第32話 勇気の欠片
◇◇◇
「柏木さん、まだ帰らないの?」
サッカー部員達も剣道部員達も帰ってから暫くしても、柏木とマキトは体育館の入り口にいた。ニコニコと太陽の様な笑顔を向けるマキトから目を逸らす様に俯いて、引きつった笑顔で柏木弥宵は答える。
「うえぇ……っと、ですね。ああああー……汗臭いので、ちょっと……あれなんす。えへへへ……」
柏木の答えにクスリと笑う。
「前も言ってたね、それ。別に臭くないと思うけどなぁ」
「いえっ……、滅相も無い!最近のデオドラントは優秀なんで!」
「あはは、そっか」
時間の経過か逃げ場が無いからか、少しずつではあるが会話が成立し始める。
最終下校時刻が近づいている事を告げる放送が流れて、残っている生徒達はまばらだ。
「剣道いつからやってるの?」
俯く弥宵の表情を覗き込むように傍らの階段に腰を掛けて見上げながらマキトは問う。
「ひっ!むか、昔っからです!」
グインと首を捻りながら答える弥宵とその内容に笑いを堪える。
「ははっ、もう少し詳しく聞けると嬉しいかなぁ」
「……うぅあぁ、9年前の4月16日からでぇす」
「9年前!?」
その言葉を聞いて眉を寄せながら両手で数える。小学1年の4月16日からやっているようで、マキトは感心したように何度か頷く。
「って事は、小学1年の頃からって事?それはすごいなぁ」
「いやぁ……へへへ。本当全然そういうのじゃないんで。すごくも何とも無いんで」
「またまたぁ。大会で優勝したりとかもあるんじゃない?」
「……えへへへ、実は団体戦で一度だけ。と言っても、みんな強かったんでわたしはおまけのおみそなんですけど」
本当に恥ずかしそうに照れ笑いをする弥宵にパチパチと拍手が注がれる。
「お~、すごいね。僕なんて毎回毎回行っても3回戦くらいだよ、羨ましいなぁ」
「いえいえいえ、全然全然そんな事無いです。蒔土くんの方が……」
ゴニョゴニョと言葉を濁して引きつった愛想笑いを浮かべる。
「話は変わるけどさ、剣道の時のあの服ってなんか良いよねぇ。名前何て言うの?」
「うぅうちらは剣道着とか道着って呼んでマス……。正式かは分かんないですけど」
「へぇ~、柏木さん似合いそう。見てみたいな」
「本当もう寸胴なんで。いずみんみたいにスラっとしてたら格好いいんすけど……、あっ!いずみんも中学の時一緒に剣道部だったんです!えへへへ、本当にきれいでカッコよかったんですから!」
「みたいだね、シロウが言ってたよ。二人とも二段なんだってね~、すごいすごい」
「おーい、天野。そろそろ最終だからな。早く帰れよ~」
「はーい、センセー。ありがとうございます」
間も無く最終下校時刻になる様で、見回りに来た教師にニコリとお礼をしてマキトは立ち上がる。
「帰ろっか。送るよ」
マキトの目線が上がるのと連動するように俯いた弥宵は言葉に詰まる。
もう何度も見た光景。
弥宵は顔を上げて、真っ赤な顔でマキトの顔を見る。
いつまでも逃げていてもしょうがない。
「……お手数お掛けしマス」
柏木弥宵は覚悟を決めた。
◇◇◇
鈍く重い音を立てて校門が閉まり、自転車を押す長身の少年と少女の影が伸びる。
「乗る?」
「いえ、死にます」
「えっ、何で」
自転車の2人乗りを勧めるマキトに条件反射で断りを入れてしまい、弥宵は慌ててフォローをする。
「あっ!あー……、危ないから!なんか多分法律みたいなのも違反してますし!きっと!」
内容はともかく、少しずつ話をしてくれるようになった事を喜びマキトはニコニコと微笑む。
「あはは、そうか。安全第一だよね、本当」
「です!自転車気を付けなきゃだめですよ!」
取り留めの無い会話をしながら弥宵の心臓は都大会の決勝の時よりも速く強く拍を打ち、足元はふわふわと覚束ない。
部活の時に剣道場に掲げる旗に書かれた『不動心』と言う言葉を何度も頭で反芻するが、その度に心は揺れて不動心から遠ざかる様な気がする。
何故マキトは自身を下校に誘ったのか?
サッカー部の友人も傍にいたのに、何故離れた所にいた柏木弥宵に声を掛けてきたのか?深い意味はあるのか、無いのか。
何度も何度も考える。基本的には柏木弥宵は自分の事にはネガティブな思考になりがちだ。
だが、恋に憧れ何冊も何冊も読んできた少女漫画であれば、脈無しのパターンでは無いだろう。少なくとも嫌っている相手は自ら誘わないだろうと思う。幾らなんでも率先して不快になりたい人はいないはず。
その帰結が弥宵にひとかけらの勇気を与えた。
「どっ……!」
普段より1オクターブ上の『ド』の声が出てしまい、慌てて口を両手で押さえる。
ニコニコと次の言葉を待つマキトをチラリと一度見た後で胸に手を当てて大きく一度深呼吸をする。
「動物園!楽しかったです!」
言い終えて、剣道の残心の様にジッとマキトを見る。
「ね。楽しかったね。今度は見てない所も行こうよ」
――『今度は』。
社交辞令かもしれないが、そんな小さな言葉一つ一つを繋ぎとめて柏木は声を出す勇気を絞る。
今まで剣道を教えて下さった先生や先輩方には申し訳ないけれど、剣道を……武道をやっていてよかったと生まれて初めて思った。
どんなに勝ち目が薄くても、諦めないで戦う事を教わったつもりだ。
「マキトくん!」
自分で思ったより大きな声が出て、キッとブレーキの音がしてマキトも立ち止まる。
合わせて弥宵も立ち止まる。
イズミにも剣道部の友人にも見ているだけで気持ちがバレた。きっとマキトにも自身の想いはバレているに違いない。
「……今日は何で帰り誘ってくれたの?」
勇気の欠片があと一つでもあれば告白が出来ただろうか?
それでも、昨日までの弥宵では考えられない程の進歩と言える。
マキトは少し安心した様にニコリと微笑む。
「友達を誘うのに理由が要る?」
「友達……!」
そう復唱して弥宵は嬉しそうに口元が緩む。
「……えへへへへ、要らないんじゃないすかねぇ、多分」
「たまに変な敬語になるよね、柏木さん。あ、家こっちで合ってる?」
「あ、は……あー、こっち……っす、うん」
何度か道を間違えながら、柏木弥宵の一番長い下校は終わる。




