第44話 閑話 果て無く遠く
◇◇◇
「今度転校するんだ」
キィ、キィとブランコの鎖が規則的に音を立てて、二つのブランコが交差する水曜日の放課後。
「そっかぁ」
イズミの告白に金森すずは寂しそうに呟いた。
この頃は髪も長くなくややボーイッシュな印象を受けるイズミとは対照的に、すずはヒラヒラとした少女らしい格好で、スカートを揺らしながらブランコを漕ぐ。
「遠い?」
「うーん……。パパは遠くないって言ってた」
「そっか」
少しの間ブランコの鎖が擦れる音だけが聞こえる。
引っ越すとは言っても、同じ市内。今住んでいる白い外壁の賃貸マンションからは歩いて30分と言ったところだ。――但し、大人の足で。
「同じ東京だし、同じ街だし、歩いてすぐだって」
でも、学校は変わる。
「今の友達とも同じ様に遊べるし、新しい学校でもすぐに友達が出来るって。そしたら友達も二倍だぞ?ってさ、あははっ」
「いず――」
その笑い声に少し安心したすずがチラリとイズミを見ると、イズミの目からはぽろぽろと涙が溢れていた。
「パパもお母さんも仕事変わんないのにさ」
引きつった笑いを浮かべ、目を涙で濡らしてイズミは言葉を続ける。
「……何で私だけ」
口にはしたが、答えは自分でわかっている。『子供だから』、だ。
ブランコが描く振り子の弧はどんどん小さくなっていき、暫くすると二人のブランコは隣に並ぶ。
ズッと音を立てて鼻を鳴らし、大きく息を吐くと濡れた瞳ですずを見てニコリと微笑む。
「ごめん、嘘。別に珍しくなんて無いよね、転校なんて」
小学四年になるまでに転校生も転入生も何人も見てきた。それが自分の番になっただけだ。
小二の時に転入してきた男子は、今ではクラスのリーダー的な子になっているし、三年の時に転校してきた子だって楽しそうにしている。
だから、私だってそうなるかもしれない。
去年転校した子は、皆に惜しまれながら転校していった。クラスで送別会も開いて、寄せ書きを贈ったし、何人かは泣いていた。自他ともに認める彼女の親友たちは『絶対手紙書くからね』『遊びに行くから』と口々に言っていて、傍から見ても感動的な別れに思えた。
その子達が手紙を書いたのは最初の一度か二度だけと聞いた。勿論直接会ってなどはいない。転校したその子の話題が出る事も当然ながらほとんど無い。
だから、私だってそうなるのだろう。
イズミは困った顔をしてすずを見る。
「手紙さ、書くって言わないでね?わかってるけど、来ないと寂しいから」
その言葉を聞いてすずはムッとした様子でブランコを一漕ぎする。
「出さないよ。近いもん」
怒りに任せてスカートにも関わらず足を組み替えて立ち漕ぎへと移行する。
「手紙なんか出さないよ。お別れ会だってしないし、寄せ書きだって勿論するもんか。だって……いつだってすぐ会えるもん」
いつの間にかすずも泣いていて、少し長めのスカートが漕ぐたびに揺れる。
一度は泣き止んだものの、釣られて泣いてしまったイズミも立ち漕ぎを始める。
「……私の部屋、広くなるんだって。一軒家なんだって」
「遊びに行くもん。自転車に乗ればすぐよ、そんなの。約束だよ?」
「お菓子、用意して待ってる」
「うんっ、た~くさんね?」
「絶対……絶対絶対約束だよ?」
「うん。絶対絶対絶対約束ね」
夏休みを控えた7月、5時のチャイムが鳴っても外はまだ明るい。
今の学校には2学期一杯通って、3学期から別の学校に転校するとイズミの父は言った。
「ゲーム、もう少し借りてて平気?」
ブランコを下りて、ハーフパンツのお尻をパンパンと払いながら申し訳なさそうにすずを見ると、すずもスカートを払いながらニコニコと微笑む。
「いいよ~。弟は今据え置きの方にハマってるから~」
「……すえおき?」
復唱して首を傾げるがそれ以上の追及はしない。
「……後出来れば、まだ秘密にしておいて欲しいんだけど。クラスの子とか、……シロウにも」
すずは寂しそうな顔で微笑む。
「秘密のままじゃないんでしょ?」
すずの目を見て、コクリと頷く。
「うん、……自分で言うから」
◇◇◇
「マジか。遠い?」
暫く経ち、引っ越しの話をイズミから告げられると、シロウは目を丸くしてイズミを見た。
「遠くないよ。歩いて30分位だって、ここから」
それを聞いて大きくため息を吐きながらベッドに寝転がる。
「マジか~。じゃあもうゲーム出来ねぇのかぁ」
本当に残念そうにそう言うシロウに白い目を向けるイズミ。
「そうね。そんなにゲームしたかったら新しい家まで来ればやらせてあげるけど?」
「そりゃめんどいな~」
軽く笑いながらふと眉を寄せてイズミを見る。
「ん?……じゃあ、もしかしてお前転校すんの?」
「最初からそう言ってたつもりなんだけど」
今更な反応についクスリと毒気を抜かれてしまう。
「マンション?一軒家?」
「一軒家」
「へぇ、買ったの?すげぇなぁお前の父ちゃん」
素直に感心するシロウに腕を組み得意げな笑みを向けるイズミ。
「私の部屋も広くなるんだって。いいでしょ?」
「マジか。ずりいな、お前だけ」
「ふふ、なにそれ。それにしても少しは寂しいとか悲しいとか無いの?仮にも幼稚園からずーっと一緒だったかわいいかわいい幼馴染が転校しちゃうんだよ?寂しいでしょ?泣きそうでしょ?」
「……何がかわいい幼馴染だっつの。この男女が。まぁ、でも後2年もすれば卒業だし。中学がまた同じって可能性もあるだろ」
イズミは首を横に振る。
「うっさい。男女って言うな。残念、中学校も学区が違うの」
そんな事は既に調べ済みだ。
「あぁ、それは残念っすね」
「全然残念っぽく聞こえないけど」
「つーかさ、新しい学校は家から近いのか?迷わず行けんの?昔みたいに迷って泣いたりするんじゃねぇの?」
「泣くかっ。あの時は一年生だったんだからしょうがないでしょ」
「俺もそうだったけどな」
一年生の時の記憶が思い出される。
登下校の通学路がなかなか覚えられず、帰り道に迷って泣いていたイズミを見つけたシロウが家まで送った事件の事。
それからしばらくの間は一緒に登校していたし、下校も出来る限り合わせていた。
もう少し遡ると幼稚園の時は一緒にマンションの前で幼稚園バスを待っていた。
「……ちょっと、トイレ借りるね」
思い出すと目の辺りが熱くなってしまった事に気が付いたイズミは足早にシロウの部屋を出る。
シロウの前で泣く訳にはいかない。
漠然と、明日も明後日も一緒な気がしていただけだ。
涙を堪える為にギュッと口を結ぶが、効果は無く。目からはポロポロと涙が零れた。
◇◇◇
「期末テスト。もうすぐだけど、勉強会でもする?皆で」
ファミレスでの天野蒔土攻略会議を終え、家路につく穂村司郎と霧ヶ宮泉。
「お前は成績いいのは分かるけど、柏木ってどうなの?」
失礼な物言いにクスリとするイズミ。
「どうって……。授業中は眼鏡だよ?」
「だから何だよ。どういう意図の情報だよ、それ」
「ん?眼鏡でもかわいいんだよ、って話だけど」
「それ今聞いてたか?まぁ、取り合えず写真くれ」
そうこう話をしている内にそれぞれの家路の分かれ道に着き、シロウは軽く手を上げて別れの挨拶をする。
「おっと、そんじゃ。気ぃ付けてな」
イズミは立ち止まり、無言で自身の家の方向を何度か指差す。
「……え?」
「まだ話の途中だけど」
ニコニコと家の方向を指差し言外に圧をかけるイズミ。
抵抗しても無駄な事はわかりきっているので、シロウは大きくため息を吐く。
「しょうがねぇなぁ。お供しますぜ」
「ふふ、やっさし~」
「あっ、ウザすぎて気が変わりそう」
「あはは、うそうそ」
文句を言いながらもシロウはイズミの家の方面へと歩を進める。
「昔思ったほどお前の家遠くねぇよな。めんどいはめんどいけど」
「……小学生だったからね~」
思い出してクスリと笑い、あの頃は果て無く遠く感じた道を歩く。




