第19話 次の週末に
◇◇◇
月曜日の朝、もう間も無く始業の鐘が鳴ろうというのに柏木弥宵は小柄な身体に比べれば大きな黒い防具袋を傍らに立ち尽くす。
「ほら、弥宵。そろそろ行かないと」
「え……、うん。そうだねぇ、えへへ。一週間って早いよねぇ。何を着ていこうかなぁ」
ニコニコと幸せそうに笑いながらまるで見当違いの言葉を放つ弥宵を白い目で見ながら、おもむろに防具袋を漁り、剣道の小手を取り出して弥宵の鼻と口を覆うように被せる。
「やよいー」
「ぶえっ!?臭っ……くないよ!?急に何するの、いずみん!」
「ん、そろそろ教室に向かわないと間に合わないよって」
「あっ!もうそんな時間!?急がないとね!」
と、口で言うものの小手を片手に持ったまま防具袋を見てまた固まる。
「やーよいー」
イズミがパンパンと手を叩く音に我に返った弥宵は慌てて赤い顔でイズミに弁明をする。
「違うの!だってさ、さっきまで蒔土くんが背負ってたんだよ!?それを私が背負うって事はさ……実質蒔土くんをおんぶしてる、って事にならない?って考えたらさ、恥ずかしくて。えへへへ……」
イズミはむっと眉を寄せると、躊躇い無く防具袋を背負い足早に階段へと向かう。
「バカ言ってないで行くよ、ほらほら」
「あっ!この泥棒猫っ!」
「背負ってあげてるのにひどい物言いね」
「あはは、ごめんうそうそ。いずみんありがとうっ!」
小手と竹刀袋を持ちイズミの後を追う弥宵。
結局、二人は始業の鐘が鳴り終わる前に何とか教室に滑り込む事ができた。
この慌ただしい朝の発端は、天野蒔土が別れ際に下駄箱で言った言葉だった。
柏木弥宵の想い人、天野蒔土は言った。
『今度の週末、四人で遊ばない?』、と。
◇◇◇
「そもそも、『四人』の中にわたしは含まれていない……って可能性は無いかな?」
放課後、お決まりのファミレスで行われた天野蒔土攻略会議の冒頭で自信無さげに柏木弥宵は呟く。
「すげぇなぁ、流石の俺でもそんな発想は無かったぞ。どんだけネガティブ思考なんだよ」
感心したように嫌味を言うシロウをキッと睨むイズミ。
「恋する女の子はちょっとした事で不安になるものなのよ」
「へぇ、中々分かった事を仰いますなぁ」
「まぁね。小学四年の男子にはわからないでしょうけど」
イズミの嫌味をスルーして、毎度の謎調合ドリンクを飲みながら弥宵を見る。
「その心配は要らないと思うぞ。教室でもその話したから」
「蒔土くんがわたしの話を!?どの口で!?」
「……普通にマキトの口でだよ」
「そっかぁ……えへへへ、そんな事もあるんだねぇ」
「で、イズミ。アホの子は放っておいて、具体的にどうしようか?」
「マキトくんは何か言ってた?どこに行きたいとかそう言うの」
シロウによる弥宵への『アホの子』呼びをスルーしてイズミも会議を続ける。
「いや、特に何も。普通にファミレスじゃまずい?」
イズミは大きくため息を吐いてジト目をシロウに向ける。
「その辺りに違いがある事を自覚すると良いわね」
「うるせぇな。まぁ、その辺はマキトにお任せしといたらいいんじゃね?」
「例えば、シロウはどこか行きたいところあるの?参考までに」
「はぁ?俺に聞いてどうすんだよ」
「だから参考までに、って言ってるでしょ。私が決める訳じゃないんだから。例えば映画とかは?」
イズミの提案を聞いてぷっと小馬鹿にしたような笑みを浮かべるシロウ。
「え・い・が。……いいんじゃないっすかぁ?百戦錬磨の霧ヶ宮泉さんがそう仰るなら」
「あ、感じ悪い言い方。それに何よ、百戦錬磨って」
「こないだ柏木から聞いたぞ?いずみんは中学の時すげぇモテたって」
「別にモテてなんかないし。弥宵も余計な事言わないでよね」
ジロリと隣に座る弥宵を見るが、弥宵は得意げに親指を立てる。
「大丈夫、いずみん。言っちゃまずい事は言って無いから!」
その言葉に双方色めき立つ。
「ちょっと!いい加減な事言わないでってば!言っちゃいけない事なんて何もないでしょ!?」
「え、マジすか。柏木、後でこっそり頼むよ」
「だから何も無いのっ!」
二人の反応を見て、少しバツが悪そうに笑う弥宵。
「……あれ?何かだめだった?」
シロウは楽し気にニコニコと首を横に振る。
「いや?何も。柏木は何も悪くない」
「だからね、本当に何も無いんだってば。弥宵の言い方で含みありげに聞こえただけなんだってば。ねっ、弥宵!」
正直何がいけなかったのかよくわかっていない柏木弥宵は、一度二人の顔を交互に見渡した後で誤魔化し笑いをする。
「えへへっ、そう!そうなの!何も無いよ、本当!嘘じゃないよ!いずみんには本当に秘密なんて無いよ!」
不思議な事に柏木弥宵が弁解すればするほど何やら秘密が潜んでいる様に聞こえてくる。
イズミはキッとシロウを睨むように見据えて、口を尖らせる。
「……本当に何も無いから」
シロウはニコニコと頷く。
「あぁ、平気平気。わかってるって」
と言いながらも後で柏木弥宵を誘導すれば容易に聞き出せるだろうと高を括っているのはバレバレだ。
その尋問が自分のいない所で行われるよりはまし、とイズミは腹を括る。
「中学の時、三年間で七人に告白されただけだもん」
少し赤い顔で、ふて腐れたように口を尖らせてイズミは言う。
「一番最初は一年の一学期の終わりに二年生からで、次は二学期の途中にクラスメイト。次は――」
「わかった、もういい。悪かった!」
シロウが制止した時はイズミの顔は真っ赤になっていた。
「まだ後五人いるんだけど」
赤い顔でジッと挑戦的な視線をシロウに送る。
ただの興味本位の悪乗りで追及してしまった事にそれなりの罪悪感を覚えるシロウと、何か口を滑らせてしまったらしい事に多大な罪悪感を覚える弥宵。
弥宵は手で口を押さえ、申し訳なさそうな視線をイズミに送る。
「毒を食らわば皿までの言葉もある。……さほど興味は無いが、聞かせてもらおうじゃねぇか」
その言い草にクスリと笑うイズミ。
「……興味無いなら最初から聞かないでよね」
中学一年の一学期に始まり、卒業式の日まで合計七人に告白されたイズミは、結局誰とも付き合っていないと言う。卒業式の日に告白されたのは、野球部のエースで四番と生徒会長を務める学校一のモテ男だったそうだ。
幼馴染の恋バナ。小四程度の恋愛偏差値のシロウには何とも言えない照れ臭さがあったが、そこで引くのは何となく負けな気がした。
何と戦っているかは別として。
「何で付き合わなかったんだよ。あ、坊主頭嫌いなんだっけ?」
半ば照れ隠しのように茶化すシロウ。そのシロウを試すように挑発的な笑みを浮かべてイズミは呟く。
「ううん。好きな人がいるから……って」
「へ……へぇ」
「誰か知りたい?」
「……聞いてもわかんねぇよ」
濁った色のブレンドジュースは、氷が溶けて少し薄くなる。
ドリンクを飲むシロウにイズミはニコリと笑う。
「いつか告白するときに教えてあげるね」
「だからわかんねぇっての」
平静を装って笑いながら、イズミの黒く長い髪の下に隠れた耳は人知れず真っ赤に染まっていた。