第50話 嘘つき
◇◇◇
月曜日から期末テストは始まり、期間中の三日間は午前のみで学校は終わる。
一クラス約40人、それが6クラスで240人。副教科の先生に至っては場合によって更に複数学年分。通常通り授業を行いながらそれだけの採点業務を行うとなれば間違い無く休日返上の作業となろう。
テスト結果が返却されたのは、週が明けて月曜日だった。
シロウやイズミの通う公立高校では、テスト結果の通知は一枚の用紙で行われる。各科目の得点・平均点・順位、総合得点や総合順位が表やグラフと共に記されている。
「次ー、霧ヶ宮ぁー」
「はいっ」
出席番号順に担任に呼ばれ、柏木弥宵の後にイズミが呼ばれる。
イズミ達A組の担任教師は化学を受け持つ30代中頃の女性。学校にいる時は如何なる時でも白衣を着ている。
「はい、お疲れ様。頑張ったな」
考査通知を渡しながら声を掛けるが、具体的に成績に触れる様な事はしない。
ペコリとお辞儀をして席に戻る途中でチラリと総合順位を見る。
前回と同じ、3位だ。
席に戻ると前の席に座る弥宵が小声で話しかけてくる。
「……どうだった?」
テスト結果の通知を弥宵に見えないように教科書で隠しながら見る。総合順位3位。平均点は90点を少し超える程で、学年1位の科目もある。
元々テスト勉強で手を抜くタイプでは無いので、シロウとの約束があろうとなかろうとそれほど大きな違いは無かったかも知れない。イズミは不服そうに口を尖らせて小声で答える。
「前と同じ」
一教科でもシロウが上回ればシロウの勝ち。全教科で上回ればイズミの勝ちと言う勝負。イズミが勝てば、シロウは何でも質問に答えなければならない。D組の友人から聞いた噂話によると、『シロウは小6の時に転校した子の事が好きだった』と言う。
他の噂も気になるが、今はまずそこが知りたい。小6の時に転校したのは、誰なのか。
いつの間にか眉間にしわを寄せて険しい顔をしていたイズミに弥宵はニッコリと微笑む。
「だーいじょーぶっ。勝てるよ」
「……うん」
弥宵の笑顔にイズミはコクリと頷いた。
「柏木ぃー。前向け~」
「はいっ!」
◇◇◇
「で、どこにする?」
放課後、イズミは挑戦的な眼差しをシロウに向けながらそう言った。相変わらず主語が抜けているが、主語は『テストの点数勝負を』だろうか?
「いつものファミレスでいいだろ」
「あ、あー、ごめんシロウ。ファミレスって駅前の?ちょっとそこで柏木さんと秘密の話するから場所変えてくれる?あ、ほら。公園なんかどう?そうしなよ」
『えっ!?』
申し訳無さそうに微笑むマキトの提案に3人は驚きの声を上げる。当然3人には柏木弥宵も含まれる。
「えぇ……、っと。秘密の話って……何を?」
引きつった笑顔の弥宵とは対照的にニコリと爽やかに微笑むマキト。
「それは勿論秘密さ。さ、行こうか。後ろ乗る?」
「や、え、と。走りマス……」
「あはは、自分だけ自転車乗って女の子走らせてたら絵的にマズいでしょ。じゃあ柏木さん乗りなよ、僕走るからさ。ほらほら、行くよ~」
弥宵に自転車を預けるとそのまま駆け出して行くマキト。自転車とマキトを交互にみた後で覚悟を決めてハンドルを握る弥宵。
「……しっ、失礼します!サドル高っ!マキトくーん!無理っ、こげません!」
高身長で且つ足の長いマキトの自転車は、あまり背の高くない柏木弥宵が乗るには無茶があったようだが、マキトは既に走り出している。
「待って!」
弥宵は自転車を押しながら足早にマキトを追いかけていく。
「……何か聞いてる?」
呆気に取られた様子でイズミはシロウに問いかけるが、シロウも首を横に振る。
「いや?」
少し不自然に聞こえた会話の割り込みは何らかの意図があるのだろう。少し考えてみて、恐らく柏木弥宵をイズミと引き離すことではないかと思い至る。
「ま、いいや。そんじゃマキトさんの仰るとおり公園にでも行こうぜ。菓子は要るよな?」
「……遊びじゃないんですけど」
と、言いながらもコンビニで飲み物と菓子を調達し、決戦の地へと向かう二人。
◇◇◇
木々の茂る緑豊かな公園の奥、池の畔の東屋。スナック菓子をパーティ開きにしつつも、いつもの攻略会議の時よりやや緊迫の面持ちでイズミは飲み物を一口口にする。
「始めよ」
短くそう言ってイズミはシロウに手を伸ばす。
「その手は?」
「テスト結果。見ればわかるでしょ」
再度催促をする様に手を伸ばすイズミからテスト結果の通知を遠ざけて呆れ顔のシロウ。
「まぁ、待て。まさかパッと一気に見て終わりだなんてつまらない事言わないよな?」
「……つまるつまらないって。勝負なんですけど」
口を尖らせながらもまた催促の手を伸ばすイズミの手にスナック菓子を一つ置きながらシロウは言葉を続ける。
「勝負こそエンタメ性が問われるべきだろ」
「じゃあどうするのよ」
「科目毎に一個ずつ言っていこうぜ」
「そんなの幾らでも嘘つけるじゃん」
「じゃあ嘘だと思ったらお互いに一回だけダウトありにしよう。外したらその時点で負けって事でどうだ?」
イズミはシロウの真意を探るようにジッと彼を見つめる。
そんな提案を受けずにテスト結果を見せ合えばすぐに白黒勝負は付く。
「わかった。それでいいよ」
だが、イズミは頷いた。
疑いの目でシロウを見ながらテスト結果を口にする。
「じゃあ私からね。現社91点」
イズミの結果を受けて残念そうにため息を吐く。
「あー、惜しい。89点だ」
「ダウト」
一呼吸置いてイズミが異議を唱えると、シロウは呆気に取られ間の抜けた声を出す。
「え?」
「嘘吐き」
イズミの目は疑いから確信に変わり、怒りの色が添えられている。
テスト結果をめくるとシロウの現社は97点だった。総合は学年1位。保健体育は100点だ。
「わざと負けた振りされても嬉しくも何ともないよ……、馬鹿!」
涙目でシロウにグイッと詰め寄ると、感情的に大きく右手を引く。
頬に平手打ちを食らう覚悟を決め、ぐっと歯を食いしばるが振りかぶった手は降りてこない。
イズミは怒りに右手を振るわせながらポロポロと涙をこぼすと、グッと口を結び右手をまたシロウへと伸ばす。
「……馬鹿。すごいじゃん、1位なんてすごいじゃん。バカ、バカバカ」
泣きながら悔しそうにシロウの頭をわしわしと乱雑に撫でる。
「バカ。頑張ったんだね。すごい。すごいバカ」
何とも言えない居心地の悪さと、得体の知れない罪悪感がシロウを襲う。
「……わりぃ」
イズミは口を尖らせてシロウの頬をつまむ。
「何で嘘吐くの」
「……や、なんと言いますか」
答えにならない答えに反対の頬もつままれる。
「もう私に嘘禁止ね、罰として」
「へい」
「お爺ちゃんお婆ちゃんになってもだからね」
「……効果なっげぇな」
シロウの頬から両手を放し、俯き気味にイズミは呟く。
「ねぇ、6年生の時に転校したのはさ」
ただの噂話だが――、穂村司郎の好きな子は、6年生の時に転校したらしい。
「……すずでしょ?」
期末考査を終えた7月の中頃。
まだ蝉は鳴いておらず、風が葉を揺らす音に紛れる様にシロウはコクリと頷いた。




