第51話 夏の始まりを告げる音
◇◇◇
『手紙なんて書かない』との宣言通り、金森すずは一通も霧ヶ宮泉に手紙は書かなかった。
大人の足で三十分、電車で一駅ではあるが東京郊外の長い一駅、距離にすれば四キロ近い距離。だが、子供の足とは言え、自転車があれば十分いけない距離ではない。但し、起伏の多い道ではあるが。
「来たよ!いず!」
自転車を漕いで、金森すずは訪れる。白い外壁の賃貸マンションから遠く離れた新興住宅地にある新築の一軒家へ。
かわいらしいパステルカラーの自転車を傍らに止め、息を切らせて笑うすずを驚いた顔で出迎える霧ヶ宮泉。
「……本当に来たんだ」
「あっ、ひどい。疑ってたの!?」
「だって、遠いじゃん。……一応、お菓子と飲み物用意してるけど」
玄関の扉を大きく開けて、おずおずとすずを招き入れるイズミ。
小学四年の春休み、金森すずは幾度と無く新しいイズミの家を訪れた。
小学五年の新学期が始まっても、幾度と無くイズミの家を訪れた。
六年になって少し数は減ったが、すずはイズミの家を訪れた。
中学に上がっても暫くそれは続いたが、いつの日かすずはイズミの家を訪れなくなった。
◇◇◇
「ねぇ、嘘吐きさん。もしかして、前にバドミントンした時もわざと空振りしたんじゃないの?」
勝負を終え、ジッと疑いの眼差しでパーティ開きをしたお菓子を頬張るイズミと、恐縮気味に引きつった笑いを浮かべるシロウ。
「……ははは、嫌だなぁ。そんな器用な真似できるわけ無いじゃないっすか。俺体育2っすよ?霧ヶ宮さんと違って」
「へぇ、まだそんな事言うんだ?学年一位の穂村司郎くんは」
「うへへ、まだ仰るんすか。霧ヶ宮さん、やめて下さいよ」
「もうっ、ウザい。普通にしゃべってよ」
通知書に書かれている中間の結果を見ると、シロウは中間テストも一位のようだった。
「いつまで騙せると思ったの?」
尋問は続く。
「負けてる限り疑わないだろうと思ったんすよ。浅はかな考えでしたけどね、うへへへ」
「ふーつーうーにーしゃーべーれっ」
シロウはバツが悪そうに数度頭を掻いてコクリと大きく頷く。
大きく頷いたのか、頭を下げたのか。
次の言葉で頭を下げていた事がわかる。
「わかったよ。悪かった」
その言葉を聞いて、イズミは腕を組みわざと尊大な様子で満足そうに頷いた。
「ん、許す」
幼馴染の赦しにシロウも安心した様子に見える。
「で、お前の聞きたい事ってのはあれで終わり?」
「んー」
イズミは意味深に微笑みながら考える。
聞きたい事は当然沢山ある。
噂によると、シロウは転校した子の事が好きだったと言う。
噂によると、シロウは学校で暴れて何人かの生徒に怪我をさせた事があると言う。
――シロウはすずの事が好きだったのか?すずは何故転校したことを私に教えてくれなかったのか?シロウが学校で暴れたのは事実なのだろうか?何故シロウは中学にあまり通わなかったのだろうか?いつの間に学年一位になるような学力を身に着けたのだろうか?運動だってそうだ。そして、もしかして……今でもすずの事を好きなのだろうか?
「んー」
また少し首を捻って考えたかと思うと、ニコリと微笑む。
「今はいいや」
シロウは呆れとも安堵ともつかない愛想笑いを浮かべる。
「今は……ね、了解」
「いつか、話してくれるんでしょ?」
何と答えたらいいか少し考えた後で、結局何も言わずにコクリと一度だけシロウは頷いた。
その答えは満点だったようで、イズミは嬉しそうに笑う。
「5年間だもん。色々あるよね」
「そうだなぁ。例えば今から5年後だと……20歳か。そりゃその間色々あるわな」
「ふふ、私は21歳だけどね」
「あれ?もしかして留年されてる?」
ジト目でシロウを睨むイズミ。
「ばーか。誕生日過ぎてるからですー」
「えっ。あ、あー……。そうだな、そうだった。あれだ、お前がゲーム機買ってもらったのが確か誕生日だ」
「そう言う覚え方ね……。日付は?」
「勿論覚えてるに決まってるだろ。……あー、ここまで出かかってるんだけどなぁ」
「へぇ、また嘘吐くの?」
シロウは深々と頭を下げる。
「すいません、記憶にございません」
「ふふ、正直でよろしい」
立ち上がり、屋根を出て見上げると緑の木々が風に揺れてその隙間から空の青。
「そっかぁ。5年後は21歳かぁ」
「俺はまだ20だけどな」
「何してるかな?」
楽しそうにイズミはシロウを振り向く。
「普通に考えれば大学通ってんじゃねぇ?」
「ふーん。少し捻ると?」
「……何だよ、そのお題。捻る必要あんのかよ」
シロウの苦言を聞き流して、イズミはリピートする。
「少し捻ると?」
諦めて繰り返されたお題を考える。
「んー、……まだ高校生だったり?」
「ふふ、何それ。何年生よ」
クスクスと笑うイズミを見ながら指折り数えるシロウ。
「あー、いちにーさん……六年だな。高六」
「……何年留年しても高校は三年生までしかないんですけど」
◇◇◇
「でさ、マキトくんが言ってた秘密の話って何だったんだろうね」
食べ終わったお菓子の袋や箱を片付けて帰り支度をしながらイズミはシロウに問う。
「あー」
シロウとイズミのテスト結果の勝負の際に、『秘密の話がある』と言って柏木弥宵を連れてファミレスへと連れて行った件。
「まぁ、高い確率で方便だと思うぞ」
一人納得顔のシロウに、納得できないイズミは質問を続ける。
「方便……って、何の為にマキトくんがそんな事する必要があるのよ」
「まぁ、そんなの別にいいじゃないっすか霧ヶ宮さん。うへへ」
再度の霧ヶ宮さん呼称にムッと口を尖らせて苦言を呈する。
「あ、また隠し事?懲りないね、シロウも」
「いやいや、でなくてさ。勝負って事はどっちかが負ける訳で、学年一位の穂村くんと勝負をする以上負けるのはまぁお前な訳で」
「嫌味」
「あっ、やっぱり謙遜の方がいいっすか?」
「うるさい。言っただけ。続けてよ」
イズミの手に促され、シロウは推論を続ける。本人が言ったわけでは無いのであくまでも推論だ。
「んー、だからさ。負けたら悔しいだろ。ただでさえ『負けたら何でもする』とかって退路断ってるんだし。で、それを見られないように気をつかったんじゃないか?マキト的に」
「ふぅん。マキトくんは優しいんだ」
「そうだよ。イケメンの癖に性格までいいんだよ、あいつは」
イズミの言葉に大きく頷いて同意する。
「弥宵がね――」
口にしてからやはり言うまいかと逡巡するものの、自身がシロウに隠し事をしないように咎めている事もあり、思い直して口を開く。
イズミは、シロウを真っ直ぐに見て口を開く。
「動物園でマキトくんに告白するって」
シロウはニッと笑い頷く。勝算は無い。でも、それでもいいと柏木は言った。
「そうか。ゾウの前だけは止めとけって言っといて」
「何で?」
「ん?普通に臭いから」
確かに、動物園の中でもゾウ舎の前だけは特別に糞の臭いがした記憶があった。
「ばか。でも言っとく」
イズミはクスリと笑う。
その直後、森のどこかからジ……と音がした。
「あ、セミ」
夏の始まりを告げる様な第一声は、公園に木霊した。




