第53話 甘くて淡い
◇◇◇
キリン組と分かれた弥宵達コアラ組は、コアラの展示を目指して坂道を歩く。
「あ、あの鳥何だっけ?ダチョウ?」
柵に腕を乗せて、二足歩行の大型鳥類を眺めながらマキトが問う。
「いえっ、エミューです!この辺はオーストラリアゾーンなので!」
「へぇ、ダチョウは?」
「ダチョウはアフリカです!」
何度か部活帰りに二人で話しながら帰った事もあり、敬語ではありながらも会話は成立するようになっている所に柏木の成長が見て取れる。
「柏木さんは動物詳しいよね。何か飼ってるの?」
「わたしは飼った事ないですけど、熱帯魚なら兄が飼ってます。結構おっきいやつ」
そう言って胸の前で手を広げる。サイズにして50センチ程だろうか。
「お兄さんいるんだ?」
「歳結構離れてますけどね。今大学3年生です。マキトくんは兄弟いますか?」
「うちは姉が二人かな。高3と大学生。僕も兄ちゃん欲しかったな~。家の中女ばっかりで肩身が狭いったらないんだよ、僕と父さん」
「えっ!末っ子ですか!?」
「あはは、そう。ぽいでしょ?」
自分の顔を指差しながらケラケラと笑うマキトの顔が、何となく照れ臭くて弥宵は目を逸らす。
「……そ、そうっすかねぇ。えへへ、わかんないす」
テストの事や部活の事、お互いの家族の事や動物の事。以前動物園に来た時には顔を見て話すことも出来なかったマキトと、ちゃんと顔を見て話を出来る事で柏木弥宵は終始口元が緩みっぱなしだった。
天野蒔土は男女問わず誰とでも分け隔てなく明るく接する。例えば、柏木弥宵とで無く、他の誰と来たとしても同じように楽しく園内を周るだろう。そんな事は弥宵だって十分わかっている。
友人と思ってくれてはいる。
だが、きっと隠しているつもりの隠し切れない好意にも気付かれているはず。
楽しそうに動物を眺めるマキトの横顔をチラリと盗み見て弥宵は考える。
気づかれているにも関わらず、部活の帰りに誘ってくれたり、今日もこうやって一緒に周ってくれる理由は何だろう?単純に友人だからだろうか?
手が汗ばむのは気温のせいだけでは無い。
穂村司郎は『脈は無い』と言った。言い切るからには何等かの根拠があるのだろう。
でも、もしかすると――。
なんて浮かんで自分で打ち消す。
動物を眺めて、楽しく会話をしながらも頭はずっと告白の事を考えている。
動物園で告白をする、とイズミに宣言をした。
コアラを見る前の方がいいだろうか?それともコアラを見た後の方がいいだろうか?
更に言えば動物園から帰る途中の方がいいだろうか?
ただ一方的に気持ちを伝えるだけの脈の無い告白。自分がどれほど相手の事を好きで、そのおかげで毎日がどれだけ楽しいかと伝えるたけの利己的な告白。再び4人で動物園に来ることを楽しみにしていたマキトの気持ちを踏みにじる自分勝手な行為かも知れない。
多分、正解は想いを告げずに友達のままでいる事だろう。
そして、遠いいつか『あの時告白していれば、もしかしたのかもなぁ』と思い出して微笑むのだ。告白をしていなければ、その可能性はゼロではないのだから。
『マキトに告白するの止めねぇ?』と言ったシロウの言葉を思い出す。
ぶっきらぼうな言葉ながらも、ほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をしていた。
――きっと、傷つかないようにと思ってくれたんだと思う。わたしか、マキトくんか、或いはその両方が。
やだ、と心の中で答えるとギュッと口を結び、少し道を外れて草むらの方へと歩を進める。
「柏木さん?」
一度呼びかけると、恐らくこれから起こるだろう事を察した蒔土は何も言わずに柏木の後を追う。
本来入ってはいけないであろう、順路で無い草むらへ。
少し入って木の陰で立ち止まった柏木は一度深呼吸をして振り返る。
後を追ってきたマキトは、いつも通りの微笑みを浮かべている。
動物園には来たばかりだ。まだあまり動物は見ていないし、コアラも見ていない。お昼ご飯も食べていないし、みんなで周るのは午後からだ。
思い上がりかも知れないけれど、これからの今日の全てを楽しめなくさせてしまうかもしれない。
それでも――。
「マキトくん」
澱みのない声で、弥宵はマキトの名前を呼ぶ。
自分に自信なんて無い。釣り合う人間とも思えない。それでも、好きなのだ。告白など、相手の事を考えて出来る行為では無い。
「好きです。入学式の日から、ずっとずっと今日まで」
マキトは優しく微笑む。
「うん、ありがと」
勝手に目から涙が滲んできたが、弥宵は言葉を続ける。何度もシロウと告白の練習をした。だが、用意して来た言葉なんて全て吹き飛んでしまった。だけど、そんな事はどうでもいい。ただ、想っている事を伝えるだけだ。
「入学式の日に一目見た時からずっとずっと気になって。声がする度に振り返って、姿を見る度に恥ずかしくなって。一言も話せずに卒業するんだろうなぁって思ってたんです」
入学式から少しして、マキトとよくいる男子がイズミの幼馴染だと知り、イズミがマキトを紹介してくれるように頼んだ事がきっかけだった。
その日はドキドキのあまり眠れなかった。
「でも!いずみんとシロウくんのお陰でマキトくんと話すことが出来て、仲良くなれて、毎日毎日本当に楽しくって。……話す度にどんどん好きになっちゃって」
――だから、ありがとう。
――これからも、友達でいて下さい。
笑顔で言えれば満点だ。
それ以上を望まなければ、この後も楽しくいられるのだ。
想いを告げるだけでいい。
「だから……」
優しく微笑むマキトを見る。
マキトは優しい。
だから、弥宵は抱いてしまう。
――甘くて淡い仄かな期待を。
「……わたしと、お付き合いしてくれませんか?」
胸をぎゅっと手で押さえながらぺこりと頭を下げる。
答えは、想定通りだった。
「……ごめん。好きな子が、いるんだ」
マキトは優しいから。顔を見なくても彼がどんな顔をしているのかわかった。
胸の真ん中がぎゅうっと絞り捻られる様な感覚がして、それと連動するように涙がこぼれた。
弥宵はグッと歯を食いしばると、両手で力強く両頬を叩く。
パン!と大きく音を立てて、マキトは驚いた顔をする。
「……えへへ、そうですか。じゃあ、よかったら後で恋バナしませんか?えへへへ。ぐぅ……、ほっぺが痛くて涙がぁあ」
ポロポロと涙をこぼしながら、にっこりと弥宵は笑う。
シロウと特訓をしていなければ、笑えなかったかも知れない。
告白はした。想いは伝えた。結果、振られた。何もかも練習通りだ。後は楽しく動物園をまわるのだ。
「コアラ、行きましょう!」
元気にガッツポーズを取る弥宵に、マキトはコクリと頷く。
ごめんとは言えない。ありがとうも違う気がする。
今まで通りが正解なのかも分からないけれど、ニコリと微笑み弥宵の頬にペットボトルを付けた。
「うん。その前にちょっと冷やそうか、ほっぺ」
「冷たっ……いです!」
ペットボトルに手を触れると、何故かまた涙がこぼれる。
「あっ!違っ……、そう!結露!結露です!これは!」
マキトに心配を掛けまいと無茶な言い訳をする弥宵にマキトはクスリと笑う。
「行こうか、アイスか何か食べよ」
「はいっ!」
二人は草むらを戻り順路へと戻る。
告白が失敗した事を失恋と呼ぶなら、これは失恋と呼べるだろう。柏木弥宵の、一度目の失恋。




