第42話 閑話 一つ屋根の下
◇◇◇
昔々のその昔、と言う訳では無く、白い外壁の古びたマンションが今より少し新しい頃の話――。
「ねぇ、お母さん。誕生日プレゼントにゲーム機買って欲しいの」
301号室に住む少女は、おもちゃのチラシを片手に料理中の母親の周りを右往左往する。
小学4年にしては背が高く、活発そうなショートヘアの少女は料理をしている母の後ろからぴょこぴょこと顔を出す。
「あれ?かわいいビーズキットが欲しいって言ってなかったっけ?」
チラリと振り返る母に困った顔を向けて、頼み事をして手を合わせる。
「ビーズはサンタさんに頼むからいいの。足りない分はお年玉から出すから。だからお願いっ」
「んー、パパに聞いてみなきゃ分かんないけど……。あなたゲームなんてやるの?」
「……いいでしょ、別に」
◇◇◇
「いってきやーす」
数日後の朝、303号室に住む少し潰れたランドセルの少年が朝から半ば諦めの声を出して玄関の扉を開ける。穂村司郎、小学四年生。
彼が階段へ向かおうと数歩歩くと、ゆっくりと301号室の扉が開いて綺麗な赤いランドセルを背負った少女が姿を見せる。霧ヶ宮泉、小学四年生。
「あ、おはよ」
イズミは紐で縛った段ボール束を重そうに持ちながらチラリとシロウを振り返り呟く。どうやら今日は資源ごみの日の様だ。
「……お前、それ!」
挨拶もせずにシロウは彼女の抱える段ボールを見て目を見開き声を上げる。
「ん?どうかした?」
正に『作戦通り!』と口元が緩みそうになるのを堪えながら、できる限り素っ気なくイズミは答える。
イズミの抱える段ボールの一番外側には、子供達垂涎の新型携帯ゲーム機の空箱。空箱があると言う事はつまり……。
「お前それっ……!買ったんか!?」
チラリとゲームの箱を見て呆れ顔のイズミ。なかなかの演技派だ。
「あぁ、これ?うん、よくわかんないけどパパが買ってきちゃってさ」
シロウは興奮気味にイズミの前に回り込み食い入る様に空箱を見る。
「いいパパだな!うちのと交換しようぜ!あっ、貸せよ。俺持ってやるよ、段ボール!」
「本当?ふふふ、ありがと」
「マジか~。いいなぁ~。なぁ、この箱貰っていい?いいよな?ゴミだもんな?」
「どうしよっかな~」
フラフラとしながら階段を降りて、マンションのゴミ捨て場に段ボール束を捨てる。宣言通りシロウは紐を解いてゲームの空箱を回収している。
「そんなの何に使うの?」
「うるせぇな。そんなのこれから考えんだよ」
イズミに目もくれずに紐を解く。
「変なの。遅刻しちゃうよ?」
「なら先行けよ」
「いいの?私が先行っちゃうとシロウは勝手にゴミ漁ってる変な子になっちゃうけど」
「やっぱそこにいろ」
「だから言ったでしょ?」
少しして、回収したゲームの空箱を満足気に両手で天に掲げて眺めた後で折れないように丁寧にランドセルに入れる。
満足気なシロウを眺めて、イズミも少し微笑む。
「なぁなぁ、お前今日暇?遊ぼうぜ、ゲームやろうぜ。ゲーム」
明らかにゲーム狙いでニコニコとイズミを遊びに誘うシロウ。
「んー、今日はすずと遊ぶ約束しちゃってるんだよね」
「あぁ、金森か。じゃあ邪魔しないからゲームだけやらせてくれよ。な?一言も喋らねーから」
イズミと同じクラスの友人、金森すず。シロウは小二の時に一度だけ同じクラスになった程度で特に話すと言う訳ではないがイズミと仲が良いと言う事は知っている。
「やだ。明日ならいいけど」
「よし、じゃあ明日な。絶対だぞ?学校終わったらダッシュで帰るんだぞ?わかったか?」
歩きながら必死の念押しをしてくるシロウにクスリとするイズミ。
「わかったってば」
二人が住む白い外壁の賃貸マンションから、三度角を曲がると彼らの通う小学校に着く。二回目の角を曲がる辺りで金森すずと合流する事が多い。
「おはよ~、いず」
少し明るい色の長い髪。ひらひらとした女の子らしい服。ランドセルの色はピンク色だ。
「すず、おはよ」
イズミは金森すずに手を振る。
もう小学校生活も後半戦に突入しており、同じマンションに住んでいるとは言えシロウとイズミは一緒に登校することはほとんどない。たまたま家を出るタイミングが一緒になってしまった様な時は、この二つめの角辺りから大体シロウが走って先に行くのだ。
もっとも、今回家を出るタイミングが一緒になったのは偶然でも何でも無いのだが。
「そんじゃ、イズミ。明日約束忘れんなよ」
シロウはそう言って学校へ向かい駆けていく。
「約束?」
すずはチラリとイズミを見る。
「べ……別に大した事じゃないから気にしなくていいよ」
「うん、わかってる。秘密ね」
事情を察してニコリと微笑んで頷くが、それで納得できるイズミでは無い。神妙な顔で首を横に振る。
「絶対わかって無いって。違うの。そう言うのじゃ無いの」
「そっかぁ~。じゃあどう言う事なの?」
「……パパが偶々ゲーム機を買って来ちゃって、それが偶々シロウに知られちゃって、明日ゲームをして遊ぶことになっちゃったの!」
「そっかぁ~」
ニコニコと穏やかにすずは答える。
「そうよ」
ムッと口を尖らせて答えた後で、一歩ずつ罪悪感が背にのしかかり、ゆっくりと重い口を開く。
「……嘘。お願いしてパパに買って貰ったの。誕生日プレゼントに」
「そっかぁ」
かわいいビーズキットが欲しいと言っていたイズミが何故急にゲーム機を買ってもらったのかは聞かずにすずは微笑んで相槌を打つ。悪気は無く、『そっかぁ』が口癖の様にも思える。
目鼻立ちが整っていると言う訳では無いが、柔らかい雰囲気の女の子らしい少女だ。
「じゃあ明日穂村くんとゲームで遊ぶんだ?」
イズミは無言でコクリと頷く。
「ソフトは~?」
思わぬ問いかけにイズミは困惑した表情をすずに向ける。
「ん?」
まさかとは思うが、念の為もう一度聞いてみる。
「ソフトは何買ったの?」
「そふと?」
元々全くゲームをしないイズミと、その両親。イズミに言われるままにゲーム機を買っては来たがソフトなど買ってきてはいない。
「あのね、いず。ゲーム機で遊ぶには『ソフト』が必要なの。車のやつとか、動物のやつとか、入れ替えて遊ぶの。ゲーム機だけじゃ遊べないんだよ?」
その言葉でイズミの表情がサッと曇る。
「……えっ。じゃあどうすれば!?あっ、パパに電話して……!。ダメ、もうプレゼント買って貰っちゃったし。お母さんに言ってお年玉を使わせてもらえば……!」
オロオロと自問自答を繰り返すイズミを安心させるように肩をポンポンと叩く。
「だーいじょーぶ。私も持ってるから。今日何本か持って行くね?貸してあげる」
「本当!?」
「うん~。うち弟居るから」
ニッコリと笑い金森すずはピースサインをする。
「今日は特訓だね~。明日穂村くんをボッコボコにしてあげよう~」
一人で『お~』と右手を上げるすず。
「ほら、いずも。お~!って」
「えぇ……。ぉ~」
イズミは小さく声を出し、小さく手を上げる。
賃貸マンションの白い外壁が、今より少し白っぽかった昔の話。
幼稚園から一緒で、小学校も一緒だった頃の話。
もう少し先に、転校する事などまだ夢にも思わない頃の話。




