた。
「お待たせ、ちゃんと片付ければオッケーだってさ。あ、あとちゃんと青春のページに焼き付ける事、って」
「よく貸してくれたなぁ、そんなふざけた理由で」
「僕信用あるからねぇ」
剣道場の入り口でマキトとシロウが話をしていると、剣道場から『五分休憩!』と大声が響く。そして、その声からさほどの間が無く汗だくの柏木弥宵が犬の様に二人に駆け寄ってくる。
「シロウくん、マキトくん!そんなところで何やってるの!?」
「あー、柏木の剣道着姿を見に来た。な、マキト」
「うん、汗だくだね。あはは」
「えっ……、と、ま、ぁ、嘘だと言うのはわかるんでぇ。もうっ、時間ないんだから余計な嘘吐かないでよ、シロウくん」
先輩が麦茶を3つ持ってきてくれたので、ペコリと会釈をして二人も受け取る。
「……ここだけの話、マキトくんの姿が見えたから配慮してくれての5分休憩なんだからね」
ひそひそとシロウに耳打ちをする弥宵。
「マジか。すげぇなぁ、イケメン効果は」
「学校に何か用?補習……な訳ないか」
マキトはチラリとシロウを見た後で弥宵を見る。
「これからシロウと勝負をするんだ」
勝負と言う言葉で、それが何に対しての事か弥宵は薄々把握した。
「マキトくんが勝ったら?」
少し前に、自身の事を好きだと言った相手に対して、躊躇わずにマキトは答えた。
「霧ヶ宮さんに告白するよ」
互いに友人でいる事を望んでいるのなら、隠す事でも隠せる事でも無いのだから。
弥宵はニッコリと笑い、マキトに右掌を差し出す。
「頑張ってね」
嫌味でも皮肉でも無く、弥宵は心からそう思い右掌を出し、マキトはパンと掌を叩く。
「うん、ありがと」
「……お前らさ、知ってるか知らないか知らんけどな、あいつ好きな相手いるんだぞ?」
困り顔ながら善意の忠告をするシロウに、マキトと弥宵は顔を見合わせてクスリと笑う。
「知ってるよ」
「知ってるけど」
「え、マジで?相手も?」
「うん、そりゃね」
「ね」
息の合ったやり取りを行う二人を見て、一人ガックリと肩を落とすシロウ。
「マジかよ、俺だけかよ」
「あはは、まぁいいじゃん。そろそろ始めようか。本当にサッカーでいいの?」
「……当たり前だろ。人の恋路の邪魔しようってんだから、相手の土俵で戦うくらいしないとな」
「僕、シロウのそう言うところ好きだなぁ」
「やめろ、気持ち悪い」
ニコニコと笑うマキトの肩をドンと小突くシロウ。
「じゃ、柏木。引導渡してくるわ」
軽く手を挙げて剣道場を離れようとするシロウのその手を弥宵はパンと叩き、ニッコリと笑う。
「ファイトッ!」
真っすぐなそのエールに気恥ずかしさを覚える。
「……どっちの味方だよ」
「えへへ、コウモリでごめんね?」
そう言って手でパタパタと羽ばたく真似をしていると、剣道場の方から『弥宵~』と呼ぶ声がして、柏木は二人に小さくガッツポーズをすると小走りに剣道場に戻っていった。
◇◇◇
グラウンドの端のサッカーゴールは、丁度校舎の陰で日陰になっている。取り合えず、と用具室からサッカーボールを5個とキーパー用のグローブを持ってくる。
勝負の時は近い。
「どうする?PK?」
「ご自由に」
やり取りをしながら準備運動を行う二人。
ご自由に、と言ってもマキトの得意分野で戦い且つ二人で出来る……とすれば、互いにキッカーとキーパーを行うPK戦になるのだろう。
「何本先取?それは決めてよ」
準備運動をして、ポンポンとボールでリフティングを行いながらシロウは思案する。
「んー」
そして、人差し指を立てる。
「一本勝負」
どちらかが成功して、どちらかが失敗すればそこで勝負は終わり。
マキトはコクリと頷く。
「わかった。じゃあ先攻後攻は――」
と言いかけて、思いついたように鞄を探る。そして、ピンと100円玉を一枚弾く。
そして、回転するコインをパシッと右手で左手の甲に押さえる。
「これで決めようか」
ニッと笑うマキト。思えば、二人の出会いも100円玉だった。シロウも少し笑って頷いた後で、短く答える。
「表」
5円玉以外の硬貨は金額が刻まれている面が裏面だ。
押さえた手を上げると、『100』と見えた。――つまり、裏。
「じゃ、僕先攻で」
「オッケー」
蝉の声も、夏の日差しも、野球部の掛け声も、陸上部のホイッスルも、二人には何も届かない。
ゴールから約11メートル離れた場所にボールを置き、マキトはゴールを見る。
マキトの視線の先、ゴールラインの真ん中にはシロウの姿。7メートルを超える幅のゴールは、テレビやゲームで見るよりも大きく感じ、両手を広げてもまだまだ覆いきれない。ゴールキーパーには大柄な選手が多い事に一人納得した。
とある統計によると、通常のPK戦では最初に蹴ったチームの60%が勝利していると言い、コイントスで勝ったチームの95%が先攻を選ぶと言う。
つまり、技術はさることながら精神的な要素も強いと言える。
シロウもその統計の事は何かで読んで知っている。技術でマキトに勝てるはずは無く、勝てるとしたら精神面……心理的な要素だろうと思う。
「ルール確認。キーパーはライン上なら動いていいんだよな?」
「うん、そう。よく知ってるね」
それを確認するとシロウは移動をする。マキトから見て左のゴールポストのすぐ側へ。
反対側はがら空きだ。
「……行くよ」
シロウはやや前傾に構えて、掌を拳で打つ。
「おう」
ボールから離れたマキトは、ゆっくりと助走を付けてボールへ向かう。
シロウはゴールの左端。右はがら空きだ。マキトの利き足は右。助走の速度は徐々に上がる。考える時間は僅か。どこに蹴る?がら空きの右?真ん中?シロウが構える左?
ドン、とボールを蹴る音――。
一瞬遅れてバシッと捕球音。ボールはゴールの左、シロウの両手に吸い込まれている。
「次、俺な」
ボールをポンと放り、シロウはニヤリと笑う。
――攻守交代。
キーパーグラブを嵌め、今度はマキトが構える。
シロウとは対照的に……と言うか、通常通りゴールの真ん中に立つ。
「いつでも」
「おう」
シロウをなめているわけではない。寧ろ、恐らくこの学校の中で一番シロウを評価しているのがマキトだろう。
「行くぞ」
間を置かず、言葉の駆け引きも無く、シロウは距離を取り助走を始める。
右か、左か。真ん中か。
どっちにもすぐに飛び出せるように意識を集中する。
シロウの利き足は右。
ボールに向かい真っすぐに走る。なら、角度的に右隅は無いか?マキトは失敗している。これを決められれば即座に負けだ。集中。集中。集中。
シロウはボールに近づき、いよいよ右足を振りかぶる。動きはスローモーションに見える。
軸足が少し外を向いているような気がした。そして、シロウの守備の時の極端な位置取り。そこを狙う意趣返しが頭によぎる。
――右っ!。
ドン、とボールを蹴る音と同時に横っ飛びをしたマキトの視界の隅にボールが映る。
ボールは真っすぐに、ゴールのど真ん中を通り過ぎて、ネットを揺らした。
マキトはそのままグラウンドに寝転がり、天を仰ぐ。
「……フェイント?」
シロウは勝ち誇るでもなく、少し困った顔でマキトに近づく。
「いや?全力でど真ん中に蹴っただけだけど」
そんな事言ったって軸足が……と、言いかけてシロウは別にサッカーの練習をしたことがある訳でなく、只の独学だと思い出して言葉を飲み込む。
「悪いな、約束通り諦めてくれよ」
「うん、わかってる」
マキトは腕で目を覆う。
「一つだけ、聞いていいかな?」
シロウはマキトの傍らに座る。
「おう」
「……シロウは、霧ヶ宮さんの事どう思ってるの?」
「はぁ?そんなもんなぁ……」
何と言おうか少し上を見上げて考えた後で、シロウは言い辛そうに口を開く。
「好きに決まってんだろ。ガキの頃からずっとな」
腕で目を覆いながら、マキトはクスリと笑う。
「そっか」
その頬を汗が伝う。
蝉の声と、野球部の声と、陸上部のホイッスルが聞こえる7月の終わり――。




