第54話 淡い痛み
◇◇◇
「一つ厚かましいお願いがあるんですけど、いいですか?」
「うん、いいよ。敬語止めてくれたらね。あはは」
内容も聞かずに、カンガルーを眺めながら軽く笑いマキトは答える。二人がいるのはオーストラリアエリア。エミュー、カンガルーと来て、次はいよいよコアラ館。
「えっ。……うー、うんっ。うんうんうんうん」
返事に困り取り合えず数でカバーしてみる柏木は、うんの数だけ何度か頷く。
視界の隅ではカンガルーがピョンと一度跳ねていた。
「で、お願いって?」
柵に手を置き、顎を乗せてカンガルーのお腹の袋を眺めながら、言い辛そうに弥宵は口を尖らせる。
「……えー、っとですね」
「あれ?敬語?」
「……えー、っと、……ね」
マキトの指摘を受けて律儀に間投詞を言い直す。
視線の先にはカンガルー。雄のカンガルーにはお腹の袋は無いらしい。
「……まだ、諦めませんから」
またまた敬語になってしまっているが、決意に満ちた目でジッとカンガルーを見つめる弥宵に野暮な指摘はせず、マキトは少し楽しそうに笑う。
「それ、お願いじゃなくて宣言じゃない?」
柵に置いた手に頬を乗せて、横に立つマキトにジト目を向ける。
「じゃあ宣言で。……絶対また告白します」
一度振られて、どこか吹っ切れた様子の弥宵。
弥宵の宣言をいつも通りの微笑みでマキトは受け止める。
「へぇ、期待しないで待ってようかな」
今まで何人もの女子に告白されてきた天野蒔土。その中には仲の良い友人と思っていた女子もいた。姉の友人もいた。部活のマネージャーもいた。親友の想い人もいた。
諦めないと言った子もいた。ずっと友達でいてくれますか?と言った子もいた。
その誰もが今彼の近くにはいない。
今の所彼にとっては、告白とは疎遠になって行く過程に過ぎないのだ。
突き放したり、割り切れれば楽なのだろう。
だが、自らが悪者になり冷たく突き放せる程強くはないし、簡単に割り切れる程単純でもない。でも、告白された後も今まで通り接しようとして、避けられても耐えられる程度には丈夫でよかった。
期待しないで待っていると言いながらも、本当は毎回期待してしまう位女々しく、でも、それを表に出せない位見栄っ張りで良い格好しいの二枚目だ。
「はい、これ。ほっぺ冷やしな」
手持ちのペットボトルももうぬるくなってしまっていたので、自販機で冷たいお茶を買って弥宵に手渡す。財布を取り出そうとする弥宵を軽く手で制する。
「ありがとです。ん~、冷たっ」
ペットボトルを頬に当て、その冷たさにギュッと目を閉じる弥宵。
「そろそろコアラ行く?」
また少し坂を上った先に見えるコアラ館をマキトが指差すと、弥宵はふるふると首を横に振り、別の道を指差す。
「コアラ見に行ったらコアラ組の任務達成しちゃうじゃないですか。遠回りにしましょう」
キリンを見に行くキリン組、コアラを見に行くコアラ組。元々その様な理由で二手に分かれているので、目的を達成する事で早めの合流になってしまう事を危惧しての弥宵の提案。
「そっちには何がいるの?」
マキトの質問に園内図を開きもせずに弥宵は首を傾げる。
「わかんないです」
そして、ニッコリと満面の笑顔をマキトに向ける。
「でも、きっと楽しいですよ!」
一瞬きょとんとした顔で呆気に取られた後で、マキトはクスリと笑う。
「……柏木さん少し変わったね」
「えっ!?何かダメですか!?ヤバいですか!?」
マキトの言葉にオロオロと自分の身体を見渡す弥宵を慌ててフォローするマキト。
「いや、勿論いい意味で」
ジロリと疑いの眼差しをマキトに向けながら、両手の人差し指の先を何度かパシパシと重ねる。
「……本当ですかねぇ。でも、何となーくですけど漸く間合いが分かって来た……って感じはしますね。一足一刀の間合いって言うか」
重ねた指先は剣道の竹刀を模しての事だったようだ。一足一刀の間合い――、一歩踏み込めば打突が適い、一歩退けば打突を回避する事の出来る、剣道に於いて基本となる間合い。
自分で言った言葉が、思った以上にしっくりと胸に収まる。
もしかすると、漸くスタートラインに立てたのかな?と。
そう思うと、振られたてにも関わらず少しだけ嬉しくなり足取りも軽くなる。
「どうかした?」
「えへへへ、当然秘密です」
◇◇◇
カンガルーを離れ、コアラ館から少し遠ざかりながら二人は道を進む。
「話を戻しますけど」
「うん、いいよ。どの辺に?」
一度チラリと横目でマキトを見て、それが確認代わりと言わんばかりに弥宵は口を開く。
「マキトくんは告白しないんですか?」
「なっ……」
何で知っているの?と聞きかけて、告白を断る時に『好きな人がいる』と言っている事を思い返す。
「んー……、まぁ、ね」
呆れ笑いを浮かべながら口ごもる。
誰にも言った事は無いが、マキトの想い人は彼の親友であるシロウの幼馴染・霧ヶ宮泉だ。
本人から聞いた訳では無いが、イズミは恐らくシロウの事が好きだ。そして、恋愛準五級を自称する親友のシロウは、本人が自覚していないだけでイズミに好意を抱いている可能性が高い。
そこに自分が割って入る必要も可能性も無いだろう。
考える度、胸に感じる淡い痛み。
「多分……、しないかなぁ」
自嘲気味に笑うマキト。弥宵は少しムッとした様子で早歩きをすると、マキトの前に立ちジッと彼の顔を見る。
「シロウくんに気をつかってるんですか?」
カマを掛けているとは思えない確信に満ちた瞳にマキトは内心たじろぎながらも平静を装い涼やかな微笑みを浮かべて首を傾げる。
「何でそこでシロウが出てくる?」
首を左右に振り、呆れた振りをして溜息を吐く弥宵。
「ごまかしても無駄ですよ~」
そう言うと、右目を瞑り左の人差し指で左目を差して得意気に笑う。
「ずっと見てましたから。入学式の日からずーっと。だからわかっちゃいますよ」
――いずみんのことが好きだって。
「……いや、でもさ。だって、その~……」
悪事がバレた子供の様に、珍しく目を伏せてマキトは呟く。
「……シロウは友達だから」
中学生の頃、親友だと思っていた相手が好きだった子から告白された。その女子はマキトの事が好きだった。
親友がその子に振られた後、その子はマキトに振られ、親友だと思っていた彼は次第に距離を置くようになった、……とマキトは言った。
弥宵は神妙な面持ちでマキトの昔語りを聞くと、大きく一度頷いた。
「……なるほどです。要するに、マキトくんは――」
一息置いて、弥宵は言葉を続ける。
「シロウくんを嘗めてるって事ですね?」
「えぇっ!?」
弥宵らしからぬ言葉に驚いてマキトが顔を上げると、それを待っていたかの様に弥宵は声を上げる。
「失礼しますっ!」
パンッ!といつか聞いたような音が再び園内に響き、シロテナガザルが檻の中でビクリと動いた。
シロテナガザルの視線の先には、長身で端正な顔の少年と、その頬を両掌で打つ少女の姿。
音から察する感じ頬も痛かろうに、マキトは驚いた目で弥宵を見る。
「そんな事でシロウくんは離れませんよ!友達ですもん」
「……いや、でもさ。さっきも言ったけど、中学の時だって……」
「そんな人は友達じゃなかったって事ですよ!」
両手を頬から離さずに弥宵は声を上げる。
弥宵は怒っている。
マキトに。
その中学の『友人』に。
手のひらから頬に伝わる熱や痛み。
「……もし、万が一さ。上手く行っちゃったらどうするの?」
マキト自身が自分で言っていて滑稽な位あり得ない仮定の話。
弥宵はずっと真っすぐにマキトを見ている。
マキトの仮定に間髪入れずに答える。
「応援するに決まってるじゃないですか!……友達だもん」
マキトはクスリと笑う。
「いずみんが?」
聞き直さなくても、答えなんてわかっている。
「マキトくんが!わかってて言ってますね!?もうっ」
「あはは、ごめんごめん」
打たれた頬の淡い痛み、気付かぬ間に一筋目から涙が伝う。
シロテナガザルも、その一部始終を見守っていた。




